どこかで、誰かが泣いています(一)
ある日、江戸に四人の男たちと同心たちとを乗せた小舟が到着した。
乗っている同心たちは全員、厳しい表情を浮かべている。一方、男たちはみな下を向いている。しかし同時に、何とも言えぬ解放感に満ちた表情をしていた。それもそのはず、彼らは島帰りなのだ。罪を犯して島送りになり、今日までずっと離島で辛い生活をしていたが……お上からの御赦免状が出たため、晴れて江戸に戻ることが許された者たちなのである。
「やあ、お務め御苦労様です。今回は四人ですね」
同心に挨拶し、男たちを引き取ったのは……同じく同心の中村左内だ。隣には岩蔵が控え、男たちをじろりと睨み付ける。
だが、一人の若者の顔を見たとたん、表情が和らいだ。
「おめえ……清太じゃねえか。御赦免になったのか」
「へえ、お陰様で。岩蔵の親分さんには、本当にお世話になりました」
清太と呼ばれた青年は、照れ臭そうに笑いながら、岩蔵に頭を下げる。喧嘩っ早そうな顔つきではあるが、どこか愛すべき素直さも感じさせる。他の者たちとは違う雰囲気だ。
岩蔵は彼にしては珍しく、優しげな表情を浮かべながら清太の肩を叩いた。
「いいか清太……自棄になるんじゃねえぞ。世の中、島帰りには厳しいがな……頑張れば、見ていてくれる人はいるんだ。お前なら、きっとやり直せる」
やがて、木場の材木問屋の者が現れた。そして、男たちを引き連れて行く。全員を、人足として雇うことになっているのだ。
「なあ岩蔵……お前はあの清太ってのと、知り合いなのか?」
左内が尋ねると、岩蔵は複雑な表情で下を向く。
「へえ。あいつは五年前、喧嘩で相手を殺しちまいましてね」
「何だあ? それで御赦免かよ。ずいぶんと妙な話だな」
左内が不思議そうな顔で言う。すると、岩蔵は顔をしかめた。
「いや、それがね……清太の奴、たまたま通りかかった場所で手込めにされそうになっていた娘を助けたんですよ。で、襲っていたごろつきを刺し殺しちまったんです。結果、島送りでさあ。あっしが御奉行様なら、無罪放免にしてやりましたよ」
淡々と語る岩蔵。普段の彼らしからぬ態度だ。
「なるほどなあ。割に合わねえ話だ。滅多に人なんか助けるもんじゃねえな」
とぼけた口調で、さらりと言ってのける左内。岩蔵は不快そうな顔つきになった。
「そうでしょうね……旦那は間違いなく、長生きしますよ」
皮肉たっぷりの、岩蔵の言葉……だが左内は、素知らぬふりをした。
・・・
「龍さん、いったいどうしたんだい?」
剣呑長屋の一室……龍の住んでいる部屋に、多助と以蔵が来ていた。多助は部屋に入り込み、寝ている龍の体に揉み療治を施している。一方、以蔵は戸口に腰を降ろし、二人の様子をじっと見ている。
「別にどうもしてねえよ……余計な心配はしなくていい」
うつ伏せに寝そべったまま、龍は答える。
「大丈夫、とは言えねえなあ……龍さん、あんたは若いし体も頑丈だよ。しかしね、あんまり無理させると、その内がたが来るよ。体にも手入れが必要さ」
言いながら、多助は龍の体を包む分厚い筋肉を、丁寧に揉みしだいていく。龍はいかつい顔に似合わぬ声を上げ、以蔵は思わず苦笑した。
その時――
「ごめんなすって」
外から声がした。以蔵はちらりと見て、慎重に戸を開ける。
そこには、若い男が立っていた。年齢は二十代半ばか。血の気が多そうな顔つきではあるが、どこかお人好しな面も同居しているように見える。以蔵に対し、ぺこりと頭を下げた。
「あっしは清太ってもんです。今日から、この長屋にお世話になりますんで、よろしくお願いします」
そう言うと、清太と名乗った男は頭を下げる。以蔵は笑みを浮かべ、龍の方を見た。
「龍さん、お客さんだよ」
その声に反応し、龍が立ち上がる。
「何だお前、こんな所に越して来るとは、物好きな奴だな」
言いながら、龍はずかずか歩いて行く。そして、清太をじろじろと眺めた。一方、清太は龍の人相の悪さに圧倒され、きまり悪そうに下を向く。
「お前、何も持って来てないのか?」
不意に龍が尋ねた。すると、清太はきょとんとした表情になる。
「へ?」
「へ、じゃねえだろうが。越して来たなら、土産くらい持って挨拶しに来るのが筋だろう」
龍の言葉に、顔をしかめる清太。
「いや、すいません。何せあっしは、けさ島から帰って来たばかりでして……」
「何だと……」
清太の言葉を聞き、龍の表情が一変する。その場にいた以蔵や多助も、顔つきが変わった。
「そうか、お前は島帰りなのか……」
そう言うと、龍はまじまじと清太の顔を見つめる。そして言った。
「俺に任せろ。お前、俺の舎弟になれ」
「はい? 舎弟ですか?」
びっくりした表情で、聞き返す清太。だが、龍はお構い無しだ。清太の肩に、その太い腕を回す。
「そうだ。悪いようにはしねえから、俺の舎弟になれよ」
「いや……あっしは、やくざはちょっと――」
「馬鹿、誰がやくざだ。見た目で判断するな。一緒に何か商売しようぜ。まずは、こちらの多助さんの下で按摩の修行……なんてどうだよ?」
「あ、按摩ですか?」
清太は、目を白黒させている。多助もまた、急な展開に困った顔をしていた。だが、龍の表情は真剣そのものだ。
「そうだ。この多助さんの下で修行すれば、お前は立派な按摩になれる。そうしたら、俺が客を紹介するから――」
「あの……申し訳ないんですが、あっしは木場で働くことが決まってますんで……」
しどろもどろになりながらも、言葉を返す清太。龍は残念そうに、清太の肩を叩いた。
「そうか、それじゃあ仕方ねえな。木場の仕事、頑張れよ」
「分かってねえ野郎だなあ、あいつは……」
清太が出て行った後、顔をしかめて呟く龍。それを見た以蔵は苦笑した。
「龍さん、ほっといてやんなよ。あいつはあいつなりに、真面目にやろうとしてるんだからさ」
「以蔵さん、分かってねえのは、あんたも同じですな……島帰りがどんなに頑張ったって、堅気にはなれやしませんぜ」
そう言ったのは多助だった。さらに、龍も大きく頷く。
「その通り……脛に傷持つ奴はな、徹底して裏街道を歩くべきなんだよ。下手に表街道を歩こうとするから、けっつまづいた挙げ句、すっ転んで大怪我したりするんだ」
龍の口調は冗談めいたものだった。だが、その言葉に秘められたものは決して軽くはない。
以蔵は何か言いかけたが、その言葉を呑み込んだ。彼は知っている……龍もまた、島帰りなのだ。まだ若いが、島帰りの苦労というものを身をもって経験している。以蔵は笑みを浮かべた。
「なるほどね……世の中、そんなもんなのかもしれないな。じゃあ、私は店に戻るとするよ。政吉さんがうるさいんでね」
そう言って、以蔵は出て行った。
・・・
翌日、清太は真面目に働いていた。他の人足たちと共にひたすら材木を運び、仕事の汗を流す。
そんな清太ら島帰りの人足の働きぶりを、じっと見ている者がいた。材木問屋である木戸屋の主人、木戸善兵衛である。善兵衛は大変に信心深い男だ。また島帰りの人間を積極的に雇用している。世間からの評判も悪くない。
だが、島帰りの人間を雇用するのには、善兵衛なりの理由があった。
「善兵衛さん、どうだね景気は?」
善兵衛に話しかけているのは鳶辰だ。冷酷な目で、人足たちを見ている。
「まあ、ぼちぼちですね。近頃は、いろいろ面倒なこともありますが……」
にこやかな表情で答える善兵衛。恰幅のいい体格、そして柔和な顔立ち。善兵衛という名前と相まって、とても悪党には見えない。
だが、彼の隣にいる鳶辰は、江戸の裏社会では屈指の大物である。そして善兵衛にもまた、裏の顔はあったのだ。
「善兵衛さん、あんたの息子は大丈夫かね……色々とやらかしてるようだが」
鳶辰の言葉に、渋い表情をして見せる善兵衛。
「ご存知でしたか。お恥ずかしい限りで……」
「俺は別に、あんたの息子が何をしようと構わないさ……ただ、あんたとは付き合いも長い。お互い、末長く付き合っていきたいからね。もし町方の手が回ったら、どうする気だい?」
鳶辰の問いに、善兵衛は笑みを浮かべてみせた。
「その点に抜かりはありません。そういう時のために、島帰りを雇っているんですから」
「なるほどねえ……善兵衛さん、あんたもかなりの悪だねえ」
「何を仰いますか……鳶辰さんに比べれば、私などはただの雑魚ですよ」
二人の極悪人が、自分のすぐ近くでそんな会話をしていることなど露知らず、清太は額に汗して真面目に働いている。彼は今度こそ、真っ当な暮らしをしようと心に決めていたのだ。
・・・
その頃、政吉は一人で町をぶらついていた。ただし、今日の用事は博打ではない。ある人物と会うためであった。
「おう政吉、おめえ、また仕事さぼってるのか」
後ろから聞こえてきた声……政吉はひきつった笑みを浮かべて振り返る。
「いや、これは源四郎の親分さん……どうかしましたか?」
「何だ、その態度は……怪しいな。ちょいと面貸せ」
「え、何でですか?」
「いいから来い」
そう言うと、源四郎は政吉の腕を掴む。そして無理やり引っ張って行った。
「政ちゃん……」
ひとけの無い裏路地に着くと同時に、しなだれかかる源四郎……だが、政吉は素早く避けた。
「源の字、それどころじゃねえだろうが。それよりも、岩蔵には、ちゃんと言っといてくれたか?」
「ええ、言ったわよ……でも、本当に大丈夫?」
言いながら、政吉の胸をつつく源四郎。何ともおぞましい感覚に襲われ、政吉は顔をひきつらせた。
「さあな……だが、今は岩蔵の目を鳶辰に向けさせるのが得策だろう」
岩蔵は最近、政吉に目を付けている。先日など、あからさまな態度で政吉に因縁を付けてきたのだ。岩蔵の拷問で不具者にされた者は少なくないし、命を落とした者もいる。
そこで政吉は一計を案じた。万が一の事態に備え、岩蔵と鳶辰を噛み合わせようと考えたのだ。
岩蔵には、向こう見ずな部分がある。大抵の目明かしや同心が避けて通る鳶辰にも、平気で噛みついていくような男だ。その結果、鳶辰の逆鱗に触れるようなことになり、消されてくれればありがたい。
「いいか源の字、これからも頼むぜ。岩蔵が鳶辰とやり合っている間、こっちは安全だからな」
「わかったわ……あ、そうそう、政ちゃんに一つ聞きたいんだけど、あたし以外から仕事を受けたりしてんの?」
「いや、受けてないぜ」
訝しげな表情で答える政吉。仕掛屋は基本的に、源四郎の持ち込んだ仕事以外は引き受けない。目明かしである源四郎ならば、様々な情報を集めやすい。いざとなれば、少々のことは揉み消すことも可能だ。
目明かしである源四郎が仲介役であるからこそ、仕掛屋は機能しているのである。そうでなければ、裏の仕事など出来はしない。
「そう。それならいいんだけど……最近、評判の良くないろくでなしが死体に変えられる事件が多いのよね。刃物で斬られたり、背骨を折られたりって手口らしいんだけど。おひろめの半太は、仕置人の仕業だとか触れ回ってるし……」
「仕置人だあ? 聞いたことねえなあ。どうせ、半太のでたらめだろ。あいつは瓦版を売るためなら、大抵のことはやる。でたらめくらい可愛いもんだよ」
だが帰る道すがら、政吉は考えた。近頃は、江戸の景気もいいとはいえない……どこかのとち狂った食いつめ浪人が、いきなり殺し屋稼業を始めたとしても不思議ではないのだ。
ひょっとしたら、また新たなる裏の商売人たちが出現したのかもしれない。
だとしたら、厄介な話だな……。
政吉は、思わず呟いていた。そうなのだ。裏の商売人の数が増えれば、当然ながら競争相手が増えることになる。結果……下手をすれば、潰し合いに発展することもあるのだ。
裏の商売人同士の潰し合いは、決して珍しいことではない。現に政吉自身、裏社会の抗争に巻き込まれたことがある。壮絶な殺し合いの末、生き延びたのは政吉一人だけだった。相手方は全員死んだ。しかし政吉の仲間たちも、全員が殺されてしまったのだ。
その後しばらくの間、政吉は裏の世界から身を引いていた。裏稼業にいた時に貯めた金で蕎麦屋を始め、細々とやっていたのだ。
しかし、運命に導かれるように今の仲間たちと出会い、そして成り行きから、元締めとして裏稼業を再開することになってしまったのだ。
もう、あんな思いは二度としたくはない。だが裏稼業を続けていく以上、避けては通れないだろう。
もし裏の連中と殺り合うことになった場合、果たしてどう戦うか……などと思いながら、政吉は店に戻って行った。




