のさばる悪を、何とします(三)
「鳶辰さん、どうもお久しぶりです」
そう言って、由五郎は頭を下げる。だが、当の鳶辰はそちらを見ようともしない。彼は由五郎の目の前で、女の体を乱暴にまさぐっているのだ。
ここは、鳶辰の仕切る出会い茶屋である。由五郎は用心棒の浪人者、新之丞を連れて鳶辰に会いに来たのだ。今後、さらに手広く商売をしていこうと考えている由五郎にとって、鳶辰は避けて通れない相手だ。
そこで、わざわざ出向いて来たのである。鳶辰と直接、顔を会わせるのは久しぶりだ。かれこれ十年ぶりになるだろうか。もっとも、間接的な取り引きは何度かあったのだが。
しかし、店の者に案内された部屋に入ると、さすがの由五郎も唖然となった。部屋の中で、鳶辰は若い女を腕に抱き、その首のあたりに口づけをしていたのだ……。
「あ、すいません! お取り込み中とは知りませんで……」
そう言うと、由五郎は部屋を出ようとした。しかし、鳶辰に呼び止められる。
「おい待てよ、俺に話があるんだろうが。聞いてやるよ」
「本当に久しぶりだなあ、由五郎……ところで今日は、何しに来たんだ? 見ての通り、俺は忙しいんだがな。でも話くらいなら出来るぜ」
鳶辰の口調は、ひどく投げ遣りだった。冷酷な表情で女を愛撫している。由五郎に対し、欠片ほどの関心もないらしい。一方、女は露骨に嫌そうな顔をしている。
「へ、へい。実はですね、近々この辺りでも商売をさせていただこうかと思いまして、まずは鳶辰さんにご挨拶をと」
「そうかい。それはいい心がけだな」
「へえ、ありがとうございます。では、あっしはこの辺で……」
そう言って、由五郎は立ち上がる。しかし――
「まあ待てよ。もう少し、話そうじゃねえか。近頃は物騒になってきてるしな。お前、近ごろ目障りな奴はいねえか?」
言いながら、なおも愛撫の動きを止めない鳶辰。由五郎はひきつった笑みを浮かべた。
「え、まあ、今のところ特に居ませんが」
「そうか。俺は最近、岩蔵の奴がうっとおしくてな……たかだか目明かしの分際で、鬼の岩蔵なんて呼ばれて、いい気になってやがるんだよ。あと、近頃は仕置人とか名乗る馬鹿もいるらしくてな……」
外に出て、由五郎はほっと一息ついた。隣にいる用心棒の浪人、新之丞は、見るからに不快そうな顔をしている。
「あれが鳶辰か……江戸の裏稼業の大物と聞いていたが、あの態度は何だ。ただの色気違いではないか」
吐き捨てるように言ってのけた新之丞。すると、由五郎の顔つきが変わる。
「お前、滅多なことを言うもんじゃねえ。誰に聞かれているか分からねえんだぞ……」
そう言って、辺りを見回す由五郎。既に日は沈んでおり、人の気配は無い。
もっとも、新之丞の言わんとするところは分からなくも無い。鳶辰は二人の目の前で女を抱きながら、淡々と語り続けたのだ……裏稼業の心構えを。二人は一応、真面目くさった顔つきで聞いてはいたが、内心では呆れはてていた。
由五郎は、自身が悪党であることを知っている。やくざである以上、悪に徹するのは当然のことだ。しかし、鳶辰は違うように見える。もともと、人間として壊れているように見えるのだ。もっとも、そもそも鳶辰が自身の人格や行動をどのように考えているのかは不明だが。
いずれにしても、確かなことは一つ。鳶辰はかなりの変人ではある。だが敵に廻したら、江戸では長生きできないだろう。一声かければ、かなりの数の人間が動く。その動く人間の中には、奉行所の者もいる。
厄介な相手ではあるが、今後も上手く付き合っていかねばならない………そんなことを思いながら、由五郎は歩き出した。仏頂面の新之丞が、その後に続く。
「あんた、来たよ」
お松が小声で囁き、素早く移動していく。
多助は耳をすませる。前から、由五郎と用心棒が歩いて来る足音が聞こえてきた。多助は杖を手に、よろよろと歩きだす。
「そこの旦那さま……いかほどでも構いません。哀れなるめくらに、どうかお恵みを……」
言いながら、多助は二人に近づいていく。杖を握りしめ、時おり立ち止まりながらも、よろよろとした足どりで間合いを詰めていった。
「何だお前……とっとと失せろ。お前にやるものなど無い」
鋭い声を発しながら、新之丞が前に出る。多助を突き飛ばそうと、手を伸ばした瞬間――
多助の仕込み杖が、稲妻のような速さで鞘から抜かれる。
そして一閃――
新之丞は完全に不意を突かれ、反応できなかった。腹を切り裂かれ、よろよろと後ずさる……。
だが、多助は手を止めない。さらに斬り続ける。腕、胸、そして喉……滅多切りだ。
新之丞とて、腕に覚えのある男である。しかし今、刀を抜くことも出来ぬまま倒されたのだ。
一方、相手からの返り血で真っ赤に染まった顔で、にたりと笑う多助。その表情は、怪談に登場する妖怪のようだ……。
「な、何なんだお前!」
由五郎は震えながらも、懐に呑んでいた短刀を抜いた。多助を睨み、じりじりと下がっていく。
しかし由五郎は、背後に忍び寄る者の存在に気づいていなかった。
短刀を構え、少しずつ下がっていく由五郎。相手が何者かは知らない。だが、必要とあらば逃げる。由五郎は腕でのし上がってきた者ではない。頭の働きでここまで来たのだ。いざとなれば、恥も外聞もなく逃げる。
しかし奇妙な匂い、そして人の気配を背後から感じ取った。由五郎は慌てて振り向く。
すると、いつの間に近づいていたのか……二間ほど離れた場所に、顔に手拭いを巻いた者が立っていた。毛皮の手袋をはめ、竹筒のような物をこちらに向けている。
その時、由五郎はようやく気づいた……これは、火薬と火縄の匂いだ。
次の瞬間、落雷のような音が響く――
由五郎の眉間を鉛玉が貫き、彼は仰向けに倒れていた。
・・・
その頃、花田藤十郎は自身の道場にて掃除をしていた。いかつい風貌に似合わず、妙にまめな部分のある花田は、道場のあちこちを雑巾で丁寧に拭いてまわっている。
だが、その時――
「おい、おっさん……久しぶりだな。俺のこと、覚えてるかい」
言いながら、道場にずかずか入って来た者がいた。大きな体と傷だらけの顔、ごつごつした手、そして鋭い目付き……。
龍である。
「何だお前……何しに来たのだ?」
低い声で言うと、花田は雑巾を投げ捨てる。そして立ち上がった。何しに来た、などと尋ねてはいるが……龍の体から立ち上る殺気を既に感じ取っている。龍の意図が何なのか、既に察していた。
そして龍の答えは、花田の想像通りだった。
「お前を殺しに来たんだよ……」
「ほう、誰かに頼まれたのか? それとも、お前の意思か?」
そう言うと、花田はじりじり間合いを詰めていく。久しぶりに、血のたぎりを感じていた。全身の毛が逆立つような感覚……目の前の男は、本当に強い。実のところ、浪人を叩きのめした時から気にはなっていたのだ……あの場にいた龍が発していた、並々ならぬ闘気。花田は浪人との戦いで物足りないものを感じており、つい挑発してしまったのだ。
しかし、まさか向こうから来てくれるとは……。
「おめえは、何人もの女をかたわ同然にしたらしいな……そいつらに頼まれたんだよ、おめえを殺してくれってな!」
吠えると同時に、龍は襲いかかって行った。
龍の杉板をもぶち抜く正拳が、花田の顔面めがけて放たれる――
しかし、花田はその拳を素早く払いのけた。そして龍の襟を掴む。
直後、龍の巨体が一回転する。畳の上に叩きつけられ、龍は呻き声を上げた。
すかさず追撃する花田。龍の喉元めがけ、自らの足を降り下ろす。足裏で龍の首の骨をへし折る、はずだった……。
しかし龍の反応も早い。首を振って、花田の踏みつけを避ける。
と同時に、花田の右足を掴み、足首の関節を一瞬で極めた――
関節が破壊される音、そして驚愕の表情を浮かべる花田。痛みよりも、足首を破壊された驚きの方が先に立っている……。
だが、龍の動きは止まらない。自らの両足を、花田の左足に引っ掛けた。
そして引き倒す――
仰向けに倒れた花田。龍は巨体に似合わぬ敏捷な動きで、今度は花田の上半身に飛び付く。
仰向けになっている花田にのし掛かり、上四方固めで押さえ込む。
さらに、太い腕を花田の首に巻きつけ締め上げた――
抵抗することも出来ず、あっという間に絞め落とされた花田。しかし、龍は腕を離さない。完全に絶命するまで絞め続けた。
やがて、龍は立ち上がった。
そして……死体と化した花田を、複雑な表情で見下ろす。その死に顔は、どこか満足そうであった。闘いの果てに死ねたことに、喜びを感じているようにさえ見えた。やくざと共に、悪行を重ねていた花田……しかし、その心根の奥底には武人の部分が残っていたのだろうか。
「この野郎……だったら、柔術だけしてやがれ」
龍は思わず、低い声で毒づいていた。晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ人でなしに報いを与える……それが仕掛屋のはずだった。しかし、この男の死に様はどうなのだろうか。花田に武人としての死、望み通りの死に場所を与えてやっただけなのではないのか……。
「どうしたんだい龍さん、しんみりして。あんたらしくもない」
不意に、後ろから聞こえてきた声……以蔵だ。涼しい顔つきで、道場に入って来た。
だが、龍はその言葉を無視した。黙ったまま歩き出す。しかし、以蔵がその肩を掴んだ。
「龍さん、あんたはいちいち喋り過ぎる。誰かに聞かれたら、どうするんだい? それに、これは果たし合いじゃないんだ。こんな奴は、後ろからさっさと殺せばいい」
「うるせえな……殺せりゃあ問題ないだろうが」
そう言って、龍は乱暴に手を振り払う。だが、以蔵は素早く動いた。龍の前に立つ。
「あんたは確かに、腕は立つよ。だがね、これは遊びじゃないんだ……仕事なんだよ。あんたが下手を打てば、私たちみんなに迷惑がかかるんだ」
「何だよ……うるさい男だな。だったら、お前が殺れや」
龍は言い捨てて、振り返りもせずに大股で去って行った。
その後ろ姿を、じっと見つめる以蔵……ややあって、彼はため息をついた。
そして辺りを見回し、音も無くその場を離れた。
「おいおい、また刃物と鉄砲かよ……」
中村左内は由五郎と新之丞の死体を見下ろし、頭を掻いた。一方、岩蔵は十手をぶらぶらさせながら、思案げな顔で辺りを見回している。
「旦那……こいつらは裏の世界じゃ、ちょいとした有名人ですぜ。青天の由五郎っていやあ、ちったあ知られたやくざ者です。そいつが殺された、となると……これから厄介なことになりそうな気がしますぜ」
「はあ? どういうことだよ?」
左内が尋ねると、岩蔵は呆れ果てたような表情を浮かべた。
「旦那……あんたは何年同心やってるんですか? だからあんたは、昼行灯て呼ばれるんですよ。いいですか、この青天の由五郎が殺られたら、その縄張りの奪い合いが始まるんじゃないですかい」
「ああ、言われてみればそうだなあ……本当に面倒くさい話だよ」
やる気の無さそうな左内の返事を聞き、岩蔵は顔をしかめた。
「あんた一生、出世しねえなあ……ん?」
岩蔵の目に留まった者、それは野次馬に混じり、じっと死体を見つめている目明かしの源四郎だった。岩蔵と目が合うと、頭を掻きながら何度も頭を下げる。
「源四郎の奴……何しに来やがったんだ」
低く唸り、憤然とした表情で近づいて行く岩蔵。すると、源四郎は愛想笑いを浮かべて頭を下げる。
「こりゃどうも岩蔵さん。お仕事、ご苦労様です」
岩蔵ほどではないが、源四郎もかなりの強面だ。しかし今、そのいかつい体を縮ませてしきりに頭を下げている。一方の岩蔵は、恐縮した態度の源四郎に顔を近づけて行った。
「源四郎、こっちが真面目に仕事してる時に、おめえは何をやってんだ? 人の仕事を、呑気に高見の見物かよ?」
「いえいえ、そんなことは……ただね、あの二人が昨晩、出会い茶屋から出てくる所を見たって奴がいたもんですから」
「出会い茶屋? 男同士でか?」
言いながら、岩蔵は首を傾げる。男色を好む者がいるのは知っている。だが、この由五郎にそんな趣味はあっただろうか。
「おい源四郎、それは何処の出会い茶屋だ?」
「ああ、あれは確か……辰巳屋、だとか言ってましたぜ」
「辰巳屋だと?」
岩蔵は顔をしかめた。辰巳屋と言えば……江戸の裏の世界でも指折りの大物である、鳶辰の息のかかった店だ。
鳶辰の息のかかった出会い茶屋から出て来た由五郎が、その夜に何者かに殺された……これはどういうことだ?
何か匂う。
「そうかい……源四郎、お前はいいことを教えてくれたぜ。お手柄だよ」
補足ですが、龍が花田に止めを刺したのは、ノースサウスチョークという技です。私の筆力では形を伝えられていないと思いますので、興味のある方は動画などで見てください。




