終わりに、殺陣をどうぞ(五)
「婿どの……あなたは先日、島帰りの龍とかいう狼藉者を討ち果たしたそうですね」
「はい、母上」
「よくやった、と言いたいたいところですが……あなたはその後、腰を抜かして泣き叫んでいたと聞きました。それは本当ですか?」
「本当です」
中村左内のその言葉を聞いた途端、せんは顔をしかめた。
「まあ情けない……婿どの、あなたは中村家の跡取りなのですよ。島帰りの狼藉者を斬ったくらいで腰を抜かすとは、いったい何事ですか……」
左内は今、嫁そして姑と朝食を食べている。彼は中村家の婿養子であるが……南町の昼行灯という左内の異名は伊達ではなく、出世の見込みなど欠片もない。そのため、嫁のりつと姑のせんには食事の度に、小言や嫌みを言われている。
普段の左内なら、そんな嫌みは聞き流していただろう。
だが、その日だけは違っていた。
「母上、龍は確かに島帰りの悪党です。しかし、あの日……三人を素手で殺しました。そして数人の侍に怪我を負わせています。あの男は、断じて只の狼藉者ではありません。龍の武芸の腕、そして多勢を相手に最後まで屈しなかった姿勢は、心から尊敬するに値します。龍こそ、真の豪傑と呼ぶに相応しい漢でしょう。私は今まで生きてきて、あれほどの強者は見たことがありません」
淡々とした口調ではあるが、左内の言葉には畏敬の念が込もっている……すると、せんは血相を変えた。
「な、何ですと!」
恐ろしい形相で、左内を睨むせん。すると、りつが口を挟む。
「ちょっとあなた! なんてことを――」
「私は事実を言っただけです。では、お勤めに行って参ります」
奉行所までの道を、とぼとぼ歩いていく左内。いつにも増して、呆けたような顔つきである。だが、それも当然であろう。以蔵が殺され、多助は生ける屍となり、龍は己の剣で死んだ。さらに、政吉は何もかも放り出して逃げてしまった……。
左内にとって、本当の意味で仲間と呼べた者たち。だが、みんな居なくなってしまった。
今は、ひとりぼっちだ……。
虚ろな目で、外回りをしている左内。だが、不意に声がした。
「旦那、ちょっとお話があります。来てもらえませんか」
声の主は、目明かしの源四郎であった。普段とは違い、ひどく思い詰めた表情である。
「何の用だ? 言っとくが、金は貸さねえぞ」
やる気のなさそうな表情で、言葉を返す左内。だが、源四郎はお構い無しだ。左内の腕を掴み、強引に引きずって行く。
「何だってんだよう……」
面倒くさそうな表情のままで、引きずられて行く左内。
やがて彼ら二人は、ひとけの無い橋の下にやって来た。
すると、源四郎の態度が変わる。彼は、左内の足元に何かを叩きつける。
それは、小判だった。
「お、おい……おめえ、何をやってんだ――」
「二十両あります……旦那、お願いです! その金で、鳶辰と諸田慎之助を殺してください!」
そう言うと、その場で土下座する源四郎。左内は呆気にとられた。
「何を言ってる。おめえ、気でも狂ったか――」
「あっしは、仕掛屋の一員でした。政吉さんに頼まれ、旦那を見張ってたんです……」
その言葉を聞いた途端、左内の表情も変わる。険しい顔つきで、源四郎を睨み付けた。
「何だと? 政吉は今どうしてる――」
「政吉さんは、一人で鳶辰を殺りに行ったんです……しかし、隠れていた諸田に斬られました」
そこで、源四郎の言葉が途切れた。その体は震えている。何かを必死で堪えているかのように。
一方、左内は思わず顔を歪めた。政吉は、左内を巻き込まないよう一人で行ったのだ。何もかも、自分一人で背負い込むつもりで。
その挙げ句、返り討ちに……。
「あの馬鹿野郎が……何で一人で行きやがった? 何で俺を連れて行かなかったんだ!」
一人、虚空に向かい毒づく左内。すると、源四郎が顔を上げた。
「政吉さんは、旦那を最後の切り札だと言ってました……俺が失敗したら八丁堀に任せる、と政吉さんは言ってたんです。ついでに、鳶辰と組んでる奴の正体も暴いてやるって……それが、諸田だったんです」
源四郎の言葉を聞き、左内の目がすっと細くなる。
「源四郎、政吉を殺ったのは諸田で間違いないんだな?」
「間違いありません。あっしは、この目で見ました。政吉さんの最期も……」
「そうか。諸田に鳶辰……上等じゃねえか」
その時……左内の目に凶気が宿った。
・・・
「しかし鳶辰、お前も悪だな。つくづく恐れ入った」
諸田の言葉に、鳶辰はかぶりを振った。
「いえいえ……私は悪なんかじゃありません。必要と思えることをしただけですから」
そう言って、にやりと笑う。すると、周囲の者たちも笑みを浮かべる。
鳶辰と諸田慎之助……二人は今、雑木林に建てられたあばら家に来ていた。周囲にひとけは無く、普段は無人である。この場所は二人の隠れ家であり、鳶辰の側近と他数人ほどしか知る者はない。今も、わずかな人数が来ているだけだ。
しかし、その日は想定外の客が来た。
「諸田さん、中村です。ちょっと火急の用がありまして。仕掛屋とかいう連中の事なんですが……」
外から、とぼけた声が聞こえてきた。鳶辰は表情を一変させる。
「諸田さん、どういうことです? 何故、あの昼行灯が仕掛屋を?」
「分からぬ……とにかく、外で奴に聞いてみる」
そう言うと、諸田は立ち上がった。
「中村、もう子の刻だというのに、何しに来た?」
諸田の問いに、左内は困った表情で答える。
「それがですな、以前、土田の屋敷から逃げた多助には、お松という名の女がいたんですよ。こいつが銃の使い手で、多助と二人して仕掛屋という殺し屋をやっていたらしいんです。諸田さんは、仕掛屋について調べてましたよね? 捕らえるのに、お力添え願えないかと……」
言いながら、ぺこぺこ頭を下げる左内。諸田は思わず舌打ちした。
「仕掛屋だと……分かった。すぐに――」
言いかけて、諸田は奇妙な点に気づいた。
昼行灯の中村が、何故この場所を知っている?
「中村、俺がここに居ることを誰に聞いた?」
不審そうな表情で、尋ねる諸田。すると、左内はにやりと笑った。
「鳶辰の子分である、捨三という男に聞きました。ちょいと痛めつけたら、何もかも吐きましたよ。今頃は、三途の川を渡っているでしょうなあ」
「お前、何を――」
言いかけた時、諸田ははっとなった。
鳶辰は、以前からこの男に微かな疑念を抱いていたのだ。大した用もないのに蕎麦屋に入り浸り、島帰りの龍や多助に絡んでいる姿を何度か見られている。
(あいつ、仕掛屋の一員じゃないんですか?)
だが、鳶辰の疑念を諸田は一笑に付した。
(あり得ん。あの腰抜けが、仕掛屋のはずがない)
そう、あり得ない……はずだった。
「中村……まさか……」
声を震わせながら、尋ねる諸田。すると――
「そう、そのまさかだよ……諸田さん」
狂気めいた笑みを浮かべ、ゆっくりと刀を抜く左内……諸田は恐怖のあまり、棒立ちになっていた。目の前にいるのは、南町の昼行灯ではない。
復讐に燃える剣鬼だ。
次の瞬間、左内の太刀が走る――
諸田は悲鳴を上げ、うつ伏せに倒れた。だが、左内は止まらない。怨念を全て叩きつけるかのように、刀で斬りつける。
まさに滅多切りだ……。
「どうした!」
悲鳴を聞き付けた鳶辰が、表に出てくる。
だが、そこで見たものは……うつ伏せに倒れ、ぴくぴく痙攣している諸田。そして返り血を浴び、赤鬼のごとき姿になった左内であった。
「お、お前……」
鳶辰は、思わず後ずさっていた。返り血で真っ赤に染まった左内の顔……それは、数々の修羅場を潜ってきた鳶辰すら怯ませるほどのものだった。
妙な同心が、政吉の営む蕎麦屋にたびたび出入りしている……そんな噂を耳にしたのは、つい最近のことだ。
鳶辰は念のため、噂の同心・中村左内について調べ上げた。すると、昼行灯と呼ばれて馬鹿にされているが……実は奥山新影流の免許皆伝であり、凄腕の首斬り役人だった池田左馬之介とも互角に闘える腕だった、という事実が判明する。
そもそも昼行灯と呼ばれるようになったのも、先輩の同心である神谷右近に対する奉行所の冷たい仕打ちにかっとなり、当時の上役に直談判し出世の道が閉ざされたからだ、という話も聞いた。
そんな話を聞かされた鳶辰は、左内に対し警戒心を抱いた……はずだった。
しかし諸田は左内を馬鹿にしきっており、奴はただの腰抜けだ、と言うばかりである。その言葉を何度も聞かされているうちに、鳶辰も左内を腰抜けであると信じてしまった。
信じるべきは、己の勘だったのに。
「お前ら出てこい! こいつを殺せ!」
だが、鳶辰も伊達に裏稼業の元締めをしている訳ではない。すぐに気持ちを切り替える。いかに腕がたつとはいえ、相手はたった一人だ。
声に反応し、数人の男たちが出てきた。全員、鳶辰が腕を見込んで雇った手練れだ。各々が使い慣れた得物を持ち、左内を取り囲む……。
だが、左内は落ち着いていた。刀を正眼に構え、静かに佇んでいる。その表情からは、迷いなど微塵も感じられない。
男たちは左内の気迫に呑まれ、得物を構えたまま立ちすくんだ。彼らもただ者ではない……だからこそ分かるのだ。目の前にいる同心は、明らかに普通ではない。自分の命を捨てる覚悟が出来ている……いや、刺し違える覚悟が出来ているのだ。
自身の命を捨ててでも、鳶辰を殺すという覚悟が。
「お前ら何やってんだ! 相手は一人だろうが! さっさと殺せ!」
怒鳴る鳶辰。だが、彼は勘違いしていた。
相手は、一人ではなかったのだ。
突然、響き渡る銃声――
そして、男たちの一人が倒れた。その頭には、穴が空いている。
男たちは、慌てて周りを見渡す。
すると、彼らの目は奇妙な者を捉えた。
みすぼらしい着物を着た女が、こちらに向かって来ている。見たこともないほど醜い顔だ。目の位置は左右でずれており、鼻は曲がっている。唇は歪んでおり、さらに顔全体には……太い線のようなぎざぎざの傷痕が、何本も張り付いていた。
その醜い女は猟銃を構え、凄まじい形相でこちらに迫って来ている。
闇夜に出現した、もう一匹の鬼――
男たちは恐怖のあまり、後ずさりを始める。だが、それは大きな過ちだった。
直後、左内の剣が走る。あっと言う間に一人を斬り捨てた。次いで、お松が二発目をぶっ放つ――
男たちは、抵抗も出来ぬまま次々と倒れていく。だが、そのどさくさに紛れて逃げた者もいた。
鳶辰は走った。
機を見るに敏な彼は、勝ち目が無いことを悟ったのだ。ここはひとまず、自分の屋敷に戻る。そして、裏社会の者を総動員して、仕掛屋の残党を探し出して殺す。鳶辰の今の権力を持ってすれば、中村左内ごときは一瞬で捻り潰せる。
今、この時を生き延びれば自分の勝ちなのだ。
しかし、前方から何者かが歩いて来ているのが見えた……鳶辰は足を止める。
まさか、新手が来たとでも言うのか。
だが、その者の正体は――
「政吉……生きてやがったのか……」
政吉は、足を引きずるようにして歩く。
全身から水を滴らせ、死人のように青白い顔で、政吉は鳶辰に向かい進んでいた。
やがて、政吉は足を止める。
「以蔵……龍……道案内ありがとよ。俺も今すぐ、そっちに逝くぜ」
何もない暗闇に向かい語りかけると、政吉は鳶辰の方を向く。
にい、と笑った。
「こ、この死にぞこないが……地獄に逝けや!」
鳶辰は叫び、懐の短刀を抜く。相手は死にぞこないだ。しかも素手である。簡単に殺せるはずだ。
鳶辰は短刀を構え、突っ込んで行った。
政吉の腹に、短刀を突き刺す――
だが、政吉は倒れなかった。それどころか、彼は鳶辰の首を掴む。
次の瞬間、政吉は右手を振り上げた。そして、指を鳶辰の眼球に捩じ込んでいく――
悲鳴を上げる鳶辰。だが、政吉はなおも指を捩じ込んでいく。
やがて政吉の指は、鳶辰の脳にまで達した……。
「政吉……生きてたのか……」
鳶辰の死体の横に倒れている政吉に近づき、抱き起こす左内。だが、その命が助からないことは理解していた。ここまで来られたのが、そもそも奇跡なのだ。
すると政吉は、弱々しく笑ってみせる。
「八丁堀……最期に、俺の頼みを聞いてくれねえか……」
「何だ、言ってみろ」
すると、政吉は左内の手を握った。
「八丁堀……俺の代わりに、この稼業を継いでくれ……この稼業は……誰かが……続けなきゃならねえんだ……頼んだぜ……」
言い終えた直後、政吉の首はがくんと折れた。
「政吉……」
左内は、じっと政吉を見つめる。恐ろしい執念だ。とっくに死んでいてもおかしくない傷を負いながら、ここまで歩いて来た……何がこの男を駆り立てたのだろうか。
もっとも、今の政吉の表情は安らかなものだった。大事な仕事を成し遂げたような顔つきで、政吉は死んでいる。
その大事な仕事とは、鳶辰を殺すことだけではなかったように思われた。
それから、しばらく経ったある晩のこと。
「どうしても行くのか?」
尋ねる左内。彼の目の前には、猟銃を背負い顔に布を巻いたお松がいる。お松は木製の乳母車を押しているが、その車には多助が乗っていた。
「ああ。山の中で、この人と二人で暮らすことにするよ」
素っ気なく答えるお松。左内は顔を歪めた。
「なあ、江戸に残る気はないのか? 江戸なら、俺は出来るだけの事をしてやれる――」
「あんたの気持ちは嬉しいよ。でもね、これ以上あんたに迷惑はかけられない。それに、今は山の中で静かに暮らしたいのさ」
お松の口調は静かだったが、言葉の奥からは強い意思を感じさせる。左内は苦笑した。自分が何を言っても、旅立つ決意は揺らがないらしい。
お松は本当に強い女だ。これなら、自分が居なくても問題ないだろう。
「だったら、これだけでも受け取ってくれよ」
言いながら、小判の束を差し出す左内。お松は目を丸くし、何か言いかけた。
しかし、その言葉を呑み込む。笑みを浮かべ、小判を受け取った。
「ありがと」
「じゃあ、達者で暮らすんだぜ」
「ああ……でないと、龍さんに申し訳ないからね」
そう言うと、お松は乳母車を押して行く。
だが、その時――
「はっ……きょう……ごり……はっ……きょう……ごり……」
多助の声だ……片目で左内を見つめ、懸命に語りかけていた。恐らく、八丁堀と言っているのだろう。
左内は笑みを浮かべる。
「いいから、おめえはお松さんと幸せに暮らすんだ。死んだ以蔵、龍、それに政吉の分もな。それと、お松さん……何か困ったことがあったら、いつでも言ってくれ」
・・・
それから一年が過ぎた。
剣呑長屋の一室にて、左内は呆れた様子で口を開いた。
「おめえ、服くらい着たらどうなんだ?」
左内の言葉に、一人の若者が顔を上げる。色白で、目鼻立ちの整った美しい顔をしている……ただし、何故か全裸で大の字になっているのだが。
「うるせえなあ……ここは俺の家だ。自分の家で裸になって何が悪い」
そう言い返したのは、市という名の竹細工師である……表向きは。
「こっちは、男の裸なんざ見たくねえんだよ。さっさと服着ろ」
吐き捨てるような口調で言ったのは、筋骨隆々とした坊主頭の大男である。現物の鉄と呼ばれている、骨接ぎを生業とする男だ。
そんな二人の前に、小判を一枚ずつ置く左内。
そして、重々しい口調で語り始める。
「鉄、市、よく聞け……こいつはな、先の見えない汚い仕事だ。俺たちは、断じて正義の味方なんかじゃねえ。向こうが悪なら、俺たちはその上をいく極悪にならなきゃならねえんだ。磔にされても文句は言えねえよ。だがな、そんな俺たちみたいな人間でなきゃ出来ねえ仕事なんだ。地獄を見る覚悟があるなら、その銭を受け取れ……」
《完》




