終わりに、殺陣をどうぞ(三)
奥州柴山藩・土田多門の屋敷……そこには、大勢の人間が出入りしている。侍、使用人、さらには商人といった面々が常に行ったり来たりしていた。特に今夜は、土田小十郎が皆をねぎらい、宴会を開いている。今夜は無礼講だ……という言葉を発しながら、呑めや歌えやの大騒ぎであった。
しかし、その騒ぎに乗じて侵入した者がいる。
龍だ。
屋敷内に関する情報は、昨日のうちに仕入れておいた。あとは屋敷の地下牢から、多助を逃がすだけだ。この三日ほどの間、多助は拷問を受け続けているが……未だに口を割っていないらしい。
だが、それも時間の問題だろう。このままだと、多助は拷問の末に責め殺されるか、あるいは口を割った後に殺されるか……いずれにしても、多助の命は風前の灯火だ。
大きな体を屈め、屋敷内に侵入した龍。予想通り、中はてんやわんやの大騒ぎだ。龍の存在に目を留める者などいない。龍は目立たぬように進んで行き、地下牢へと降り立った。
暗い地下牢を、慎重に歩いて行く龍。しかし、中はさほど広くはない。龍は、すぐに多助を見つけた。
だが、その姿は異様だった――
一方、屋敷の近くではお松が潜んでいた。ぼろ切れや藁などを大量に乗せた大八車のそばにしゃがみ、龍の来るのを待っている。
不意に、屋敷の中から罵声が聞こえてきた。次いで、こちらに駆けて来る足音……お松は、はっと立ち上がった。
闇夜の中、微かに見えるのは龍の姿だ。何かを背負い、凄まじい勢いで駆けて来る。
さらに、それを追う者も――
龍はお松のそばに駆け寄ると、背中に背負った何かを大八車に放り出す。
それは多助だった。しかし、明らかに普通ではない状態だ……。
「龍さん! 多助は――」
「話してる暇はねえ! 逃げるぞ!」
龍が怒鳴り、大八車を引いて走り出す。お松も、その後に続いた。
二人はひとまず、近くの掘っ立て小屋の中に身を隠した。龍が多助を大八車から降ろし、小屋の中に寝かせる。
多助は酷い有り様であった……薄明かりの下とはいえ、凄惨な拷問を受け続けたことが一目で分かる。片目は潰され、両の耳たぶは削ぎ落とされていた。前歯はへし折られ、鼻も折れている。
だが、それよりも……恐ろしいのは、多助の表情であった。顔を歪め、必死で言葉を絞り出そうとしている。しかし、言葉が出てこないのだ。
「龍さん……うちの人はどうなったの?」
声を震わせ、尋ねるお松……龍は顔を歪めた。
「多助さんは……生ける屍になっちまったんだ」
「どういう意味さ!?」
「酷い拷問を受けると、こうなる事があるんだよ。体を動かせなくなっちまうんだ……前に殺した、あの神谷右近のようにな。いや、あれより酷い体になるんだよ。役人どもが、そう言ってるのを聞いた」
吐き捨てるような口調で言った龍。そう、かつて龍も間近で見たことがあるのだ。拷問の末に、まるで人形のようになってしまった男を。口からよだれを垂らし、目だけはぎょろぎょろ動いているものの……体はいっさい動かすことが出来ない状態だった。
「そ、そんな……」
崩れ落ちるお松。呆けたような表情で、じっと多助を見つめる……一方、龍は顔を歪めながら外の様子を窺う。
すると、多助がぎろりとお松を睨む。
そして――
「う……あ……あ……」
潰れたような声を発しながら顔を上げる。さらに、右手を震わせながら必死で動かしていた……。
「あんた、何だい?」
顔を近づけるお松。すると、多助は必死の形相で右手を動かし――
自身の首に、人差し指を当てた。
そして、掻き切るような仕草をする……。
お松の目に、涙が溢れた……彼女は多助の前で、短刀を鞘から抜いて見せる。
すると、多助は頷いた。早く殺れ、とでも言わんばかりに。
お松は顔を歪めながら、短刀を振り上げる。そして多助に降り下ろそうとした瞬間――
「馬鹿野郎!」
怒鳴ると同時に、龍の平手打ちがお松を襲う。お松は軽々と吹っ飛ばされた。しかし、すぐに立ち上がり短刀を構えた。
「何しやがるんだい!」
「お松さん、あんた何を考えてんだ!」
凄まじい形相で怒鳴りつける龍。だが、お松は怯まない。
「この人とあたしは、前から約束してたんだよ! こんな体になっちまったら殺すってね! 多助を殺して、あたしも死ぬ――」
「ざけんじゃねえ! 俺たちは人殺しなんだよ! 人殺しなら人殺しらしく、最後まで足掻け! 生きるのが辛いからって、安易に死を選ぶんじゃねえ! お前らを殺したがってる誰かの手で殺されるまでは、地を這いずり回ってでも生き続けろ!」
龍のその言葉を聞いたとたん、お松の表情が変わった。彼女は、その場に崩れ落ちる。
そして、嗚咽を洩らし始めた……。
「お松さんよう……俺は以蔵と違い、学はねえ。でも、これだけは分かる。人間は、生きるため死ぬために大層な理由を欲しがる。でも、俺たちにはそんなもん必要ねえんだ。明日のない俺たちは、どんなに無様でも生き続けなきゃならねえんだよ……それが、人の命を奪って生きてきた俺たちの、最低限のけじめなんじゃねえのかな」
龍がそこまで言った時、外で叫ぶような声がした。次いで、数人の男たちが駆けて来るような足音……龍は顔をしかめた。
「もう来やがったか……仕方ねえ。俺が何とかするから、お前らは隙見て逃げるんだ。命あったら、安国寺で会おうぜ」
そう言って、龍は出て行こうとした。すると、お松が顔を上げる。
「ま、待っとくれよ龍さん――」
「お松さん、多助さん、無様に生き続けようぜ」
そう言い残し、龍は外に飛び出して行った。
「龍さん……」
大八車を引きながら、龍は走った。追っ手の目を惹くため、出来るだけ派手に動く。狙い通り、追っ手はみな龍の方に来ている。
やがて橋にさしかかった時、向こう側からも追っ手が来るのが見えた。どうやら、先回りされたらしい。
ここまで、か……。
龍は舌打ちし、大八車を捨てる。完全に挟み撃ちの状態だ。こうなった以上、助かる可能性はない。
ならば……これまで磨いてきた拳法の技で、一人でも多くの者を道連れにするだけだ。
そう……自分の腕が、どれだけのものであったか確かめてから死にたい。
そして、自身が腰抜けでないことも証明したい。これ以上、仲間を死なせるのは御免だ。
以蔵……俺も今から、お前の所に逝くぜ。
待っててくれや。
次の瞬間、獣のような咆哮と共に、龍は追っ手に襲いかかって行った――
・・・
その日、左内は夜勤であった。しかし、彼には最初からやる気などない。うどん屋台で、親父を相手に愚痴っていた。
「ったく、どいつもこいつも……親父、聞いてんのかよう」
その時、源四郎が屋台に走って来た。
「旦那ぁ! 大変ですよ! すぐに――」
「ほっとけよ。他の奴らに任せとけ。俺はどうせ昼行灯さ……頑張ったって、出世しねえんだから」
そんな言葉で切り捨てる左内。だが次の瞬間、表情が一変する。
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないですよ! 島帰りの龍が、この先の橋で暴れてるんです――」
左内は丼を放り投げ、すぐさま立ち上がる。
それまでの様子が嘘のように、恐ろしい形相で走り出した。
・・・
龍は橋の欄干に背中をもたれさせ、荒い息をつく。彼の周りには、数人の男たちが倒れていた。意識を失っている者、あばら骨を折られ呻いている者、首をへし折られ絶命している者も……。
だが、龍の方も無傷ではない。全身に、様々な種類の傷を負っている。さらに、彼の体から流れ落ちた血が足元に水溜まりを作っていた。息も上がっている。果たして、あと何人を仕留められるか……。
龍を包囲している男たちは、みな柴山藩の者のようだ。龍を睨みながらも、その強さを警戒し近づいては来ない。
しかし、いつかは襲いかかって来るだろう。もっとも、殺されるのは承知の上だ。それよりも、生きたまま捕らえられることだけは避けなくては……。
その時――
「たった一人を相手に、何をしているのだ!」
怒鳴ると同時に、前に出てきた者がいた。土田小十郎だ。小十郎は、憤然とした様子で前に出る。
「貴様……名を名乗れ」
「名前だぁ? 龍だよ……島帰りの龍さ、田舎侍のお坊ちゃん」
馬鹿にしたような口調で言った龍……その途端、小十郎は怒りで顔を歪めた。
「何だと! 島帰りの分際で私を愚弄するか!」
言いながら、刀の柄に手を掛ける小十郎。龍は欄干にもたれかかったまま、その動きを見つめていた。どうやら、腕に相当の自信があるらしい。しかも、この若侍は追っ手の中でも一番身分が高いようだ。
ならば、この男だけでも道連れにする。
「おい、俺と一対一で果たし合いをする度胸はあるかい?」
龍の言葉に、小十郎は顔を歪めながらじりじりと間合いを詰めて来る。
「果たし合いだと……面白い。相手になってやる。身のほどを知るがいい!」
そう言うと、小十郎は取り囲んでいる者たちの方を向いた。
「手出しは無用だぞ!」
その瞬間、龍は走った。一気に間合いを詰め、小十郎の腹に強烈な足刀の蹴りを叩き込む――
土田小十郎は確かに強かった。道場での、竹刀での稽古では無敗である。
ただし、実戦の経験はほとんど無い。人を斬ったのは二度……素人の暴漢を返り討ちにしただけだ。
実戦経験では、龍と小十郎とでは雲泥の差がある。龍は知っていた。実戦で、相手から一瞬でも目を逸らすのは命取りであることを……。
龍はさらに追い打ちをかける。倒れた小十郎の首を、思い切り踏みつけた。
骨の砕ける音、そして確かな手応え。小十郎は、その一撃で絶命した。
「この卑怯者がぁ!」
「ぶっ殺せ!」
周囲から聞こえてくる罵声……だが、龍にはその半分も聞こえていなかった。激しく動いたせいで、疲労は限界に達している。手足の感覚も無くなってきた。目も霞み、周りの様子がほとんど見えない……。
ここまで、か。
欄干にもたれかかる龍。これ以上、戦う気力は無い。今、来られたら……抵抗すら出来ないだろう。
その時、聞き慣れた声が――
「おめえら、何の騒ぎだ! ここから先は町方の仕事だ! どけ!」
喚きながら、前に出てきた者がいる。
中村左内だ。
「神妙にしろい!」
怒鳴り、十手を振り回しながら龍に飛びかかっていく左内。龍の襟首を掴み、もみ合っているふりをしながら耳元で囁く。
「龍、後は俺に任せろ。お前を牢にぶちこむ。牢にぶちこめば、後は何とかなる……だから、大人しく俺の言う通りにしろ」
「八丁堀よう、助かったぜ……」




