のさばる悪を、何とします(二)
その日……政吉はいつものように、僅かな金子を握りしめて歩いていた。
その目的は、言うまでもなく博打である。この辺りで賭場が開かれるとの噂を聞きつけ、わざわざ足を伸ばして来たのだ。店の方もいつも通り、以蔵とお春に任せてある。二人はぶつぶつ文句を言っていたが、聞こえないふりをして出てきたのだ。
しかし――
「おう、蕎麦屋の政吉じゃねえか……この野郎、仕事もしねえで何してやがるんだ」
不意に、後ろから聞こえてきた声……政吉は内心うんざりしながらも、愛想笑いを浮かべて振り返る。
「これはこれは、岩蔵の親分さんじゃありませんか。あっしはちょいと用がありましてねえ――」
「まだ明るいうちに、店をおっぽり出して、どんな用事があるってんだよ……真面目に働け」
そう言いながら、こちらを睨みつけているのは、目明かしの岩蔵だ。いかつい体つきと強面の風貌、そして十手持ち……最悪の組み合わせである。
「いやあ、店の方は二人に任せているんですよ。以蔵はよく働いてくれますし、学がありますから。お春は気のつく娘でして……」
政吉はぺこぺこ頭を下げる。だが、岩蔵に引く気配はない。
「けっ、いいご身分だな。ところで政吉……近頃、景気はどうなんだよ」
「いやあ、さっぱりですね……お客の入りも良くないですし――」
「そこなんだよ、不思議なのは……お前みたいな、大して客もいねえような蕎麦屋を切り盛りしてる親父が、なんだって下働きを二人も雇えるんだ? 俺みてえな、学の無い男にも分かるように説明してくれねえかな」
言いながら、顔を近づけて来る岩蔵……政吉は顔を背けた。
「いやあ、何ででしょうねえ。まあ、あっしの人徳って奴でしょうか」
へらへら笑う政吉……だが、岩蔵はにこりともしない。政吉は頭を掻いた。
「とにかく、あの二人はよくやってくれてますよ。じゃあ、あっしは店に戻りますんで、失礼して……」
そう言って、政吉は向きを変え立ち去ろうとする。しかし、その首根っこを掴み引き寄せる岩蔵。
「おいおい、まだ話は終わっちゃいねえぞ? おめえはな――」
「岩蔵、ちょいと来てくれねえか」
不意に聞こえてきた、岩蔵を呼ぶとぼけた雰囲気の声。岩蔵は苛ついた表情で振り返る。
「旦那、何ですかい? あっしは今、政吉と話してるんですがねえ」
「いやあ、悪いんだがな、ちょいとお前の手を借りたいんだ。来てくれよ」
そう言って近づいて来たのは、同心の中村左内だった。昼行灯、という不名誉な二つ名を持つ男だ。しかし、立場上は目明かしの岩蔵よりも上である。さすがの岩蔵も、無下にするわけにもいかない。彼はしぶい表情を浮かべながらも、政吉から手を離した。
「運のいい野郎だぜ……だが忘れんなよ。おめえのことは、この岩蔵がきっちり見張っているからな」
政吉は頭を掻きながら、その場を離れる。岩蔵は本当に厄介な男だ。仕事熱心だし腕も立つ。噂によれば……岩蔵はこれまでにも、彼に恨みを持つ者たちの襲撃を何度となく受けてきたが、ことごとく返り討ちにしているとのことだ。
噂の真偽はともかく、確かに腕力は強かった。その上、どうやら自分に目を付けているらしい。岩蔵に目を付けられ、拷問された挙げ句に命を失った者も少なくない。
となると……。
しばらく大人しくしているべきか?
まあ、今のところは仕事もねえしな。
政吉が店に戻ると、客が二人いた。一人の方は、たまに訪れる大工の権だ。そして、もう一人は……。
「おう政吉、やっと帰ったか」
言いながら、こちらを睨んできたのは、目明かしの源四郎だ。十手をちらつかせながら、じろりと政吉を睨む。
そんな源四郎を、お春は困った顔で見ている。一方、以蔵は冷静な表情で成り行きを見守っていた。だが、何かあれば直ぐにでも動きそうな雰囲気を漂わせている。政吉は思わず顔をしかめていた。
実のところ、仕掛屋に裏の仕事を斡旋するのは、目明かしの源四郎である。だが、以蔵や龍、そして多助やお松はそのことを知らない。
一方、源四郎もまた、仕掛屋の面々については何も分かっていない。誰が仕掛屋の人間であるか……全く知らないのだ。
そのため、両者はお互いの存在をほとんど把握できていない。唯一、政吉のみが両方の人間を把握している。
そして以蔵も、そのあたりの事情を知らない。彼にしてみれば、源四郎はいきなり訪れて店に居座っている目明かしなのだ。警戒するのも当然だろう。
「ええと、親分さん……ちょいと外に出ませんか」
政吉の言葉を聞き、源四郎は立ち上がった。そして顔を近づけて来る。
「どういう意味だ? 俺が店にいたら、迷惑だとでも言いたいのか?」
凄みの利いた声……政吉は愛想笑いを浮かべた。この源四郎がおかまだと知ったら、皆どんな顔をするだろうか。
「い、いえいえ……そういう訳じゃござんせん」
「まあ、いいや……おめえに聞きたいことがある。外で話そうじゃねえか」
そう言うと、源四郎は立ち上がった。そして、大股で店を出て行く。
政吉はため息をついた。今日はなぜか、十手持ちと縁のある日だ……。
「以蔵、お春、店を頼んだぜ」
そう言い残し、政吉は源四郎の後を追った。
「政ちゃん……」
ひとけの無い場所に行くと同時に、しなだれかかる源四郎……政吉は顔をひきつらせ、それを避ける。
「やい源の字、いい加減にしやがれ……店には顔を出すなと、あれほど言っといたろうが」
「だって……会いたかったんだもん……にしても、あいつ本当にいい男ねえ。政ちゃん、あんた本当に浮気してないでしょうね」
源四郎は拗ねたような目で政吉を見つめる……政吉は背筋にぞわっとするものを感じ、思わず目を逸らした……。
「あいつって、以蔵のことか? だから、浮気もくそもねえよ。奴と俺とは無関係だ。それよりも、仕事が入ったんじゃねえのか?」
「そうよ」
「だったら、早く話を進めろや。こっちは懐が寒いんだよ」
「んもう、せっかちなんだから。今回の獲物は、青天の由五郎……それと要心鬼道流柔術の師範、花田藤十郎よ」
「青天の由五郎に、花田藤十郎ねえ……」
政吉は下を向き、その二人についての記憶を探る。青天の由五郎は聞き覚えがある。青天の、という二つ名は自ら名乗っているだけで、どんな意味があるのかは知らない。どうせ、大した意味はないのだろうが……。
一方、花田藤十郎という名に心当たりは無い。しかし、要心鬼道流柔術という名には聞き覚えがあった。確か、そこの道場は賭場として使われていたような記憶がある。
由五郎の方は、間違いなく悪党だ。様々な噂を耳にしている。だが、花田の方はどうなのだろう。
「由五郎と花田はね、最近あちこちで悪さしてるみたいよ。特に、下働きの女が何人も痛めつけられてね……かたわ同然にさせられた女も少なくないのよ。頼み料は十両だけど、どうすんの?」
言いながら、源四郎はこちらを覗きこんで来る。
「青天の由五郎と、花田藤十郎だな……いいだろう。引き受けるよ」
源四郎と別れた後、店に戻る政吉。すると、以蔵が案じ顔で近づいて来る。
「政吉さん、大丈夫だったのかい?」
「ああ、大したことねえよ……昔の知り合いが、ちょいとやらかしたみたいでな、いろいろ聞かれたよ」
「いや、それならいいんたがね……あの目明かし、やたら私の顔を見ていたんだよ。だから、ひょっとしたらと心配していたんだ」
言いながら、不思議そうな表情で首を傾げる以蔵。政吉は思わず苦笑した。
「ああ、それはだな……あいつは、そういう奴なんだよ。気にするな」
そう言って、政吉は笑って見せた。
翌日も、政吉は僅かな金子を手に歩いていた。ただし、今回の行き先は柔術道場である。
要心鬼道流柔術、と書かれた看板……その看板の掲げられた道場の前に立ち、辺りを見回す。道場は小さく、さびれた雰囲気を漂わせている。はっきり言って、お世辞にも金回りがいいようには思えない。
しかし、源四郎から聞いた話によれば……道場の師範である花田藤十郎は、これまでに何人もの人間を殺したり不具者にしたりした極悪人なのだ。また、やくざの由五郎と組んで、あちこちで悪さをしているのだという。
道場の前に立ち、政吉は考えた。柔術の師範ともなると、腕は立つはずだ。
一方、青天の由五郎はたいがい用心棒の浪人を連れているらしい。どちらも、非常に厄介な相手だ。となると、五人がかりで行くか――
「道場に、何か用か」
不意に聞こえてきた声。政吉が振り返ると、髭を長く伸ばした中年男が立っていた。いかにも武人のような雰囲気だ。
「へ、へえ……あなた様が花田先生で?」
「そうだが……俺に何か用か」
花田のこちらを見る目は険しい。政吉は目を逸らした。
「いやあ、あっしは蕎麦屋をやってましてね。たまに、たちの悪い客が来ることもあるんですよ。ですから、あっしも先生のように強く――」
「止めておいた方がいい。蕎麦屋は蕎麦を打っていろ……生兵法は怪我の元だ。どうしても、と言うなら止めはせんがな」
その言葉と同時に、花田の手が伸びる。そして政吉の肩を叩いた。
だが、花田の表情が変わる。
「ん……お前、いい肉の付き方をしているな。何かやっていたのか?」
言いながら、花田は腕を掴んできた。だが、政吉はさりげなく逃れる。
「へ、へえ……毎日、蕎麦を打ってますんで……じゃあ、仕込みがあるんで失礼しますよ」
その日の夜、蕎麦屋の地下室に仕掛屋の四人が集まっていた。
「殺るのは、青天の由五郎ってやくざ者。それと花田藤十郎って名の、柔術の師範だ。この由五郎が仕切る店の下働きの女が、何人もかたわ同然にされたらしい……仕掛料は十両だ」
政吉はそう言って、四両を机の上に置く。
「さあ、前金だ……やるんなら一両ずつ持っていけ。やらねえなら、とっとと失せろ」
「一つ、条件がある」
言いながら、小判に手を出したのは龍だった。たこだらけの厳つい手を伸ばし、小判を懐に入れる。
「条件? 何だよ?」
政吉が尋ねると、龍は怒りを露にした表情で、胡桃の殻を握り潰す。
「花田藤十郎とかいう柔術家……そいつは俺に殺らせろ」
言いながら、龍は忌々しげに中の実を口に放り込んだ。
「龍さん、大丈夫なのかい? 相手は柔術の師範なんだよ」
以蔵が心配そうに、横から声をかける。
「ああ……あいつには、拳の痛さをきっちり味わってもらわなきゃな。刀や鉛玉で、あっさりあの世に送ったんじゃ面白くねえ。俺があの野郎に、きっちりと教えてやる」
以蔵にそう言うと、龍は立ち上がる。そして、大股で階段を上がって行った。
「しょうがねえ奴だな……まあいい。多助、おめえには青天の由五郎を殺ってもらう。引き受けてもらえるか?」
「ええ、やらせていただきますよ。もとより、あっしは仕事を選びませんからね……相手が誰であろうと構いません。殺ってやりますよ」
そう言って、多助は不敵に笑ってみせる。政吉はその手に、小判を二枚握らせた。
「そう言ってくれると思っていたよ。じゃあ、ついでに似顔絵も渡しとく。お松さんに見せてくれ」
「分かりました。任せてください」
そう言うと、多助は立ち上がる。そして歩き出したが――
「あ、そうそう。大したことじゃないんですがね、その花田藤十郎って柔術の師範ですが……どっかで聞いた覚えがあるな、って頭に引っ掛かってたんですが、今思い出しました。こないだ、すぐ近くで大立ち回りしてましたぜ。あいつは、腕は立ちますよ」
「ちょっと待てよ……多助、花田はそんなに腕が立つのか?」
不意に政吉が尋ねると、多助は頷いた。
「ええ。浪人を二人、あっという間に叩きのめしちまいましたからね。手強いですよ」
「妙な話だな……めくらのお前には、立ち回りは見えねえだろうが――」
「目は見えないですが、耳は聞こえますからね。あっしはね、大抵のことは耳で分かるんですよ。何が起きているか……くらいのことは耳で把握できます。あんたらの動いている音も、ちゃんと聞こえますぜ」
そう言って、多助はにやりと笑った。
「へえ……大したもんだなあ」
以蔵が言うと、多助は首を振って見せる。
「いえいえ……めくらになれば、それくらい誰でも出来るようになりますよ。生きるためには、ね」




