終わりに、殺陣をどうぞ(二)
その話を聞いた時、中村左内は奉行所にいた。同僚の同心たちが話しているのを、通りかかった時にたまたま聞いてしまったのである。
「田中さん、その話は本当ですか?」
左内が尋ねると、田中熊太郎は顔をしかめた。
「中村さん、あなたには関係ないことです」
「いえ……実はですね、その多助は按摩なんですが、いい腕してるんですよ。また頼もうかと思っていたんですが……」
「じゃあ、当分は無理でしょうねえ。町中で柴山藩の土田小十郎とかいう若い侍が数人の手勢を引き連れ、按摩の多助を屋敷内に引っ立てて行ったそうです。たまたま私が通りかかったので話を聞いたら、柴山藩の重大な機密だとか言ってましたよ。まったく、奥州の田舎侍が……」
吐き捨てるような口調で言う田中。
「そうですか、分かりました」
左内はぺこぺこ頭を下げると、その場を足早に去って行った。
奉行所を出た左内は、真っ直ぐ土田の屋敷へと向かった。いったい何事が起きているのかは不明だが、どうも嫌な予感がする。土田小十郎なる侍が何者か、よくは知らない。だが、ここ数日の状況を考えると、多助の身が危ないのだ。
こうなったら、町方の権力を行使するしかない。多助に適当な罪を被せ、身柄を牢屋に移せば後は何とかなる。最悪の場合、自分がへまをして逃がしてしまった……という形でも構わない。とにかく、まずは柴山藩の屋敷から連れ出す。
しかし、事態は左内の思惑を超えていた。
「どうしても、駄目でしょうか?」
門の前で、ぺこぺこ頭を下げる左内。彼の前には、数人の侍がいる。言うまでもなく、柴山藩の者たちである。皆、険しい表情を浮かべていた。
「いえね、私は藩邸にまで立ち入るつもりはないんですよ。ただ、そちらに多助という男がいるという話を耳にしましてね。多助は、あちこちで盗みを働いた疑いが――」
「お引き取り願おう。当藩の調べが済むまでは、お渡しする訳にはいかん」
侍の一人が、にべもなく言い放つ。左内は愛想笑いを浮かべた。
「しかし、町方にも事件を調べる務めがありますので……」
「断る」
言いながら、奥から出て来たのは土田小十郎であった。小十郎は前に出て、左内を睨みつける。
「あの多助という男、我が義父である土田多門の死に関わっている疑いがある。その詮議が済むまで、お渡しするわけにはいかない。どうしても、というなら……」
小十郎はそこで、刀の柄に手を掛けた。
「腕ずくで参られよ」
左内は退散するしかなかった。相手は奥州柴山藩である。自分のような立場の者が揉めるには、相手が悪すぎる。左内は顔をしかめながら立ち去って行った。
・・・
その頃、政吉は久しぶりに店にいた。とは言っても、中の物を片付けていただけである。もう、蕎麦屋は続けられない。そうなると、次は何の商売を始めようか。
「政吉さん、入るよ」
その言葉と共に、店に入って来たのは鳶辰であった……黒い作務衣に身を包み、狂気めいた笑みを浮かべている。
「おやおや、鳶辰さんじゃありませんか。どうしたんです?」
愛想笑いを浮かべる政吉……だが次の瞬間、その表情は凍りついた。
「そう言えば、めくらの多助が柴山藩の屋敷に引っ立てられて行ったよ」
「ほう、そうですか。あいつ何したんです?」
平静を装いながら、尋ねる政吉。すると、鳶辰はにやりと笑った。
「とぼけなくてもいいよ。政吉さん、多助はあんたの手下だろう……調べはついてるんだよ」
鳶辰の言葉に、政吉の表情が変わった。そばに置いてある包丁を、さりげなく手にする。
「どういう意味です?」
「そのまんまの意味だよ。多助と島帰りの龍は、あんたの手下……そこまでは、俺にも分かっている。他にも手下はいるんだろうが、まだ判明してないんだよ。さすが仕掛屋だね、この俺にも尻尾を掴ませないとは……」
そう言うと、鳶辰は声をひそめた。
「なあ政吉さん……あんたら全員、辰の会に入らねえか? そうすれば、俺が多助の口を封じてやるよ」
「どういう意味だ?」
「あんたも鈍いねえ。いいかい、土田の屋敷にいるのは田舎侍ばかりさ。奴らの拷問に耐えかねて、多助が口を割る前に……俺の手下が多助を殺してやろうと言ってるんだ――」
「断る。さっさと帰ってくれ」
言いながら、包丁を構える政吉。その目には、はっきりとした殺意があった。
すると、鳶辰は笑みを浮かべて飛び退く。
「おいおい政吉さん……俺を敵に回しても、何も得はしないぜ。まあ、好きにするんだな。損するのは、あんただしね」
言いながら、鳶辰は店から出ていった。
一人残された政吉は舌打ちする。これは、非常事態だ。果たして、どう動くべきか……。
だが、考える前にやらなくてはならない事がある。政吉は包丁を置くと、すぐさま店を出た。
江戸の片隅に、安国寺という寺がある。とはいっても、今は荒れ果て、周囲には雑草が伸び放題になっている廃寺だが。
その廃寺に、龍はずかずか入り込んで行く。
やがて境内の前で立ち止まり、声をかけた。
「お松さん、いるかい? 俺は島帰りの龍だ。多助さんから、ここの場所は聞いていたんだ。居るなら返事してくれ」
境内は、しんと静まりかえっている。だが、龍はもう一度語りかけた。
「お松さん、いないのかい……多助さんが大変なんだよ」
すると、境内から女の声が聞こえてきた。
「あの人に、何があったって言うんだい?」
「お松さん……多助さんは土田小十郎に捕まったんだよ。すまないが今夜、亥の刻に上手蕎麦に来てくれ。そこで、どうするか話し合おう」
その夜、蕎麦屋の地下室には……政吉、龍、左内の三人が集まっていた。重苦しい空気の中、左内が口を開く。
「あの土田小十郎ってのは頑固な奴だよ……こっちが何を言おうが、聞く耳もたねえ。あのままだと、多助は殺されるぞ。今のところ、まだ口は割ってねえようだがな、毎日ひどく痛めつけられてるらしいぜ」
「ああ、知ってる」
政吉は頷いた。実のところ、鳶辰とのやり取りは二人には伏せている。彼自身、どうすべきか迷っていたのだ。多助を救出するかどうか……だが、救出するとなると柴山藩を敵に回すこととなる。ただでは済まない。
「政吉……俺はもう一度、土田の屋敷に行ってみる。何とか多助を――」
左内がそう言った時、上から音がした。何やら、乱暴に戸を叩くような音だ……次いで、声が聞こえてきた。
「政吉さん……お松です。入れてもらえませんか」
その声を聞いた瞬間、政吉の顔が歪んだ。
「お松だと……どういう事だ――」
「俺が呼んだんだよ、政吉さん。お松さんも、話に入れてやろうぜ。俺が連れて来るから」
言ったのは龍だった。彼はすっと立ち上がり、上がって行った。
やがて、お松が地下室に姿を現した。みすぼらしい着物を着て鳥追笠を被り、顔に布を巻いた姿だ。ただし、その手には猟銃を握りしめている。
そして、お松は言った。
「多助を、見殺しにする気ですか?」
政吉を真っ直ぐ見つめ、殺気のこもった声で尋ねるお松……政吉は何も言えず、下を向いた。
すると、お松はなおも尋ねる。
「それとも、多助の口を封じるつもりですか……何とか言ってくださいよ」
そう言うと、お松は猟銃を構える……だが、左内が政吉の前に立った。
「お松さん、待ってくれ。あと一日でいい……時間をくれ。俺は、これでも役人の端くれだ。多助を奉行所の牢にぶちこめば、逃がす手立てはある。明日、もう一度掛け合ってみるから――」
「一日待てば、多助は帰ってくるんですか?」
お松の問いに、左内は顔をしかめて下を向いた。上手くいく可能性は低い。だが、今の彼女にそれは言えない……。
その時、お松は自らの顔を覆う布を剥ぎ取る――
彼女の醜い顔が、露になった。
「多助はね、あたしのこの面をちゃんと見てくれたんですよ……あんたらに、あたしの面が見られますか? あたしの面を見て、はっきり答えてくださいよ。多助をどうするのか、を」
声を震えわせながら、訴えるお松……すると、左内が顔を歪めながら口を開いた。
「何を言ってる……多助はめくらのはずだ――」
「視えてたんだよ……八丁堀。多助さんはな、めくらのふりをしてただけなんだよ」
そう言ったのは、龍だった。龍は静かな表情で、お松の方を向く。
「お松さん、あんた知ってたのかい」
「知ってたに決まってるじゃないか……あんな三文芝居、一緒に暮らしてりゃ分かるんだよ」
悲しげな口調で、淡々と語るお松。
「お、お松さん……とにかくだ、俺が何としてでも多助を牢に入れる。だから――」
「待てよ八丁堀」
左内の言葉を遮り、政吉は立ち上がる。そして歩いて行き、お松の前に立つ。
「お松さん、こうなった以上……下手な慰めは言いたくねえ。仮に口を割ったとしても、多助は確実に殺される。多助も、その事は分かっているはず……奴は、黙って死んでいくだろう。これは多助だけじゃねえ、俺たちみんなの運命なんだ。ただ、早いか遅いかの違いでしかねえ……」
政吉は、そこで言葉を止めた。お松の猟銃……その銃口に自らの額を当てる。
「それが気に入らないなら、元締めである俺の頭をぶち抜いてくれ」
その言葉を聞いた瞬間、お松の顔が歪む。彼女は凄まじい形相で、政吉を睨み付ける――
しかし、彼女は猟銃を降ろした。
がっくりと肩を落とし、とぼとぼと歩く……そして、階段を昇って行った。
すると、龍がその後を追って行く。
「待ちなよ、お松さん。送って行くぜ」
言いながら、龍も階段を上がって行った。
地下室には、政吉と左内の二人だけが取り残されていた。
「政吉……俺は明日、もう一度あの屋敷に行ってみるよ。何とかして、多助を引き渡すよう交渉してみる。だから、自棄になるなよ……」
そう言うと、左内も出て行く。
政吉は一人、ため息をついた。
・・・
下を向き、肩を落としてとぼとぼと夜道を歩いて行くお松。
だが、龍が後ろから近づいて行く。
そして、耳元に顔を寄せた。
「お松さん、多助さんを逃がそうってんなら……俺も手伝うぜ」
「えっ……」
顔を上げるお松。すると、龍は頷いた。
「俺は、あんたに借りがある。あんたが雲衛門を撃ち殺してくれなかったら、俺は殺られてたぜ。だから、今度は俺が借りを返す番だ。協力するぜ」




