仕掛けて殺して、日が暮れます(四)
漆問屋の根岸屋……その主人である根岸為三は、愛人宅に行くため夜道を急いでいた。今日は想定外の用事が入り、随分と遅くなってしまったのだ。根岸は用心棒を連れ、夜道を足早に進んでいた。
だが、その時――
「そこのお人、哀れな乞食にお恵みを……」
ひとけの無い道で、いきなり現れた座頭風の男。杖を突き、手のひらを差し出して歩いて来る。
根岸は、苛立ちの表情を浮かべた。
「うるさい! 私は急いでいるんだ!」
怒鳴ると同時に、用心棒に目配せする。用心棒はつかつかと近づいて行き、手を突き出す。力ずくでどかそうというのだ。
しかし、用心棒はあまりにも無用心であった。
無造作に近づいて来る用心棒。多助は杖を構え、間合いに入るのを待つ。
何も知らぬ用心棒が、間合いに入った――
その瞬間、多助の仕込み杖が抜かれる。そして、恐ろしい速さで切りつけていく。腕、胴、首、顔……滅多切りだ。
用心棒は完全に不意を突かれた。全身を切り刻まれ、大量の血が吹き出す――
それでも、用心棒は刀を抜いた。多助に切りつけるべく、力を振り絞り刀を振り上げる……。
だが、そこまでだった。用心棒は力尽き、刀を振り上げた姿勢のまま崩れ落ちる。
「う……うわあぁぁぁ! 助けてくれえ!」
叫ぶと同時に、恥も外聞も無く逃げ出す根岸。
だが、彼の前に現れた者がいる……お松だ。彼女は竹筒を構えた――
直後、轟く銃声。
根岸は一発で眉間を撃ち抜かれ……何が起きたのか把握せぬうちに絶命してしまった。
・・・
夜の江戸の町を、数人の武士の一団が歩いている。頭巾を被った男を中心に、ものものしい雰囲気を漂わせて歩いていた。
そこに、提灯を持った中村左内が現れる。
「失礼ですが、ここいらで人が切られまして……どこのどなたか、顔を見せていただく訳には――」
「何だ! 町方の分際で無礼だぞ!」
一人の侍が、吠えながら刀の柄に手をかける。だが、頭巾の男が制した。
「構わん」
そう言うと、男は頭巾を脱いだ。
左内の目の前で、素顔を晒す。
「奥州柴山藩・江戸留守居役……土田多門だ」
「おお、これはとんだご無礼を。何せ、この近くで根岸屋の主人である、根岸為三さんが暴漢に襲われまして――」
「何だと!? 根岸はどうなったのだ!?」
土田の表情が一変する。眉間に皺を寄せながら、左内に詰め寄って行った。
「はい……根岸さんは、暴漢の凶刃により重傷を負っております。その下手人が、この辺りに逃げてきたようでして……あ、根岸さんはあなたの名前を呼んでいましたが……どうしましょうか?」
言いながら、左内は苦り切った表情をしてみせる。
「お前、すぐに案内しろ……根岸のところに案内するのだ!」
怒鳴りつける土田。
「は、分かりました。では、こちらです」
言いながら、歩き始める左内。すると、取り巻きの侍たちも付いて行こうとするが――
「お前たちはいい! 先に戻っていろ!」
土田は一喝すると、再び左内の方を向いた。
「さあ、早く案内しろ!」
左内と土田は、夜道を足早に進んで行く。やがて、ひとけの無い草むらで左内は足を止めた。
「その先です。これをどうぞ」
言いながら、提灯を手渡す左内。すると、土田は訝しげな表情になった。
「何だと? 根岸はどこにいる?」
「あの、すぐそこですので……申し訳ないですが、私はちょっと、用を足して参ります」
とぼけた表情で言うと、左内はそそくさと姿を消してしまった。
「何だあいつは……使えん男だな」
吐き捨てるように言った後、土田は草むらの中に入って行く。
その途端、草むらの中から立ち上がった者がいた。 龍だ。
「土田多門……死んでもらうぜ!」
吠えると同時に、襲いかかろうとした龍。しかし次の瞬間、その動きががくっと止まる。
いつの間に取り出したのか、土田の手には短筒があった。その銃口は、龍に向けられている……。
「貴様、何者だ? 誰の命令で儂を狙う?」
そう言うと、土田はゆっくりと近づいて行く。
龍は、ぎりりと奥歯を噛みしめる。間近でお松の殺しを見ていて、短筒の怖さは知っている。しかも、土田が持っているのは最新式だ。威力も射程距離も、お松のそれよりは上だろう。さらに、一発で終わりではない。
「早く言わんか。町方が来るぞ……儂は、この件を町方に委ねたくはない。根岸が襲われ、次いで儂が襲われる。これは、誰の仕業なのか……教えてもらわんとな」
言いながら、なおも近づいて行く土田。それに対し、龍はじりじりと下がっていく。それ以上、何も出来ないのだ。下手な動きをすれば、弾丸が命中し自分はあの世逝きだ。
かといって、このままでは……。
だが、その時――
もう一人、草むらから立ち上がった者がいた。その者は、何かを振り上げて土田に襲いかかる。
直後、銃声が響き渡った――
「以蔵おぉぉ!」
思わず叫ぶ龍。そう、草むらに身を潜めていたのは彼一人ではなかったのだ。以蔵もまた、息を殺して身を隠していた。
前と同じく、龍に何かあった時に援護するために。
そして今、龍の代わりに土田を仕留めてくれたのだ……土田の首には、以蔵の煙管が突き刺さっている。
しかし、土田の短筒から放たれた弾丸は、以蔵の体を撃ち抜いていた。
「おい! どうした! 大丈夫か!」
不意に現れた左内。彼は他の人間がこちらに来ないよう見張っていたのだ。しかし銃声を聞きつけ、慌てて駆けつけた。
しかし左内が見たものは……倒れている以蔵と、その体にすがりついている龍だった。
「以蔵! しっかりしろ! 死ぬんじゃねえ!」
草むらに横たえられた以蔵に向かい、叫び続ける龍……その目には、涙が溢れていた。
しかし、隣にいる左内は、絶望的な表情で首を振った。
「龍、以蔵はもう助からねえぞ。かと言って、こいつの死体を担いで出歩く訳にもいかねえんだ。早いとこ逃げるぞ」
「ふざけるな! こいつを置いて行けるか――」
「龍さん……もういい……置いて行ってくれ……」
龍の言葉を遮ったのは、弱々しい以蔵の声だった。顔は青ざめ、呼吸は途切れ途切れである。もう、これは助からないだろう。
数多くの死人を見てきた龍にとって、それは知りすぎていた事実だった……。
龍は涙を流し、以蔵の手を握る。
「俺の……俺のせいだ……俺が殺してしまった……」
呻くような声を発し、泣き崩れる龍。だが、左内はその腕を掴む。そして強引に引きずって行く。
「いつまでも、ぴいぴい泣いてんじゃねえ……以蔵が何のためにてめえの命を張ったんだ? 龍、お前を助けるためだろうが……あいつの死を無駄にするんじゃねえ。うかうかしてると、町方に捕まるぞ。今はここを離れるんだ」
険しい顔で言い放ち、龍を連れて行く左内。龍はやりきれない表情で、その場を離れて行った。
・・・
去って行く龍と左内の後ろ姿を見届け、以蔵は口元を歪めた。体は冷えきっており、感覚も無くなってきた。もうじき、自分は死ぬだろう。
にもかかわらず、不思議と恐怖は無かった。苦痛も消えている。前に蘭学の本で読んだことがあった……死ぬ寸前、苦痛が消えて幸せな気分になる場合があるらしいと。今の自分も、そんな感じであった。
一体、自分は何がしたかったのだろう。
気がついてみると、体が動いていた。殺しからは足を洗ったはずなのに、いつもと同じく龍の動きを見張っていた。龍を助けるために、根岸の前に現れ……そして命を落としていた。
誰かの命を救うために、自分の命を捨てたのだ。
一昔前の自分なら、なんと愚かな人生だろう……と嘲笑っていたかもしれなかった。
だが、悔いはない。少なくとも、最後の最期に人の命を救えた。
そう、自分は人の命を救いたかった……それだけなのだ。
しかも、それは蘭学など関係なかった。そう、知識などいくらあっても、使えなければ無意味だ。
大切なのは……。
その時、以蔵の口元に笑みが浮かんだ。
「すまなかったな……」
夜空に向かい、以蔵は呟いた。
それが、彼の最期の言葉になった。
・・・
その数日後……奥州柴山藩から一人の侍と、その従者たちの一行が江戸に到着した。 精悍な表情と、真っ直ぐな目を持つ若き侍……彼こそは、土田多門の婿養子である土田小十郎である。柴山藩でも屈指の剣の使い手であり、また質実剛健な人柄でも広く知られていた。一方、民百姓に対してはとても情け深い真面目な男である。舅が公金を横領して若い妾に入れあげていた話など、知る由もなかった。
今、小十郎は舅の事件を調べるため、腹心の部下たちを引き連れて江戸にやって来たのだ。奥州の武士として、町方などに任せるわけにはいかない。真の下手人は何者なのか、それが分かるまでは柴山潘には帰るまい……小十郎は、悲壮な決意を胸に江戸にやって来たのだ。
江戸に到着した翌日、小十郎は早速とある場所を訪れた。『辰巳屋』なる出会い茶屋だ。
小十郎は、さっそく中に通される。すると、部屋の中には一人の男が待っていた。
「おや、これはこれは土田さん。よくぞいらっしゃいました」
部屋の奥で、頭を下げたのは鳶辰だ。普段とはうって変わり、にこやかな表情で小十郎を見つめている。
「辰三さん、俺の来た理由は分かっているな?」
小十郎の問いに、鳶辰は頷いた。
「もちろんです。土田多門さまと、根岸屋の主人である根岸為三さんの件でいらしたんでしょう」
「さすがだな。その下手人だが……町方の調べでは、糸井貢という男が殺ったという事で解決している。だが、俺はどうしても腑に落ちない。その糸井という男は何者で、何のために父上を殺したのか……それを調べて欲しい」
糸井貢とは、以蔵の本名である。町方は結局、その場に死んでいた糸井に全ての罪を被せることにした。もともとは、追われる身であった糸井……金に困り、土田を襲ったが相討ちになった。
穴だらけの、お粗末な推理ではある……しかし事件を解決させるには、糸井に罪を被せるがもっとも手っ取り早い方法であった。そもそも、下手に調べると公金が横領されていた事実が明るみに出かねない。その事実を白日の元に晒しても、得する者は誰もいないのだ……詮議は、そこで打ちきりとなった。
しかし、小十郎だけは納得していなかったのだ。彼は、そういった事情を何も知らない……。
「辰三、頼む……この事件はどうも妙だ。なぜ、こんな事になったのか、調べてくれ」
「いいでしょう。私も先代さまには、随分と世話になりました。あっしに出来ることなら、何でもいたしましょう」
そう言うと、鳶辰は不敵な笑みを浮かべた。




