仕掛けて殺して、日が暮れます(三)
剣呑長屋とその周辺には、得体の知れない輩が数多く住んでいる。泥棒、ごろつき、凶状持ち、島帰り、やくざ者といった連中が集まって生活している魔窟ではあるが……不思議と、つまらない争いは起きない。
その理由は、下手な騒ぎを起こせば……古株の連中や、本当に恐ろしい奴らが黙っていないということを、この周辺の住民はよく知っているからだ。皮肉なことに、悪党ばかり住んでいる場所であるがゆえに平和が保たれているのである。非常に微妙な均衡の元に成り立っている平和ではあるが……。
そんな剣呑長屋の一室で、龍と多助は昼間から冷酒をあおっていた。
「龍さん、あんた本気なんですかい? 今回の仕事、本当にやるんですか?」
多助の問いに、龍は頷いた。
「当たり前だよ。以蔵の野郎、ふざけた事をぬかしやがって……」
龍の言葉からは、未だに冷めやらぬ怒りが感じられる。多助は苦笑した。
「しょうがないですねえ。龍さん、あっしもやりますよ。相手は柴山藩の留守居役と大物漆問屋……一両じゃあ割に合いませんが、引き受けましょう」
「割に合わない、か……なあ多助さん、以蔵の言った事をどう思う? 俺たちは結局、屑なのかね」
神妙な顔つきで、尋ねる龍……すると、多助は頷いた。
「ええ、あっしらは屑ですよ。銭を貰い、人を殺す……ただね、一つ忘れちゃいけねえ事があります。あっしらは銭を貰わない限り、人は殺しません。そこを忘れちゃいけませんよ」
「えっ……」
「龍さん、人を殺すのは悪です。だからこそ、依頼人もその重みを知らなきゃなりません。命の重みって奴をね。その重みを、銭という代償を支払うことで知ってもらうんでさぁ。仮にあっしらが、ただで人を殺してたらどうなります? あいつは悪い奴だ、だから只で殺してください……そいつぁ、あまりにも無責任でさぁ。殺す人間も、依頼する人間もね」
淡々とした口調で語る多助。そこには、普段の多助からは感じられない何かがある。龍は、思わず話に聞き入っていた。
「あっしらに払う銭、それは依頼人の覚悟の証なんですよ。一人一両で六両……それが最低の額です。その程度の銭が用意できないなら、恨みなんざ忘れて泣き寝入りしちまった方がいいんですよ。そうすりゃ、少なくとも人殺しという罪には加担せずに済みます。地獄に逝く心配もしなくていい……むしろ、その方がいいかもしれませんぜ」
「そうか……俺は今まで、そんなこと考えもしなかったよ」
龍がそう答えた時、不意に外から声がした。
「おい龍、入るぞ」
言いながら、戸を開けたのは中村左内だ。左内は渋い表情で、二人の顔を見回した。すると、龍が顔をしかめて口を開く。
「何だよ八丁堀……おめえは本当に怠け者だな。たまには真面目に働けよ、木っ端役人が」
「うるせえよ。お前みたいにお気楽な奴に、役人の苦労が分かってたまるか。ところで……お前ら、どうすんだ?」
言いながら、左内は二人の顔を見渡す。
「どうするって、何がですか?」
多助が尋ねると、左内は声をひそめた。
「何が、って……仕事に決まってるじゃねえか。やんのか、やんねえのか、どっちだよ?」
「受けるよ。大体、俺はお前と違って表の仕事がないからな。稼げる時に稼いでおかねえといけねえ」
即答する龍。すると、多助がため息をついた。
「まあ、割には合わない仕事ですが……龍さんがやるなら、あっしも引き受けますよ」
「おいおい、お前ら正気かよ……仕方ねえなあ」
「てことは、あんたも引き受けるんですかい?」
にやにや笑いながら、尋ねる多助。すると、左内は顔をしかめながら頷いた。
「しょうがねえだろうが。お前ら全員がやるって言ってんのに、俺だけやらない訳にもいかねえよ」
「あんた、思ったよりいい人ですね。悪党から袖の下をもらうしか能の無い人かと思っていましたが」
「うるせえよ。ったく、こんなもんは只働きみたいなもんじゃねえか。これっきりにしてもらいたいもんだぜ」
仏頂面でそっぽを向く左内。すると、龍が笑みを浮かべた。
「そう言うなよ。頼りにしてるぜ八丁堀」
言いながら、左内の背中をばんばん叩く龍。左内はまたしても顔をしかめた。
「痛えじゃねえか。お前も訳わからん奴だな。役人は嫌いじゃなかったのかよ」
「役人は嫌いだ。けど、お前は役人じゃねえからな……お前も仕掛屋の一員だ」
その日の夜、蕎麦屋の地下室に仕掛屋の面々が集合していた。龍や多助や左内は思い思いの場所に座り、以蔵は皆から離れた位置で壁にもたれて立っている。
政吉は、皆の顔を一通り見渡した。
そして口を開く。
「前にも言った通り、今回の獲物は柴山藩留守居役の土田多門と漆問屋の根岸屋だ。楽な相手じゃないが……龍、お前は引き受けるんだな?」
政吉の言葉に、龍は頷いた。
「ああ、俺はやるぜ。留守居役だか何だか知らねえが、そんな奴ぁ怖くねえぜ。首をへし折ってやる」
言いながら、懐から胡桃を取り出す龍。殻を一瞬で握りつぶし、実を口の中に放り込んだ。
すると、政吉は多助に視線を移す。
「そうか……わかった。多助さん、あんたはどうするんだ?」
「あっしですか? あっしも……いや、あっしとお松も引き受けますよ。なあに、大したことじゃありませんや。いつも通りにやるだけです」
多助の口調は飄々としている。何の気負いも無さそうだ。
「八丁堀、お前はどうするんだ? 降りてもらっても構わないぜ」
政吉の言葉に、左内は顔を上げた。
「こうなったら、仕方ねえから俺も付き合うよ」
面倒くさそうな表情で答える左内。
政吉は頷いた。
「そうか……以蔵、お前はどうするんだ?」
政吉の問いに、以蔵は首を振って見せた。
「前にも言った通りだ。私は裏の仕事からは足を洗う……その気持ちは変わらないよ」
その言葉を聞き、龍は怒りを露にして以蔵を睨みつける。多助は顔をしかめ、左内はさりげなく立ち上がる。いざとなったら、龍と以蔵との間に割って入るためだ。
その時、政吉が口を開いた。
「以蔵、お前にはお前なりの考え方がある。そいつをどうこう言う気はねえ。だがな、お前がこの稼業に足を踏み入れた時、どんな腹の括り方をしたんだ?」
そう言うと、政吉はじっと以蔵を見つめる。だが、以蔵は下を向き黙ったままだ。
ややあって、政吉は再び口を開いた。
「俺たちは人間の屑かもしれねえ。しかし、屑には屑なりの生き方がある。それがこの稼業だと、腹を括ったはずじゃなかったのか? 以蔵、お前がこれまでしてきた事を考えろ。お前がこれまで生きてこられたのは、この稼業のお陰なんだよ。お前の両手は、相手の流した血で真っ赤に染まっているんだ……その事実だけは、どんなに言い繕っても消せねえんだよ」
政吉の口調は静かなものだった。しかし、言葉の奥には有無を言わさぬ迫力がある。龍、多助、左内の三人はその迫力に呑まれ、会話の成り行きをじっと見守っていた。
だが、以蔵は涼しげな表情のままだ。
「確かに、あんたの言う通りだろう。だがね、今回の相手である奥州柴山藩の留守居役・土田多門だが……あれが一体、どんな悪さをしたというんだい? せいぜい、公金を横領した程度の罪じゃないか。それは殺されるほどの事なのか?」
聞き返す以蔵。すると、政吉は目を細めた。
「土田はな、公金を横領して妾に小料理屋を出させていやがる……そんなけちな男さ。野放しにしておくと、柴山藩の民百姓が更に苦しむ事になるんだぞ。今回の依頼人は、柴山藩の百姓たちだ。これまでずっと我慢してきたが、ついに堪忍袋の緒が切れて俺たちに依頼してきたんだよ」
「なるほど、確かに清廉潔白とは言えない男だな。だが仮に土田が死んだとしても、新たなる留守居役が任命される。そいつは、土田よりも更に酷い人間かも知れないんじゃないのかい。そして、またそいつを殺す羽目になるかもしれない。私たちは……いや、仕掛屋は同じ事を繰り返すだけなんじゃないのか? 権力を握れば、人は変わる……それは当然の事だ」
口元を歪めながら、言葉を返す以蔵。すると、龍がたまりかねた表情で立ち上がった。
「もういい! おめえがそんな腰抜けだとは思わなかったぜ! ぐだぐだ屁理屈ばかり抜かしやがって……要するに、おめえは怖いんだろうが! 留守居役を相手にするのが怖いんだろ! 違うのか以蔵!?」
怒鳴りつける龍。すると、以蔵は悲しげな表情で彼を見つめた。
「やはり、私とあんたとは分かりあえないようだね、龍さん。あんたは私の言っていることを、何も理解できていないらしい」
「んだと!」
喚きながら、掴みかかる龍……だが、左内が割って入った。
「お前ら、いい加減にしてくれよ……」
ぼやきながら、龍を押し止める左内。だが、以蔵はなおも言葉を続ける。
「私も、あんたの言っていることは理解できない。龍さん……あんた、清太のことを覚えているかい? あんたは、清太を救えなかった」
以蔵の言葉に、龍の表情がさらに険しくなった。
「んだと……」
「私も同じさ。私は、医師の佐島章軒をこの手で殺した。さらに、親友である栗栖を自害に追い込んだ。私のやってきた事は……日本の夜明けを遠ざけ、親友を死に追いやっただけだ。しかも、世の中は何も変わっていない。今まで、本当に無意味な殺しをしてきたもんだよ。救いたい人間を救えず、悪党の私腹を肥やすためだけに動いていた」
そう言うと、以蔵は政吉の方を向いた。
「政吉さん、店の手伝いはこれまで通りにやらせてもらう。しかし裏の仕事には、今後いっさい関わる気はない。それが気に食わないと言うなら、今すぐ私を殺してくれ」
冷たい表情で言い放つ以蔵。その顔つきからは、死への覚悟のようなものは感じられない。むしろ、自身の生すらも諦めてしまったような、やるせなさに満ちている……。
すると、政吉は彼をじっと見つめた。
ややあって、おもむろに口を開く。
「それが、お前の考えか……いいだろう。お前の処分に関しては、この仕事が終わってから決める。今は、目の前の仕事を終わらせなきゃならねえからな」




