仕掛けて殺して、日が暮れます(二)
「どういう事だ、以蔵?」
政吉の問い。それに対し、以蔵は真っ直ぐな目を向ける。
「私は近ごろ、何もかもが嫌になってきたんだよ……もう一度、一人でじっくり考えてみたい。私は何のために生きているのか……そして、何のために人殺しをしてきたのか」
そう答える以蔵の表情は、氷のように冷えきっていた……。
「何を訳のわからねえ事を言ってやがるんだ! 何のために生きる!? 決まってんだろ! 食うためじゃねえか!」
吠える龍。だが、以蔵の態度は変わらなかった。
「すまないな龍さん。だが、前から考えていた事なんだよ。私たちは今まで、何をしてきたんだい?」
そう言って、以蔵は三人の顔を見回す。
「な、何をしてきたのかって……」
口ごもる龍。すると、以蔵は諭すような口調で語り始める。
「龍さん、外に流れている川を辿っていけば、やがて海に出る。海の向こうには様々な国があるんだ。日本よりも、進んだ文明の国が幾つもあるんだよ……この日本も、早急に国を開かなくてはならないんだ。いつまでも、国を閉じたままではいられないんだよ」
「お前が何を言ってんのか、俺には分からねえんだよ! 俺にも分かるように言え!」
怒鳴る龍。すると以蔵の顔に、初めて感情らしきものが浮かんだ。
「だから、そんな時に私たちは何をしているのかって言っているんだ。世の中、少しでも良くなったか? 私たちに殺された奴らにだって、妻や子がいたかもしれない。好きな奴があったかもしれないんだ」
「そんなのは、当たり前の話ですぜ。それを承知の上で、あっしらはこの稼業を続けているじゃないですかい」
答えたのは多助だ。その声は淡々としている。多助は、この中では一番長く裏街道を歩んできたのだ。彼の言葉には重みがあった。
しかし、以蔵はなおも言葉を続ける。
「なるほど、確かに私は甘いのかもしれない。だがね、この稼業はそもそも法で裁けぬ悪党を殺すために存在しているはずだ。晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ人でなしを消す……そうだったね、政吉さん」
以蔵の言葉に、政吉は複雑な表情を浮かべて頷く。
「ああ、そうだ」
「法で裁けぬ悪党を殺す事により、旧態依然とした日本は変わるのではないか……私はそんな、淡い期待を持っていたんだよ。この国を、底辺から変えられるんじゃないかとね。ところが……近ごろは、弁天の正五郎や鳶辰の仕事ばかりを嬉々として受けてるじゃないか」
「以蔵、おめえ何が言いたいんだ?」
語気鋭く尋ねる政吉。すると、以蔵は笑みを浮かべた……端正な顔を嘲笑で歪め、以蔵は口を開く。
「仕掛屋もしょせんは、私たちが殺してきた屑共となんら変わりないんじゃないのか? 弁天の正五郎や鳶辰のような大物に尻尾を振り、餌をもらうだけの飼い犬――」
「ざけんなあぁ!」
喚くと同時に、以蔵に襲いかかったのは龍だ。凄まじい勢いで殴りかかる。だが、以蔵は素早く後ろに飛び退いた。そして煙管を取り出す。
睨み合う二人……だが、左内が間に割って入る。
「やめねえか! 銭にもならねえのに殺し合ってどうすんだよ!」
鋭い声を発し、刀に手をかける左内。
「以蔵、おめえの言いたいことはそれだけか?」
政吉の問いに、以蔵は口元を歪める。
「付け加えるとすれば、私たちが人を殺すことで得をするのは……結局、正五郎や鳶辰のような大悪党だ。世の中の底辺で踏みにじられ、泣き寝入りしている弱者の役には立ってない。もう一度言うよ……仕掛屋はしょせん、巨悪の飼い犬じゃないのかい? でなけりゃ、金額で仕事を選り好みするなんておかしいだろうが。巨悪を太らせるためだけに、我々は存在しているんじゃないのか?」
「んだと!」
喚きながら、以蔵に掴みかかろうとする龍。だが、左内と多助が必死で押さえつけた。
「よさねえか龍!」
左内が怒鳴り付ける。すると龍は、政吉の方を向いて叫ぶ。
「政吉さん! 今回の仕事は俺にやらせてくれ!」
「はぁ!? おい、おめえ何を言い出すんだ?」
混乱した表情になる政吉……ただでさえ、以蔵の言葉で少なからず衝撃を受けているというのに、今度は龍が突拍子もないことを言い出したのだから。
「俺は奴らの飼い犬じゃねえ……それを、こいつに分からせてやるんだよ」
言いながら、以蔵を指差す龍。すると、たまりかねた政吉が怒鳴る。
「もういい! 龍、帰って頭を冷やせ! 以蔵、おめえは上に行ってろ!」
そして地下室には、政吉と左内と多助の三人が残っていた。
「やれやれ。あの以蔵は学があるから、逆に考えすぎて悩んじまうんだろうな……」
呟くように言った左内。すると、政吉が頷いた。
「ああ。あいつは頭もいいし腕も立つ。だが、真っ当な部分を捨てきれねえんだよ」
政吉の言葉に、顔をしかめる左内。すると、多助が口を開いた。
「あの人は、未だに蘭学が心のどっかに引っ掛かっているんでしょうな。ところで政吉さん、仕事はどうするんです? 龍さんがやるっていうなら、あっしも付き合いますよ」
「おいおい、待ってくれよ。俺は御免だぜ。奥州柴山藩の留守居役と漆問屋の大物……んなもん、きついだろうが」
言いながら、呆れたような表情で右手を振る左内。
「まあ二人とも、次の寅の日までには間がある。それまで、じっくり考えておいてくれ。やるか、やらないか……今すぐ決める必要はない」
政吉の言葉が合図になったかのように、二人は立ち上がった。
「何だい、そりゃあ。以蔵の奴、どうしようもないねえ」
帰って来た多助から話を聞き、吐き捨てるような口調で言ったお松。その顔には、苛立ちの表情が浮かんでいた。
「あの男は、純な部分を捨てきれねえんだろうな。蘭学ももちろんだが、世の中の弱者を救いたい気持ちがあったのかもしれねえ」
しみじみとした口調で語る多助。理想と現実の狭間で、以蔵は悩んでいたのだろうか……めくらを演じている自分に対し、いろいろと気を遣ってくれていたのを思い出す。
以蔵は確かに悪人ではない。だが、むしろ悪人であってくれた方が、この稼業には順応しやすいのだ。
「あんた、もし以蔵がこの稼業をやめるとなったら、どうするんだい?」
お松の問いに、多助は顔をしかめた。
「その時は……いや、その判断は政吉さんに任せるとするさ。俺たちが口出しする問題じゃねえよ」
「どうだかねえ……奉行所に駆け込んだりしないのかい?」
「大丈夫だろう。そんな事をすれば、あいつも地獄逝きだしな」
翌日、政吉はいつものごとく町中を歩いていた。以蔵とは二言三言、言葉を交わしただけだが……今のところ、何事もなかったかのように蕎麦屋の仕事をしている。
以蔵の事もはっきりさせないといけないが、それよりも今は、優先すべき問題がある。政吉は足早に、道を進んで行った。
「お久しぶりですねえ、鳶辰さん」
道端で捨三と立ち話をしていた鳶辰に、声をかける政吉。すると、鳶辰は向きを変えた。
「おお、政吉さんじゃないか。どうかしたのかい?」
「いや実はですね、うちの連中が先日、片目の権蔵とちょいと揉めたらしくて……権蔵とその子分を全員、殺っちまったらしいんですよね」
「ほう、そんなことがあったのかい」
答える鳶辰は、にこやかな表情を浮かべている。しかし、目は笑っていない。
「権蔵は、辰の会の殺し屋でしたよね。奴らは、栗栖って名の阿片の密売人を狙ってたそうです。ご存知でしたか?」
「ああ、知っていたよ。なるほど、栗栖はあんたらに殺られたのか」
そう言うと、鳶辰は笑い出した。なんとも不気味な笑い声である……政吉は顔をしかめた。
「鳶辰さん、実はうちの方も栗栖を仕留めるように依頼を受けてたんですよ。ところが、権蔵も栗栖を狙ってた……そこで、権蔵とうちの連中が殺し合うことになったんです。好き好んで、権蔵を殺った訳じゃないんですよ」
「分かっているよ、政吉さん。これは仕方ない事さ。だがねえ、こんな事が続くようだと……お互いのためにならない。仕掛屋さんが辰の会に入ってくれれば、全ては丸く収まるんだがねえ」
そう言うと、鳶辰は政吉をじっと見つめる。
政吉には、ようやく事態が呑み込めてきた。これは鳶辰からの警告であり、同時に意思表示でもある。
辰の会に入れ、でなければ今後もこのような事があるぞ、という……。
「政吉さん、あんたは頭のいい人だ。今すぐとは言わないが、考えておいてくれよ」
鳶辰の言葉に、政吉は下を向いた。
「鳶辰さん……あんたの辰の会は、江戸で一番です。今の江戸には、あんたに逆らおうなんて馬鹿はいやしません。なのに、これ以上なにを望むんです?」
表情の消え失せた顔で、尋ねる政吉。すると、鳶辰の目が光った。
「うーん、あんたには分からないのかな。俺はね、見てみたくなったのさ」
「何を……見たいんですか?」
「この裏の世界を、辰の会だけが仕切る……そこで見える風景は、一体どんなものだろうねえ」
そう言うと、鳶辰は笑い出した。くっくっく……という不気味な笑い声だ。政吉は眉をひそめた。鳶辰はやはり狂っている。だが、頭は切れる上に辰の会の長だ。
誰にも、手が付けられない。
鳶辰は、なおも言葉を続ける。
「政吉さん、俺は十五の時に親父を殺した。その時、お袋に言われたんだよ。お前なんか産むんじゃなかった……ってね。だから、お袋も殺してやったよ。以来、俺はつまらないんだよ……なあ政吉さん、俺はつまらなくて仕方ないんだ」
「あんたの人生がつまらないのは、誰のせいでもない……あんたのせいです」
政吉の発した言葉に、鳶辰は目を細める。
「言ってくれるじゃないか、政吉さん」
「あんたが何を考え何をしようが、それはあんたの勝手です。ですが、仕掛屋は……晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ人でなしを消します。そこだけは曲げられません。ですから、辰の会には入れないんです。今後も、うちはうちでやっていきますんで」
そう言うと、政吉は軽く会釈した。
そして向きを変え、去って行く。
「政吉よう……お前は、俺の怖さを分かってないらしいな。馬鹿な奴だよ」
残された鳶辰は、誰にともなく呟いた。




