人の一生は、旅に似ています(四)
その日、政吉はいつものように町をぶらぶらしていた。無論、目当ては博打場である。
しかし――
「政吉さん、ちょいと話があるんですがね……よろしいですか?」
後ろから呼び止める声……政吉が振り返ると、そこに立っていたのは捨三だった。
「おや、捨三さんじゃないか。どうしたんだよ?」
政吉は少し警戒するような表情で、捨三の言葉を待つ。この捨三、見た目は頼りない若造であるが……江戸の裏稼業でも最大の組織である『辰の会』の人間なのだ。
その捨三が、わざわざ自分を探しに来る……これは、確実によくない知らせであろう。
「何だと……熊次と寅三が殺られたってのか?」
政吉の言葉に、捨三が頷いた。
「ええ。あの兄弟は、江戸ではちっとは知られた殺し屋でしたからね。その兄弟が殺られた……こりゃあ、匂いませんか?」
「匂い? どういう事だよ?」
聞き返す政吉……すると、捨三は案じるような表情で口を開く。
「いえね、よその連中が江戸に来てるんじゃねえか……鳶辰さんは、そう言ってるんですよ」
「よその連中か……」
言いながら、政吉は眉間に皺を寄せる。
確かに、裏稼業に生きる者たちにとって……江戸は魅力的な場所だ。江戸への進出を目論む輩も少なくないと聞く。
仮に熊次と寅三の兄弟を殺ったのが、そんな輩であるとしたなら……これは見過ごせない事態だ。
「まあ、そうでなかったとしても……あっしらにとっちゃあ、熊次と寅三の兄弟は同業ですからね。裏稼業の仁義を守る、数少ない殺し屋でした。それを殺されたとあっちゃあ、黙ってられねえ……鳶辰さんは、そう言ってるんですよ」
「鳶辰さんが、か」
言いながら、政吉は下を向いた。この話の行き着く先が何処なのか……それは容易に想像がつく。恐らくは、熊次と寅三の仇討ちであろう。
だが、鳶辰が何のために兄弟の仇討ちをさせようとしているのか……それが分からない。そもそも、あの兄弟と鳶辰とは、格別に仲が良かった訳ではないのだ……それどころか、かつては鳶辰に対し無礼な言葉を発したこともある。
そんな兄弟が死んだところで、鳶辰にしてみれば痛くも痒くもない。むしろ、いい厄介払いが出来た……という気分のはずだが。
「政吉さん……鳶辰さんは今、兄弟を殺した奴らの情報を集めているんですよ。で……その下手人の始末を、あんたら仕掛屋に頼みたいと仰ってるんです。引き受けてもらえませんか?」
「捨三さん……そいつは難しいな。いくら鳶辰さんの頼みと言えど、相手もわからねえのに引き受けられねえよ。あんただって、この世界のしきたりは知ってるはずだぜ。いったん引き受けておいて、やっぱり駄目でした……それは通じないだろうが。せめて、相手がはっきりしてからにしてくれよ」
政吉の言葉に、捨三は頷いた。
「確かに、それは仰る通りですよね。しかし、いずれ下手人は判明するでしょう……なんたって、鳶辰さんの情報網は江戸でも指折りですからね」
そう言うと、捨三は軽く会釈した。
「今の話ですがね、頭の片隅にでも留めておいて下さいよ。下手人が判明したら、政吉さんに依頼するかも知れません。鳶辰さんも言ってましたが、仕掛屋さんは江戸でも屈指の腕利きですから……もう一度、よく考えておいてください」
去り行く捨三の後ろ姿を見つめながら、政吉は考えた。この話には、どうも裏があるような気がする。熊次と寅三の仇を討つ……鳶辰のような冷徹な悪党が、そんな事を考えるとは思えない。
鳶辰は、自分たちに何をさせようと言うのだろうか……。
そんな事を考えながら、政吉は歩き出した。もっとも、目当ては博打場ではない。今日の予定は変更である。
まずは、八丁堀こと中村左内を探す。あの男はいささか頼りないが、それでも一応は同心である。自分とは、また違った情報収集能力があるはずだ。
「何だ政吉……俺を尋ねてくるとは珍しいな」
番屋にて座り込んでいた左内。政吉を見ても、そのだらけた表情は全く変わらない。政吉はあたりを見回し、誰もいない事を確かめた。
そして顔を近づける。
「おい八丁堀、話がある。ちょっと付いて来てくれ」
そう言うと、政吉は外に出て行く。左内は、面倒くさそうに後を追った。
河原に近い場所にある廃屋の中で、二人は腰を下ろした。
「なあ政吉、いったい何の用だ?」
「実はな、熊次と寅三って兄弟が殺られたらしいんだが……そいつら二人は、俺たちの同業なんだよ。誰が殺ったのか、目星は付いているのか?」
政吉の問いに対し、左内は首を捻る。
「えっ、熊次と寅三? あれはな……諸田ってのが調べているはずだ」
「諸田?」
「おう、諸田慎之助だよ。一応、仕事は出来る奴だぜ……だが、それがどうしたんだよ?」
尋ねる左内に、政吉はため息をついて見せた。
「それなんだがな……ひょっとしたら、下手人を殺せという依頼が来るかも知れないんだよ」
「いい事じゃねえか……仕事があるなら、ありがてえ話だよ」
のんきな表情の左内に、政吉は思わず苦笑した。
「あのな……そんな単純な話じゃねえんだよ。相手は他ん所から来た殺し屋らしいんだ」
「他ん所? 江戸にわざわざ出向いて来たってえのかよ……旅の賞金稼ぎって訳か」
左内の態度が変化した。眉間に皺を寄せ、険しい表情になる。
「ああ、そうらしい。ご苦労様な話だよ……わざわざ江戸まで、熊次と寅三を殺すために来たんだからな。ま、今頃は引き上げちまってるだろうけどよ……おい、どうかしたのか?」
尋ねる政吉。左内の表情が、先ほどまでとは明らかに変わっている。
「政吉……その仕事、引き受けるのか?」
「まだ分からねえよ。ただな、鳶辰の仕事を断ると後が面倒だからな。それに金もいい。よほどの事がねえ限り、引き受けるつもりだよ」
「そうか……」
左内の顔つきは、また変化する。今度は暗い表情が浮かんでいた……。
・・・
その頃。
神谷右近たちの仮住まいであるあばら家に、一人の男が訪ねて行った。町人風の身なりと温厚そうな顔立ちからして、こんな場所に足を踏み入れるようには見えない。
しかし、男はあばら家の前で立ち止まる。そして声をかけた。
「神谷さん……吉造です。入らせてもらいますよ」
あばら家の中、吉造と右近は向き合っていた。右近の傍らには、銀次郎とはなが控えている。
「神谷さん……お約束の二十両です。こんな安い金額で引き受けてもらえるとは、ありがたい話ですよ」
言いながら、小判の束を差し出す吉造。右近は頷き、小判を手に取る。
「ところで……実は急遽、もう一人殺ってもらいたい奴が居るんですが、どうでしょうかね?」
吉造の言葉を聞き、右近は頷いた。
「構わん。これが俺の仕事だ。依頼とあれば何人でも殺す」
「それは良かった。実は、この江戸で殺して欲しい者が居るんですよ」
その翌日、右近たちが潜むあばら家に、またしても来客が現れた。
「神谷さん、私です。中村です。ちょっとお話があるのですが……」
ややあって、銀次郎が顔を出す。
「中村さん、入っておくんなせえ……神谷さんは会うと仰ってます」
そして左内と右近は向き合った。先日の雰囲気とはまるで違う、殺伐とした空気が漂っている。
「神谷さん、私は妙な噂を耳にしました。旅の賞金稼ぎに、江戸の裏稼業の人間が殺られたとか。熊次と寅三という名の兄弟です」
「そうか。物騒な話だな……」
静かな口調で、言葉を返す右近。その表情は全く変わらない。しかし……傍らにいるはなは、明らかに動揺していた。一方、銀次郎の表情は険しい。何かあったら、すぐにでも動きそうな様子だ。
「私はね、もう一つ噂を耳にしてるんですよ。その熊次と寅三の仇を討とうと目論む連中がいるらしいんですね。まあ、何処の何者かは知りませんが……わざわざ江戸まで人を殺すためにやって来て、挙げ句に命を狙われるとは、なんとも馬鹿な賞金稼ぎですね」
左内は冷たい表情で、淡々と語る。すると、銀次郎が立ち上がった。
「中村さん、何が言いてえんだ――」
「待て、銀次郎」
片手を挙げて、制する右近。そして、左内を睨みつける。
「中村……この俺を見ろ。俺の体をどう思う?」
「それは……」
動揺する左内。彼は、思わず目線を逸らした……だが、右近はなおも言葉を続ける。
「俺の体を見ろ……俺は一人では生きていけん体だ。かつては南町の虎と言われた俺が、一人では用を足す事も出来ん……」
吐き捨てるように言った右近。その表情には、底知れぬ怨念があった。世の中の全てのものに対する怒り、憎しみ、そして絶望……その淵から、彼は這い上がって来たのだ。
沈黙があばら家を支配する……皆、思い思いの表情で黙りこんでいた。だが、どこからか虫の羽音が聞こえてくる。
そして、一匹の雀蜂が入り込んで来た。
思わず顔をしかめる左内……すると、右近は腕を振った。
直後、奇妙な破裂音とともに床に転がる雀蜂。
右近は再度、腕を……いや、鞭を振るった。すると、雀蜂の死骸は庭に弾き飛ばされる。
「見事なものですな」
呟くように言った左内。すると、右近は庭を見つめる。
「俺は今まで、必死で腕を磨いてきた……悪人どもを狩るためにな。今の俺は悪人どもを狩らなければ、ただの生ける屍だ」
その言葉を聞き、表情を曇らせる左内。彼は立ち上がった。
「そうですか……分かりました。ただ、一つだけ言わせてもらいます。あなたのその思いは、どこから来るのでしょうね……一度は死んだはずの、過去の自分を未だに追い求めているからなんじゃないですか」
「何だと……」
「あなたは、生き方を変えるべきでした。どんな体になろうとも、それに合った生き方はあったはずです。なのに、あなたは過去の自分にしがみ付き、生き方を変えようとしなかった。あなたは、本当に不器用な人ですね」
淡々とした口調で語る左内。その瞳には、深い哀しみがある……。
しかし、その哀しみが右近を苛立たせたらしい。彼は凄まじい形相になった。
「貴様に何が分かる……俺の苦しみが、貴様ごときに理解できるか!」
「ええ……私みたいな南町の昼行灯には、あなたの苦しみは理解できません。でも、これだけは言えます。住んでいる村が土砂崩れにあったら、どんな住み慣れた場所でも離れます。嫌でも旅に出るでしょう。しかし、あなたは土砂崩れに遭ったというのに、懸命に生まれ故郷にしがみついている……私には、そう見えます。それが正しいかどうかは、私にはわかりません。ただ、あなたの選択が何をもたらすかは……私なんぞが言わなくても分かるでしょう。では、失礼します」
そう言って、左内は頭を下げた。




