闇に裁いて、仕掛します(二)
翌日、政吉と中村左内は別々に動いていた。
まずは左内が、お咲の住んでいる長屋を訪れる。そして、お咲と母親のお歌から話を聞いてみた。
すると、以下の事が判明したのである。
竹造の女房である、お歌の話によれば……竹造は大工の仕事をしている時、商人のような身なりをした見知らぬ男にいきなり声をかけられた。そして、こう言われたのだという。
「あんたの腕を見込んで、特別な仕事を頼みたい。一月ほどの仕事になるが、三十両の給金を出す。まずは、手付金として十両払う。やってくれるね?」
当然ながら、竹造は不審に思った。それまで会ったこともなかった男に、いきなり三十両もの仕事を頼まれる……どう考えても不自然な話だ。
しかし竹造は、目の前に積まれた十枚の小判には逆らえなかった……貧乏暮らしの長い彼にとって、十両の魅力的なものだった。
竹造は、手付金として貰った十両をお歌にそっくり渡し、翌日は仕事道具を手に長屋を出て行った。それが一週間ほど前の話だ。
そして……娘の話を信じるならば、竹造は善八の身代わりとなって首を斬られたのである。
その話を聞いた左内は、やりきれない気分になってきた……自分ならば、そんな話には絶対に乗らない。裏がある、と思うのが普通だ。
しかし、竹造は乗ってしまった。騙された方が馬鹿なのだ、と口で言うのは容易い。そして目の前に積まれた十両の金も、貧乏人の判断力を狂わせるのは容易い。左内はこれまで、金に人生を狂わされた者を大勢見てきたのだ。竹造の行動を責める気にはなれなかった。
まして、女房のお歌は病弱である。お咲という年頃の娘もいる。女房に精の付く物を食べさせ、娘に綺麗な着物やかんざしなど買ってやりたい……その願い自体は、決して間違ったものではない。
だが、そのために命を落としたのだとすれば……その選択は完全な間違いであろう。
「命を売って、晒し首か……竹造さんよう、そいつは割に合わねえぜ」
長屋を出た後、左内は一人呟いた。
・・・
その頃、政吉は町外れの茶屋にいた。客は、彼の他に一人しかいない。団子に舌鼓を打っている、恰幅のいい中年男だ。一見すると、気のいい下町の職人か、もしくは小さな定食屋の親父のように映る。
だが、この男こそが弁天の正五郎なのだ。裏の世界では、鳶辰に次ぐ有名人である。鳶辰ほど派手な活動はしていないが、その落ち着いた人柄と筋の通ったやり方は、多くの人間に支持されていた。
「政吉さん、いつぞやは世話になったね。で、俺に何の用だい?」
正五郎の問いに、政吉は眉間に皺を寄せながら口を開く。
「実は、正五郎さんに聞きたいことがあるんです。赤兔馬組って盗賊をご存知ですか?」
「ああ、知ってるよ。頭の善八が、こないだ打ち首にされたそうだな」
「その善八なんですが……本当に、死んだんでしょうか?」
政吉の問いに、正五郎は訝しげな表情になった。
「……そのはずだがね。晒し首になっていたくらいだからな」
「ここだけの話ですがね……実は、打ち首になったのは別人かもしれないんですよ」
「何だと……」
正五郎の顔つきが変わった。
「正五郎さん、無実の男が善八の身代わりに殺されたかもしれないんです……こいつは、いくら何でも酷すぎますよ。善八の立ち寄りそうな場所に、心当たりはないですか?」
「ないこともない。だがね政吉さん、もし、その話が本当なら……あんたは奉行所の大物を敵に廻すことになるかもしれないよ。その覚悟はあるのかい?」
「上等でさぁ……やってやりますよ」
そう言って、政吉は不敵な笑みを浮かべて見せた。
それから数日たった、ある日のこと。
左内はお咲を連れて、町中を歩いていた。やがて、二人はとある場所で立ち止まる。
それは、出会い茶屋だった……。
「えっ、ここは?」
あからさまな警戒の色を見せるお咲……だが、左内は笑いながら首を振った。
「勘違いするな。お前を手込めにしようって訳じゃねえんだよ。ただ、お前に協力して欲しいのさ」
「きょ、協力ですか?」
「ああ。この店の前にある絵草紙屋だが……そこから、一人の男が出て来る。お前には、そいつが竹造に似ているかどうかを見て欲しいんだ」
「えっ?」
驚愕の表情で、左内を見るお咲……それに対し、左内は頷いて見せた。
「ああ……俺が調べてみたんだが、あの絵草紙屋に竹造にそっくりの男がいるらしいんだよ。だから、お前に見て確かめてもらいてえんだよ……そいつが竹造なのか、はたまた別人なのかを」
「……」
左内のその言葉を聞いたお咲は、黙ったまま下を向いた。何やら考えこんでいる様子だ。
しかし、顔を上げて頷いた。
「わかりました」
「そうか。もうじき、あの絵草紙屋から出てくるはずだ。まずは二階の部屋に行こう。そこから見張るとしようや」
二人は出会い茶屋に入って行き、二階に上がった。そして窓から、じっと絵草紙屋を見張る。
「ところでお咲、お袋さんの体調はどうだよ?」
「あまり良くないです……おとうが居なくなってから、ますます体が悪くなっていって……」
そう言って、お咲はうつむく。
左内は、何と言えばいいのかわからなかった。目を逸らし、窓から絵草紙屋を見る。
その時、絵草紙屋の前で誰かが騒ぎ始めた。
「おいおい、こいつはどうなってんだよ!」
怒鳴っている男……それは政吉だった。絵草紙屋の前で、並べられている本を手に取り、怒鳴りちらしている。
苦笑する左内……その時、店の中から中年の男が出てきた。
左内の表情が一変し、お咲の方を向く。
「お咲、あいつだ。あいつを見てくれ」
その声を聞いたお咲は、恐る恐る窓に近づく。そして、店の前で言い合っている二人の男を見た。
そのとたんに、表情が一変した。
「似てます……似てますが……あれは、おとうじゃないです」
「何でわかるんだ?」
「おとうは、額にでかい傷があるんです……仕事中に道具が落ちてきて付いた傷が……死ぬところだったって言ってました……あの人には、その傷がありません……」
お咲は、声を震わせながら答えた。
その言葉を聞き、左内は下の様子を眺める。大きな声で因縁を付ける政吉――無論、左内の仕込みであるが――に対し、のらりくらりと躱す中年男。その額には傷などない。左内は眉間に皺を寄せた。
「なあ……もしかして、獄門台に晒されていた首の額には傷があったのか?」
「はい……晒されていた首には、その傷があったんです」
「そうか。じゃあ、あいつは竹造に似てはいるが、本人ではないんだな。となると、黒幕は誰かな……」
左内の表情が、険しさを増した。
その数日後、左内と政吉はひとけのない河原に向かい歩いていた。橋の下で、二人は立ち止まる。
「で、中村さんよう……黒幕は誰だったんだ?」
政吉の言葉に、左内は口元を歪めた。
「それがな……奉行所の牧田備中守だったんだよ。牧田が善八の隠し財産に目を付け、善八の担当だった与力の的山や赤兔馬組の残党と組んだのさ」
「何だいそりゃあ……さすがはお役人様だよ、やる事がえげつないな」
呆れた口調で、政吉は言った。
だが左内は話を続ける。
「そして赤兔馬組の手下が竹造を見つけ、的山が身代わりとして牢に送り込んだって訳だ。恐らく、酒か阿片で意識を朦朧とさせて、牢に放り込んだんだろう。目が覚めたら、打ち首とは何とも恐ろしい話さ。まさか、奉行所がここまでやるとはよ……」
そう言いながら、左内は地面に腰を下ろした。
「なあ政吉、おめえの言う通りだよ。こいつは、酷すぎる話さ……こんなのがまかり通るようじゃあ、この世は真っ暗闇だぜ」
苛立たしそうな表情で言った後、左内は石を拾い川に投げつけた。
そして口を開く。
「政吉……俺は昔、佐渡にいたんだよ」
「佐渡? てえと、もしかして金山かよ?」
「ああ、佐渡の金山さ。俺は昔、あそこで見張りをしてたのさ。きつい所だったが、ある意味じゃあ楽でもあったよ」
いつになく神妙な顔で語る左内。
「楽? 佐渡の金山は地獄だって噂だぜ」
「ああ、人足にとっちゃあ地獄かもしれねえ。実際、俺も辛かったよ。でもな、あそこでは白黒はっきりしてた。ところが、この江戸じゃあ全てが灰色だ。金次第でどうにでもなる。だが俺は、心のどっかで信じてたんだよ……正しい行いは報われ、悪い行いは罰を受けるってな。俺がいちいち裁かなくても、天が裁いてくれるんじゃねえかって」
そこまで言った後、左内は空を見上げる。その顔には、どこか苦々しい表情が浮かんでいた。
一方、政吉は面食らっていた。あの昼行灯の左内の中に、こんな思いが燻っていたとは……。
「で結局、お前は何が言いたいんだよ?」
しんみりした空気を変えるべく、政吉はわざと乱暴な口調で尋ねた。
「天の裁きは待ってはおれぬ、この世の正義も当てにはならぬ、闇に裁いて仕置きする……俺は今、そんな気分さ。とにかく、俺は殺るぜ。的山、牧野、そして善八と赤兔馬組の残党……まとめて地獄に送ってやろうじゃねえか。政吉、お前こそどうするんだ? 奉行所の大物が相手だから、怖じ気づいた訳じゃねえよなあ?」
じろりと睨む左内……政吉は目線を逸らした。
「言っておくがな、俺たちは只働きはしねえ。銭はあるのか?」
「銭か……お咲から預かった金は、五両しかねえ。それで引き受けてくれるのかよ?」
「五両かよ……ま、一応は奴らに聞いてみる。だがな、最悪の場合は俺とお前の二人で殺ることになるぜ。さすがに、その金額じゃ奴らも降りるだろうな」
政吉の言葉に、顔をしかめる左内。
「お前と二人きりか……そいつは厳しいな。だったら、俺も銭を出す。全部で二十両だ」
「えっ……お前、正気なのか? 頭やられたんじゃねぇだろうな?」
さすがの政吉も、この言葉は予想していなかった。唖然とした表情で左内を見つめる……。
左内は苦笑した。
「仕方ねえだろうが。この件だけは、確実に始末を着けたいんだ。しかし、俺とお前の二人だけじゃ厳しい……他の連中にも手伝ってもらわねえとな」
そう言うと、左内は懐から紙に包まれた小判を取り出す。
そして政吉に手渡した。
「……わかった。ただし、一つ言っておく。うちにいる奴らは皆、役人を嫌ってる。お前が仲間入りする以上、ただでは済まねえぞ。覚悟しとけ」
その夜、政吉は皆を集めた。しかし……。
「おうおう政吉さんよう、こいつは何なんだよ!」
左内を睨みながら、怒鳴りつける龍。傍らにいる多助も、渋い表情である。いつもは温和な表情の以蔵ですら、苦虫を噛み潰したような様子で立ち尽くしている。
「龍、お前が怒るのももっともだ。しかしな……今回の仕事は、この八丁堀の旦那が持ってきたんだよ。それにだ、役人を仲間に入れておけば、かなり役にたつぜ」
政吉が言葉をかけるが、龍の表情は変わらない。殺気のこもった目付きで、じっと左内を睨みつけている……。
「で……そこにいる八丁堀の旦那さまを、あっしらはどうやって信用すればいいんですかね?」
言ったのは多助だ。彼は左内とは顔見知りである。普段は町で会えば、向こうから声をかけてくるような間柄なのだ。
しかし、それとこれとは話が別である。裏の仕事が絡めば、場合によっては親兄弟でも殺さなくてはならないのだから。
多助の言葉に対し、左内はゆっくりと皆の顔を見回した。
そして口を開く。
「俺は、お前らを裏切るつもりはない。言うことはそれだけだ」
「その言葉を信じろ、と言うのかい? それは無理があるんじゃないかな」
以蔵が、煙管を手に口を挟んだ。彼にしては珍しく、不快そうな表情だ。
すると、左内はため息をついた。
「これ以上、俺の口からぐだぐだ言うつもりはねえ。俺の言葉を、信じるか信じないか……それはお前ら次第だ。もし、どうしても俺を信用できないなら、この場で俺を殺すんだな。ただし、俺も簡単には殺られないぞ」
言いながら、左内は皆の顔を見回す。その顔からは、普段の昼行灯の雰囲気が消え失せている。殺気のこもった目で、彼は刀の柄に手をかけた。
その途端、龍が勢いよく立ち上がる。
「上等じゃねえか! 俺が――」
「やめろ龍……俺たちが殺り合ってる場合じゃねえんだよ。無実の大工が、奉行所の役人の差し金で打ち首にされた……おめえは、この件を放っておくつもりなのかよ?」
政吉の言葉を聞き、龍の動きが止まった。顔を歪めて下を向く。
「いいか、みんな……今回は俺の顔を立ててくれ。この仕掛には、ここにいる八丁堀の旦那の協力が必要なんだよ。しかも、こいつは身銭を切って俺たちに依頼してる……だったら、信じてやってもいいんじゃねえのかい」
そう言った後、政吉は皆の顔を見回す。
各々が複雑な思いを抱えながらも、政吉に向かって頷いた。




