石が流れて、木の葉が沈みます(一)
「へへへ……龍さん、あんたみたいに弁慶なみの体したお人でも、人並みに肩が凝るんですなあ。あんたは肩凝りなんぞには、絶対ならないだろうと思ってたんですがねえ……」
言いながら、多助は龍の肩を揉みしだいていく。すると、龍はうめき声を上げた。
「馬鹿野郎……誰が弁慶だよ。それになあ、こいつは只の肩凝りじゃあねえんだよ」
「ほう、肩凝りじゃねえ……すると何ですかい?」
「こいつはな、今まで殺した連中の恨みだよ。今まで大勢殺してきたからな……そいつらの恨みが全部、この両肩にのしかかっているんだよ」
時折うめき声を混ぜながら、龍はそんな台詞を吐いた。
二人は今、剣呑長屋にいる。多助は龍に依頼され、肩周りを揉んで凝りを散らしているのだ。
多助は苦笑しながら、揉み療治を続ける。
「そんなもんですかねえ……ま、殺した方も殺された方も、いずれは地獄で面を付き合わせるんですぜ。そん時に頭下げて、すみませんでした……と言えば、済む話なんじゃないですかねえ」
言いながら、多助は龍の肩周りを揉んでいく。分厚い筋肉に覆われているため、多助の額にも汗が滲む。
「いやあ、大変だねえ……龍さん、何食ったらこんな体になるんだい?」
「知るか。ただ、島にいた時は兎や猪の肉を食ってたからな。腹が減ったら獣を殺して肉を食って、武術の練習してたら……知らないうちに、腕や足が太くなってたんだよ」
「へえ、獣の肉ですか」
そう、龍は島にいた時……田畑を荒らす動物を殺して食べていた。穀物より、動物の肉を食べる機会の方が圧倒的に多かったのだ。無論、本人は意識して獣の肉を食べていたわけではない。そうせざるを得なかっただけだ。
島の楽しみと言えば、食べることくらいしかなかった。
「ところで多助さんよう、あんたに聞きたいことがあるんだが……あんた、本当は目が視えてるんじゃねえのか?」
龍の言葉を聞いたとたん、多助の手が止まった。
「何を言い出すのかと思えば――」
「俺の勘違いなのか? なあ多助さん、俺は誰にも言わねえよ。だから、俺には本当のところを教えてくれねえか」
「……」
多助は黙り込む。しかし、それは僅かな間だった。すぐに按摩を続ける。
「龍さん、あんたには敵わねえな……いかにも、あっしの目は視えてます」
「やっぱりな……何だって、めくらのふりなんかしてんだ?」
龍の問いに、多助の手が止まった。龍は慌てて言い添える。
「あ、いや……言いたくなけりゃあ、言わなくていいぜ――」
「あっしはね、人を殺して追われてる身なんですよ……多助ってのも、あっしの本当の名じゃないんです。あっしの友だちだった座頭がいましてね……そいつの名が多助でした。流行り病で死んじまいましたがね。あっしは、そいつに成り代わって生きてる訳でさぁ」
そう言うと、多助は按摩を続ける。
「そうかい……なあ、お松さんはその事を知っているのか? お前の目が視えてることをさ」
「いいや、まだ知らないですよ」
「何で言わないんだ?」
龍の問いに、多助は手を止める。
ややあって、ためらいながら口を開いた。
「お松が何で、顔に手拭いを巻いてるかって言いますとね……あいつは子供の時に、月ノ輪熊に襲われて顔に怪我をさせられたんですよ。それ以来、人前で面を晒せなくなっちまったんでさぁ。だからあいつは、顔に手拭いを巻いてるんです」
「え……」
今度は、龍が口ごもる番だった。お松と顔を合わせたのは二度ほどしかないが、どちらも顔を隠していたのを覚えている。龍は漠然と、素顔を晒さないのは正体を知らせないため……と思っていたのだ。
まさか、そんな理由があったとは……。
「龍さん……お松は面の怪我のせいで、どこ行っても化け物呼ばわりされてきたんでさぁ。だから、あっしはめくらでなきゃいけないんです。あいつは、自分の醜い面を気にしてる……だけど、あっしはあいつの面を視れない。視れないから、お松は安心して自分の面を晒せんでさぁ……」
言いながら、多助は龍の分厚い筋肉を揉みしだいていく。
「龍さん……あっしがめくらだから、お松は面のことを気にせずにいられるんですよ。お松には、余計な気は使わせたくないんでさぁ……だから、この事はみんなには内緒で頼みます」
「別に構わねえよ。んな事、誰かに喋ったところで一文の得にもなりゃしねえからな……で、お松さんにはずっと隠し通すつもりなのか?」
「いや、いくら何でもそいつぁ無理ですからね……いつかは、自分の口から言いますよ」
・・・
町外れの野原を、行商人風の男が歩いている。大きな荷物を背負い、辺りを見回しながら慎重に進んでいた。
そのすぐ後ろからは、大柄な坊主頭の二人組が付いて行く。僧侶のような服装と編み傘、そして手に持った六尺棒が特徴的だ。
三人は野原を歩き、やがて一軒の小屋の前で立ち止まる。
行商人風の男が一人で前に進み出て、小屋の戸を叩いた。
「俺だ……栗栖だよ。ちょっと開けてくれないか…」
ややあって、小屋の戸が開く。そして中から、作務衣を着た不気味な風貌の男が出て来た。背は高いが体は痩せており、鋭い目付きをしている。だが、何より目立つのは……着ている作務衣が血まみれであることだった。
「栗栖さんか……どうぞ入ってください。先生がお待ちです」
栗栖が小屋の中に入って行くと……そこには、凄惨な光景が広がっていた。
薄明かりの下、全裸の男が横たわっている。だが、その男の両手両足は切断されていた。さらに、体のあちこちが切り刻まれ……内臓が剥き出しになっているのだ。辺りには大量の血が流れ、男の漏らしたらしい糞尿の匂いがたちこめている。
その男……いや、死体の周囲を三人の男が取り囲んでいる。胸の悪くなるような臭い匂いをものともせずに、真剣な表情で死体を見つめていた。
「やあ栗栖さん。今日もご苦労様だね」
一人の男が顔を上げ、血や肉片らしきものの付着した顔で笑みを浮かべる。栗栖は軽く頭を下げると、懐から紙の包みを取り出す。
「佐島さん、どうぞ……」
言いながら、栗栖は包みを差し出した。
佐島と呼ばれた男は受け取り、中身を確かめる。
それは、阿片だった。
「いつも助かるよ、栗栖さん。それにしても、あんたの阿片はいいものだねえ。お陰で助かるよ」
佐島の言葉に、栗栖は手を振った。
「いえいえ、とんでもないです。佐島さんには、これからも研究に励んでもらわないと……日本の夜明けのためにも、頑張ってください。微力ながら、私も応援させていただきますよ」
「いやあ、実にありがたい言葉だ。我々の数少ない協力者である栗栖さんに対し、こんな形でしか報いることが出来ないのが残念でならないよ」
そう言うと、佐島は数枚の小判を手渡す。栗栖は頭を下げ、その金を受け取った。
「いえいえ……ところで、この男は一体どうしたんです?」
言いながら、栗栖は床の死体を指差す。すると、佐島は顔をしかめた。
「うむ、阿片を使わず、両手と両足を切断してみたのだがな……途中で心の臓が止まってしまった。やはり、阿片なしで体を切るのは難しいな」
「そうですか……やはり、阿片は必要ですか」
「ああ、今のところはな。だが、阿片は副作用が強すぎる。いつかは、違う薬を用いたいものだ……だがな栗栖、私は阿片なしでの手足の切断は不可能に近い、という事実がはっきりと理解できたのだ。これは大きな進歩だぞ。試してみなくては分からなかった事だ。この男の尊い犠牲は、無駄にならなかった」
そう言う佐島の目は輝いていた。危ういまでの、強い光だ……だが、栗栖には彼の気持ちが理解できた。
「そうですね……俺も昔は、死体を盗んで切り開きました。しかし、生きている人間と死体では、雲泥の差がありますからね」
「その通りだよ……近頃の医者は、医は仁術などという形だけの言葉を弄して、その頭にあるのは金勘定ばかり……本気で日本の医術の夜明けを考えている者など、今ではほとんどいない有り様だ」
佐島の表情が険しくなった。彼は視線を落とし、男の死体を指差す。
「死体の腑分けだけで、生きた人間を治すことなど出来ん。生きた人間の病や怪我を治すには、このような生きた人間を何体も切らなくてはならないのだ。栗栖、これからも協力を頼んだぞ」
「わかりました」
・・・
翌日、以蔵はいつも通りに店にいた。客は三人来ているが、しかし政吉はいない。何をやっているのかは不明だ……恐らくは博打か、あるいは他の遊びか。
だが、そこに新たな客が現れた。行商人のような風体の男だ。しかし、その顔には見覚えがある。いや、見覚えなどと言う生易しいものではない。
以蔵は、その行商人風の男に近づいた。
「栗栖……一体、どうしたんだ?」
注文を聞く振りをして、小声で尋ねる以蔵。すると、栗栖も小声で囁いた。
「糸井、いや以蔵……すまんが、後で話がある。店が終わったら、ちょっと時間を作ってくれ」
その日の夜、以蔵と栗栖は並んで歩いていた。この栗栖という男、かつては以蔵と共に蘭学を学んでいたのだ。しかし地元の役人に追われる羽目になり、名前を変えて江戸に流れて来た……そして今では、阿片の密売を生業としている。
二人の顔つきは対照的である。栗栖はにこやかで、いかにも嬉しそうだ。一方、以蔵の表情は堅い。
「なあ以蔵……お前に会ってもらいたい人がいる」
不意に、栗栖が口を開いた。
「会ってもらいたい人? いったい誰だ?」
「佐島章軒という名の医者だ。その知識の深さや持てる技術は、今の江戸には並ぶ者がないであろう」
栗栖は熱く語る。その瞳には、未だに消えぬ情熱があった。かつて蘭学に打ち込んだ、あの頃と同じものが……。
「ほう、そんな凄い人がいるとは知らなかったな。だがな栗栖……その佐島さんは、私やお前の経歴を知っているのか?」
以蔵が尋ねると、栗栖は笑みを浮かべて頷いた。
「当たり前だ。それだけじゃない。俺はあの人に、阿片を売っているんだ」
「阿片だと……」
以蔵の足が止まった。驚愕の表情で栗栖の顔を見つめる。
しかし、栗栖は平然としていた。
「お前も知っての通り、阿片には人の痛みを麻痺させる効果がある。俺の作った阿片を使い、佐島さんは医術の研究をしているのだ……これは、素晴らしい事だぞ。日本の医術の夜明けを、佐島さんがもたらすかもしれん」
「……」
以蔵は下を向いた。確かに、阿片にはそういった作用もある。だが、それと同じくらい危険な副作用もあるのだ。蘭学書には、阿片の吸いすぎで廃人になってしまった者たちの実例が多く載せられていた。
だが、その時……以蔵はある事実に気づく。
医術に阿片が必要ということは……。
生きた人間の体を切り開いているということか?
「栗栖……その佐島さんという人は、人間の体を生きたままで切り開いているのか?」
語気鋭く尋ねる以蔵。だが、栗栖はすました顔だ。
「当たり前だ。生きた人間の体を知らずして、生きた人間の治療など出来ぬ。これは当然の事だろう」
「ちょっと待て。その体を切り開かれた人間は、病人なのか?」
「いや違う。無宿者や河原乞食などだ。そいつらを連れてきて阿片を吸わせ、切り開いている――」
「お前、何を考えている……人間を生きたまま切り刻むなど、悪鬼の所業ではないか!」
そう言って、栗栖の襟首を掴む以蔵……だが、栗栖は怯まない。
「悪鬼の所業、だと……お前こそ、この行為の大切さが理解できているのか? 俺は今まで、たくさんの死体を切り開いてきた。だがな、生きている人間はまるで違う。死体の腑分けなどとは比べ物にならん。この日本の医術の進歩と発展のためには、誰かが手を付けなくてはならんのだ。お前とて、分かるはずだ」
「そ、それは……」 以蔵にはそれ以上、何も言えなかった……栗栖の言っていることは間違いではない。日本の医術は、西洋のそれに比べれば遥かに遅れている。意味不明な民間療法が幅を利かせ、さらには訳のわからない呪い師のような者に、大金を積んで病の治療を依頼する者までいる始末だ。
無知ゆえに、失われる命……かつて以蔵も栗栖も、それを嫌というほど見てきたのだ。
「なあ以蔵、一度でいい。佐島さんと会ってくれ。会って、あの人のやっている事を、その目で見て判断してくれ。俺は今、阿片を作らなくてはならん。そのため、あの人の手伝いはあまり出来ないが……お前なら、手伝いが出来るはずだ。佐島さんを助けてあげてくれ」




