仕事に生きるは、くたびれます(二)
その日、上手蕎麦には珍しく政吉の姿があった。というのも、ここしばらくは博打場が立たないのだ。
彼が顔なじみの博徒から聞いた話によると……最近、立て続けに博打場の手入れがあり、当分の間は場が立たないとの知らせが回ったらしい。いくら博打好きな政吉でも、場が立たないのではどうにもしようがない。彼は仕方なく店にいて、蕎麦打ちに精を出していたのだ。
やがて、行商人風の男が店に姿を見せる。頭に笠を被って背中に荷物を背負い、足袋を履いた姿だ。しかし、その目は油断なく辺りを窺っている。
男は、ざる蕎麦を注文した。そして蕎麦を運んで来た以蔵に向かい、低い声で囁くように言葉をかける。
「やはりな……お前、糸井であろう?」
その声を聞いた瞬間、以蔵の表情も変わった。眉間に皺を寄せ、相手の顔を覗き込む。
だが、その顔に複雑な表情が浮かんだ。
「須貝……」
そして夜になると、以蔵は行商人風の男と並んで歩いていた。
「元気だったか、糸井」
男の言葉に、以蔵は苦笑する。
「その名前は捨てた。今の名は、以蔵だ」
「そうか……俺も今は、栗栖と名乗っているのだ。お互い、追われる身では仕方ないな」
そう……以蔵は若かりし頃、この男と共に蘭学を学んでいた時期があった。もっとも、今は二人とも追われる身であるが。
「ところで糸井……いや以蔵、お前はあの蕎麦屋で働いているのだな?」
栗栖の問いに、以蔵は頷く。
「ああ、そうだよ。あそこの主人の政吉さんは、私の身元をいちいち詮索したりしない人だからね。まあ、どうにか細々と生活しているよ」
以蔵は曖昧な答えを返した。目の前の須貝……いや、栗栖には自分の正体を知られるわけにはいかない。
「そうか……なあ以蔵、俺の仕事を手伝う気はないのか? 金にはなるぞ」
「仕事? いったい、何をすればいいんだい?」
以蔵が尋ねると、栗栖はさりげない仕草で周りを見回した。
そして、以蔵の耳元に顔を近づける。
「阿片を造るんだよ。お前のように、知識のあって信用の置ける人間に手伝ってもらいたいんだ」
「……」
以蔵は驚きのあまり、何も言えずに黙り込んだ……この栗栖、もともとは蘭方医になるため勉学に励んでいたのだ。
やがて本による勉強にあきたらなくなり、墓場から死体を掘り起こして片っ端から切り開いたり、薬を調合したりしていた。以蔵と二人で、無縁仏となった死体を盗んだこともしばしばである。
そんな栗栖が、蘭学の知識を阿片造りに活かすとは……以蔵は二の句が継げなかった。
「以蔵……ここだけの話だがな、俺は質の良い阿片を造ることが出来る。さらには、造った阿片を売り捌いてくれる連中も、既に見つけているのだ」
栗栖はいったん言葉を止める。そして、真剣な表情になった。
「なあ以蔵、俺の仕事を手伝ってくれんか? 俺たちは、この国の未来のために蘭学を学んだ……日本の未来のために、だ。なのにお上は、俺たちを咎人として追った。こんな国の法など、守る必要は無いだろう……そうは思わんか?」
「……すまないが、ちょっと考えさせてくれ」
栗栖と別れた後、以蔵は一人で空を見上げた。
糸井満……それが、以蔵の本名だ。栗栖こと須貝貢と共に、私塾で蘭学を学んでいたのだ。
あの当時は、他にも大勢の門下生たちがいた。お互いを競争相手と見なして切磋琢磨していたのだ。
そんな門下生たちの中でも、栗栖と以蔵は妙に気が合った。二人で共に勉学に励み、研究や実験に勤しんだ。
しかし、二人はやり過ぎた。
やがて、無縁仏となった死体を盗んでいたことや、薬を無断で作り病人たちに配っていたことが役人にばれてしまった。
そして、二人は役人に追われて逃げ出したのだ。
当時、以蔵たちには使命感があった。これからの日本には、蘭学が必要だ。医学、工業、そして武力……伝え聞くだけでも、西欧諸国は日本よりも遥かに進んでいるという。近い将来、そんな国々が日本に侵略して来ないとは言い切れないのだ。だからこそ、もっともっと外国について学びたい。そして日本という国の進歩そして発展に貢献したい……。
その気持ちに嘘はない。しかし、他の気持ちがあったのも確かだ。
それは、自分の能力を他の者たちに認めさせたい……という思いである。以蔵も栗栖も、他の門下生たちには負けたくないという気持ちがあった。
それ故に、二人は墓から死体を持ち出して解剖したり、薬品を調合して病人に飲ませたりしていた。
結局のところ、己れのためにやっていたのだ。病人に渡していた薬も善意からではない。結局は人体実験のようなものだった。幸いなことに、死者は出なかったが……。
そんな以蔵も、今では裏稼業にどっぷり浸かっている。人の命を奪い、金を貰うという稼業に。一方、栗栖は阿片の密売人になっていた。人間を堕落させ、最終的には廃人に変えてしまう薬の密売人に。
自分と栗栖、果たしてどちらが悪人なのだろうか……。
「以蔵、どうしたんだ?」
店に戻った以蔵に声をかける政吉。以蔵は、力ない表情で口を開く。
「いやね、私はこれまで何をしてきたんだろうか……と思ってね。今まで必死で、蘭学を学んでいたつもりだった。しかし、実は何も学べていなかったのかもしれない。少なくとも、大切なことを見落としていたのは確かだよ」
「あのな、学のない俺にも分かるように言え」
政吉のあっけらかんとした言葉に、以蔵は思わず笑ってしまった。
「うーん、要するに若さと馬鹿さは一字違い、ってことさ」
「何だよ、そりゃあ」
・・・
翌日。
ひとけの無い林の中に、五人の男女が居た。片側に居るのは左馬之介とあぎりだ。彼らは今、三人の男と対峙していた。
その一人は、荷物を背負った行商人風の男だ。
あとの二人は、目付きの鋭い僧侶のような身なりの男たちである。どちらも肩幅が広くがっちりしており、髯を蓄えている。さらに、その手には槍が握られていた。
「栗栖さん、とかいったね……これからは、あんたが阿片を売ってくれるんだよね?」
あぎりの言葉に、頷く栗栖。
「ああ、そうだ」
「あんたの阿片は、なかなかの味だよ。あれなら、高く売れるだろうね」
そう言って、笑みを浮かべるあぎり。すると、栗栖は背中の荷物を降ろした。
そして、小さな包みを取り出す。
「今回はこれだけだ。いずれは、もっと大量に捌けるようになりたいものだがな……」
言いながら、栗栖は包みを差し出した。すると、あぎりは包みを受けとる。
「任せておきな。こっちには先生がついているんだ。ねえ、先生」
「ああ……俺の出来ることなら、力を貸そう」
左馬之介とあぎりは二人と別れた後、別の場所に向かった。
そこは、森の中に立てられた一軒家である。入り口の前には、怪しげな若い男が二人立っていた。
左馬之介とあぎりが近づくと、鋭い目でじろりと睨みつける。
「何だ、お前ら! ここに何の用だ!?」
凄む若者。だが次の瞬間、あぎりの手が動いた。目にも止まらぬ速さで投げつけられた手裏剣が、若者の足元に突き刺さる。
「調子に乗るんじゃないよ三下が……あたしのことを知らないのかい?」
あぎりの凄みを利かせた声に、さすがの二人も怯んでいる……と中から、その声を聞きつけた者が出て来た。三十代半ばから四十代前半の、岩のような風貌のいかつい男だ。
だが、男はあぎりに頭を下げた。
「あぎりさん、若い者が失礼しました。どうぞこちらに」
そう言いながら、男は二人の若者をいきなり殴りつける。
殴られた若者は、顔をさすりながら頭を下げた。
だが、あぎりは二人のことを見ようともしない。周囲を見回すと、家の中に入って行く。左馬之介も後から続いた。
家の中はかなり広いのだが、家具らしき物はほとんど置かれていない。しかも床は埃だらけだ。食べる物もない。部屋の隅に、杓と水の入った大きな瓶が置かれているくらいである。生活の匂いが、まるで感じられない。
そんな殺風景な場所に、数人の女たちがいた。年齢はまちまちだが、全員がざんばら髪であり、みすぼらしい着物姿だ。皆、どこか気だるそうな表情を浮かべている。
そして女たちは、思い思いの位置で床に寝そべり、煙管をくわえていた。
「あぎりさん、あんたの考えは大したもんだ。うちの女たちにも、息抜きは必要だね。それにゃ、阿片はもってこいだ」
そう言って、男は楽しそうに笑った。すると、あぎりも笑みを浮かべる。
「赤造さん、あんたも一度くらい吸ってみるかい?」
「いや、遠慮しとくよ。商売物に手を付けちゃいけねえからな」
・・・
翌日、政吉と以蔵は二人して蕎麦を打っていた。
だが、その時……以蔵は表を妙な男がうろうろしているのに気づく。
「政吉さん、あいつは何でうろうろしてるんだろうね……」
以蔵がそっと囁く。政吉が顔を上げると、目明かしの源四郎が店の前をうろうろしていた。
恐らくは、仕事の話だろう。
「さあな……ちょいと聞いてくるとするか」
そう言うと、政吉は表に出た。愛想笑いを浮かべながら話しかける。
「これはこれは、源四郎の親分さん……どうなさったんで?」
「どうもこうもねえよ。ったく、近頃は悪さをする奴が多くよう」
言いながら、源四郎は顔を近づけてくる。そして囁いた。
「仕事が来たわ……詳しい話は後で。酉の刻に、満貫神社でね」
酉の刻、政吉は以蔵に店を任せ、満貫神社へと向かった。この小さな神社は古くからあるらしいが、いったい何を祀っているのかは政吉は知らない。彼が知っているのは、ここには滅多に人が寄って来ないことだけだ。
「政ちゃん……」
さっそく源四郎が、そのいかつい顔を寄せて来る。だが、政吉は両手で突き放した。
「おい源の字、それどころじゃねえだろ。仕事だよ仕事」
「……いっつも、そんな態度なんだから。何時か、よそに行っちゃうよ」
拗ねたような表情で言うと、源四郎は周りを見回した。
改めて誰もいないのを確認し、口を開く。
「今度の相手は、首斬り役人の池田左馬之介と、あぎりっていう女……その他におまけが少々」
「何だと?」
政吉の表情が、一気に険しくなる。首斬り役人の左馬之介といえば、腕が立つことで有名だ。これまでに罪人の首を落とし損ねたことはなく、いつも一太刀で切り落としているらしい。また、奥山新影流免許皆伝の腕前でもあると聞いた。
はっきり言って、楽な相手ではない。
「で、幾らだよ?」
政吉が尋ねると、源四郎はにんまりと笑った。
「六両」
「相手は、首斬り役人の池田左馬之介と大道芸人のあぎり……左馬之介の方は言うまでもないが、あぎりの手裏剣の腕も相当なものらしい。そして仕掛料は、たったの六両だ。お前ら、どうするよ?」
そう言って、政吉は龍と多助の顔を見る。しかし、多助は渋い表情だ。
「政吉さん、申し訳ないんですが……あっしは受けられませんね。六両となると、一人あたり一両ちょいですね。首斬り左馬之介が相手じゃ安すぎる。そいつは断った方がいいんじゃねえですかい。とにかく、あっしとお松は降ろさせてもらいますよ」
どこか冷めた口調で、言い放つ多助……その言葉を聞き、龍は憮然とした表情になった。
「多助さんよう、怖じ気づいたのかい? 俺はやるぜ……あんたらと違って、こっちには表稼業がねえんだからな。俺一人で全員殺ってやる。政吉さん、前金を出してくれよ」
そう言って、政吉に手のひらを差し出す龍。だが、政吉は首を振った。
「いや、多助さんたちが降りるんなら、この話はなしだ。断ってくる」
「ちょっと待てよ……どういうことだ? 俺の腕じゃあ信用できねえって訳か? どうなんだよ?」
龍は怒りの表情を露にした。だが、以蔵がさりげなく間に入る。
「まあまあ……龍さん、あんたが命を張るには安すぎる金額だよ。しかも、相手はその二人だけじゃないらしいんだ」
「何だと?」
訝しげな表情の龍に向かい、政吉は口を開いた。
「このあぎりって女の方は、とんでもねえ曲者さ。首斬り左馬之介をたらしこんで用心棒にし、赤造って名のごろつきと組んで阿片窟を開いてやがる。その阿片窟も潰して欲しいってのが向こうさんの要望でな。まあ、全部で五人から六人てなところだ」
「阿片窟だと……」
「そうさ。たった六両じゃあ、そこまで出来ねえよ」
「……」
龍の表情が変化する。さすがに、割りに合わないと感じたのだろう。
それを見た政吉も、表情を和らげる。諭すような口調で言葉を続けた。
「なあ龍……こんな安い金で命を張ることはねえよ。また別の仕事もあるさ。とにかく、無理はしていい。だが、無茶はいけねえよ」
政吉の言葉に、龍は仕方なさそうな様子で頷く。
だが、その横では……以蔵が浮かない顔でじっと下を向いていた。




