江戸は均しく、針地獄の様を呈しています(三)
「政吉さん、あんたは本気なのかい?」
「ええ、もちろん本気ですよ。あっしが、勘兵衛たちを始末します」
そう言って、政吉は鳶辰を見つめる。その目は真剣そのものであった。一方の鳶辰は平然とした様子で、目刺しをつまみに酒を飲んでいた。
政吉は今、鳶辰の屋敷にいる。いきなりの訪問にもかかわらず、鳶辰は政吉を屋敷に上げてくれたのだ。もっとも、政吉の表情から……何の用で来たのかを、察したのかもしれないが。
そして二人きりになった時、政吉はいきなり切り出していったのだ。
「鳶辰さん……前に仰ってた仕事、まだやれますかねえ?」
政吉のその言葉に、鳶辰の目が細くなる。
「どういう意味だい」
「単刀直入に言いましょう…勘兵衛の奴は、あっしが仕留めます」
鳶辰は焼いた目刺しをつまみながら、じっと政吉を見つめる。
だが、不意に立ち上がった。そして部屋の隅にある桐の箱を開け、紙に包まれた小判を取り出す。
「五十両だ。本来なら、全額前渡しはあり得ないんだが……政吉さん、あんたは別だ。信用してるからね」
「へい、ありがとうございます。勘兵衛の奴は、次の寅の日までに必ず仕留めますんで」
その夜、いつもの面子が地下室に集まっていた。以蔵、龍、多助の三人だ。
政吉は机の上に、一両ずつ重ねていく……やがて、五両の山が五つ作られた。
「今回は一人十両だ……相手は蝮の勘兵衛。はっきり言って手強いぞ」
「勘兵衛? 何であいつを――」
龍が何か言いかけたが、政吉は手を挙げて制する。
「待てよ龍……今から、順を追って説明する。込み入った話なんでな。この際、みんなに知っておいてもらおうか」
蝮の勘兵衛……彼は二人の手下、伝七と雲衛門を使い派手に活動している。
そして最近では、裏の世界の大物である鳶辰にまで面と向かって逆らう始末だ……結果、鳶辰は政吉に勘兵衛の始末を依頼した。
だが、政吉は返事を保留する。政吉としては、鳶辰を勘兵衛が牽制している……という形はありがたいものだからだ。
しかし昨日、盲目の按摩が二人殺された。殺ったのは、勘兵衛の手下の伝七であろう。
伝七が狙っているのは……雲衛門の殺しの現場にたまたま通りかかってしまった、多助の命だ。
「つまり……伝七は、あっしを狙っているってことですかい?」
多助の言葉に、政吉は頷いた。
「ああ、多分な。雲衛門の奴は、お前がめくらだから見逃したんだろうが……伝七は見逃せねえって訳さ。もっとも伝七は、根っから殺しが好きな気違いだって噂もあるけどな。いずれにせよ、伝七と雲衛門は多助さんを狙っているんだ。そうなった以上、勘兵衛の野郎は俺たち仕掛屋の敵……だから、奴を殺ることにしたんだよ。ついでに、銭も入ってくるしな」
政吉はいったん言葉を止め、三人の顔を見回す。
「で、どうするんだ……やんのか、やんねえのか。ただし、奴らは手強いぞ。まがりなりにも、裏の世界で飯を食ってきた連中だからな。しかも、今回は勘兵衛と伝七と雲衛門の三人をまとめて片付けることになる。今までみたいな不意打ちは難しいぜ」
「へへへ……そんな事情じゃ、あっしは降りる訳にはいかないですね。皆さん、あっしのためにご迷惑をおかけして、申し訳ありませんね」
そう言うと、多助は手のひらを差し出してきた。すると政吉は、その手に十両を乗せる。
「お前のためだけじゃねえよ。お前に何かあったら、お松さんが店に乗り込んで来るだろうが……いくら俺でも、鉛の弾丸は怖いからな」
政吉は冗談めいた口調で言葉を返した。
「ま、俺は何でもいいよ……とりあえず十両もらえるなら、誰でも殺ってやる」
そう言いながら、小判に手を伸ばしたのは龍だ。彼は五両を掴み取り、懐に入れた。
「で、政吉さん……今回はどんな手でいくんだい?」
五両を手に取り、尋ねる以蔵。すると、政吉は口元に笑みを浮かべた。
「ああ、それだがな……多助さん、それに龍、二人はしばらく一緒に動いてくれよ。以蔵、お前はあちこちで噂を流せ。多助がどこを歩くかを、奴らの耳に入れるんだ」
翌日の夜。多助と龍は、二人で夜道を歩いていた。
その後ろからは、これまで見たこともないような大男が付いて来ている……背丈は七尺(約二百十センチ)近く、目方は三十貫(約百十二キロ)を超えていそうだ。
龍は、その大きさに圧倒されると同時に……そんな大男に、自分たちの後を尾行させる勘兵衛の思考が理解できなかった。あの巨体では、いくらなんでも目立ちすぎる。
「なあ多助……勘兵衛ってのは、よっぽどの阿呆なのかね。あんなでかぶつに後を付けさせるなんざあ、正気とは思えねえよ」
多助の耳元で囁く龍。しかし、多助の表情は堅い。
「そうとも言い切れないですぜ、龍さん。あと二人、付いて来てますよ」
「え、本当かよ」
「はい、間違いないですね……奴ら、そろそろ仕掛けてきそうですね」
「そこの二人、止まれ」
ひとけの無い野原へと足を踏み入れた時、二人の男が姿を現した。一人は逞しい中年男、もう一人はざんばら髪の小柄な男だ。中年男は長脇差しを構え、小男は長い錐を持っている。
だが、多助も龍も平然としていた。
「へへ……ようやく来なさったかい、勘兵衛さんに伝七さん。そうそう、雲衛門さんとか言ったっけ、そこの大きな人は」
多助の言葉を聞き、伝七は血相を変えた。
「めくら野郎……何で勘兵衛さんや、雲衛門のことを知ってやがるんだ?」
「そりゃあ、俺が教えたからさ。勘兵衛さんよう、俺のこと覚えているかい……辰巳屋で顔を合わせてるんだが」
言ったのは龍だ。不敵な表情で、勘兵衛たちを見つめる……だが内心では、異様なまでの鼓動の高鳴りを感じていた。完全に挟み撃ちの態勢である。明らかにこちらが不利だ。
「そうかい……だったらなおさら、生かして帰せねえなあ。雲衛門と伝七、お前らは二人で用心棒を始末しろ。俺はめくらを殺る」
勘兵衛の声。と同時に、雲衛門が突進して来た。
とっさに地面を転がり、雲衛門の突進を避ける龍。だが、そこに伝七が襲いかかる。長い錐が振り下ろされた――
だが、龍は下から蹴り上げた。その蹴りを喰らい、後ろにのけぞる伝七。龍はすかさず立ち上がる。そして追い打ちをかけようとした。
しかし、またしても雲衛門のぶちかましが龍を襲う――
今度は避けきれず、まともに喰らった龍。
その瞬間、龍は軽々と吹っ飛ばされた……二十四貫の体が、子供のように飛ばされ、地面に叩きつけられる。
さらに追い打ちをかける雲衛門。倒れた龍めがけて突進して行った。
・・・
一方、勘兵衛は抜き身の長脇差しを振りかざし、多助に襲いかかる。
だが、多助の仕込み杖が一閃――
勘兵衛は、その一撃をかろうじて避ける。同時に、表情が険しくなった。
「おめえ、只のめくらじゃねえって訳か……上等だ。ぶっ殺してやるぜ」
そう言うと、長脇差しを構える勘兵衛。彼には剣術の経験は無い。実際の殺し合いの中から身に付けた、我流のやくざ剣術があるだけだ……ただし今まで、幾つもの血みどろの修羅場を潜り抜けて来た男である。それなりの腕は持っているのだ。
勘兵衛は長脇差しを構え、ゆっくりと多助の周囲を廻る。
多助はぴくりとも動かない。仕込み杖を構えたまま、じっとしている。だが勘兵衛が間合いを詰めようとすると、かすかな反応を見せる……目が視えない人間の反応とは思えない。
だが、勘兵衛も伊達に修羅場を潜り抜けていない。すぐさま別の手を思いついた。自らの鞘を外し、左手に持つ。
そして、じりじりと間合いを詰めて行った。
その動きに反応し、多助がそちらを向く。勘兵衛は内心、舌を巻いていた。自分の目の前にいる盲人の反応は凄い。先ほどの太刀筋といい、そこいらの木っ端同心などよりは腕は立つ。
だが、勝つのは自分だ。
勘兵衛は手にした鞘を、左に放り投げる。すると、鞘は派手な音を立てて転がった。
びくりと反応する多助。素早い動きで、音のした方に向き直る。
その瞬間、勘兵衛は一気に間合いを詰める。背後から切りつけるべく、長脇差しを振り上げ――
しかし、多助の仕込み杖が突き出された。間合いを詰めた瞬間を狙ったかのように……背を向けていた多助が、まるで切腹でもするかのような動きで刃を突き出したのだ。
勘兵衛は、刃に腹を抉られ動きが止まる。激痛のあまり、動くことすら出来ない……。
ゆっくりと振り向き、さらに深く刺し貫く多助。その顔を間近で見た時、勘兵衛は驚愕の表情を浮かべる……驚きのあまり、ほんの一瞬ではあるが痛みを忘れたのだ。
「お、おめえは……目が……」
「ここだけの話だがな、視えてんだよ……他の奴らには内緒だぜ」
勘兵衛の耳元で囁きながら、多助は腹を抉った。
普段は閉じているはずの、多助の瞳……だが、今は開かれていた。そして、苦戦する龍の方をじっと見つめている。
・・・
龍は雲衛門のぶちかましにより、地面に倒された。さらに、のしかかってこようとする雲衛門……だが龍は地面を転がり、かろうじて避ける。どうにか立ち上がり、身構えるが――
そこに襲いかかって来たのは伝七だ。伝七は猿のような素早い動きで、龍の背後に廻る。そして錐を振り上げた。
しかし、龍は回し受けでその攻撃を捌く。さらに、正拳を叩き込もうするが――
またしても、雲衛門の乱入だ。馬鹿の一つ覚えのように、己れの巨大な体をぶつけて来た……龍は地面を転がりながら避ける。
そして立ち上がると同時に、両者の位置を目で確認する。雲衛門は右、伝七は左だ。どちらも、二間ほど離れた位置……勝利を確信しているかのような表情を浮かべ、龍を見ている。
龍は、息を荒げながら身構えた。さすがに、この二人を同時に相手にしては勝ち目が薄い……。
しかし――
草むらから、何かが立ち上がった。編み笠を被った女だ。その手には、火縄の付いた竹筒を握りしめている。
そして、落雷のような音が響く――
煙、そして火薬の匂い……雲衛門の巨体がぐらりと揺れる。
次の瞬間、仰向けに倒れた……。
「お、お前は――」
「後にしな! その猿は、あんたの獲物だ! あんたが片付けるんだよ!」
女が怒鳴る。龍はその声にはっとなり、伝七に向かって行く。
伝七は完全に意表を突かれ、反応が遅れた。その顔面に、龍の回し蹴りが飛ぶ――
龍の腰の回転を利かせた蹴りが、伝七の首に叩きつけられた。六尺棒で殴られるかのような一撃だ……伝七は意識を失い、横倒しになる。
倒れた伝七の首めがけ、龍は踵で踏みつけた。
「あんたがお松さんかい……遅いじゃねえか。もっと早く手を貸してくれよ。死ぬかと思ったぜ」
伝七に止めを刺した後、龍はその場で片膝を着く。そして息を荒げながら文句を言った。
「仕方ないだろ。あいつらの動きが止まるのを待ってたんだから……」
言いながら、お松は顔を背ける。手拭いが巻かれているため、どのような表情をしているかは見えない。彼女は龍のことなど見向きもせずに、多助の方に走って行った。
そして、甲斐甲斐しく多助のそばに寄り添う。多助はその場に座り込み、仕込み杖の刃に付いた血を拭っていた。お松は、その手伝いをしている。
「けっ、いい気なもんだぜ……」
吐き捨てるように言うと、龍は立ち上がった。体のあちこちが痛む。明日になったら、さらに痛みが増すことだろう。よろよろした足取りで、龍は去って行った。
その翌日、政吉は鳶辰の屋敷にいた。神妙な顔つきで頭を下げる。
「急に面を出して申し訳ありません。ただ、昨日のうちに仕留めたことだけは伝えておきたいと思いまして……」
「ああ、聞いたよ。さすがだね……ついさっき、仕上屋の兄弟がわざわざ顔を出してね。よっぽど気になったんだな……この俺に面と向かってふざけた口を聞いた勘兵衛が、手下ともども殺られたのがな」
そう言うと、鳶辰はいかにも嬉しそうに笑った。くっくっく……という音が響く。
しかし、政吉はにこりともしていない。本音を言えば、鳶辰を利するような真似はしたくなかったのだ。鳶辰と勘兵衛が牽制し合っている状態こそ、政吉の理想とする状態だったのだ。 だが、多助が目を付けられてしまった……そうなると、放っておくわけにもいかない。
「政吉さん、これからもよろしく頼むよ……期待してるぜ」
鳶辰の愉快そうな声に対し、政吉も愛想笑いで応じる。
「へい……また何か御用の際は、何なりと」




