江戸は均しく、針地獄の様を呈しています(二)
辰巳屋は、江戸でもそれなりに名の知れた出会い茶屋だ。切り盛りしているのは、おこうという名の女将であるが……実質的な経営者が鳶辰であることは、裏の世界に関わる人間なら、大抵の者が知っている事実なのだ。
その辰巳屋の一室に今、十人ほどの男たちが集まっていた。皆、年齢や背格好はまちまちである。しかし、全員にどこか共通する匂いがあった。堅気の人間は発しないであろう匂いだ……。
その男たちの中に、政吉と龍もいる。政吉はにこやかな笑みを浮かべているが……内心では、どういうことなのか戸惑っていた。
だが、それも仕方ないだろう。何せ、裏稼業の有名人が集められているのだから。仕上屋の熊次と寅三の兄弟、弁天の正五郎、そして蝮の勘兵衛……政吉も含めると、四つの組織――規模は小さいが――の頭目が集められたことになる。
そして皆、表面上は和やかに、当たり障りの無い会話をしている。しかし同時に、腹の探り合いもしていた。
「いったい、いつまで待たせるんでしょうなあ、鳶辰さんは。そうは思いませんか、皆さん」
不意に、皆に聞かせるような声を出した者がいた。勘兵衛だ。背はさほど高くないが、がっちりした体つきと日に焼けた肌が特徴的である。実年齢よりは、ずっと若く見える男だ。
そして勘兵衛は、皆の反応を窺うかのようにその場を見回した後、もう一度口を開く。
「なあ仕上屋さん、そうは思わねえかい。俺たちも暇じゃねえんだよ。待たせてもらうんだったら、日当くらいは貰わねえとなあ」
すると、その声に捨三が反応する。
「いや……勘兵衛さん、すみません。元締めは、もうすぐに――」
「捨三さん、俺は鳶辰さんの手下になった覚えはねえんだよ。鳶辰さんは今、どこで何をしてるんだ?」
言いながら、捨三に詰め寄って行く勘兵衛。捨三は愛想笑いを浮かべながら、後ずさって行く。
だが、その時――
「いや、すまねえな勘兵衛さん。いろいろあって遅くなった」
声と共に、飄々《ひょうひょう》とした態度で現れたのは鳶辰だ。襖を開け、すたすたと入って来る。
場の空気は、一瞬にして凍りついた……しかし、勘兵衛は怯まない。
「鳶辰さんよう、ちいとばかり遅過ぎるんじゃねえのかい……人を呼び出しておいて、待たせるってのは筋が通らねえなあ」
そう言って、鳶辰を睨み付ける勘兵衛。
だが鳶辰は、その視線を平然と受け流す。
「まあ、そう言うなよ……それにな、俺たちが揉めてる場合じゃねえんだよ、勘兵衛さん」
「どういう意味だ?」
勘兵衛は訝しげな表情になった。しかし鳶辰はその問いに答えず、皆の顔を見回す。
「仕上屋の熊次さんと寅三さん、弁天の正五郎さん、仕掛屋の政吉さん、そして蝮の勘兵衛さん。皆さんに集まってもらったのは……近頃、やたらと蝿が多くなってきた気がするんでな」
「蝿?」
思わず聞き返す政吉。ふと横を見ると、龍は口を真一文字に結んだ鋭い表情で、辺りを油断なく見回している。さすがに、島で生き抜いてきただけあって隙がない。
「ああ、蝿だよ政吉さん。あんたなら分かるだろ……素人に毛の生えたような連中が、俺たちの獲物に群がって来てやがる。なあ、昨日今日この商売を始めたような連中に、でけえ面されていいのかい?」
「そんな連中はよ、片っ端から殺していけばいいだろうが」
言ったのは勘兵衛だ。苛ついたような表情で、鳶辰を睨む。
鳶辰の表情が、僅かに歪んだ。
「ああ、あんたの言う通りだよ。しかしな、逆に返り討ちに遭わねえとも限らねえだろうが――」
「俺はそんなへまはしねえよ」
鳶辰の話を、鋭い口調で遮る勘兵衛。さらに、口元を歪め言葉を続けた。
「鳶辰さん、あんたも焼きが回ったんじゃねえか? 粋がってる素人連中に怖じ気づいた挙げ句、俺たちを呼び出したって訳か? 悪いが、俺はそんな連中なんざ怖くねえよ。用ってのがそれだけなら、俺は引き上げるぜ」
言うと同時に、勘兵衛は背中を向けた。そして引き上げようとした時――
「勘兵衛さん……ちょいと言葉が過ぎるんじゃねえですかい」
その言葉と同時に、捨三が詰め寄る。勘兵衛の表情も変わった。いかにも凶悪そうな目付きで、捨三に向き合う。
そして、睨み合う二人……しかし、鳶辰が声をかける。
「捨三、いいからこっちに来い。勘兵衛さん、あんたの腹の内は分かった。まあ、あんたもせいぜい気を付けるんだね。あんたが馬鹿にしてた、素人連中に殺られねえようにな」
「俺たちも引き上げるぜ。こんな雰囲気じゃあ、話し合いも糞もねえだろ。鳶辰さん、またな」
言いながら立ち上がったのは、仕上屋の熊次と寅三の兄弟だ。二人は鳶辰や政吉たちに軽く会釈し、去って行った。
残されたのは、弁天の正五郎と政吉、そして正五郎の子分たちと龍だ。
鳶辰は苦笑し、正五郎に向かい頭を下げる。
「正五郎さん、わざわざ来てもらってすまねえな。今日は、お開きにするしかねえ。だが、さっき言った通りだ。あんたにも分かっておいてもらいてえんだよ。近頃じゃ、おかしな連中が多くてな。素人連中に俺たちの縄張りを荒らされてんだ」
その言葉に対し、正五郎は頷いた。彼は鳶辰よりも歳上であり、恰幅のいい大旦那という雰囲気を漂わせている。事実、この中では一番長く裏稼業で飯を食ってきた男なのだ。背中に背負った弁天の刺青は伊達ではない。
「ああ、分かったよ……だがな鳶辰さん、あんたの方も注意しな。勘兵衛のあの態度からして、いずれ戦争を仕掛けて来るかもしれねえからな」
そう言って、正五郎は立ち上がる。そして、政吉の方を向いた。
「仕掛屋さん、久しぶりだねえ……あんたの所は、腕の立つのを揃えてるって評判だ。いずれ仕事を回すかもしれねえから、よろしく頼むよ」
「わかりました。弁天の正五郎さんの依頼とあれば、喜んで引き受けさせてもらいますよ」
にこやかな表情で答え、頭を下げる政吉。横に控えている龍も、堅い表情で頭を下げる。
「そうかい、そいつは助かるぜ。じゃあ、またな」
「せっかく集まったのに、勘兵衛の馬鹿にぶち壊しにされちまったな……そうは思わねえかい、政吉さん」
正五郎が去った後、政吉に向かい愚痴るような口調で言う鳶辰。
「ええ、そうですね……勘兵衛の奴、虫の居所でも悪かったんでしょうか」
「あいつの虫の居所なんざ、俺の知ったことじゃねえよ。こういう時、俺はどうすべきなのかねえ……政吉さん、あんたはどう思うね?」
いきなり尋ねてきた鳶辰……その目は冷たく、見る者すべてを凍りつかせてしまいそうだ。
政吉は、目の前にいる男が何を言わんとしているのか、ちゃんと理解できている。要は、仕掛屋に勘兵衛たちを仕留めさせようというのだ。
もちろん正面きっての喧嘩となれば、鳶辰の率いる辰の会は勘兵衛には引けを取らない。勘兵衛の方もそれなりに人数を揃えているが、恐らくは捻り潰せるだろう。
だが、そんなことになれば……勝った側もただではすまない。確実に弱体化する上、奉行所の手が回る可能性もあるのだ。
しかも今、鳶辰の周辺を嗅ぎ回っているのは岩蔵である。岩蔵は厄介な目明かしだ。悪党を捕らえることが生き甲斐で、賄賂も力による脅しも通じない。仮に鳶辰が何か事件を起こした場合、岩蔵が真っ先に動くことだろう。
だからこそ、仕掛屋に殺らせたいのだ。
しかし、政吉の答えは――
「いやあ、あっしなら放っておきますね。あんな奴、放っておいても何も出来ませんよ。それでは、あっしもそろそろ失礼します。明日の仕込みがありますんで……」
そう言って、政吉は頭を下げる。そして背中を向けて立ち去りかけた。
だが、その背中に声をかける鳶辰。
「そうかい。なあ政吉さん、もしもの話だが……勘兵衛とその手下を殺ってくれたら、五十両出すって奇特な人がいたら、あんたはどうするね?」
その言葉を聞き、政吉は足を止めた。しかし、振り返らずに答える。
「ほう、それは奇特なお人だ。そうですねえ……考えさせてください、とだけ言っておきますね。そんな人がいたら、の話ですが」
政吉と龍は、二人並んで帰り道を歩く。初めの内は二人の間に会話はなく、無言のまま歩いていた。
しかし、黙っていることに耐えられなくなったらしい……龍がためらいながらも口を開いた。
「政吉さん……あの勘兵衛って何なんだ?」
「何なんだ、って言われてもな……見ての通り、ちょいと気の荒い大工の棟梁だよ。ただし、裏で殺しもやるがな。昼間に家を造り、夜は人を殺す……そんな奴だよ。ま、俺もよくは知らないがな」
そう、政吉は勘兵衛とは全く付き合いがない。顔を合わせた回数も、せいぜい二度か三度くらいだろうか……あくまでも、噂しか聞いていないのだ。
ただ、あの鳶辰に対する態度には肝を冷やされた。二人の間に、どのような因縁があるのかは知らない。しかし、鳶辰に向かいあんな口を利いたら、確実にただではすまないのだ。
「それと政吉さん、あの鳶辰のおっさんが言ってたのは――」
「でかい声を出すな。誰が聞いてるかわからねえんだぞ」
政吉の言葉に、慌てて周囲を見回す龍。しかし、周囲には誰もいない。
そして政吉も、その場に立ち止まった。声を潜めながら話を続ける。
「いいか、俺たちみたいな小さい所が鳶辰に目を付けられてみろよ……ろくな事にならねえぞ。しかしだ、鳶辰が他の連中と揉めてる限り、俺たちは安泰って訳だよ。勘兵衛のことは、放っておくさ。俺たちには関係ない。どっちが潰れようが、俺たちは痛くないわけだからな」
「そ、そうなのか……わかった」
どこか釈然としないような表情で、龍は頷いた。どうやら、政吉の言ったことを今ひとつ飲み込めていないらしい。
政吉は苦笑し、もう一度辺りを見回す。
「まあ、いいや……とにかくだ、今日のところは引き上げようや。収穫はあった訳だしな」
「収穫?」
「ああ、鳶辰と勘兵衛が揉めてる……それだけ分かれば、充分な収穫だよ」
そう言って、政吉は笑みを浮かべた。
・・・
その頃……江戸の片隅で盲目の按摩が一人、夜道を歩いていた。杖を突き、慎重に歩いている。
「按摩さん、ちょいと待ってくれねえか」
不意に声がした。按摩は立ち止まる。
「あっしのことですかい」
言いながら、按摩は声のした方を向いた。
その瞬間、何者かが背後に回り込む。
按摩は何者かの手のひらで口を塞がれ――
延髄に長い錐を突き刺された。
「雲衛門、こいつじゃねえのかい?」
按摩の死体を指差し、尋ねる伝七。だが、雲衛門は首を振った。
「ち、違う。こいつじゃない、と思う」
「そうか……こいつでも無いのか」
言いながら、伝七は死体をまさぐった。そして金目の物を奪う。
「なぜ……殺す?」
たどたどしい口調で質問する雲衛門。だが、伝七は鋭い目で睨んだ。
「おい……おめえが前の仕事の時に、通りかかっためくらを殺らなかったせいなんだぞ。さっさと殺ってりゃ、こんな面倒なことをせずに済んだんだ」
「で、でも……めくらは、俺の顔見えない――」
「おめえは、それを確かめたのか? その男は、めくらのふりをしてるだけかもしれねえだろうが?」
「う、ううう……」
雲衛門は顔をしかめた。今にも泣き出しそうな様子だ。その巨大な体を震わせている。
「いいか雲衛門……おめえを騙そうとする奴は、この江戸に幾らでもいる。おめえは、俺と勘兵衛さんの言うことを聞いとけば間違いないんだ。わかったな?」
伝七の声は、急に優しくなった。すると、雲衛門はすまなそうな顔で巨体を縮こませながら頷く。
「わかった……」
「わかってくれたか。じゃあ、早いとこ按摩を探そうぜ」
翌日、死体を検分する同心の姿があった。
「また按摩かよ……」
中村左内は、うんざりしたような表情で呟く。昨日、たて続けに二人が殺された。共通点と言えば、盲人であること、按摩を生業にしていること、坊主頭であること。
「旦那……あっしの勘だと、この殺しはまだ続くね。単純な金目当ての殺しじゃねえよ」
岩蔵が、そのいかつい顔をしかめながら言ったが……その時、野次馬の中に見覚えのある顔を見つける。
十手をちらつかせながら、大股でそちらに近づいて行く岩蔵。
「おうおう政吉……てめえ店ほったらかして何をふらふらしてんだ?」
「いえ、ほったらかしてる訳じゃ……それにしても、また坊主頭の按摩が殺されたんですか。これで二人目ですよね。しかも、細い刃物で一突きとは……いい腕してますよ」
言いながら、へらへら笑う政吉……岩蔵は不快そうな表情になった。
「偉そうに語ってんじゃねえ。真面目に働け」
「へい、そうですねえ。じゃあ、真面目に働いてきますよ」
そう言って頭を下げると、足早にその場を離れる政吉。だが、その表情は険しくなっていた。
店に戻ると同時に、政吉は以蔵に耳打ちする。
「今夜、みんなを集めろ……仕事だ。俺は今から、鳶辰に会ってくる」




