四面楚歌の窮鼠たち(すでに手遅れっぽい)
クリスマスイブ更新!
いつの間にやら100話です。
泉が一瞬にして変じた――否、泉に擬態していた半透明の魔物にカタリナが飲み込まれ、不意を突かれた彼女は抵抗もできず、地下で溺れるという予想外の事態に対応できず、必死にもがくも呼吸すらままならない状況で、水中(魔物の体内)へと引きずり込まれようとしていた。
咄嗟のことに呆然とするアドルフとその護衛たち。それはカタリナの主筋で、箱入り娘でもあるオデット嬢も同然で、誰もがその場に卒然と立ち竦んでいるのを横目に見ながら、反射的に僕とシビルさんは剣を抜いて、そして僕の背中を守る形でエレナもまた飛び出していた。
剣閃一閃。
僕の中剣とシビルさんの両手剣が、筒状になった半透明の魔物の根元――見える限り、カタリナを確保するためにその足元ギリギリのところを、左右からの横薙ぎで一刀両断した手応えはあった……あったのだけれど――。
「浅い? なんだこの手応えは???」
ほとんど抵抗らしい抵抗を感じない、弾力のないゼリーを切ったような感触に思わず首尾を確認してみると、幸いにもカタリナを包んでいた半透明の魔物の部分は切り離され、地面に叩きつけられたクラゲか水風船のようにはじけ飛んで飛沫となっている。
「――呼吸が止まって意識はありませんが、辛うじて脈は動いていますね」
ずぶ濡れで倒れたカタリナを介抱しながらエレナがそう診断をした。
「息をしていない⁉ カタリナ!」
オロオロと泣きそうな表情でカタリナの傍に駆け寄ろうとするオデット嬢を、「危険です。姫様」「お下がりください!」慌ててカタリナの同僚の女騎士たちが止めに入る。
風に吹かれても折れそうな気の弱いお嬢様だと思っていたけれど、どうやらそれ以上に情の深い優しい心根の淑女であったらしい。
(こんないい娘をなんで邪険に思うのかなあ。アドルフ?)
そう言いたいアドルフはといえば、オデット嬢には目もくれず、ブヨブヨと床の上でいまだ蠢く半透明の魔物の残骸を警戒しながら眺めている。
その間にエレナがテキパキと、ひっくり返したカタリナの腹に足をのせて思いっきり踏んづけて水を吐かせた後、無造作……というか乱雑な手つきでカタリナの心臓の辺りを、肋骨が折れるほどの勢いで何度も何度も押したり引いたりを繰り返すのだった。
「やめて~っ! カタリナが死んじゃうっ!!」
手加減とか遠慮とかいうものが欠片もない、傍から見れば死体蹴りとも取れるエレナの処置に、オデット嬢が悲痛な声を張り上げた。
「死ぬも何も、もう死んでるんですよ」
あっさりと答えて、エレナが気合を込めてカタリナの心臓の下あたりに抜き手を差し込み、
「――クヮリヤート流奥義『震雷』っ」
気合を入れた瞬間、弾かれたようにカタリナの体が海老反りになり、
「……はっ! ……くは………はあ……はあはあ……?」
荒い息を吐きだしたかと思うと、苦し気に咽ながら目を開けて周囲の情景に気付いたらしい。
「……あれ? お花畑は? 死んだはずのお婆ちゃんは……?」
目を白黒させるカタリナ。
「ふむ。生き返りましたか。意外と丈夫な心臓ですね。イチかバチかで手加減したとはいえ、直接振動をぶつける『震雷』で揺さぶられて無事とは……」
さらりと怖いことを口にするエレナ。
オデット嬢は細かいことは気にしないらしい(理解してない?)。カタリナが生き返ったことに安堵して、すでに泣き出してした。
「それはともかく。どう思いますか、この魔物。〝粘液生物”でしょうか?」
ブヨブヨと床の上で蠢く水の塊に見える魔物を両手剣の先で示すシビルさん。
僕は改めて手近な破片に近づいて、まじまじと観察してから首を捻った。
「魔物――という反応は微弱ですね。このレベルの魔物なら、僕が傍にいれば蒸発するか、少なくとも逃げようとするはずなのですが――」
試しに手を伸ばすと手に絡みついて来ようとしたので、デコピンで粉々に四散させる。
「――この通りです。どちらかというと原始的な生物……もしくは」
「粘菌の集合体のようなものかも知れませんね」
僕の推測の後を受けたのは、同じく興味深げに観察していたガブリエルだった。
「ねんきん? というのは……? 無学で申し訳ございませんが――」
「粘菌というのは最近発見された動物とも植物とも取れぬ生物の総称です。植物的に増殖する生物とでも申しましょうか。ひとつひとつは顕微鏡が必要なほど小さな胞子でありながら、群体として粘液生物のように行動するという、不可思議な資質を持っている生物ですね」
ガブリエルの説明に、半信半疑という表情を浮かべるシビルさん。
「魔物でもない単なる原始的な生物が、待ち伏せや擬態などと、これほど高度で能動的な攻撃を仕掛けてくるものですか?」
「無論。コレを操っているモノがいるんだろうね」
そう言って僕がぎゅっと手の中に押し込めて霊光を放つと、動き回っていたゼリーの塊みたいな半透明体がたちまち濁った苔の塊のようになって動きを止めた。
「つまりそのナニモノかが〈魔獣ボゲードン〉ということですか?」
シビルさんが緊張をあらわに泉のあった場所を凝視する。
さきほどまであった泉はものの見事に消えて、その場には無味乾燥な床と壁があるだけであった。
「可能性は高いですね」
「……と、なると単純に目の前にある相手を斬ればいいというものでもないか」
思わずゲンナリ呟く僕。さっきの粘液生物みたいな連中が現れたところで、それはあくまで〈魔獣ボゲードン〉が使役する末端に過ぎない可能性が高いのだ。
「とりあえず目についた端から斬っていけばいいのでは?」
単純明瞭。邪魔する相手は神だろうが悪魔だろうが斬ればいいというエレナの論理に、微妙に脳筋の疑いのあるシビルさんも同意する。
僕たちの会話を聞いて、思わず顔を見合わせるアドルフと従者たちの態度に、いまさらながらもしかしてウチの関係者は素っ飛んでるのではないかと危惧しながら、この手のことに詳しそうなガブリエルに意見を仰ぐ。
「方法としてはふたつ。ひとつはロラン公子様の〈神剣ベルグランデ〉で一切合切消し飛ばす――まあ、ここが地下深くであり、上に学園の敷地があるという前提とを無視して、人的物的被害に目をつぶれば…‥という条件はつきますが」
「できるんならさっさとやっているところだね」
僕の返答は当然予想していたのだろう。ガブリエルはしたり顔で二番目の提案を口にした。
「それであるならば、〈魔獣ボゲードン〉の本体――核に当たる部分を探して滅ぼすしかありませんね」
「……もったいぶった結論のわりに、当初の目的と変わらないのでは?」
思わず……という口調でアドルフが反応すると、ガブリエルもしたり顔で頷く。
「その通り。問題はどうやって核を引きずり出すか……ですが。そうなると末端では手に負えないと相手に認識させる必要がございます」
「では、やはり手当たり次第に敵を殲滅するのが一番ということですか?」
相変わらず武闘派なシビルさん。
「そうなりますね。ですが、ボクはこの階に入ってからずっと違和感を感じているのですよ。その敵の姿が碌に見つからない。そして、何よりもあまりにもこの階が清浄で原型を保ち続けている。極めつけは『泉』に擬態していた〈魔獣ボゲードン〉の末端。これが意味する結論は。もしかすると〈魔獣ボゲードン〉はすでに――」
刹那、床といわず壁といわず天井すら激しい地震に見舞われたように振動――いや、蠕動をしたかと思うと、周囲一帯がまるで肉壁のように波打った。
「きゃあああああああああああああああああっ!!!」
オデット嬢の悲鳴に慌てて振り向けば、彼女のいる場所の床がイソギンチャクの口のように開いて、いままさに飲み込まんとしているところだった。
「――やはり。この階層自体がすべて〈魔獣ボゲードン〉の腹の中だったか!」
ガブリエルの舌打ちとともに、おそらくは反射的な行動なのだろう。アドルフが咄嗟にオデット嬢を追って穴の中に飛び込んだを見た瞬間、僕の周囲も粘液質の肉壁に阻まれたのだった。
「まずい! みんなバラけないように固まって行動してください!」
そう叫んだ僕の傍らに、誰かが身を寄せてきた――女性特有の匂いに――その誰かを確認する暇もなく、僕の視界が完全に塞がれ、続いて天地が何度も逆になるような乱暴な動きとともに、どこへともなく運ばれるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
王都アエテルニタの象徴である〈ラスベル百貨店〉の威容を箱馬車の窓から眺めながら、彼女はうっとりと感慨深いため息を漏らした。
「ああ……やっと帰って参りましたわ。愛しの王都。愛しのロラン様。やっとお顔を拝見できるのですわね。ああ、そうれを思うと……乳房がパンパンに張って、苦しいですわ。貴方のいない謹慎生活の間も、貴方のご健勝さとご活躍の次第をお聞きするだけで、じゃぶじゃぶとあふれてしまうんです……。ああ、いけない王女ですわね、わたくしって……」
空前絶後の変態王女シャルロット。馬車を飛ばしに飛ばしまくって予定よりもはるかに早く、風雲急を告げながら、王都に帰還を果たしたのだった。




