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本編 ~『ゲームへの愛』~


 鬱蒼とした森を抜けた先に、黒ずんだ石造りの建造物が姿を現す。目的地であるドルーン神殿は、重々しい雰囲気を放つ遺跡だった。


 門の中央には、錆びた鎖が何重にも巻きつけられ、その上から錠前がかけられている。


 ユリウスが数歩近づくと、鉄格子に吊るされた木札が目に入る。粗削りな板に赤い塗料で『危険だから近づくな』との警告が記されている。


「入れないようだね……」

「私が封鎖しましたからね」

「そうなのかい!」


 ユリウスが驚きで目を見開くと、ローズは口元を緩める。


「第三者がうっかり入り込むと危険な場所ですから。念のために封鎖しておいたのです」

「それなら、セレフィーナも入れないのでは?」

「いえ、セレフィーナなら裏口の存在を知っているはずですから」

「裏口?」

「付いてきてください」


 二人は神殿脇の獣道へと足を踏み入れる。枝葉を払い、苔むした岩を越えると、蔦に覆われた灰色の石壁にたどり着く。


 一見しただけでは、そこに出入口があるとは誰も思わない。


 ただの壁だ。


 しかし、ローズが手をかざすと、空気が震える。


「強い魔力を検知すると扉が開く仕組みになっているのです。普通の人間では決して気付けませんが……セレフィーナは例外です」


 淡い光が壁の輪郭を走り、石壁が音もなく横に滑っていく。


 開いた先には、冷たい空気の漂う通路が口を開けていた。


 二人は迷わず中へと足を踏み入れる。天井は高く、両脇には古代文字が刻まれた柱が並んでいる。


 奥には半ば崩れ落ちた台座が鎮座しており、大理石の破片が床に散らばっている。瓦礫の手前には、白いドレスの裾を汚しながら立つセレフィーナの姿があった。


 彼女は肩で息をつき、額には汗が滲んでいるが、その瞳は強い光を宿し、前方の崩れた祭壇を食い入るように見つめていた。


「セレフィーナ、やはり、ここにいましたね」

「お姉様!」


 セレフィーナの声が神殿に響く。その瞳には焦りが浮かんでいた。


「どうしてお姉様がここに……いえ、聞くまでもありませんわね」

「ええ、私もゲームプレイヤーですから。あなたの狙いを見抜いています」

「ふふ、でも残念ですわね。手遅れですわ」


 そう言うとセレフィーナは、崩れた祭壇の中央に進み、瓦礫の中を探るようにしゃがみ込む。


 石片が崩れる音が響くと、やがて彼女は両手で黒光りする宝玉を持ち上げる。


 拳ほどの大きさの宝玉は、表面に蜘蛛の巣のような亀裂が走っている。内部には夜空を凝縮したかのような深い闇が渦を巻き、不気味な光が輝いていた。


 セレフィーナは瓦礫の上に立ち、両腕を高く掲げる。


「これが何かは分かりますわね?」

「魔人を呼び出すための宝玉ですよね?」

「知っているなら話は早いですわ。魔人よ、私に闇の魔術を与えてくださいまし」


 セレフィーナの高らかな声が、天井の高い神殿に反響し、何度も木霊する。


 崩れた祭壇の瓦礫の上で宝玉を掲げる姿は、まるで世界を掌握する女王のようだった。


 だが、何も変化は起きない。一筋の光も溢れず、空気も揺らがない。ただ、冷たく湿った神殿の空気が、彼女を嘲笑うかのように静まり返っていた。


 わずかに震える彼女の指先を見ながら、ローズは瓦礫を踏みしめ、一歩、また一歩と間合いを詰める。その足音が、石造りの空間に乾いた反響を響かせた。


「闇の魔術であれば、もう手に入りませんよ」


 ローズから告げられた一言に、セレフィーナの眉がぴくりと跳ね上がる。


「どういうことですの?」

「闇の魔術は私が先に手に入れましたから」

「は?」


 その言葉を上手く呑み込めないのか、セレフィーナは唇を震わせる。彼女の頭の上には疑問符が浮かんでいた。


「どういうことですの?」

「簡単な話です。私も『闇魔術』の存在は知っていましたから。事前に魔人を呼び出して、奪い取っておいたのですよ」

「で、ですが、お姉様は相手に負い目がないと魔術を奪えないはずですわ」

「それなら心配無用です。呼び出した時の衝撃で魔人が祭壇を破壊しましたから。その慰謝料として『闇魔術』を頂いたのです」


 授ける力を失ったから魔人は姿を現さなくなったのだと、ローズは続ける。その絶望の真実に、セレフィーナの顔から血の気が引いていく。


「ありえませんわ! お姉様が『闇魔術』を手に入れるシナリオなんて、ゲームにはなかったはずですわ!」

「いいえ、実はあるのです」


 ローズの瞳が、獲物を追い詰める獣のように細められる。


「最高難易度のハードモードを、千回以上やり込むと解放される隠しステージを、あなたはご存知ですか?」

「そ、そんなもの……噂にすら聞いたことがありませんわ!」

「攻略サイトにも掲載されていない情報ですから。無理もありません……そのシナリオでは、『闇魔術』と『強奪魔術』、二つを駆使するローズが、最終ボスとして敵対するのですが、作中での彼女は魔人から『闇魔術』を奪っていました。私はそれを真似たのですよ」


 セレフィーナの表情が凍りつき、握りしめた宝玉がかすかに軋む。後退る彼女に、ローズは足を止めて、淡々と告げる。


「あなたの敗因はゲームのやり込み不足です。愛が足りませんでしたね」


 ローズの声音は澄んでいたが、その響きは氷の刃のように冷たく、セレフィーナの胸を深く抉る。


「観念しなさい」


 ローズがそう告げた瞬間、セレフィーナの目が大きく見開かれる。瞳の奥では怒りの炎が燃え上がっていた。


「お姉様さえ……お姉様さえいなければ……」


 セレフィーナは荒く息を吐きながら、足元の瓦礫に手を取る。石の角が肌に食い込むが、血の滲みを無視して、構わず握りしめていた。


「全部、私のものだったのにぃ!」


 腕を振り上げながら、セレフィーナはローズを襲う。


 だが次の瞬間、風を裂くような速さでユリウスの影が二人の間に割り込む。そしてユリウスの手が彼女の手首を押さえ込んでいた。


 その力は決して骨を折るほどのものではない。だが、抜け出す隙など一切与えない絶妙な加減で、鉄の枷のように逃げ道を塞ぐ。


「いっ!」


 短い悲鳴とともに、セレフィーナの指先から瓦礫が滑り落ちると、床にぶつかって乾いた音を響かせる。


 彼女は息を荒くし、必死に腕を引こうとするが、ユリウスはその動きを片手で封じたまま告げる。


「君を捕まえるのは、これで二度目だね。今度こそ牢屋行きだ」

「ま、待ってくださいまし!」

「待たない、君は終わりだ」


 無慈悲な宣告を受け、セレフィーナは喉の奥から泣き声を零す。


「わ、私は悪くありませんわ! 幸せになりたいと頑張っただけですもの!」


 その嗚咽にも似た叫び声は石壁に反響して、より一層みじめな音に変わる。ローズはそんなセレフィーナを、憐憫を含んだ目で見据える。


「幸せになれなかったのは、あなた自身のせいではありませんか」

「わ、私のせい……」

「元をただせば、レオン様と私の婚約破棄が始まりでしたから。あれがなければ、あなたは今でも聖女として、多くの信者たちに慕われていたでしょう。幸せを捨てたのはあなたが自分で決めたこと。被害者面はおやめなさい」

「……っ!」


 セレフィーナの唇が何度も開いては閉じられ、反論を探そうとするが、言葉は出てこない。


 やがて肩を震わせながら、ただ泣き出す。それは勝者にすら哀れみを覚えさせるほど、惨めで小さな声だった。


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