本編 ~『謝罪するギース』~
ローズは談話室のソファに身を預け、カップの縁に唇を寄せていた。
香り高い紅茶の温もりが、胸の奥まで染み渡っていく。
対面のソファでは、ユリウスが報告書をめくっていた。紙の擦れる音が、穏やかな室内に響く。
やがて、最後の一枚まで目を通した彼は、息を吐いて、ローズへと視線を上げる。
「刺客は全部吐いたよ」
「やはり犯人は……」
「ギースとセレフィーナだ」
淡々と告げられた名前に、ローズは眉を動かす。驚きはない。だが胸の奥に冷たい怒りが広がっていく。
「どうするのですか?」
紅茶のカップをそっと受け皿に置きながら問うと、ユリウスはソファの背にもたれる。そして首を傾けてから苦笑を浮かべた。
「どうしようかな……」
「相手は弟のギース様ですからね」
「それに次期国王の座を争うライバルでもある」
厳しい処罰を下せば、私欲のための判断だったと邪推される恐れもある。ユリウスは瞳の奥に迷いの影を宿らせていた。
そのときだ。
廊下の奥から、靴音が規則正しく響き始めた。近づくたびに音は大きくなり、室内の空気が張り詰める。
やがて、執事の低い声が扉の外から届く。
「……第二王子、ギース殿下がお越しです」
扉が開き、廊下から差し込む光の中、背筋を伸ばしたギースが姿を現す。
彼は部屋に足を踏み入れると、しばし沈黙した後、深く頭を下げた。
「まずは謝罪したい。兄上、そしてローズ辺境伯。すまなかった」
低く押し殺した声が、室内の空気を震わせる。
「俺は……セレフィーナに協力していた。騙されていたんだ。すべてはあいつが主導していたことだが……俺も手引きをした責任がある。謝罪させて欲しい」
「…………」
謝罪に耳を傾けていたユリウスは短く息を吐くと、まっすぐにギースを見据える。
「僕の左腕の怪我については許そう」
「兄上……」
「ただし君はローズの命を狙った。その点については無罪放免とはいかない。厳しい処罰が必要だ」
ギースの眉間がわずかに寄り、険しい影が表情に浮かぶ。兄からの宣告は、言葉以上の重みを持っていた。
「では、私から提案があります」
「ローズ……」
「彼の罪に相応しい罰となるはずです」
ユリウスが期待を向けると、ローズは頷く。
「彼の出生の秘密を、ユリウス様にお伝えしたいと思います」
「ま、待て、それは……」
「本当に反省しているのなら、この罰を受け入れるべきです」
暗に拒めば反省していないと告げられ、ギースは無言で俯く。
だがやがて彼も諦めたのか、ゆっくりと頷いた。
「……俺は王族の血を引いていないんだ」
ユリウスの目が細くなる。
「どういうことだい?」
「…………」
問われたギースは無言を貫く。その彼に代わって、ローズが答える。
「ギース様の本当の父親は、国王陛下ではありません。私の命を狙ったのも、この事実を口封じするためだったのですよ」
刺客を送り込むのはリスクが高い。それでも彼が決断したのは、ローズが出生の秘密を握っていたからだ。
ギースの喉がゴクリと鳴る。否定の言葉は出なかった。
「この秘密を、ユリウス様と共有すること。それを罰としましょう……これで彼が私を狙う理由もなくなりましたし、無理に玉座を奪おうとも考えないはずです」
ギースはしばらく無言で視線を落とす。
これから先、秘密を握るユリウスには決して逆らえない。顔を合わせるたびに、今日交わした屈辱のやりとりが頭をよぎるだろう。
彼にとって、それは剣で刺されるよりも痛い罰だった。
「さて、ギース様に関してはこれくらいで十分でしょう。なにせ未解決の問題が残っていますから……」
その一言でギースは察する。
「セレフィーナの行方が知りたいんだな?」
「ご明察通りです」
「残念だが、あいつなら逃げた……行き先の心当たりもない」
「そうですか……では、ギース様の元へ顔を出すようなことがあれば、ご連絡ください」
「それで良ければ、お安い御用だ」
そこで話は途切れた。
ギースから聞き出せる情報はもうない。謝罪を終えた彼は背を向けて、扉へ向かう。そんな彼に、ユリウスは声をかけた。
「ギース、血が繋がっていなくても、君と僕は兄弟だから」
その一言は、不意に背中を貫いた。
ギースの肩がぴくりと揺れる。
だが振り返ることはない。かすれた声を搾り出しながら、「失礼する」と一言だけ残し、部屋の外へと去っていく。
「また会おう、ギース」
いなくなった弟に、ユリウスはそう告げる。当然ながら返事はないが、彼の表情は穏やかだった。




