本編 ~『説得は不可能』~
ギースは執務机に肘を突き、深く頭を抱えていた。
机の上には、報告書が乱雑に積まれている。読み返すまでもない。そこには、刺客がユリウスを傷つけ、その後に捕まった顛末が記されていた。
額からこめかみにかけて鈍い痛みが走る。
捕まった刺客が尋問に耐えられるはずがない。王家の尋問官は、口を割らせることにかけては鬼と呼ばれる存在だ。遅かれ早かれ、あの男はすべてを吐くだろう。
そうなれば、いずれ衛兵がギースの元にやってくる。
背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、彼は息を呑んだ。
「くそっ……どうやって逆転すればよいのだ?」
考えがまとまらず、焦燥が胸を締めつける。
その時、扉が音もなく開く。
重いドレスの裾を引きずるようにして現れたのは、セレフィーナだ。瞳は暗く燃え、獲物を射抜くかのように鋭い。
「落ち込んでいるようですわね、ギース様」
「……誰のせいでこんな状況になったと思っている?」
ギースの声は怒りと怨嗟が滲んでおり、机の上に置かれた拳は震えていた。
「それほど怯えずともよろしいではありませんか」
「状況を理解してないのか? このままだと俺は罰せられ、最悪、処刑もありえるのだぞ!」
さらにローズが出生の秘密まで握っている。危機的状況だが、セレフィーナの余裕は崩れない。
「まだ打つ手はありますわ。国王を抹殺し、ユリウス様を罪人に仕立て上げるのですわ」
まるで日常会話の延長のように、セレフィーナはさらりと言ってのける。
「……本気で言っているのか?」
「もちろんですわ」
セレフィーナは微笑んだ。だが瞳の奥は底冷えするほどに冷たい。
「これが成功すれば、栄光はあなたのもの。次期国王の椅子も確約されますわ」
セレフィーナの自信は根拠がないわけではない。『薔薇物語』の世界で起こりえる結末の一つとして実際に存在するからこその提案だ。
だがギースは呆れたように笑う。その反応はセレフィーナの意図しないものだった。
「何がおかしいんですの?」
「いや、どうやら貴様に誤解されているようだと思ってな」
「というと?」
「俺は国王になりたい。だがそれは、尊敬する父上のようになりたいからだ。決して、殺して奪いたい地位ではない」
ギースは椅子から立ち上がると、鋭い視線を向ける。
「失望したぞ、セレフィーナ。貴様はもう用済みだ」
「……私を見捨てますの?」
「ああ、貴様のような悪女に付き合うのはうんざりだからな」
ギースは机の引き出しを開けて、鈍い銀色のナイフを取り出す。彼はその刃先を光にかざし、じっとセレフィーナを見つめる。
「すべての罪を貴様に押し付ける。悪いが死んでくれ」
「早まらないでくださいまし!」
セレフィーナは後退る。だがそれでも説得を諦めていなかった。
「私の言う通りにすれば、絶対に上手くいきますわ!」
「……信じられん」
「本当ですわ。なにせ私にはゲーム知識が――」
「信じられんと伝えたはずだ!」
ギースが怒鳴り声を重ねたことで、セレフィーナは説得が不可能だと悟る。
ここにいては危険だと判断した彼女は、ドレスの裾をつかみ、踵を返す。硬い靴音を響かせながら、部屋の外へと飛び出した。
そんなセレフィーナをギースは追いかけようとはしない。ただ黙って、その背中を見送った。
「さようならだ、セレフィーナ」
ギースは視線を窓の外へと向ける。
夜の帳が降り、街の灯りが瞬いている。
「まずは……兄上に謝罪だな」
その声は、自嘲と覚悟が入り混じった響きを帯びていたのだった。




