本編 ~『明らかになった不正』~
王都を発った馬車が、長い旅路を経てドルーン辺境領へと戻ってきたのは、夕陽が大地を赤く染め始めた頃だった。
領主が帰還する。
その一報が屋敷に届くや否や、使用人たちが一斉に動き出す。
玄関前には整列した使用人たちが並び、主の帰還を待ちわびる。
馬車が門をくぐると、まるで合図のように「おかえりなさいませ!」という明るい声が飛び交っていた。
「歓迎されているようですね」
「魔力草で領地が豊かになったおかげだね。給料も上がっただろうし、優秀な主人に仕えるのは、やりがいにも繋がるからね」
ユリウスの賞賛を笑って受け止めると、馬車が正面玄関に止まる。屋敷の扉が開き、長身の執事が、丁寧に礼を取りながら出迎えてくれる。
「ようこそお戻りくださいました、ローズ様、ユリウス様。ご無事の帰還、心よりお喜び申し上げます」
上品に微笑みながら執事は頭を下げる。ローズたちが馬車から降りると、二人はそのまま館内へと移動する。
通されたのは、陽光の差し込む応接室。薔薇の香りがほのかに漂うこの部屋のテーブルには、鮮やかな菓子皿がずらりと並んでいた。
「まあ……」
ふわりと漂う甘い香りに、ローズの目が丸くなる。
美しく飾られた果実のタルト、焼きたてのフィナンシェ、チョコを練りこんだクッキーは、どれも目を引くような逸品ばかりだ。
「これらは?」
「すべて領内の方々からの寄贈品でございます。ローズ様への感謝の証として、今朝も続々と届けられておりました」
執事の報告に、ローズは微笑む。
「私は皆さんの役に立てているのですね」
「それはもう。貴女が来てから、ドルーン辺境領は劇的に変わりましたから。治安も、暮らしも、まるで別世界だと、皆が口を揃えて申しております」
語られた言葉は世辞ではない。そう伝えるように、執事は口元に笑みを張り付けながら、丁寧な手つきでティーポットを傾ける。
二人のカップに紅茶が注がれ、湯気と共にやわらかな果実の香りが漂い始める。
(これはベリーの香りでしょうか……)
ローズは紅茶のカップを手に取り、そっと口元に運ぶ。ひとくち啜ると、口いっぱいに甘酸っぱい風味が広がっていく。
そのままタルトの皿に手を伸ばし、スプーンで口に運ぶ。
甘すぎず、ほんのりとした酸味が絶妙なバランスで口の中に溶けていく。サクサクとしたタルト生地の歯触りに、丁寧に煮詰められた果実の柔らかさが心地よく交ざり合う。
「美味しいですね。ユリウス様もそう思いませんか?」
向かいに座るユリウスに問いかけると、彼もまた上品に一切れを口に運ぶ。咀嚼しながら軽く目を見開いた。
「生地にアーモンドが練り込んであるんだね。香ばしさが引き立っていて、とても美味しいよ」
「王族のユリウス様に気に入っていただけたのなら、きっと作り手も喜ぶでしょうね」
「料理に爵位は関係ないよ。美味いものは美味い。それだけさ」
何気ない一言にローズは微笑む。
紅茶の香り、タルトの甘み、そして互いの笑顔を共にしながら、穏やかな時間が流れていく。
「そういえば、セレフィーナは、見つかりませんでしたね」
「王都の衛兵たちは優秀だ。すぐに捕まると思っていたのにね……」
「きっと誰かが匿っているのでしょうね」
貴族、商人、教会。聖女を利用したい勢力はいくらでも存在する。その候補が多いが故に、どこに隠れているのか確証にまでは至らなかった。
二人の間に沈黙が流れる。
そんな時、応接室の扉がノックされる。
「ユリウス様。お手紙が届いております」
控えめな声と共に侍女が応接室に足を踏み入れ、一通の封書を差し出す。丁寧な装飾が施された封蝋には、王都の文官の印章が押されていた。
ユリウスが受け取り、器用に封を切って中の書状に目を通す。
瞬間、わずかに眉が動いた。
「まずいことでも書かれていたのですか?」
「僕の派閥に属していた貴族たちの不正が、次々と明るみに出ているらしい。そのせいで王都は騒然としているそうだ」
そう口にするが、声に悲壮感はない。むしろ、楽しそうに微笑んでいる。
「ユリウス様は困らないのですか?」
「悪いことをした者は罰せられるべき。それが僕の考えだからね。味方の陣営だからといって、庇うつもりはない。むしろ表に出たことを、喜ばしく思っているくらいだよ」
「ご立派なお考えです」
カップに残った紅茶をひと口含みながら、ローズは思案げに続ける。
「私も不正のリストを拝見してもよろしいでしょうか?」
「構わないよ」
ユリウスは躊躇いなく、ローズに書状を手渡す。そこには貴族の名前、地位、そして関与した不正の詳細が明記されている。
(これはセレフィーナの仕業でしょうね……)
ローズはこのリストの内容を知っていた。第二王子ギースの攻略ルートに進んだ際に起きるイベントの一つで、ユリウスが勢力を大きく失うことに繋がるのだ。
故意にこれを起こせるのは、ローズと同じくゲーム知識を持つセレフィーナだけ。どう伝えるか悩んだ末に、ゆっくりと口を開く。
「ユリウス様の陣営に属する貴族が集中的に晒されているようですね。けれど、第二王子ギース様の配下にも、同様の不正を働いている貴族はいるのでは?」
ユリウスは少し目を伏せ、苦い笑みを漏らす。
「……いると思う。でも僕はその情報を持っていないんだ」
そこまで聞いたところで、ローズは執事に視線を向ける。その意図をすぐに察し、彼は歩み寄ってくる。
「私に御用でしょうか?」
「何か書くものを頂けますか?」
「かしこまりました」
数分後、執事がペンと紙を運んでくる。受け取ると、ローズはそこに自分の知っている知識を書き込み、ユリウスに差し出す。
「こちらが、第二王子派閥の貴族たちが関与した不正のリストです。裏取りが必要であれば、いくらでもしてくださって構いません」
ユリウスは驚いたように目を見開く。
「……どうして君がこんなものを?」
「秘密です……ただこれはセレフィーナも知っている情報です」
「なるほど。つまり僕の陣営の不正を明らかにしたのはセレフィーナで、ギースと手を組んでいるということか……」
「理解が早くて助かります」
ユリウスは手元のリストをしばらく見つめ、沈黙のあと小さく頷く。
「僕がこれからどうすべきか妙案はあるかな?」
「この状況を逆手に取るのがよろしいかと。下手に言い訳をするのではなく、ユリウス様が両陣営の不正を同時に裁くのです……それができれば、民衆からの支持が貴方に集まるでしょう」
「なるほどね」
不正が露呈して、言い訳をするのは悪手だ。組織の長として、身内にも厳しい処分を与えることで得られる信頼もある。
尚且つ、これはギースの勢力も削ぐことに繋がる。ゲームシナリオのように次期国王の座を奪われる展開には繋がらないはずだ。
「君はやっぱり興味深い人だ」
ローズの提案に、ユリウスは立ち上がる。
「僕も負けてられないな」
その声音には、柔らかさと同時に確固たる覚悟が宿っていたのだった。




