表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/46

口ずさみながら


「ルウちゃん?」


 2限目の授業が休講になり、時間を持て余したわたしは、理系棟の方へやってきた。

 今日はこのまま、こっちの学食でお昼を食べてやろう。嫌がる圭の顔を思い浮かべながらメッセージを送る。案の定、来なくていい、なんて素っ気ない返事が返って来て、ニヤニヤと顔が緩んでしまった。


 普段立ち入る事のない建物の中は珍しく、ぶらぶらと歩いていると、カイさんとすれ違った。


「カイさん!」

「珍しいね、ルウちゃんがこっちに来るなんて」


 にっと笑って、カイさんがわたしの側にやってきた。

 カイさんに出会うのはこれで2度目だけれど、親しい友人のように気軽に話しかけてくれる。3カ月後にはなくなっちゃうのかな、なんて思いがチラリと頭をよぎった。


「休講で空きになったんです」

「それでこっちきたの? 残念だけど圭は講義中だよ」

「あ、知ってます。暇なんで、昼になるまでぶらぶらしようかな~なんて思って。ちょっとした探検気分ですね」

「じゃあ俺がこの辺案内しようか? 文系棟(あっち)には敵わないかもしれないが、理系棟(こっち)にも中々いい雰囲気の喫茶室があるんだぜ」


 素敵な喫茶室?


 興味が沸いたわたしは、カイさんのお誘いを受けた。キョロキョロしながら後ろを、ついて回る。

 建物の中をぐるりと歩いていると、知らない人が声を掛けてきた。


「あっれ、カイ。その子新しいカノジョ?」

「ばっか、違うよ。圭の彼女、お互い暇だから案内してんの」


 カイさんは友人が多いようで、通りすがりに出会う人、沢山の人達に声をかけられる。そして圭は有名人のようで、圭の名前を出すとみんなが、ああ、と言った顔をした。


「圭の彼女か。あいつコロコロ相手変わるから、今誰と付き合ってんのか、全然分かんねーんだよな。あんなのでも、次々と彼女になりたがる子が現れるんだから、イケメンは得よなー」

「そんな事言ってお前、今カノともう3年付き合ってんだろ? そっちの方が、俺は羨ましいけどね」

「そういや、カイもあんまり続かねえよな。圭ほどじゃないけど」

「うっせーな。可哀相だと思うなら、誰かいい子紹介しろよ」

「やだよ、自力で探せよ……」


 圭の彼女だと紹介され、反応が返ってくるたびに少しホッとする。

 この人たちは誰も不思議に思わないだろう。わたしが、3カ月後に圭の隣から消えていても。



 理系棟の3階に上がり、手前の教室の前で、カイさんが急に立ち止まった。入り口の扉は閉まっている。講義中らしく、中から教授のボソボソとした話し声が漏れていた。


「ここ、今、圭がいるとこ」


 視線を、教室に向ける。

 窓は曇りガラスで、中の様子は見えない。声も、教授のものしか聞き取れるものはない。

 

「じっと見ちゃって、気になんの?」

「え、いえ!」

「後でここに戻って来よう。教室出るとこ待ち伏せして、ヤツを驚かせよーぜ」

 

 にっと笑ったカイさんに笑顔で頷き、わたし達は喫茶室に向かうのだった。

 

 


 ◆ ◇


 


 理系棟の2階の端に、そのお店があった。

 入口の前には、黒い横長のベンチが一つ。その端に、黒猫を象った飾りと、グリーンの丸い人工観葉植物が置かれている。

 扉を開けると、ちりんちりん、と気持ちの良い音がした。


 人はまばらで、わたし達は見晴らしの良い窓際の席に座る。

 

「可愛いお店ですね。ちょっと意外」

「だろ? まぁ、こっちにも女の子は、少ないながらもいるからな。文系の学生でここ通ってるコもいるよ」


 テーブルの上には、丸いシュガーポットが置かれている。ドット柄が可愛い。入り口の装飾といい、女の子の好きそうなお店だ。


 メニュ―を見ると、美味しそうなスイーツの名前が目に入る。名残惜しいけれど、お昼が食べられなくなると困るので、紅茶だけ頼むことにした。カイさんはコーヒーを注文した。

 運ばれてきたコーヒーを、カイさんはミルクも砂糖も入れずに口にする。ブラックだ。大人だ。甘党の圭とは正反対だ。


「さっきアイツらが言ってたこと、気にしないでね」

「え?」

「圭の彼女がコロコロ変わるってやつ。たぶん、ルウちゃんは違うと思うから」

「いえいえいえ!」


 慌てて手を振った。そんなわたしを見て、カイさんがくすりと笑みを漏らす。

 優しいフォローに、気持ちが焦る。

 だってわたしと圭は、続かない関係だから……


「あの、わたしも、同じですから」

「――――――」


 思わず零した言葉に、カイさんの目がきらりと鋭くなった。

 キリリとした目元は、真顔になるとちょっと怖い。


「……同じって、なに?」


 低い声色は、妙な圧力を感じる。


「いえ、その……」


 しばらく黙っていたけれど、空気が重くなってきた。耐えきれなくなって、観念してわたしは口を開いた。

 

「付き合うの、3ヶ月だけなので」


 チラリと上目遣いでカイさんの顔を見た。

 眉をギュッと寄せ、(いぶか)しげにわたしを見ている。


「はぁ? それ、お試しってやつ?」

「お試しではないんですけど……次の恋人と上手くやる為に、一時的に付き合おうって事になって」

「なんだそりゃ。ルウちゃん、あいつと正式に付き合ってやる気、ないの?」

「あるもないも、圭が言ってきたんですよね。3ヵ月だけでいいって」

「圭が……?」


 ドキドキしながら、紅茶のカップに口をつける。

 目をつぶってごくんと飲んだ後、カイさんをそろりと見ると、にこやかな顔に戻っていた。

 

「ところでルウちゃんは、学部なに?」

「文学部です。古典文学専攻予定です」


 話題が変わり、ホッとする。

 もうすっかり、さっきまでの愛想のいい、カイさんだ。


「へぇ、古典ってイザナギ・イザナミとかそういうの?」

「そうですそうです。古事記、よく読むと結構面白いんですよ」

「ふぅん。俺、本とか普段読まないんだけど、ルウちゃんが勧めてくれるなら一度読んでみようかな」

「是非っ。カイさんは、圭と同じ理工学部なんですか?」

「そうだよ。圭と同じ学部で、学年も同じ。でさ、さっきからずっと気になってんだけど」

「はい?」


「敬語。そろそろやめない?」


 にっとした笑いを浮かべ、カイさんがコーヒーカップを手に取った。



 

 ◆ ◇

 



 講義の終わる5分前に、わたしとカイさんは、3階の教室の前にやってきた。

 時間が来て扉が空き、生徒たちが一人、また一人と廊下にやって来る。キョロキョロと人の波を目で追っていると、どくん、と心臓が揺れた。


 入り口の隙間から中を覗くと、圭が女の人と一緒にいた。

 大人っぽい雰囲気の彼女は、長い真っ直ぐな栗色の髪を揺らし、圭の手元を覗き込んでいる。さっきの授業の話でもしてるのかな……。


 人の流れが途絶えた頃、カイさんが教室の中に入っていった。わたしも後を追う。


「よお! なにぐずぐずしてんだよ。ルウちゃん待たせてるぞ」

「流羽? 来なくていいって言ったのに……なんでカイといんの?」

「暇だったからこっちに来たら、偶然カイさんに会って、さっきまで一緒にお茶してたの。こっちにも可愛いお店あるんだね」

「ふうん……知らない間に、なんか仲良くなってんだな」


 広げていたノートとペンを鞄にしまいながら、圭が苦々しい顔をした。

 理系棟(こっち)に来られるの、そんなに嫌だった?


 圭の側にいた女の子が、じっとわたしを見つめている。綺麗な人。落ち着いた雰囲気で、わたしと正反対のタイプの人。


「ルウちゃん、いい子だからな」

「カイさんもいい人だよ」

「サンキュー」

 

 それとも……わたし、邪魔しちゃった?



 女の子が、わたしから視線を圭に戻し、気まずそうに声を掛けた。


「圭くん、私行くね。これ、なるべく早く返すね」

「ああ、いつでもいいから、焦んないで」

「うん、ありがとう!」


 栗色の髪をふわりと揺らし、知らない女の子が教室から出ていった。


 その後ろ姿を、ふっと優し気に圭が見つめている。その笑顔は。



 ―――――境界線の内側の、顔だった。

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ