わたしは歩く
「そういえば、ねえ、今夜は空いてる?」
「………ん?」
タマゴサンドを片手に、圭が怪訝な顔をした。
今日はお互い3限目が空きコマなので、文系棟内にある、ランチも出来るカフェでゆっくりと過ごしていた。
「ほら、バイト代入ったら奢るって言ってたでしょ? 土日は不定期になるけど、平日は火・木以外なら空いてるよ」
「火曜と木曜はサークル?」
「ううん、バイト。サークルは一年の時はしていたけど、もう辞めちゃった。バイトのある日は遅くなるから、ちょっと無理」
ここんとこ毎日、こんなかんじで一緒にお昼を食べている。
圭もさすがに、登下校を共にするのは諦めたようだ。お互い時間もまちまちだし、急な休講等もある。そもそも方向が逆の時点で間違っている。毎朝同じ時間に、同じ場所から通っていた中学時代とは訳が違うのだ。
代わりに、昼食を一緒に食べることにした。理系棟と文系棟は少し離れていて、それぞれに学食がある。どちらで食べるのか、日替わりを提案してみたら、あっさりと却下されてしまった。
「流羽はこっちに来なくていい」
「えー、なんで文系棟ばかりなの? 圭は、理系棟の方がいいんじゃないの?」
理系棟は男子生徒が多いせいか、学食の内容も量が多くて食べ応えのあるメニューが多い。対して文系棟は女子生徒が多く、メニューもパスタやサラダ、グラタンなど女の子が好むようなものが多い。もちろん、ボリュームも控えめとなっている。
そりゃわたしは、こっちでいいけどさぁ……。
圭、もの足りなくない?
同じタマゴサンドのはずなのに、圭の大きな手に掴まれている方は、なぜかわたしのモノより小さく見えてしまう。
「今日、空いてるけど。まぁ、今日というか基本ずっと空いてるけど。バイトもサークルもやってないし」
「ふーん、圭って暇人なんだね。そんなに暇なら自炊に挑戦してみなよ」
「別に暇って訳じゃないけど。流羽と違って色々忙しいんだよ」
ムッとした顔をして、圭がコーヒーフロートに口をつけた。可愛い葉っぱが浮かんでいる。
色々って、なに?
わたしと違って、恋人と会うのに忙しかったってワケ?
少しだけもやっとして、ぶすっとした声をあげた。
「で、なに食べたい?」
「なんでもいいなら、オムライス」
「おっけ! んじゃ、夕方に駅で待ち合わせしよ。おススメのお店に連れてくよ」
「……作ってくれる?」
……………え?
やっぱり圭は圭だ。
相変わらずインドアの人だった。
お気に入りのオムライス専門店に、連れて行ってあげようと思ったのにな。卵がふわふわのトロトロで、木乃ちゃんもみぃ子も絶賛してくれた店なんだけど。
「ケチャップと、ミンチ肉と卵……って、なにキョロキョロしてんの、圭」
結局、授業が終わった後、圭を連れていった先は近所のスーパーだった。なんでこうなったんだろう……。
ここに来るのは初めてらしく、圭が物珍しそうに辺りを見回している。本当に自炊はしていなかったようだ。パスタ売り場で足を止め、一番上の棚に並ぶ大きな箱をじっと眺めている。
「ラザニアだって。こんなの、家で作れんの?」
「出来るけど、お店で食べた方が美味しいよ?」
「今度作ってよ」
「話かみあってないよ?」
カゴにポイっと放り込まれてしまった。
近いうちに作る事、決定らしい。まぁ、いいけどさ。
ついでにお菓子類と、ドリンク類もいくつか買い込んだ。こういった買い出しを誰かとするのは、それだけでワクワクした気分になってしまう。
それはきっと、これから起きる楽しい時間を、思い描いてしまうから。
……って。わたしは、圭と一緒の夕飯タイムを楽しみにしてるのか。
1人よりもずっと、2人の方が賑やかで。だから少し、浮かれた気分になってしまっているのかな。
すっかり重くなった荷物は、圭が何も言わずに運んでくれた。
細いと思っていた圭の腕は、わたしの腕よりもずっと太かった。
「バイトってそんな遅くまでやってんの?」
わたしの作ったオムライスを掬いながら、圭が訊ねてきた。
専門店には遥か及ばないけれど、それなりに卵がふんわり出来た……ような気がする。ケチャップで花模様を描いて誤魔化してみたら、意外と好評だった。
「飲食店だからね。といっても22時には上がってるけど」
「気ぃつけろよ……。大通りはいいけど、路地に入ると明かりも少ないし物騒だぞ。駅からこの家まで、そこそこ歩くだろ」
「駅、使ってないよ?」
電車で移動しても良いのだけれど、この辺は駅と駅との間隔が近く、一駅程度なら徒歩でも十分移動可能な範囲内だ。わたし達の地元とは大違い。都会スゴイ。
「はあっ? 歩いてんの?」
「歩いてるよ……だって、ここから駅まで行くより、直接行った方が手っ取り早いんだもん」
電車を使う方が早いのは早いけれど、10分くらいしか変わらないし……。
それに。歩くことは、好き。沈んだ気分でいる時も、踵を上げて歩くだけで、心が浮くような気になれるから。
ふわふわと、つま先に重心をかけて歩く。たったそれだけで、わたしは軽やかになれるのだ。
圭がなぜか呆れた顔をしている。交通費だって節約できるし、ダイエットにもなるし、いい運動にもなるしで、良いことずくめなのに!
「流羽、結構危なっかしい生活してんのな」
「圭と違って、早寝早起き・こまめに自炊の、規則正しい立派な生活送ってるのに?」
「そういう話じゃない……」
オムライスを食べ終えて、圭が缶チューハイのフタを開けた。カルピスサワーの甘い匂いが漂ってくる。ぐびりと一口飲み、忌々しそうに呟いた。
「おれのことだって、簡単に部屋に入れるしな」
簡単に入ってくる張本人が、それ、言う?
昔は散々入り浸っていた癖に、今更もいいとこだ。だめだと思うなら、あの頃もっと遠慮をして欲しかった。
そもそも、オムライス作れとか言ったの、誰だ。
「それとも……彼氏だからいいって思ってんの?」
「へ………彼氏?」
圭は圭で。
彼氏だとか彼氏じゃないとか、そんなの関係ないんだけど……。
「彼氏っていうか……圭だし?」
「ふぅん」
目を細め、圭が前髪をかき上げた。サラサラの黒髪が、長い指の隙間から零れ落ちる。
唇を引き結んだまま、圭が体を寄せてきた。そのまま無言で、じっとわたしを見つめている。落ち着かなくなって、少し目を逸らすと、圭が首を軽く傾けた。
「彼氏っぽいことして欲しい?」
甘い声で囁かれ、どくん、と心臓が跳ねる。
少しとろりとした瞳は、お酒のせい………?
「け、圭?」
圭の左手がわたしの頬に触れる。驚いたわたしに、圭が顔をぐっと寄せてきた。
え? え? え?
彼氏っぽい事って………まさか、キス!?
思わず目をギュッと閉じる。肩もぎゅっと竦めていると、ガサゴソとした音がして、頬にぺちぺちと硬い何かがぶつかった。
……………あれ?
「なにビビってんだよ」
そろりと目を開けると、圭がニヤニヤと笑っている。右手で銀色のカギをつまみ、くるくると回していた。緊張が解けたわたしの手のひらに、鍵が押し付けられる。
「これ、流羽にやる」
「えっ」
「おれんちの合鍵、いいから持っといてよ」
鍵?
なんで鍵?
まじまじと銀色の物体を眺め回す。これ、どういう意味?
「これは……ごはん作りに来いって意味?」
「してくれんの?」
「…やだよ。圭んち、まともに調理器具なさそう」
手のひらをギュッと握り締めた。固い鍵が皮膚にぶつかり、鈍い痛みが伝わって来る。
圭は満足そうな顔をして、サワーの続きを口にした。
今までの彼女にも渡してきたんだろうな、これ。
圭の部屋の鍵。短期間で持ち主を変える鍵が今、わたしの手元にやってきた。
どうせ、すぐに返すのに。3ヵ月ぽっちの為に、わたしにわざわざ、渡さなくってもいいのに。
……こんなの、要らないのに。
「探せば、フライパンくらいならどこかに……」
「それ、出てこないんじゃないかな……」
もしかして、夕飯のお世話係が欲しくてわたしと付き合い始めたんじゃ………。
圭をじろりとひと睨みし、机の上に転がっていたサワーに手を掛けた。
グイっと一気にあおる。
「なぁ、流羽。今度から、バイト遅くなる日は連絡して」
「なんで?」
「……迎えに行くから」
髪をくしゃりと掻き上げながら、圭がぽつりと呟いた。
なんだそれ。
……彼氏っぽいこと言っちゃって。
頬が熱くなって、頭がぼんやりして。わたしは、ゆるりと意識を手放した。




