朝の町を
月曜は、1限目から授業がある。
わたしの住むアパートは大学に近い。10分も歩けば門の前に辿り着ける。まあ、そこからが少し、長いのだけど。
都会ってすごい。地元じゃ考えられないような近い距離に、アパートがうようよと立っている。うちの大学に通う生徒達は、大抵がわたしのような距離の場所に住んでいる。
お陰で、一限から授業がある日でも、割合ゆっくりとした朝が過ごせてる。中学、高校時代と比べると、今の生活は本当にのんびりとした毎日だ。
それでも7時には目を覚まし、寝ぼけた頭を、朝食をかじりながらはっきりとさせていく。身支度をルーチンで整えている内に、時計はいつしか家を出る時刻を指していた。
「えっ?」
玄関の扉を開けて、固まった。
アパートの腰壁に背を持たれかけ、スマホに目線を落としながら、圭が気だるげに立っている。
扉の音で気が付いたようだ。顔を上げ、柔らかな笑顔をわたしに向けた。
「おはよ、流羽」
「………おはよ、圭。どうしたの?」
「おれも今日は一限目から授業なんだ」
うん、昨日そんなこと言ってたね。
月曜は1限目から授業があって、だるいよね。
なんて話をしてたよね。
「だから、一緒に行こうと思ってさ」
壁から背中を離し、圭がわたしの横に並んだ。
一緒に、って。圭のアパートは、大学を挟んで反対方向のはずだけど。
隣を見上げて、端正な顔を覗き込んだ。愁いを含んだ瞳は、なんだか眠たそうに見える。
「昨日はなんにも言ってなかったよね」
「うん、昨日の夜に決めたから」
なに、その気まぐれな行動。
猫か。やっぱり圭は、大きな猫だったのか。
「来るなら連絡してよ。圭っていつも突然だよね」
「真夜中だから、もう寝てるかと思って」
やっぱり夜更かししてるんだ。
もっと早く寝ればいいのに、不健康だなあ。
アパートから通りに出て、朝の光を浴びる。
わたしの隣で、圭が眩しそうに目を細めた。
一緒に学校に行くとか、まるで中学の頃のよう。
大学までの道のりを歩きながら、わたしは昔を思い返していた。あの頃、わたしと登下校する圭の姿は、圭がフリーになった合図のように映っていたようだった。
『久我君、今朝は八瀬さんと歩いてるよ』
『あぁ、また彼女と別れたんだ』
わたしも一応女子なんだけど。
圭と一緒に登下校をしていても、わたしはいつも、周囲からは圏外扱いされていた。圭の彼女達とわたしが、かけ離れていたせいだろうか。わたしが圭の彼女と間違われることはなかった。
勘違いされて敵視される事が無かったのは、まぁ、いいことなんだけど。
まばらだった人影が、大学に近づくにつれ段々と賑やかになっていく。それにつれ、周囲から好奇の目で見られるようになってきた。今のわたしは、あの時とは違うように見えるのだろうか。
「流羽、今日は授業何限まで?」
「4限まで。圭は?」
「5まである……。3限目は空いてんだけど」
注目される事には慣れてるのか、圭は平然とした顔をしている。久し振りの感覚に、そわそわしながら歩いていると、後ろから突然、声を掛けられた。
「ねぇ彼女、そんな奴やめて俺にしない?」
振り返ると、プラチナホワイトの短髪をした、背の高い男の人が立っていた。
思わず振り向いちゃったけど、知らない人だ。人違いかな?
「うわ!」
再び前を向こうとすると、後ろから突然、わたしの肩に太い腕が回ってきた。
ぐいっと引かれ、身体が後方に傾く。
なに、なんなの???
隣を向くと、圭がため息をついて、わたしの背後を睨みつけていた。
「金曜に別れたつってたのに、もう新しい彼女かよ。お前ほんと女切らさねーよな」
「……離せよ、カイ」
「俺なんて、もう1ヶ月も1人身なんだぜ。ちょっとくらい回してくれたっていいじゃん」
だ、誰この人。圭のお友達?
どうでもいいけど、腕、離して欲しいんだけど!
じたばたと、もがいてみたけれど離れない。
かじるべきか。これはもう、思い切って腕、かじっちゃうべきか?
「離せって言ってるだろ」
ドキドキしながら口を開けたら、圭が腕を引き剥がしてくれた。良かった、痛い思いをさせずに済んだ。
カイと呼ばれた男の人は、圭の肩に腕を回し、ニヤニヤと笑いかけている。
「怖い顔すんなよ、圭。冗談に決まってんだろ、なにマジになってんだよ」
「笑えない冗談いらねーから。本気みたいに聞こえるぞ」
「まあ半分は……て、あれ。なんかいつもと毛色違うの連れてんのな」
圭からわたしに視線を向け、カイさんは不思議そうな顔をした。
あんまりジロジロ見ないで欲しい。わたし、歴代の彼女達みたいに綺麗じゃないからさ。
「俺、東山魁維。カイって呼んでよ」
「八瀬流羽です。よろしくお願いします……」
カイさんも、圭と同じで人目を引くタイプだ。派手な髪に、崩した服装。よく見ると、耳にピアスが幾つもついている。
「子リスみたいでかわいーじゃん。たまにはこういう子もアリかもな。ルウちゃん、コイツと別れたら俺どう?」
キリリとした眉は凛々しくて、甘さのないタイプだ。男性的とでも言おうか、圭とはまた別のベクトルでカッコいい人だ。
てかさ。可愛いって、わたしのこと?
うわーうわー、お上手だ……。
お世辞だと分かっていても、照れてしまう。頬を赤らめていたら、忌々しそうに舌打ちする音がした。
「いい加減にしろよ、カイ。コイツ免疫ないから、あんまりからかうなよ」
「ちぇ、予約するくらいいいじゃん……」
「流羽、もう行くぞ」
圭がわたしの手を乱暴に掴み、引っ張った。
あれ、友達はもう、いいの?
気になって振り返ると、カイさんが軽く手を上げ、にっと笑顔を見せてくれた。
嬉しくなって、わたしもにっと笑い返す。
「なにニヤニヤしてんの、流羽」
「カイさんが、手を振ってくれたの」
「………。流羽、カイの言う事、真に受けんなよ」
「分かってるよ」
「面白がってるだけだからな、あいつ」
「分かってるってば」
圭が苦い顔をしている。
木乃ちゃんやみぃ子と4人でいた時の、わたしみたいな顔。
あの時の圭も、こんな気持ちで見てたのかな。
「圭の友達もいい人だね」
「……やっぱり分かってないだろ」
大丈夫、分かってるよ。
だって。
カイさんの目には。わたしはちゃんと、圭の彼女に見えていた。
あの人は、わたしをちゃんと認めてくれた。
◆ ◇
「あれ、流羽。さっきの、理工学部のプリンスじゃない?」
文系棟の入り口で圭と別れた後、同じ学部の友達がやってきた。一緒に、一限目のある教室へと向かう。
「仲良さそうにしてたけど、知り合いなの?」
「うん、幼馴染なんだ」
「えー嘘意外、いいなぁ。かっこいいよね彼、いつもキレイどころと一緒にいて、手が届かないアイドルってカンジだけど……流羽の幼馴染かぁ。ねえねえ、ちょっと私に紹介してよ」
肩を叩かれて辟易する。
この子の目には、わたしは、知り合い程度にしか見えていないんだ。
「今はちょっと、紹介は出来ないな」
「あれ、金曜に別れたって噂あったけど……。もう、別の彼女いるの?」
「うん、いるんだ」
圭の隣には、今はわたしがいるんだよ。
「そっかぁ、残念~。まあでも、どうせすぐ別れちゃうよね……」
……まあ、たったの3ヵ月なんだけど。
目を伏せて教室に入る。
窓際の席に座り、レジュメや筆箱を机の上に並べていると、携帯が鳴りだした。
圭からのメッセージだ。
『昼、そっちいくから。一緒に食べよう』
窓から外を見た。
遠くに理系棟の建物が見えた。沢山の窓が並んでいて、その中のどこかは分からないけれど、あの窓の向こうに圭がいる。わたしに向けて、メッセージを打ち込んでいる。
『わかった、学食の入り口で待ってるね』
携帯を握り締めた。緩んだ口元は、しばらく元に戻らなかった。




