変えるように
「おはよう、流羽」
「………おはよ、圭。どうしたの?」
「暇だから来た」
日曜日の朝。チャイムの音が聞こえ、もしやと思って開けてみたら圭がいた。
どうぞと言うよりも早く、軽やかにわたしの横をすり抜けて、圭が家の中へと入りこむ。
あぁ、この感じ。中学時代を嫌でも思い出す。
「圭、毎日暇なんだね。バイトしてないの?」
「バイトは、長期休暇に一気にやってるから」
圭の家と同様、うちもワンルームの狭い部屋だ。入ってすぐ目につくベッドの上に、圭が懐かしそうな顔をして腰掛けた。
「このベッド、昔のまんまだな」
「実家から持ってきたんだ。新しいのが欲しかったけど、ダメだって」
「まぁおれも、家で使ってたやつそのまま持ってきてるけど」
子どもっぽい、丸いフォルムをしたピンクのベッド。足の部分はところどころ剥げていて、すっかり古びてしまっている。
掛け布団の柄も、小さな子が使うようなデザインだ。
「流羽は、今日もバイト?」
「ううん、今日はオフ」
「おれは夕方から友達と約束してて、それまでどこか出掛けようかと思ったけど……」
腰掛けた状態から、ぱふん、と背中からベッドに沈み込んだ。
「やっぱ、ここでごろごろしてようかな」
ベッドの上で寛ごうとするなんて、やっぱり圭は圭だ。中学時代からちっとも変ってないんだな。
わたしは呆れて、でも懐かしいような気分がして、ほんのりと頬を緩ませる。
「圭って、インドア派だったよね」
「そうだっけ?」
「そうだよ。ほら、中学時代は、よくわたしの部屋に入り浸って漫画読んでたじゃない」
「あー、そんな事もあったな」
ベッドに上半身を沈めたまま、圭は気だるげに天井をぼんやりと見つめている。わたしは圭の隣に腰掛けて、無駄に整った顔を見下ろした。
圭の大きな目が、眠たげに細められている。もしかして疲れてるのかな。
「ベッドは昔と変わらないけど、部屋の中はやっぱり、昔とは違うな」
「そりゃそうだよ。実家のような広さはないもん。置いてきた家具も結構あるし」
「ああ………漫画がどこにもない……」
不満そうに呟いて、ようやく圭が身を起こした。昔みたいに、ベッドの上で漫画読んでゴロゴロする気だったのか。
残念だね、圭。漫画、というか本棚なんて大きな家具、実家に置いてきたに決まってるじゃない。
「うちにいてもいいけど、なんにもないよ?」
「ん~…」
「本読むか、スマホ眺めるか、テレビ見るかの3択だよ。どれがいい?」
「……流羽がいい」
だるそうに呟いて、圭がわたしの肩に顔を埋め、抱きしめてきた。
圭の部屋に転がっていた、エル字型のクッションを思い出す。あれの代わりかな、わたし?
やっぱり圭、疲れてるんだ。
「わたし、抱き枕じゃないんだけど」
「知ってる……」
そう言いながら、もたれかかってきた。やっぱりわたしのこと、抱き枕だと思ってるな。
辺りを見回し、代わりになりそうなものを物色してみたけれど、なんにもない。キョロキョロしているうちに、重みが増してきた。
圭は細身だけど背が高いので、わたしと比べるとずっと重い。だから、あんまり体重かけられたら、支えきれないんだけど……。
懸念した通り、コテン、とわたしの背中がベッドについた。
「眠いなら、今日はもう、家帰って寝たら?」
「ううん、ここにいる……」
わたしの肩に、圭が顔をぐりぐりと押し付けてくる。
大きな猫みたい。
眠い時の癖なのか、昨日もされたそれは、髪の毛が首筋に当たりくすぐったい。
わたしがもぞもぞしていると、圭の動きがピタリと止まった。もしかしてもう寝たのかな。
そっと横を向くと、圭のサラサラな黒髪が目についた。
手触りの良さそうな髪からは、シャンプーの爽やかな香りがする。
恐る恐る手を伸ばし、圭の髪にそっと触れてみた。表面を掻き上げるように、軽く指を通す。
わたしの手の中で、するりとすり抜けるように、圭の髪が流れていった。
綺麗な、髪。
どくどくどく。耳を澄ましていると、心臓の音が聴こえてくる。なんだかソワソワしてきて、わたしはそっと目を閉じた。
暗い視界の中で。
わたしのものとは違う匂いだとか、ぬくもりだとか、重みだとか。そういった圭を彩る沢山のものが、こうしてぴったりくっついていると、どんどんわたしに伝わって来る。
すぐそこに、圭がいる。
なんだか慣れなくて、落ち着かない。
こんな風に思っているのは、きっとわたしの方だけだ。
温かい体温に、わたしも段々眠くなってきた。
意識が、飛ぶ。
「……寝たの、流羽?」
圭の声が聞こえた気がしたけれど、わたしは夢の中へと旅立っていた。
◆ ◇
目が覚めると、目の前に圭の穏やかな顔があった。
「あれっ!? いたっ!」
「ってえ……急に起き上がって来るなよ」
慌てて起き上がり、圭と額がぶつかった。お互いおでこを押さえ、下を向く。
目の端に、涙がぷくりと盛り上がる。痛い……。
「もう昼だぞ、昨日夜更かしでもした?」
「ううん、日付変わる前には寝たよ。って、疲れてたのは圭の方じゃ……。そっちが先に寝だしたんじゃない」
「おれ、寝てないけど」
あれ?
おかしいな。なんでわたしだけが寝てるんだろ。
「そうなんだ? ごめんね、放ったらかしで」
「いや、いいけどさ」
圭が長い指先を伸ばしてきた。わたしの目尻についた雫を、そっとぬぐい取る。
なんとなく目を逸らすと、時計が見えた。うわ、もう13時。
「寝ちゃったお詫びと、この前のお礼でもしようかな」
「ん?」
「お酒、奢って貰ったままでしょ?」
「ああ、あれは気にしなくていいよ。おれが誘ったんだし」
「ええ、結構高そうなお店だったよね? それに、昨日の夕食も出して貰ったし……」
そう。
昨日、カラオケ代は何とか払えたものの、そこで財布がスカスカになったわたしは、圭に夕食代を負担させてしまったのだ。
そりゃ、家で食べると言ったわたしを、引き留めて外食しようとしたのは圭なんだけど。それでもやっぱり、2度も奢られたままでいるのは、居心地が悪い。
ベッドから立ち上がり、コンロの前に移動した。
冷蔵庫を開け、冷凍ご飯とハムと葱、卵を取り出す。レンジにご飯を入れ、ボタンを押した。
「こんなものしかないから、チャーハンくらいしか作れないけど……」
「昼飯?」
「うん、まだでしょ?」
「そういや腹減ってきたな」
ふっと圭が笑った。
うん。この前のお酒とこのチャーハンが、釣り合っていない事は分かってる。
「もうすぐバイト代が入るから、そうしたらちゃんとご馳走するからね!」
「いいのに……」
「何が食べたいか考えといて」
「ん……分かった、考えとくよ」
一人暮らし歴1年と6ヵ月のわたし。
料理歴もたったの、1年と6ヵ月のわたし。
そんなわたしの作るチャーハンは、具だって有り合わせの残り物で、ご飯だって全然パラリとしていない。
それなのに、圭は意外と喜んでくれた。味に煩いタイプじゃなくて良かった。
「流羽、意外と料理出来たんだな」
「意外ってなによ。そりゃ、実家にいた頃はさっぱりだったけどさ。今は一人暮らししてるんだから、ちょっとくらいは作れるようになってるよ」
「おれ1人暮らししてるけど、全然自炊してない」
「でしょうね」
牛乳飲むのにコップすら使わない人が、まともに自炊してるとは思えない……。
「全部外食で済ませてるの? 贅沢してるんだね」
「ん~…。たいてい彼女に作って貰ってたから……」
「えっ!?」
びっくりして、目の前の幼馴染をまじまじと見つめる。
いつも彼女に作らせてるの? やだ、このチャーハン、比べられてない?
「てかさ、そこじゃない?」
「なにが」
キョトンとした顔をして、銀色のスプーンを口に運ぶ。わたしの目を不思議そうに見ながら、圭はもぐもぐとチャーハンを食べた。
「すぐダメになる原因だよ。作って貰って、お返しとかしてたの?」
「………いや、特には」
困ったような顔をして、圭がコップのお茶を飲んだ。
「みんな嬉しそうにしてたから、なんにも思わなかったけど……ダメだったのかな」
「そりゃそうでしょ。なんでも一方的だと、相手は不安になるんじゃない? 次は、もうちょっと圭も何かしてあげなよ」
顎に手を当てて、何やらじっと考え込んでいる。そんな姿ですら呆れるほどサマになっている。
ほんと、圭は無駄にかっこいい。だからして貰う事が当たり前になっていて、だからピンときていないのかも。
「分かった、これからはそうしてみる」
ふわりと笑まれて。
その笑顔の先にあるものを思い浮かべ、少し、胸の奥がちくりと痛むのだった。




