―――――〆―
目が覚めると、隣で圭が眠ってた。
狭いベッドの中、ぶつかる腕の感触が、妙にくすぐったい。
寝不足だったせいか、昨夜はすぐに眠りに落ちた。シャワーを浴びた後、圭が来たら驚かせてやろうと思い、布団の中に潜り込んで息を潜めている内に、いつの間にか意識が途絶えてた。
もう少し2人でゆっくりしたい、なんて思っていたのにな。
まぁいいか。今日も一日一緒に過ごせるし、明日からだって、ずっと一緒に居られるのだ。もうこれからは好きなだけ、圭の側でゆっくり出来るんだ。
横を向いて、隣の彼を見つめてみた。起きている時は格好良く見えるのに、寝顔はなんだか可愛く見える。長くて量の多い、まつ毛のせいかも知れない。
圭の頬を包みこむように、手のひらでそっと触れてみた。これが終わりじゃなくて、これからも続くのだと思うと、じんわりと喜びが込み上げてくる。
ふふ、と笑むわたしの前で、圭がゆっくりと目を開けた。
まどろむ間もなく、勢いよくわたしの身体を抱きしめてくる。
な、なに!?
「流羽っ!」
「圭、圭。どうしたの?」
「これ、夢じゃない、よな?」
腕にぎゅうぎゅうに力を籠め、圭がわたしの身体を締め付けてきた。
苦しくって、離して!と言おうとしたけれど、圭の顔を見て言葉が止まる。昨日よりも遥かに不安そうな表情で、こちらをじっと見つめている。
わたしの肩に、心細げに頭を寄せてきた。
「夢じゃない、よ?」
「流羽はおれの彼女なんだ……よな?」
「うん、彼女なんだ、よ?」
わたしも腕を伸ばし、圭の身体をぎゅっと抱きしめてみた。広い背中を、そっと撫でてみる。
しばらくすると落ち着いたのか、圭の腕の力が緩んだ。
「ごめん。なんかいつも、目が覚めたら、捕まえたはずの流羽が逃げてるから」
「いつも?」
こてりと首を傾げる。大抵、圭が目覚めた時にはここにいるけど……
「おれ、2回も肩透かし喰らってるからな。3度目もあるんじゃないかと、変な想像しちゃったよ」
「ん……1回じゃなくて?」
一度だけなら覚えはある。朝、目を覚ました圭に、別れを告げたあの一回なら、まあ、逃げたっちゃ逃げたけど。
アレの他にそんな事、したっけ?
「始まりの日の朝だよ」
圭がくしゃりと前髪をかき上げた。きまりが悪そうに視線を逸らしている。
「ほんと、全然覚えてない? あの日さ、おれ、流羽に付き合ってって言ったんだよ」
「え―――?」
あれ? あれって、わたしから付き合ってって言ったんじゃあ……
「流羽からOKの返事貰ってさ。おれてっきり意識があるものと思って喜んでいたら、次の日すっかり忘れてんだもんな。あれは心底がっかりした……」
付き合ってと言ったのが圭の方で、わたしがそれに頷いていた!?
圭から聞かされていた話と、なんか180度違うんですけど……
「流羽を彼女にしたつもりでいたのに、あっさり記憶飛ばしてんだからな。しかも隣で寝てるおれを見て、青くなってるし。嘘ついたのは悪かったけど、ストレートに言ったんじゃ断られるとしか思えなくてさ。色々考えたんだよ、おれも」
「そ……それで、3ヵ月なんて言い出したの………?」
拗ねたような顔をして、圭がコクリと頷いた。
な、なにそれ……
その一言に、わたしは囚われまくっていたというのに……
目の前の彼は、わたしの動揺に全く気付いてないようだ。もぞもぞと、言い訳がましく言葉を連ねてくる。その内容に、更に衝撃を受けてしまった。
「それに、流羽って好きな奴がいただろ?」
「えっ!? ええ……どうして、それを!?」
「朔太に聞いたんだよ。本気だから付き合えない、だっけ? そう言われてフラれたなんて聞いてたから、あんまり真剣に迫っても断られるって思ってたし」
朔くんは小学校時代からのクラスメイトだ。中学の頃からよく喋るようになって、卒業式の日にわたしは彼に告白された。本気の朔くんに応える自信が無くて、わたしは丁重にお断りをしたんだけど……。
圭に、話してたの!?
「朔くんたら、お喋り!!」
朔くんは、わたしの想いに気付いてた。
じゃあ圭は、わたしの気持ちを知ってたの!?
わなわなと震えるわたしを、やっぱり分かっていない様子で、圭がそろりと尋ねてきた。
「なぁ。おれ、そいつを上書きできたの?」
「――――へっ!?」
上書きも何も……圭がその本人なんだけど……
思わず安堵の吐息が漏れた。朔くんも、流石にそこまで喋ってはいなかったんだ。
……でもまあ、今なら言っちゃっても、いいかな。
「もう……そいつの事忘れてくれたんだろ?」
『そいつ』がほんの少しだけ、不安そうな顔をした。
くすりと笑みが漏れた。本当に、なんにも分かってなかったのかぁ……。
「まだ忘れてないよ」
「え? あ、あれ?」
「まだ好きだよ。だってそれって……圭だから」
圭の頬が赤みを帯びていく。目がゆっくりと見開かれていった。ぱっかりと口も開いている。
あ、なんかすんごい驚いてる!
「はぁ!?」
「わたし、中学の頃から圭が好きだったんだよ。気付かなかった?」
「なんだ。……なんだよ、それ」
圭が肩を震わせて、今度は笑い出した。
そんなに笑わなくたっていいじゃない。そうよ、もう7年越しなんだから。自分でもしつこいなって、自覚してはいるんだよ?
ひとしきり笑った後、圭が、むくれたわたしの頬に手をかけた。
目尻に浮かぶ涙のせいか、妙にキラキラとした笑顔を浮かべている。
「おれもだよ」
「へっ!?」
「気付かなかった? おれも、中学の頃から流羽が好きだったんだよ」
圭も、中学の頃から、わたしを―――――?
甘い言葉に、どくりと心臓が鳴った。
フワフワとした気分で当時を思い浮かべ、次の瞬間、わたしは現実に引き戻された。
「嘘っ! いっつも別の女の子連れてたじゃない!」
「あれは……流羽には相手にされてなさそうだったし……。てか流羽こそ、おれに興味なんて無さそうだったじゃん!」
「だってわたしこそ、相手にされてないと思ってたし……。そうだよ、圭にとってわたしなんて、居心地のいいベッドのおまけみたいな存在だったじゃない!」
「あれは……」
視線を背け、少しだけ言い淀んだ後、再びわたしに目を向けた。
「知ってた? 流羽は誤解してたけどさ、おれ別にインドア派って訳じゃないんだよ。小学生くらいまでは一緒に外で遊んでただろ?」
「まぁ、確かに子供の頃はそうだったけど……。でも中学の頃なんて、いっつもわたしの部屋にいたよね?」
「あれはね、流羽の部屋に居たかっただけだよ。おれ、流羽のベッドで寛いでいるのが好きだったんだよ」
「ほら。やっぱり圭って、わたしじゃなくて、わたしのベッドが好きだったんでしょ?」
「流羽も好きだけど、流羽のベッドも好きだったんだよ。だってさ、あそこにいると…………」
じろりと圭を睨んでいると、不敵に笑み返された。
だって、何よ!?
圭の瞳が、甘く揺れる。それを見て、思わずどきりと胸が鳴る。
端正な顔がわたしの耳元に近寄って、こそりと囁いた。
「流羽の、匂いがしたから」
―――――!!!
なにそれ、なにそれ、反則っ………!
顔が真っ赤になって来て、恥ずかしくなって、布団の中にずりずりと潜り込んだ。
布団の中からは圭の匂いがして―――――圭に包まれてる気分がして、目を閉じると、なんだか幸せな気持ちになってくる。
ああ、わたしも圭の事言えない。
ここにこうしているの、好きだな。
「圭の言う事、ちょこっとだけ分かったかも……」
布団の中に漂っている圭の匂いを、胸いっぱいに吸い込んだ。満たされてきて、段々本体に会いたくなってきた。布団からそろりと顔を外に出す。
愛おしい人が、わたしの目の前にいる。きょろりと視線を向けると、圭としっかり目が合った。優しい眼差しに、心まで温かくなってくる。
圭の手のひらが、わたしの頭を緩やかに撫でた。
「流羽もおれのベッド、好き?」
「うん、好き。圭なら、何でも好き。おでんも美味しかったよ」
圭がわたしに作ってくれた、初めてのごはん。
わたしが圭に何かしてあげたかったように、圭もわたしに何かしたいと思ってくれたのかな?
わたし達、おんなじだね。
嬉しくなって、笑みが漏れる。
反対に、圭の眉は寄せられた。
「おでんて……全然、食べてくれなかった癖に」
「だって、サユさんが作ったおでんだと思っていたんだもん」
「はぁ? なんで紗結が作るんだよ」
「あ、わたしの勘違いだったの! ありがとう圭、料理の練習、してくれていたんだね」
「…………」
どこか遠くをじろりと睨みながら、圭が恨めしそうな声を上げた。
「あいつら喋ったな………」
あれ、黙っておけば良かったかな……。
圭はとっても不機嫌そうだ。この調子じゃ、初デートはサユさんコースなんだって? とか、間違っても言わない方が良さそうだな。
なんて呑気に考えていたら、振り返った圭とばっちり目が合った。
「また食べたいな」
後ろめたさを誤魔化すように、圭の腕に抱き着いた。見上げて、にこりと笑ってみる。
圭の瞳が妖し気に揺らめいた。口の端がにんまりと持ち上がっている。
なんだろう、圭から謎の色気が漂っている……。
「いいよ流羽。流羽が望むなら、いつでも料理してやるよ」
なにか危険なものを感じ取ったにも拘らず、わたしは動けなくなっていた。そのまま圭をじっと見つめていたら、唇に柔らかいものが触れていた。
料理、どうせなら2人で一緒に作りたいな。
ハンバーグなんて、いいかも。
わたしの首筋に顔を埋め、たっぷりの甘い声で圭が囁いた。
「今日はゆっくり、ここで過ごそうか。おれのベッド、好きなんだろ?」
今日は、おうちでまったりデーか。
それもいいな。圭とお喋りして、ゲームをして、テレビ見て、後で一緒に料理をしよう。
買い物だけは行かないと。ミンチと卵、買わないと。
玉葱とパン粉はあったよね……
そんな事をぼんやりと考えながらわたしは、覆い被さってくる圭と、始まりの朝を過ごすのだった。
完結です。
薄い水たまりを
飛び越えて
境界線を潜り抜け
あなたがわたしの
隣を歩く
あなたはわたしが
好きでした




