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わたしはあなたが


 辺りが賑やかになってきた。

 店内を流れるクリスマスソングが、ざわめきに紛れ目立たなくなっている。

 予約客がテーブルを埋めたせいだろう。プラカードの置かれた空席は、周囲にはもう見あたらない。


 予約席に案内されるのはカップルばかりだった。さすが、12月の25日だ。


 そういえば圭も、予約したって言ってたっけ。


 まあ。

 もう、キャンセルしていると思うけど。



 わたしのフォークがピタリと止まった。ぼうっとしていると、隣のテーブルから再び声を掛けられた。


「あの、ところでこのお店なんだけど……また来てくれたって事は、気に入って貰えたのかな?」


 もじもじしながら、サユさんがわたしをじっと見つめている。

 ―――あれ?

 こんな表情の彼女を、どこかで見た記憶がある。


 気のせいかな。芝生ゾーンのベンチで、圭とお弁当を食べていた時だったよね。あの時、わたしに何かを言おうとしていた彼女が、ちょうどこんな感じだったような……


 ……って。


()()?」

「ん? 圭くんに連れて来てもらったよね?」

「う、うん……」

「このお店、私が圭くんにお勧めしておいたの。絶対言うなって口止めされていたんだけど、もういいよねえ」


 首を傾げたわたしに、サユさんが含むような笑みを見せた。


「実はね、2人の初デートは私が計画を立てたのよ。ちゃんとるうさんに喜んで貰えたのかどうか、とっても気になっていたのよね。圭くんたら、私を頼るだけ頼っておいて、結果を全然教えてくれないんだもの」


 ちょっ!


 圭ってば……やけに手慣れていると思っていたら、そういう事だったの!?


 もしかして。

 トップシークレットだなんて言い張っていたけれど……ただ、単に。


 土曜のプランがずっと謎だったのも。

 何度聞いても、何も答えてくれなかったのも。


 直前までなーんにも決まってなかったから、だったの!?


 おれがプランを立てる!

 なんて大見得切っておきながら、結局、何も思いつけなかったのか……



 頭を抱える圭の姿を想像してしまった。クスリと笑みが漏れる。

 

「楽しかったし、このお店も美味しかったです」

「わー良かった! 下調べする余裕もなしで立てた計画なので、どうなるかドキドキしていたの。もっと早めに相談してくれたら私もあれこれ調べたのに、圭くんてば前日に聞いてくるんだもの」


 へぇ。頭を抱えながらも、前日まではちゃんと考えてくれたんだ。

 ……って。

 デートの前日って、もしかして―――



 どきりどきりと心臓が鳴った。


 あの日のわたしは、圭に嘘をつかれてた。わたしに嘘をついてまで、圭が彼女と一緒にお昼を食べようとしていたのは、もしかして……


 デートの相談を、するためだったの?



 サユさんの表情は、晴れやかで。

 わたしに隠し事をしている様子は、何処にも感じられない。



『合鍵なんて好きでもない相手に渡さないよ』



 心臓がざわざわと音を立てる中、冬くんの言葉が、ふわりと頭に舞い降りた。ありえないという思いと、そうであって欲しいという願いが、わたしの中で奏でるように交差する。


 逸る心を抑えながら、その質問を口にした。


「あの、サユさんも、圭と付き合っていたんですよね?」

「るうさんと付き合う前にね。今はもう、何でもないよ」

「その時に、その時に圭から合鍵って………受け取りましたか―――?」

「合鍵? そんなの渡されてないなあ」



 どくん、と、大きく心臓が、跳ねる。



 頬に触れる、冷たくて硬い鍵の感触を思い出して、じわりと涙が滲みだす。歴代の彼女たちの間を、渡り歩いてきたとばかり思い込んでいた、あの鍵は。


 誰にでも、渡されている訳じゃなかった。



 少なくとも圭にとってわたしは、サユさんよりも『特別』な存在だったんだ。



 ああ。

 本当に、圭とサユさんは、何もなかったんだ。




 ◆ ◇




 3ヵ月も側にいて。

 わたしは圭の、何を見ていたのだろうか。


 過去しか見えていなかった。わたしは無意識の内に、中学時代の圭の姿を、今の彼に重ねてた。

 あの頃の圭を思い浮かべながら、どこか冷めた気持ちで、わたしは今の圭を眺めていたんだ。


 女の子達と、次々と別れては付き合っていく、圭を。

 誰とも決して続かない、圭を。

 諦めるしかない存在だった過去の圭のイメージを、わたしはずっと胸に抱きながら、今の彼と接していた。

 

 3ヵ月のリミットなんて、言い訳だ。


 わたしは、そのリミットを越えて圭に近づく事から、ただひたすら逃げていた。本当はずっと一緒に居たかったのに、圭が欲しいと思っていたのに、手を伸ばすことを怖がって、ずっとずっと目を逸らしてた。


 彼はわたしに、微笑んでくれていたのに。


 あの夜だって、圭は何度も好きだと言ってくれたのに、わたしは本気にしなかった。

 ううん、あの夜だけじゃない。わたしはいつも本気にしてはいなかった。圭の口から紡ぎ出される甘い言葉も、わたしを見つめる甘い眼差しも、蕩けるようなキスも抱擁も、何もかもを偽物だと思い込み、自分を守ろうとしていたの。


 傷つくのが怖くって。


 圭は、わたしを受け入れてくれたのに。

 わたしは圭を、受け入れてあげなかった。


 部屋の前でうずくまる黒い塊が、暗い染みのようにわたしの記憶に焼き付いている。あんなに、縋るような瞳をしていた彼を、わたしは撥ねつけてしまったんだ。


 木乃ちゃんの言う通りだ。

 わたしは今の圭を見ていれば、それでよかったんだ。

 それなのにそれが出来なかった――――



「どうしよう、来ないでって何度も言っちゃった………」


 ぽろぽろと涙が零れてきた。


 わたしはもう。

 圭に取り返しのつかない言葉ばかり、投げつけてしまっている。



「なに泣いてんだよ、ルウちゃん。なんも心配する事ないって!」


 カイさんの優しい言葉に、黙って首を横に振る。木乃ちゃんの手がわたしの頭に伸び、ぐしゃぐしゃと髪を掻き回していった。乱暴なそれは痛くって、たまらず見上げると、木乃ちゃんの鋭い視線と目が合った。


「泣く前に、やる事あるんじゃないの?」


 パチパチとまばたきをする。

 目の前には、厳しいようで優しい眼差しがわたしを捉えていた。


 ――ああ本当に。

 木乃ちゃんは、わたしには勿体ないくらいの友人だ。




 ◆ ◇



 

 ランチを終え、みんなにお礼を告げた後、わたしは一人、圭の家に向かっていた。


 ―――謝らなきゃ。


 圭の言葉や態度が、どこまで本気でどこまで嘘なのか、今のわたしには分からない。嘘だという目でしか見ていなかったわたしには、本当の所は分からない。

 でも、これだけははっきりと言える。昨夜の圭はわたしの言葉で傷ついていた。


 だから。取り敢えずその事を、圭に謝らなきゃ。


「クリスマスの夜、一緒に食事しようって約束していたのにね」


 圭はレストランの予約までしてくれていたのに。サユさんとの仲を勝手に勘違いして、わたしは約束を破ろうとしたんだ。


 こんなわたしの所になんて、圭はもう来てくれない。

 だから今度はわたしから、圭の所に行かないと。



 見慣れた景色を掻き分けて、わたしは見慣れた扉の前に辿り着いていた。

 携帯に目を遣った。3限が終わり、30分は経過している頃合いだ。わたしの家と同様、圭の家も大学からは徒歩で10分程度の距離にある。そろそろ、帰宅していてもおかしくはない。


 心臓がバクバクと音を立てている。深呼吸を一つして、震える指先をインターホンのボタンに当てた。


 ピンポーンという音が、エコーのように何度も響く。段々と薄れていき、完全に音が止んでもなお、扉が開く様子はない。もう一度深呼吸をしてボタンを押す。けれどやはり、誰も出ては来なかった。

 まだ、帰ってきていない。


 昨日とは逆だなぁ。


 12月も下旬となった今、昼間にも拘らず、露出する指は簡単に冷たくなっていく。冷ややかな指先に、はぁと息を掛け、頭を振った。圭が待っていたのは、こんなに明るい時間じゃない。

 昨日だけでもない。今よりも格段に寒い夜空の下で、わたしは圭を待たせ続けていた。


 今度はわたしが待つ番だ。



「もう、15時半かぁ」


 時計を確認して、溜息が一つ漏れた。講義の後、教授に質問等していて、時間が伸びているのかも知れない。それにしても遅い……。

 携帯の画面を見つめ、そろりと指先でタップした。ドキドキと心臓が鳴る中、画面には彼の名前が現れる。目を閉じて、通話のボタンをそっと押してみた。コール音が辺りに響く。


 圭の部屋の中から、微かに携帯の着信音らしきものが聞こえてきた。


「中に、いるんだ………」


 思わず、口元を手で覆う。

 携帯が手から滑り落ちた。コンクリートの地面に触れ、ごつん、と鈍い音を響かせる。


 圭は家の中に居る。それなのに、インターフォンにも携帯にも反応しない。それってつまり……



 今度はわたしの番、か。


 わたしは圭を拒絶した。だから今度はわたしが、圭に拒絶される番なんだ。

 ごめんねすら言わせてもらえない。



 身体中から力が抜けた。まるで昨夜の圭のように、わたしはその場にうずくまる。


「……っぐ、う…っ」


 2度と、会いたくないと思ってた。圭との関係を壊してしまいたい、そんな事を考えていた。だから今の状況は、わたしが望んだ結末なんだ。

 もう2度と、圭と関わる事は出来ない―――


 

 いつまでそうしていたのか、自分でもまるで分らない。


 時間の感覚も忘れるほど、その場でひたすら泣き崩れていたら、大きな影がわたしの頭上に現れた。ふわりと香る匂いに、わたしの胸がぎゅっと締めつけられていく。

 コマ送りのように、少しずつ上を向いた。揺らめく視界に映る影は、黒い。



「なんで流羽がここに……」


 黒い髪に、黒いコートを着た、背の高い彼がわたしの目の前に立っている。

 ふぁさりとコートが広がり、わたしの周囲を黒く覆いつくしていく。頭が、こつりと何かにぶつかった。わたしの背中に、そっと腕が絡まっていく。彼の温もりがじわりと伝わって来て、余計に涙が溢れてきた。


「なんで、泣いてんの」



 わたしを抱きしめる圭の腕は、微かに震えていた。




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