世界を歩く
サユさんと目が合った。
瞳を揺らすわたしとは対極な、穏やかな微笑みを受けてしまう。彼女をまともに見ていられなくて、視線の先をずらそうとして、のけぞった。
えっと、サユさんの隣に、見覚えのある人がいるんですけど………。
「どうしたの、流羽。知り合い?」
わたしの視線の先に、木乃ちゃんが気が付いたようだ。
馬鹿みたいにぱかっと口を開けているわたしを見て、怪訝な顔をした。
凝視するわたしに彼も気付いたらしく、にっと笑み返された。ウエイトレスに案内され、わたし達の座っている隣の席までやって来る。テーブルの上には予約のプラカードが置かれていた。
「よぉ!ルウちゃん。奇遇だね」
「こ、こんにちは……」
サユさんが、わたしとは斜め前に位置するソファ席に腰掛けた。その向かいに、プラチナホワイトの髪をした彼が座っている。わたしから数十センチの距離にいるその人に、たまらず声を掛けた。
「カイさん。あ、あの、この方は――――」
「あー、俺のカノジョ。可愛いでしょ。最近付き合い始めたんだよね」
えっ、え―――――――!!!
思わずガタリと席を立った。カラリと言い放つカイさんの正面で、眉を寄せて照れているサユさんに、震える指先を向けた。
「けっ、圭の彼女じゃなかったの………!?」
カイさんの彼女? どっ、どーいう事なの……
「流羽、人を指さすんじゃないわよ。こんな所で大声も出さないで。大人しく座りなさい」
「ごっ……ごめんなさい……」
木乃ちゃんの冷ややかな声に、はっとして周囲を見回した。じろじろとみんなから見られている。肩を竦め、しおしおと着席した。
カイさんが不思議そうな顔をして、首を軽く傾げた。
「圭と付き合ってんのはルウちゃんだろ? どうしてサユちゃんが彼女だなんて、おかしな勘違いしてんだ?」
「付き合ってるっていっても、わたしは3ヵ月だけの関係だし……」
「3ヵ月だけとか、そういや前に聞いたけどさ。それ、未だにそのままなワケ?」
「ううん。もう別れたから、彼女ですらないよ」
「はぁ!? 圭のヤツ何やってんだよ………」
カイさんが頭を抱えている。
自分の彼女が友達と付き合ってるだなんて、勘違いされるのですら嫌だったかな?
「ごめんなさい、カイさんの彼女だなんて知らなかったの。わたし、圭がサユさんを好きなのだとばかり思っていたから―――」
「それは、ないよ!」
斜め前の彼女が、焦ったような声を上げた。
「私、あなたの言う通り、圭くんと付き合っていたよ。でも、3ヵ月前に別れてるから!」
「3ヵ月前……って」
どきりとした。
それ、わたしと圭が、付き合い始めた頃だ――――
そうだ。わたしと圭との全ての始まりは、フラれた圭を慰めに、飲みに行ったからなんだ。
その始まりのきっかけの、彼女さん……?
「彼女に振られたから飲みに行こうって、わたし圭に誘われたの。もしかしてあなたが、その時の?」
「そのはずよ。だって圭くんが私と別れたのって――――――」
じゃあ圭は。サユさんとヨリを戻したくて。
それでわたしに話を持ち掛けて、まごまごしている間に、カイさんに奪われちゃったの――――?
なんて浮かんだ想像を、しっかりと打ち壊すように、サユさんはキッパリとわたしに言い切った。
「るうさんと、付き合うためだもの!!!」
…………え?
「圭くん、ずっとるうさんを見ていたのよ。だから、私を好きだなんてありえないよ」
なに、言ってるの?
わたしと付き合うために、別れた?
ありえない言葉が、サユさんの口から放たれている。
ありえないのに、心臓が期待して、どくりと跳ねている。
サユさんの表情は真剣だ。これ以上見ていると本気にしてしまいそうで、怖くなって、視線をカイさんの方へとずらす。畳みかけるように深く頷かれてしまった。
「圭ってルウちゃんの事、ほんと好きだよな。俺がちょっかいかけると、あいつすげー怒るし。あんな面白い反応、ルウちゃんが初めてだよ。愛されてんね」
ええっ!? カイさんも、同意見なの!?
2人の視線から逃れるように、正面の木乃ちゃんに目を遣った。木乃ちゃんは、口に放り込んだパスタをもぐもぐと咀嚼をした後、コップの水をぐいと飲んで、呆れた顔でわたしに告げた。
「私もずっとそう思ってたけどね。あんた達どう見ても両想いだって」
木乃ちゃんも、2人の味方!?
冬くんも。木乃ちゃんも。カイさんも、サユさんも。
わたし以外の人がみんな、圭がわたしを好きだなんて言ってくる。
「みんな、なんなの!?」
困惑するわたしを置いてきぼりにして、3人揃って頷き始めるのだった。
◆ ◇
しかしわたしは、重要な事を忘れてはいなかった。
「で、でもわたし、見ちゃったんだよ? 圭がサユさんと2人で、その……け、圭の部屋に入っていくところ……」
そう。2人の間に何もないなら、サユさんを部屋に連れ込んだりなんてしない。
ドキドキしながらサユさんを見つめる。緊張するわたしに対し、サユさんは拍子抜けするほど呑気な声をあげた。
「えー、バレちゃってるよ、魁くん」
「ここまできたら、もうバレてもいいんじゃね?」
「でも、ナイショにしてって言われてるよ?」
「誤解を解く方が大事だろ」
な……なんの話?
カイさんが顎をポリポリと掻いた。
「あー、ルウちゃん。たぶんルウちゃんが言ってんのって、先々週の土曜の事だと思うんだけどさ」
「う、うん。その日で合ってる」
「その日って、圭の部屋に俺もいたんだぜ」
「―――――え?」
「3人で、何してたと思う?」
何って……。
そんな事言われてもさっぱりわかんないよ。だっててっきり、2人でイチャイチャしてたとばかり思っていたんだもん。
思いつくものと言えば。まさか……
「ゲーム?」
まさかね。だってあれ、2人用だから一人あぶれちゃうよね。
「ルウちゃんもやった事あんの? あいつレトロなゲーム持ってるよな」
「『も』って事はカイさんも? あれ、相当古いゲームだよね」
「まあ、あれはあれで楽しめるけどな。ところでルウちゃん、おでん口に合わなかった?」
「えっ?」
おでんって……サユさんが作り置きしていた、おでんの事?
悔しいけれど、あれは美味しかった。味がしっかり染みていた。胸いっぱいで、あんまり食べられなかったけど。
「ううん、……美味しかったよ」
視界の端でサユさんが、満足そうに微笑んでいる。
「それ、圭に言ってやって。あいつ、喜んで貰えなかったって落ち込んでたからさ」
「落ち込む?おでんで圭が?」
「あれ、やっぱり聞いてない? あのおでん、圭が作ったんだぜ」
「えぇぇええええっ!!??」
驚きの余り、わたしの目がばっちりと見開いた。
あの圭が? おでんを? 作った?
衝撃がすごくて、口を開けたまま固まってしまっている。あのおでん、サユさん作だとばかり思ってた。圭が作っただなんて、考えもしなかった………。
「圭のヤツ、料理に挑戦したいなんて言うから、サユちゃんと俺の3人で色々教えてたんだよ。あの日もそれ」
あのめんどがりの圭が? 料理に? 挑戦?
鍋の一つも置いてなかったような人が?
コップすら使ってなかったような人が!?
「魁くんは、見てるだけだったけどね」
「味見兼監視役って言ってくれ。忌憚なき意見を述べる第三者ってのも、必要なんだぜ」
「まぁ、お料理って美味しく食べてくれる人も必要だけどね。るうさん、圭くんって最初は包丁の持ち方も怪しかったのよ」
でしょうね………。
圭が初めて、洗い物をしてくれた時の事を思い出した。
あれは酷かったな。あの調子で包丁握るとか、圭の指が無事で本当に良かった。
「でも、飲み込みは早いの。ポイントさえ教えれば、すいすい吸収してくれるから、教え甲斐あって楽しかったな~」
そういえば洗い物も、すぐにレベルアップしていたなぁ。
やれば出来るんだよね。やらないだけで。
「圭くん、るうさんを驚かせたかったみたい。だからいっつも、るうさんのいない日を狙って、こっそり私達を呼んで、レッスンしていたのよね。ふふ」
それって、わたしがバイトでいない、火曜日と木曜日?
……ああだから。
作り置きは、必要なかったのか。
サユさんが、作っていた訳じゃなかったのか。
「サユちゃん、ホントに楽しそうだったよな」
「魁くんも教えてあげようか?」
「俺は圭みたいに酷くないぜぇ。こう見えても一通りはこなせるからな」
「じゃあ、今度一度、ご馳走になろうかな~」
目の前で、サユさんとカイさんが仲良さげに喋り合っている。
ああ、ほんとにこの二人は付き合ってるんだ。
雰囲気も、言葉からも、相手を好きなのだという事が伝わってくる。
お互いを見つめる瞳が、甘くて優しくって――――
その時わたしは。
誰かさんの眼差しを、ひっそりと思い浮かべていた。




