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わたしはわたしの


 上手く寝付けないまま、25日の朝がやってきた。


 目を閉じると、扉の前でうずくまる黒い影が浮かんできて、眠れない。


 カーテン越しに、陽の光が感じられる。時計を見れば、もう10時を過ぎていた。圭は今頃、講義中かな――ふとそんな事が頭をよぎり、慌てて掛布団の中へと潜り込んだ。

 

 鼓動が、シンとした暗闇の中で響く。

 昨夜の圭のセリフが、頭の中でぐるぐると渦巻いてきた。


『約束通り、迎えに行くから。だから待ってて』


 来ないよね。


 だって、待たないって言ったもの。来なくていいって、はっきりわたしは言ったんだもの。

 来るわけない。


 当初の約束だと、3限の後に来るって言ってたっけ。


 来るわけがないと分かっているのに、部屋でじっとしているのは、妙に落ち着かない。万が一って言葉もあるし、どこか出かけていようかな……。


 掛布団の中から、ずりずりと全身を外に出した。顔を洗い髪をとかし、適当な服を選んで着替えをする。時間はまだ十分あるはずなのに、焦りながら外出の準備を整えていた。


 もう会いたくないよ。


 クリスマスを一緒に過ごすとか、本当に無理だよ。そんなの絶対、離れるのがきつくなる。もう一度一緒に過ごして、それから改めて別れを告げられるなんて、今よりもずっと辛いに決まってる。このまま、2度と会わずに終える方がまだ、傷が浅い。

 

 圭が、わたしの思惑とは真逆にしか、動かない。


 昨日はイブの夜なのに、バイト先まで迎えにくるし。

 今日はクリスマスなのに、わたしと過ごすつもりでいる。


 てっきり、サユさんと過ごしたいんだと思っていたのに。だから、クリスマスを前にして別れようと思ったのに。どうして彼女をほったらかしにして、わたしの所に来てるのよ。彼女が、わたしにアドバイスを貰ってでも続けたい相手なんでしょ?


 訳わかんないよ。どうなってんの。


 約束が3ヵ月だから?

 あと一週間残ってるから?


 一昨日の夜だって、拒絶されるとばかり思っていたのに。受け入れられたその後は、気まずくなってわたしから離れていくとばかり思っていたのに。


 

 重たい頭で携帯を手に取った。

 迷えるわたしは、頼れる友人に縋る事にした。


『流羽!?』

木乃(この)ちゃん、あのさ。今日も彼氏さんはお仕事なんだよね?」

『そうよ。あ、でも今夜は会えるの。残業はするけど、20時には終わりそうなんだって』

「そっかぁ、良かったね。じゃあ今は暇? 暇ならわたしと、クリスマスランチ、しよ!」

『クリスマスランチ!じゃないわよ。あんた昨日彼氏ほっぽって冬と……まあいいわ。言いたい事いっぱいあるから、会うわ』

「ありがとう。わたしも、木乃ちゃんに喋りたい事、いっぱいあるんだ」


 電話口から聞こえる木乃ちゃんの声が優しくて、嬉しくて涙が出そうになった。

 いつもこうしてわたしを心配してくれる。本当にわたしには、勿体ない位良い友人だ。




 ◆ ◇




「えっ!?」


 繁華街の最寄り駅で待ち合わせをした。そこから、木乃ちゃんに連れられてやって来た場所は、初デートの時に連れて来て貰った、お洒落なイタリアンのお店だった。


「なぁに? イタリアンって気分じゃない?」

「ううん、来た事のあるお店だったから、びっくりしただけで……。美味しかったから、全然構わないんだけど」

「ここ、前に雑誌で紹介されてて、一度来てみたかったのよね。予約もしてないしどうかと思ったけど、すぐに案内されてラッキーだったわ」


 隣のテーブルの上には、予約のプラカードが置かれていた。周囲に目を遣ると、他にも幾つかプラカードの置かれた席がある。カードも客もいない席は見あたらなくて、木乃ちゃんの言う通り、わたし達はタイミングが良かったようだ。


 へえ……雑誌に載ってたお店だったのか。

 圭も、それ見てここに決めたのかな?


「雑誌って、グルメ系のやつ?」

「ううん、ファッション雑誌。ほら、私がいつも読んでるやつ」


 いや違った!

 なんだ偶然かぁ。女性向けファッション誌なんて、圭が読む訳ないよね。


 お喋りしていると、サラダとスープが運ばれてきた。クリスマスのせいか、メニューはコースのみとなっている。メインのパスタが3種類から選べるようになっていて、わたしはモッツァレラと生ハムのバジルを選んでみた。食後に、軽いデザートと飲み物がついている。

 

 ワクワクしながらスープを掬い、口に含んだ。


「――で、昨日は冬に告られでもしたの?」

「ぶふっ!」


 口に含んでいたスープを飲み込もうとして、盛大にむせた。

 目の端に涙が溜まる。サラダを口に放り込みながら、木乃ちゃんが呆れた顔をした。


「木乃ちゃん、見てたの!?」

「そんな訳ないじゃない。流羽達、すごい勢いで走っていったんだから、パンプスで追いかけられる訳ないでしょ。私は取り残された久我君を慰めてあげてたのよ。心配しなくても、流羽はおうちに帰って来るわよって」

「えっ………」

「誰に告られてもどうせあんたは断るし、冬は空気読む子だしね。あそこで流羽を連れてっちゃったのだけは、ちょっと意外だったけど」


 うわ、全て見透かされてる!

 

 事もなげに告げた後、木乃ちゃんがサラダの続きを口にした。


「木乃ちゃん、やっぱりわたしの事見てたの?」

「見てたわよ、高校時代からずーっとね。見てきたから、何も言われなくても分かるわよ。今まで散々、誰を紹介してもダメだった流羽が彼氏作ってんのよ? それも幼馴染。あ~これは特別な人なんだなって、すぐにピンときたわよ」


 うっ。


「流羽。本当はあの頃もずっと、久我君のことが好きだったんでしょ」


 ううっ。


 木乃ちゃん。わたしの気持ち、気付いてたんだ………。

 肩を竦め、コクコクと頷いた。


 ごめんね。ずっと黙ってて。


「でさ。あんた達両想いなのに、なんで別れるなんて話になってんの?」

「りょ、両想い!? 違うよ、わたしが一方的に好きなだけだもん」

「何言ってんのよ。久我君も流羽の事好きでしょ。それに、交際申し込んできたのも、あっちからなんでしょ?」

「それはそうだけど、違うんだよ。圭はわたしの事なんて、なんとも思ってない……」


 わたしは、3ヵ月だけでいいって言われてるんだよ。


 このお付き合いは、圭にとってはただ単に、わたしからのアドバイスが欲しいだけ。次の子と上手くやっていく為に、付き合おうって言われただけなんだよ、わたしは。


「大体、圭にはずっと彼女がいたんだから、わたしが好きな訳ないよ」

「………それ、前も言ってたけど、過去の話でしょ?」

「過去というほど昔でもないよ。わたしと付き合う直前まで、別の子と付き合ってたんだし」


 そうだ。そもそもの始まりは、圭が彼女に振られて、慰めの飲みに行ってからなのだ。

 わたしに3ヵ月の交際を持ちかける直前まで、圭が見ていたのは他の子だったんだ。


「そんなの過去よ過去。流羽と付き合う前の彼なんて、全部過去よ。それよりも今の久我君はどうなの? 流羽と一緒にいた時の彼はどうだったの? 昔の話より、そっちの方が本当だと思うんだけど」

「今の、圭は……」


 どくりと心臓が鳴る。

 わたしが目の当たりにした圭は、いつでも。


 ………夢のように甘かった。


「一番最初に会った時、みんなでカラオケに行ったでしょ。あの時の久我君、流羽を優しい目で見つめていたのよね。だから私も安心していたのよ、これなら流羽を任せられそうだなって」


 そう。圭はわたしを、いつだって甘く優しく見つめてくれていた。


「夜遅くなる日は、いつも迎えに来てくれていたじゃない。寒い中ジッと外で待ってるなんて、好きでもない相手にしないと思うわよ」


 そうだ。圭はいつも寒い中、手を冷やしながらわたしを待ってくれていた。


 顔を合わせたくなくて、嘘をついたあの日ですら。架空の飲み会の話を聞いて、そこまで迎えに行くと言ってくれたんだ。

 昨日ですら、圭はわたしを迎えに来てくれた。わたしは圭を、撥ねつけた直後だったのに。


「デートだって、結構マメにあちこち連れてって貰ってたでしょ。本命でもない子を、ああして喜ばせようとはしないんじゃない?」


 ああ、中学時代の圭を思い出す。あの頃の圭は、外出する事を面倒がっていた。わたしのベッドでゴロゴロするばかりで、ちっとも外に出ようとはしなかった。

 最初のデートは、付き合って一ヶ月近くが経つ頃で。誘いはしてくれたものの、やる気がなさそうで、行先はどうでもよさげに見えた。


 でも、その後は違った。


 紅葉を見て、また来ようと言ってくれた。

 遊園地で一緒にはしゃいで、また行こうと言ってくれた。

 

 雨が降って中止になったデート。圭は部屋の中でゲームを提案していたけれど、わたしはそれを断った。代替え案を伝えると、嫌な顔一つせず、一緒にプラネタリウムを見に行ってくれた。

 星空に興味のない圭は、てっきり寝ているかと思えばそんな事はまるでなく。わたしの好きなものに、寄り添ってくれていた。聞きかじった星の名を、しっかりと覚えてくれていた。


 約束の紅葉をわたしに見せる為に、夜のお寺にも連れて行ってくれた。

 水族館も。繁華街へのお出かけも、ラーメンも夜景も。どこだっていつだって、わたしとのデートを楽しんでくれていた。


 ううん、デートだけじゃない。


 一緒に食べる昼食も、夕飯も。わたしと過ごす毎日を、わたしと同じように笑顔で過ごしてくれていた。わたしが側にいて、嬉しそうにしてくれていた。圭がわたしを嫌がっていた事なんて、一度だってありはしなかったんだ。


「今の圭は……いつも笑顔でわたしの側にいた……」



 圭の心が、わたしの手が届く所まで近づいてきたような、気分になって。


 木乃ちゃんの顔をぼうっと眺めていたら、その後ろに見知った顔を見つけ、頭が一気に現実へと引き戻されてしまった。


 ああそうだ。圭にはこの(ひと)がいたんじゃないか。



 店の入り口には。

 栗色の髪をした、穏やかそうな彼女が立っていた。





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