軽やかなものに
バイト先のすぐそばにあるカラオケボックスに、4人で入った。
わたし達の行きつけの店だ。圭はここに来るのが初めてのようで、珍しそうに辺りを見回している。
今日は、なに歌おうかなー
なんて。マイクを受け取って、部屋に入るまで、わたしは呑気に歌う曲の事を考えていた。
部屋に入るや否や、木乃ちゃんの昔話が始まった。
「流羽の彼氏に会える日が来るなんて、なんか感慨深いわ~。私達かれこれもう5年の付き合いだけど、流羽の彼氏どころか好きな人の話すら聞いた事なかったもの。女子高って事を差っ引いても天然記念物な子だったのに」
いや、木乃ちゃん。変な話しないで……!
「流羽って可愛いし、彼氏欲しいっていうわりに、今までなぜか上手く行かなかったのよね。私も色んな人紹介してみたけど、いつも徒労に終わっていたのに。だからほんと意外だわ」
「へぇ……そうなんだ」
チラリと圭に視線を向けられ、顔を背ける。
木乃ちゃんとは高校1年の時、同じクラスになった。
知り合った当初から、木乃ちゃんには彼氏がいた。近所に住む3つ年上の人で、今でもまだ続いている。わたしも一度会ったことがあるけれど、いい人だ。木乃ちゃんを大切にしているのがとてもよく分かる。
羨ましくなって、彼氏さんの友達を紹介して貰った事も、あったなぁ。合コンに連れてって貰った事も、あったなぁ。
木乃ちゃんにはいっぱいお世話になったし、いっぱい落胆させちゃった。
どの人もちゃんといい人だったんだ。でも、いざ付き合おうと言われると、その度に足が竦んできた。分かってる、ダメなのはわたしなんだって。
だから今、木乃ちゃんが喜んでいるのも分かるんだけど……複雑だ。
だって3カ月後には別れるんだもん。
ぬか喜びさせると分かっているだけに、複雑……。
「木乃ちゃん、そういう話はやめようよ」
「えー、いいじゃない。元カレの話してるワケじゃないんだし。てか、元カレなんてどこにもいないんだし」
「それはそうなんだけど……」
圭だって、こんな話聞かされても微妙じゃない?
焦る私を余所に、圭はゆったりとした笑みを浮かべながらドリンクに口をつけている。
木乃ちゃんは、にっと笑って圭に視線を向けた。
「久我君、流羽のことよろしくお願いします。何もかも初めてな子なんで、大事にしてあげてくださいね」
「木乃ちゃん、木乃ちゃんの番だから、もう、歌って~~!!」
木乃ちゃんの口元に無理やりマイクを押し付けた。
にやにや笑いながら、木乃ちゃんが十八番を歌いだす。
ホッとしたのも束の間、今度はみぃ子が口を開けた。
「ねぇねぇ、最近やらかしたルウの失敗談、久我クンに話してもいい~?」
「みぃ子、どれもこれも言っちゃダメ!」
みぃ子、楽しそう。
圭も、なに嬉しそうな顔してんのよ~!
「どれにしようかな。何にもない所でつまづいて、冬クンにコップの水かけちゃった話、いい~?」
「みぃ子、その話さっさと忘れて!」
「ルウ、次アンタの番でしょ。歌入れなよー」
「わわ」
慌てて曲を入れる。
ゆっくり考えている暇なんてない。選曲を楽しむのはもう諦めた。わたしは、お気に入りのアルバムを最初から順番に歌う事にした。
「~~そんなわけで、わりとまともに水被ったのに、冬クンてば逆にルウを慰めてくれたんだよね。冬クンてルウがだーいすきなんだよね」
みぃ子、なにおかしなこと吹き込んでんの?
「みぃ子、別に冬くんはそういうのじゃないからね?」
「えー、冬クン、どう見てもルウの事狙ってるって!」
「狙われてないよ、全然!」
冬くんこと冬川くんは、専門学校の学生だ。
わたし達より一つ年下の彼は、人懐こい性格をしていて、バイト仲間のみんなから可愛がられている。優しいし、気軽に喋ってくれるけど、わたしだけじゃなくて誰に対しても同じような態度なんだけど。
「ルウはこんな子だから、なーんにも分かってないのよね。だから久我クンも、ルウを取られないように気をつけてねっ」
「春川さん、忠告ありがとう。覚えとく」
圭が冷ややかな目でわたしを見た。
勘違いすんなよ、って声が聞こえてきそう。ちゃんと分ってるし、そんなこと。
木乃ちゃんが歌い終え、わたしの番がやってきた。
目線は3人に固定しながら、空で覚えている歌詞を口ずさむ。
「流羽から告ったの? それとも久我君から?」
「わ~、それあたしも気になってた! ルウ?ルウじゃない? だって久我クンちょーカッコいいし、ルウの一目惚れでしょ」
「おれの方から流羽に頼んだんだ。彼女になって欲しいって」
「ええ、それで流羽がそれ受けたんだ。色々と意外だわ」
ああ、話が気になって歌に集中できない……。
「流羽ったら、久我君の事何も言ってくれなかったのよね。幼馴染が居るなんて事も知らなかったし。ねぇ、いつから付き合ってるの?」
「今朝から……いや、昨夜からになるのかな?」
「え~! ルウったらお泊りしてから彼女になったの? やだーやるじゃん」
みぃ子、誤解してる。
思いっきり誤解してる!
「そりゃ泊まったけど、みぃ子の考えてるようなことは何も無いからね?」
歌の途中で、わたしはついに会話に乱入した。
だめだ、もう、黙って聞いていられない!
「一緒のベッドで寝ただけだよな」
「そうそう……って、なに言ってんの圭。余計に誤解させるような事、言うんじゃない!」
「ほんとの事しか言ってないけど、おれ」
そうだけど……!
「3人とも……わたしでこれ以上遊ばないでえぇぇぇぇぇ」
わたしの絶叫が、マイク越しに響き渡る。みんな反省してくれたのか、そこからようやくまともなカラオケ大会が始まるのだった。
◆ ◇
カラオケが終わり、木乃ちゃんとみぃ子は手を振って帰っていった。
わたしと圭は、ご飯を食べてから帰ることにした。
レストランを出て、暗くなった街を2人で歩く。
10月に入り、夜はすっかり冷え込むようになった。長袖とはいえ薄いブラウス一枚だと、少し肌寒い。今日は天気が良いので、昼間はこれでも少し、暑いくらいだったのに。
ぶるりと震えると、圭が手を繋いできた。冷えた指先が人肌で温もっていく。
「少しあったかい?」
「うん」
「おれもこれ一枚だから、何も掛けてやれないんだ。ごめん」
そう言って、圭がTシャツの首元を軽く持ち上げた。半袖なので、わたしよりも寒そうだ。
「ううん、わたしこそ今日はごめんね。なんか2人ともはしゃいじゃって、ビックリしたでしょ」
「いや。流羽は友達に愛されてるんだな、なんて思って見てた」
「――――え?」
ピタリと足が止まった。
圭の顔をまじまじと見る。圭はくすりと笑ってわたしを見た。
「気付いてない? 今日のカラオケ、おれが流羽に相応しいかチェック入れたかったんだよ、あの2人」
「えええ!? わたしをからかって楽しむためじゃなかったの?」
「それも、あるかもしれないけれど……流羽のこと気にしてたんだよ。いい友達だな」
「……うん」
うん。2人とも、いい子達なんだよ。
わたしが失敗すると、怒って、フォローして、慰めてくれる、いい子達なんだ。
だから圭とのことを隠したかったの。3ヵ月後に、がっかりさせたくなかったから。
でも。
チラリと圭を見上げた。隣を歩く端正な横顔は、常に短期間で恋人を変えている。わたしの知ってるあの頃の圭は、そう、最大でも3ヶ月。
付き合うということは、いつかは別れがやってくるのだ。早いか遅いかの違い、と考えると、気にすることじゃないのかもしれない。
「あれ、こっち、逆方向だよね」
半分くらい歩きかけて、ふと気付いた。この道は圭の家の方とは逆方向だ。さっきの交差点を、圭は右に曲がらないといけないのに、わたしの隣をまだ歩き続けている。
振り向くと、圭が優しい顔をして微笑んでいた。
「家まで送るよ。こんなに暗いのに、1人で帰すわけないだろ。それこそ、あの2人に怒られるよ」
優しい笑顔と優しい言葉に、胸の内がじんわりと温かくなってくる。
こんな圭を見るのは久し振りで、懐かしくて嬉しくて。小学生の頃までわたしに向けられていたこの態度は、中学生になり忽然と消えていったもの。
初めての彼女が出来て以降、インターバルにわたしの側へ来た圭は、もうずっと、素っ気ない態度のままだった。
その頃にはもう、圭にとっての線引きは変わっていたのだと思う。幼馴染とそれ以外の子から、彼女とそれ以外の子といった風に。わたしよりも一足早く大人になった圭は、特別な存在が、幼馴染から彼女へと移り変わっていったのだ。
こんな圭がまた見られるようになったのは、わたしが今、仮初めでも、境界線の内側に潜り込んでいるからか。
「ありがと」
圭の腕にギュッとしがみついてみた。わたしの行動が意外だったのか、一瞬だけ、圭の腕がピクリと跳ねた。
「………流羽?」
あぁ。圭の腕、あったかいな。
この懐かしい温もりに、わたしは再び触れている。
「へへ。彼女っぽい?」
「ぽいじゃなくて、彼女だろ……」
「こうしてる方があったかいね」
「……だな」
圭が、くしゃりとわたしの頭を撫でた。見上げると、照れくさそうな顔をして横を向いていた。




