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素敵な時間


 日曜のデートは淡々と過ぎていった。

 

 クリスマスを前にして、街はカップルで溢れていた。わたしと圭も、周囲から見ればこの中の一組に含まれるのだ。こそばゆく感じつつ、雑踏の中を2人で歩いていく。


 アクセサリー売り場で、圭が視線を落としていた。気にしている様子だったので、クリスマスプレゼントに贈ろうか?と尋ねると、微妙な顔を返された。合わせハートのペアネックレス。もうすぐお終いのわたしと持つようなものじゃないのは分かってる。あの子に贈りたがっていたのかも。

 

 陽が落ちてくると、街にはイルミネーションが灯り始めた。

 周囲が華やかに彩られていく。ロマンチックな雰囲気に、胸がいっぱいになってきた。


 光に包まれた街を歩く。隣には、わたしの大好きな人がいる。クリスマスじゃなくても十分だ。こうして圭と歩いてる、ただそれだけで、なんでもない今日が特別な日になれるから。


 レストランで食事をして、家まで送って貰った。

 圭はそのまま帰っていった。

 




 月曜日には、約束通り白湯スープで鍋をした。締めにラーメンを入れて、2人ですする。

 どちらからも、お酒を飲もうとはしなかった。

 和やかに時が流れていく。圭と過ごす、こうした穏やかな時間は、本当に心地がよい。警戒心を解くために選択したとはいえ、この落ち着いた日々は、最後の過ごし方として最適のように思えてきた。


 少し前までのわたしは、必死でお出かけをしたがっていた。特別な思い出を作ろうとばかり思ってた。あの頃はまだまだ時間に余裕があって、逆に焦っていたのかも知れない。


 素敵な思い出というものは、案外、普段と変わらない日常だったりする。タイムリミットが残り数日にまで迫った今、わたしはそれを実感していた。圭が居れば、場所なんてどこでも良かったのだ。


 12月の21日。クリスマスまではあとわずか。




 火曜日、いつものように圭がバイト先にやってきた。

 今日は早めに来店して、店内で食事をしていった。その後、携帯を眺めながら、ドリンク片手にのんびりと寛いでいる。


 ドリンクバーでは、圭は決まって一番最初にカフェオレを注ぐ。そして必ず、最後の締めにもカフェオレを選ぶのだ。この定番の行動、すっかり覚えちゃった。


 いつもの川べりを歩いていく。いつもとおなじ、何気ないお喋りをしながら手を繋いで歩いていく。数日前の出来事なんて忘れたように、圭が穏やかな顔をして微笑んでいる。そんな圭に笑顔を返し、わたしは心の中でほくそ笑んでいた。


 バイト帰りのこの道も、これでもうお終いだ。




 ◆ ◇




「今日はオムライス?」


 顔を綻ばせて、圭がわたしの後ろから身を乗り出してきた。フライパンの中には、溶き卵がじゅわりと音を立てて広がっている。バターの匂いがした。


 カフェオレで始まってカフェオレで終える圭を、コッソリと真似てみた。最後の晩餐にわたしが選んだものは、オムライスだった。圭から、一番最初にリクエストされて作ったもの。


 わたしの読み通り、圭にとって一番好きなメニューだったようだ。声は弾んでいるし、表情は緩んでいる。


「ポテトサラダと、オニオンスープもついてるよ」

「豪華だね」


 まぁ、最後だしね。

 明日はクリスマスイブ。もう、ゆっくりしている余裕はない。そう、わたしは今夜、全てを終わらせるつもりでいた。


 震えそうになる指先を押さえながら、菜箸で卵を(まと)め上げる。横長に盛り付けてあったケチャップライスの上にそれを落とし、包丁で縦にラインを入れてトロリとした中身を広げていった。


「明後日だけど、3限で講義終わりなんだ。流羽(るう)は?」

「わたしは明日で終わり。明後日はもう冬休みだよ」

「もう休みに入るのか。じゃあ、こっち終わったら、流羽の家まで迎えに行くよ」

「……圭は、結構ギリギリまで授業あるんだね」


 圭の言葉に、咄嗟に頷けなくて。さり気無くわたしは話題を変えた。

 2つ目の卵を火にかける。背を向けているお陰で、わたしの顔は圭に見つからないでいる。


「必修科目じゃないんだけどね。趣味で取ってる授業が2コマ残ってるだけだから、サボってもいいんだけど」

「サボっちゃダメだよ、ちゃんと出なよ」

「うん、そこはやっぱり、ちゃんと出るよ。だから25日は、朝から一日一緒には居られないんだ………ごめん」

「ううん、謝らなくていいよ」


 授業に出ようが出まいが、一緒になんて居られないんだ。謝る必要なんて、どこにだってありはしない。


 わたしが2つ目のオムライスを完成させている間に、圭がサラダとスープを器によそい、テーブルの上に運んでいた。小ぶりのテーブルの上には、所狭しと2人分の食器が並んでいる。

 スープはともかくサラダは張り切りすぎたな。一人苦笑した。

 

「このオムライス、ほんと美味しい。おれ、流羽の作るオムライスが一番好きだな」

「そんな事言ってくれるの圭だけだよ、ありがとう」


 圭の最後の賛辞に、心の中で録音ボタンが押されてく。オムライスを食べる度に、わたしの頭で再生されるに違いない。涙が、出そうになる。


「今日はおれが洗い物するよ」


 わたしを制止して、圭が立ち上がった。予想通りの行動にどくりと心臓を鳴らしながら、わたしも一緒に立ち上がる。流しに向かう圭の隣を通り抜け、コンロに置かれた両手鍋に手をかけた。

 和やかな時間は、もうお終いだ。


 震えそう。それでいいのだけど、やっぱり、本当に震えてしまいそうになる。


「スープ、まだ残っているから冷蔵庫に入れておくね。明日、良ければ飲んで」


 言葉は、震えていたかも知れない。

 蛇口から流れる水音のおかげで、なんとなく誤魔化されていた。


「……っ!」


 指先ががくがくと震えて、つるりと手を滑らせた。スープの飛び散る派手な音と、カラコロと床に転がる鍋の音がした。

 音を聞きつけて、圭が振り返る。


「流羽!?」

「……ごめん、圭」

「大丈夫か? 派手にスープ被ってるけど、火傷してない?」

「だいぶぬるくなっていたから、大丈夫……。雑巾どこ? 床、拭くね」

「後片付けはおれがするから、いい。流羽はシャワー浴びてきな」


 ごめんねと呟いて、わたしは圭に背を向けた。


 ごめんね。―――わたしはもう、止まらない。



 

 ◆ ◇


 


 頭上にあるシャワーヘッドから、勢いよくお湯が吹き出してきた。激しい雨のようにざあざあと音を立てて、わたしの身体に降り注ぐ。


「入るよ」


 ノックの音がして、洗面所の扉が開く音がした。

 浴室の扉一枚隔てた向こうから、圭の声が聞こえてくる。

 

「着替え、洗濯機の上にトレーナー置いとくよ。おれのだから大きいと思うけど……女物とかないから、これで我慢して」

「うん、ありがとう」

「タオルも一緒に置いといたから、使って」


 優しい声にまた、涙が出そうになる。

 迷惑かけてごめんね、圭。そんなに優しくしなくていいんだよ。だってわざとなんだから。こんなの、シャワーを浴びるためのただの口実なんだから。

 この事を知られたら、わたしは軽蔑されるかな。


 想像して一瞬泣きそうになったけど、ふっと、それでもいいやって気がしてきた。ここまできて、わたしも大概、開き直ってきたようだ。嫌われるくらいで丁度いい。その方が、お互いにきっぱりと、離れられるのかも知れない。



『おねだりしちゃえばいいのよ』


 みぃ子がわたしに授けてくれた作戦は、超っ、雑だった。


『だからぁ、とりあえずシャワー浴びるでしょ。そのあと裸で迫っちゃえばいいのよ』


 てか最早、作戦とも呼べないレベルなんだけどっ!

 

 もっとこう……ぐっとくるセリフだとか、下準備だとか、怪しげな薬だとか飲み物だとか、なんか、ないのっ!? こんなんで上手く行くとか、みぃ子ってばやる子過ぎてすごいんだけど!

 

 拒絶された日の事を思うと、失敗する気しかしてこない。でも……もうそれでもいいや。

 そう。失敗したっていいんだ。


 圭との関りを断てるのなら、それで目的は果たされるんだ。強引に迫って、はっきりと断られてしまえばそれはそれで成功だ。気まずくて、圭がわたしを避けるようになってくれたら、それでいい。

 

 正直、ちょっと怖い気もするし。



 きゅきゅっとシャワーの蛇口を閉める。身体の水分をタオルで拭き取り、浴室から洗面所へと移動した。ドライヤーの風を髪に当てている内に、火照った頬がゆっくりと冷えてきた。


 腕に鼻を当てると、ほのかに石鹸の香りがした。コンソメの匂いは、すっかり姿を消していた。




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