終わらせるための
雨の日のバイトは、憂鬱だ。
暇になると、余計な事ばかり考える。こういう時は忙しいのに限る。ブルーな気持ちに沈むのは、要するに暇なのだとわたしは思う。目を回している時は、目の前の出来事で頭がいっぱいになっている。
19時が目前に迫っている。普段なら賑やかな時間帯なのに、今日は閑散としていた。
圭は今頃、おでんの残りをつまんでいるのかな?
昨日二人がかりで食べたけれど、中身はまだ十分に残っていた。
栗色の長い髪。落ち着いた雰囲気の綺麗な彼女が、穏やかに微笑みながら圭とおでんを食べるその光景が、ぱっと頭に浮かんできた。
邪魔がいない間に、……彼女と一緒に食べてるかもね。
わたしを通過点だとするのなら、サユさんは圭にとってゴールになる。
だから本当は、2人の邪魔をしない方がいいのだろう。今日だって、お迎えを断って2人でゆっくり過ごしてもらう方が、いいのだろう。
圭は心配性だから、日曜のように不安がるかもしれない。でも、いつまでも迎えに来てもらう訳にはいかないんだ。3ヵ月を終えた後、わたしじゃない子の彼氏となった圭の隣はもう、歩けない。
「おでんがやっと片付いたよ」
「食べきれたんだ。結構残ってたのに、すごいね」
理解はしているけれど、圭の隣が心地よくて。
わたしは断りの連絡を入れず、今日もこうして一緒に夜道を歩いていた。
週末の夜とはまるで違う。
1人だと心細く感じたこの道が、圭が隣に居るだけで、安らげる道のりに変わってる。
「2人がかりで食べたからな」
「……2人?」
「カイ呼んだんだよ。沢山あるから、1人では食べきれないと思って」
それってほんとに、カイさん?
黒い疑惑が沸いて来たけれど、当たり前のように言葉を飲み込んだ。
代わりに、フーンと気のない返事をする。
「明日の夕飯だけど、なにかリクエストある?」
「流羽の作るものなら、なんでもいいよ」
「なんでもいいが一番困るんだよ、好きなもの言ってよ」
圭が一番、喜んでくれるものが作りたいんだよ。
もうあと何回、作れるのか分からない気がしてきた。どうせなら、とびっきりの笑顔が見たい。
「食べたいものとか、あるでしょ? ホラ――――」
「ん――、じゃあ………」
ちょっと困ったような顔をして、圭がチラリとわたしを見た。
「ラーメン」
「へっ!?」
「寒いし、ラーメン食べたくなってきた。おれのおススメのラーメン屋に、明日連れてっていい?」
わたしの手料理より、ラーメン………。
まぁ。現実ってそんなもんだよね。
しょんぼりした気持ちを押し込んだ。「うん、楽しみ♪」なんて明るく笑って言ってやる。
ラーメンかぁ。ははっ。ほんとにもう、笑えちゃう。
……ほんとにもう、ご飯作る事さえ出来なくなっちゃった。
「あそこのラーメン、最近食べてないんだよな~」
隣の黒い影から呑気な声が聞こえてきて、わたしはひたすら苦笑するしかないのだった。
火曜日の夜。こうしてまた、圭との時間がするりと過ぎていく。
◆ ◇
次の日の水曜日。
2人とも4限で終わる、唯一の曜日。
ライトアップを見に行った時のように、門付近で待ち合わせをする。やっぱり急いでやって来た圭に、ペットボトルの飲み物を一つ手渡した。柔らかく微笑んでそれを受け取り、圭がごくごくと飲み干していく。
嚥下音と共に上下する圭の喉仏を見て、始まりの日の朝をわたしはふと、思い出していた。
あの時は、表面を撫でるようにサラリと付き合って、深みにはまる前に抜け出すつもりでいたのになぁ………。
すっかりぬかるみに沈んでる。頭まですっぽり嵌ってしまっていて、右手だけが辛うじて外に出ているような状態だ。
唯一の自由な手のひらが、這い上がろうとして手首をぐるぐると回し、でもやっぱりどうにもならなくて、くたりと首を垂れている。
圭のおススメのお店は、大学からは随分と遠かった。
電車を一回乗り換えて、それから細い路地を10分以上は歩いていく。頑張って移動した分、味は最高に美味しかった。なにこのお店、木乃ちゃんとみぃ子も、連れていってあげたいんだけど!
「ここ、美味しいだろ?」
「うん、すっごい美味しい! 圭がこんなお店知ってたなんて、ビックリした」
「カイと何度か来てるから。この店はあいつに教えて貰ったんだ」
「ふーん」
それってほんとに、カイさん?
あぁ、わたしは本当に嫌な女だ。圭がカイさんって言ってんだから、素直に信じればよいだけなのに。なんでもかんでも、女の人が相手だなんて疑わなくてもいいのにね。
想像で嫉妬されても、圭も困るよね。
ううん。そもそも嫉妬自体が、されても困るんだろうけど。
「寒い夜は、熱いラーメン食べるとあったまるな」
「うん……そうだね」
冷えきったわたしを、温めるものは無数に存在する。
温かいラーメンも、そう。
お風呂にゆっくり浸かるのもそうだし、お布団の中だって、わたしをホカホカにしてくれる。
木乃ちゃんもみぃ子も優しくて、バイト仲間だってみんないい人で、実家に戻ると家族は私を温かく迎えてくれるんだ。
だからこの手が離れても、わたしはきっと大丈夫。
「外出たついでに、いいもの見に行こうか」
「いいもの………?」
「駅前にタワーがあっただろ。一番上は展望台になっていて、見晴らしが良いんだってさ。夜景が綺麗だと思うよ」
「そこもカイさんに教えて貰って、何度か一緒に来た場所なの?」
圭の足が、ピタリと止まった。
「男と夜景なんて見に行くわけないだろ。あいつに勧められたってのは合ってるけどさ」
心底嫌そうな顔をして、圭がわたしの手を引いた。
「ほんとに綺麗……」
暗い夜の街に、色とりどりの光が灯っている。きらきらとした光景は、まるで宝石が散らばっているかのようだ。
しばらくじっと見惚れていたら、ふっと、ガラス窓に映る圭の姿が見えた。
わたしの斜め後で、わたしをじっと見つめている。
……わたし、夜景じゃないけど?
「うん、綺麗だね」
甘い表情を浮かべていて、どきりとした。声だって抜群に甘やかだ。ガラス越しの圭が右手を動かしていて、わたしの肩に温かいものが触れてきた。圭の、感触がする。
甘い。甘い。この夢は本当に甘すぎる。
この甘い夢が失われた後、わたしは真っ直ぐに圭を見ていられるのだろうか。
はっきり言って無理じゃない?
もう戻れない。元通りの関係になんて戻れない。気の置けない幼馴染の役を演じる事は、わたしには出来る気がしてこない。圭の隣にサユさんが並んでいて、それを笑って見ているだなんて、わたしには到底無理なんだ。
インターバルの関係になんてなれやしない。
わたし以外の女の子と仲良くする圭なんて、もう2度と見たくない。中学時代のあの頃よりも、今の方が何倍も辛くなっている。だって、今は知ってしまってる。
圭が彼女たちに、どんな眼差しを向けているのか。どんな声で、囁いているのか。どんなふうに触れあっていて、そして、何をしてるのか――――
気付いてしまった今のわたしは、見るたびに細やかに想像してしまいそうだ。わたしはきっと、圭を直視できなくなる。わたしに与えられた甘い夢が、彼女達に与えられているのかと思うと辛くって。
ううん現実はもっと酷いんだ。わたしには与えられない圭の姿がまだあって、彼女達にはそれが解放されている。
3ヵ月が終わりを迎えたその後は。
圭とはもう関わりたくない。夢のような思い出だけ抱えて、リアルには目を伏せていたいんだ。
その方がわたしは幸せでいられる。
………壊したい。
ぞくりとする。わたしは、今初めて気がついた。
都合のいい幼馴染に戻りたくないのなら、破壊してしまえばいいんだ。3ヵ月を終える前に、圭とわたしの関係を、めちゃくちゃに壊してしまえばいい。
90日を終えた後。圭がわたしに、近づく事のないように。




