ステップを踏む
言葉を飲み込みながら、過ごしてる。
言いたい事が言えやしない。圭と付き合うようになってから、特別気になる事に限って、口を閉ざしてばかりいる。
聞いてしまいたい。
期間限定とはいえ、今のわたしは圭の彼女だ。だから本当は、何もかも問い詰めたって許されている筈なんだ。けれどどうしても聞けなくて、だってそんなの、圭が好きだと言っているようなものだから。
3ヵ月でいいから、なんて言われてわたしは圭と付き合っている。
これって要は……好きになってくれなくていいから、という事だよね。もう少し言えば、本気にならないで欲しいって事で……
『こんなこと、他の子には頼めないしさ』
それは他の子だと、圭に本気になっちゃうから?
わたしだと……平気だとでも思ってた?
だから……観覧車の中で泣き出したわたしを見て、あんなに苦い顔をしていたの?
気になって気になって。
知りたいけれど、本当の事を知ってしまうのもまた、わたしはどこかで怖がっている。
恐らくわたしの気になる答えは、全てがイエスだと思うから。
ねえ、圭。
サユさんが、圭の続けたい相手なの?
あの日。わたしに嘘をついて彼女と一緒にお昼を食べていたよね。
あの日。わたしと一緒にお弁当を食べている所を彼女に目撃されて、すごい勢いで追いかけて行ったよね。
ねえ、圭。
わたしと会えない日に、彼女を部屋に呼んでるの?
作り置きはいらないって、それってもしかして、彼女に作って貰うから? 3ヶ月は長すぎた、少し早いけど終わらせたい。なんて、今頃思ってる?
ねぇ、圭……。
彼女とは……わたしとはしないような事を、しているの………?
聞きたくてたまらないのに、臆病なわたしは何一つとして聞けやしない。そう、聞かなかったんじゃない。わたしはずっと、聞けなかっただけなのだ。圭の彼女が気になって、でも興味がないフリをして誤魔化していた中学時代とおんなじだ。結局、わたしはあの頃と何も変わってない。
だから圭も、あの頃と同じようなポジションに私を置こうとしてるんだ。都合が良くて便利な、「幼馴染」。
こんなわたしだから、扱いがいつまで経っても変わらないんだよ……。
「あ、鳴ってる」
ベッドの上でグダグダと考え事をしてる間に、携帯が鳴っていたらしい。
慌てて手に取り、通話ボタンを押す。
『おっはよ~ルウ!』
「みぃ子。おはよ、朝っぱらからどうしたの?」
みぃ子の底抜けに明るい声が流れて来た。
相変わらずテンションが高くって、こっちまで元気が出てきそうになる。
『あれえ、ルウなんか元気なくない? へーき?へーきならお願いがあるんだけど』
「平気だよ」
『それにしては声が暗い気がするんだけど~……まあいいや。あのさ明日の夜、あたしの代わりにバイト入ってくれない?』
「えぇ!?」
『あたし今ちょっと狙ってる人いてさぁ、ご飯誘われちゃったのよ。はっきり言ってチャンスなの!!』
明日の夜って確か、圭に手ぶらで来てくれって言われてたな……
『代わりに今日の昼入るからさ~、このとーりお願いっ! コノとはシフト被ってて頼めないし、ルウしかいないのよね』
「うーん……」
まあ。毎日のように会ってるし、いっか。
別に、どこか外に出る約束してる訳じゃないし。家の中でいつものようにごはん食べて、だらっと過ごすだけだしね。
「分かった。じゃあ明日の夜と今日の昼、交代すればいいんだね」
『そうそうそう、そういうこと!サンキュールウ、大好き愛してる!』
「じゃね、みぃ子。頑張ってきて!」
もちろんよ!とみぃ子の高い声が響いた後、ぷつりと通話が途絶えた。
「みぃ子は……頑張ってね」
みぃ子は強いから、わたしのように怖がったりはしないだろう。傷つくことを恐れずに、はっきりと言いたい事を言うのだろう。
今のわたしにはどれも、出来なさそうなこと。
はぁ。
取り敢えず夕方まで、暇だな。
何しようか………
ベッドでゴロゴロしていると、再び沈んだ気持ちに襲われた。
こりゃ駄目だ。
わたしは立ち上がり、簡単な食事と着替えを済ませた後、歩きやすいスニーカーを履いて家の外へと飛び出した。
◆ ◇
いつもの町を、わたしは歩く事にした。
空には雲が厚く覆っているものの、雨は降る様子がなさそうだ。
携帯と小銭入れだけをポケットに入れ、手ぶらで歩く。荷物のない身体はとても軽くって、かかとが自然と上を向く。
ふわふわと、軽やかな感覚。
こんな簡単な事で、心まで軽やかになれるわたしは本当に単純だ。ううん、身体と心は、きっとセットになっている。病が気からと言うのなら、弾む気持ちはかかとから。
お気に入りの音楽を口ずさみながら、かかとを地面に着けずに、軽やかに歩いていく。光の当たらない川べりを、弾むように歩いていく。よかった、周囲に人がいなくって。今のわたし、怪しい人に見えそうだ。
くるくると歩いている内に、気付けば辺りは、見慣れた景色となっていた。
この角を曲がると、圭の家だ。
どうやらわたしの足は、いつもの場所を目指してたようだ。無意識の行動に、なんだか可笑しくなってきた。くすりと笑みが漏れる。
散歩をしているうちに、心が晴れてきたようだ。くす、くすと浮かれた気分で笑っていると、曲がり角から遠目に圭の姿が見えた。
浮いていたかかとが、落ちる。
圭の隣にはサユさんがいた。二人で、圭の部屋に入っていく。
わたしの目の前で扉の閉まる音がした。
「やっぱり、イエスかぁ………」
くるりと足を、今来た道へと返す。
そのまま自分の部屋に着くまで、わたしの足は重たいままだった。
◆ ◇
その日、わたしは嘘をついた。
圭の目の前で、平気なフリをする自信が無くて、嘘をついた。
電話をすると声でバレそうなので諦めた。メッセージでやり取りする。
『今日はお迎えいらないよ、木乃ちゃんと飲みに行くことになったから』
『え!? 流羽、酒飲むの?』
『大丈夫、わたしはちゃんとウーロン茶にしとくから』
『飲むなよ。てか、遅くなるだろ? 場所教えてくれたら迎えに行くけど?』
『いいよいいよ、いつ終わるか分かんないし。あんまり遅くなるようならタクシーでも使うよ』
迎えに来なくていいよ………っ!
こんな時でも、圭はわたしの事を心配してくれている。圭の隣には今、サユさんがいるのにね。わたしのお迎えなんてない方が、2人でゆっくり出来るのにね。
馬鹿みたい。そんな事じゃ、長く続けるなんて無理なんだから。
次の日の昼、再びメッセを入れた。
『急用で休む子が出たから穴埋めしなきゃいけなくて、今日も一日バイトになっちゃった。ごめん、今夜はそっち、行けない』
わたしはまた一つ嘘を吐く。一度つくと何度でも平気になってくるようで、迎えもいらないと言って断った。今夜は、みぃ子と木乃ちゃんの3人で女子会するんだよ、なんて真っ赤な嘘だ。
「どうしたの、流羽。暗いけど……」
「木乃ちゃん、今夜暇? 暇だったら一緒に飲みに行こうよ!」
「明日から学校なのに、こんな時間から飲みになんか行かないわよ。どーしちゃったのよ、流羽」
「だよねー。ううん、なんでもない」
今日のバイトが終日で、本当に良かった。
何もしていないと、2人の事ばかり考えてしまう。忙しく体を動かしている内はどうにか、紛れてくれる。
「あれ、久我君、今日はお迎えきてないんだ」
「今日はちょっと……忙しいんだって」
「ふぅん……。じゃあ気を付けてね、流羽」
「うん、またね!」
一人で歩く久し振りの夜道は、真っ暗でシンとしていて、妙に心細く感じてしまう。
おかしいよね。ほんの2カ月前までは、これが当たり前だったのに。わたしはすっかり慣れ切っていた。圭がここに来ることに。わたしの隣を、歩いてくれていることに。圭と手を繋いで、温かな気持ちでこの道を歩くことに。
涙がポロリと零れてきた。
あと二十日を切っている。
でも……もう、いつ終わるか分からない。
昨日は一日、サユさんは圭の部屋にいたのかな。
もしかして……泊って行ったりしたのかな。もう、そっちがちゃんと『彼女』ってかんじだよね。わたしの役割はもう……終わったのかな……。
とぼとぼと家の前まで来て、ふと、見慣れた人影が見えた。
長身で、全身真っ黒の男の人。モデルのように立ち姿が綺麗で、半端なく整った顔をしている。
………圭だ。
腕を組み、鋭い視線をわたしに投げかけ、圭が扉の前に立ちはだかっていた。




