0時に向けて
紅葉を見に行くつもりでいた、日曜日。
あいにく朝から、雨がざあざあと降っていた。
「この雨じゃ出かけるのは無理だな。紅葉は来週にまわして、今日はゆっくりと部屋で過ごそうか。またゲームでもする?」
「う~ん、ゲームよりも……別の場所行きたいな。雨だけど、屋内の施設なら行けるよね? 映画とか……プラネタリウムとか!」
「いいね、行こうか」
二人で過ごせる週末は、残りわずかだ。
出かけられるチャンスを、逃したくはなかった。
インドアの圭は、部屋でゲームがしたいかな?
なんて心配は全くの杞憂で、意外と快く圭は承諾してくれた。
傘を手に、繁華街の方へと向かう電車に乗り込んだ。終点の一つ手前の駅で降りた後、地下鉄に乗り換えて一駅だけ移動する。地上に出て、少し歩くと目的地が見えてきた。
市が運営している科学館だ。1Fのホールには科学関連の展示物が置いてあり、2Fではプラネタリウムの上演が行われている。
料金がリーズナブルなせいか、親子連れで賑わっていた。こんな天気だからなのか、意外と人は多かった。
座席をリクライニングし、天井を見つめる。
アナウンスが流れてきて、明るい画面が暗いものへと変化した。
正面にはカシオペア座やアンドロメダ座、ぺガスス座などの秋の星座が華やかに展開し、右側にはデネブが夏の終息を告げるように瞬いている。左端にはカペラが、冬の訪れを知らせるように光っていた。
バイトの帰り道に見上げる夜空より、ずっと豪華な景色だ。
ふっと、隣を向いた。
目の前に広がる秋の夜空を、圭も見惚れるように眺めている。
……寝てるかと思ったのに、意外。
「なに」
真っ直ぐにスクリーンを眺めていた筈の圭が、こちらを向いた。
耳元で囁かれて、慌てて顔を逸らす。
意外と楽しんでるね、て思っただけだから!
ぷっくりと膨れながら、画面に視線を戻す。
ぺガスス座に矢印が現れ、解説の声が流れてきた。聞き入っていると、太ももの横にゆるりと置いた手の甲に、温かいものが被さってくる。
圭の手だ。
どくりとする。
また目が合いそうで、振り向けない。じっと画面を見つめ続ける。星空の解説を聞いてはいたけれど、頭にはこれっぽっちも入ってこない。
結局、手は上演が終わるまでずっとそのままで、わたしは落ち着かないまま、瞬く星をぼんやりと見つめていた。
プラネタリウムが楽しめたのか、圭は終始機嫌が良さそうだった。
わたしと違い、しっかりと解説を聞いていたようだ。その日の夜、バイトからの帰り道。空を見上げた圭は、嬉しそうに星を指さし、覚えたての名前をあげていた。
◆ ◇
3日後の水曜日のこと。
ランチタイムに、圭に誘い掛けられた。
「今日、流羽は4限までだろ?」
「うん」
「おれも4までだし、終わったら門のところで合流しよう」
学校帰りに待ち合わせるとか、珍しい。
授業を終え、逸る心を抑えながら、待ち合わせの場所に向かう。さほど時間が経たないうちに、息を切らせながら圭がこちらにやって来た。
「ごめん、待った?」
「ううん、今来たとこ。ほんとにほんとだからね?」
理系棟は文系棟の奥にある。圭の方が距離がある分、門に辿り着くのに時間がかかる。
だからこっちが待って当たり前なんだし、わざわざ走らなくてもいいのに……。
寒い季節にも拘らず、圭が頬を紅潮させている。
当然のように繋がれた手は、いつもより熱持っていた。
圭に連れられて来た場所は、日曜に訪れる予定をしていた紅葉の名所だった。
あの時の緑混じりの紅葉とは違い、今は一面真っ赤に色づいている。
それだけではない、夜の紅葉はライトアップがされていた。幻想的で美しい光景に、ため息が漏れる。
「綺麗だね……」
「だろ? ほんとは週末に来ようと思っていたんだけど――」
「うん」
「ライトアップ、今週中で終わるっていうし。天気もいつ雨が降るか分からないから、来れる時に来ておこう思って」
得意げな圭の声に思わず振り向くと、満足そうな笑みを浮かべながら、いつもの甘い瞳でわたしを見つめていた。
視線を、さり気なく紅葉に戻す。
「昼間に行くのかと思ってた」
「おれも最初はそのつもりだったけど、……こういうの、喜んでくれるかなと思ったんだよ」
「うん、嬉しい……」
わたしが喜ぶと思って、ここに連れて来てくれたの?
嬉しい。嬉しい…。
今が夜で良かった。頬が赤くても、圭にもきっと気付かれない。
圭はすごい。
デートなんて連れてった事ない、なんて困った顔をしていたのに。あれからたったの一ヶ月で、こんな所に連れて来てくれるようになるなんて………
―――そんなに頑張りたくなる、人がいるのか。
突如、心の隅から浮かび上がった回答を、慌ててわたしはかき消した。
「今週末は、バイトの予定どうなってる?」
帰り際、圭がわたしの予定を聞いてきた。
もしかして、週末もデートに出掛けようと思ってる?
部屋でだらだら過ごすのが好きなはずなのに、意外。ここんとこ、圭には驚かされてばかりいる。
「土曜は昼も夜もバイト」
「そりゃ大変だな」
「圭が熱出した時、木乃ちゃんにシフト変わって貰ってさ。そのお返しに、入ってくれって頼まれちゃった」
圭に連れられて、駅付近の女子受けしそうなレストランで食事をする。
お酒は控えて置いた。圭もやっぱり、わたしに付き合って水を飲んでいた。
「日曜は?」
「日曜なら一日空いてるよ」
「じゃあ日曜、またこうやって出かけようか」
また……デート?
そりゃ。予定の空く限り、圭と一緒に出かけたいとは思っていたけれど……。
まだ練習したいの?
そんな事しなくても、もう充分、最高の彼氏だよ。
「うん、分かった」
「約束な。あ、ちょっと帰りうち寄ってってよ。お茶出すよ」
「へっ!?」
圭の家に上がると、テーブルの前に座らされた。圭がコンロに向かって行く。
しばらくドキドキしながら待っていると、圭が湯飲みを2つ運んできた。
インスタントではないようだ。お茶の葉のいい香りが漂ってくる。びっくりして見上げると、少し得意げな顔の圭がいた。
「やるだろ?」
「うん、今、めちゃくちゃ驚いてる」
「熱いから気をつけろよ」
両手で湯飲みを持ち、ふぅふぅと息を吹きかける。そっと啜ると、温かいお茶が冷えた身体にじわりと染み込んできた。
「美味しい……」
「だろ?」
ふわりと、綻ぶように圭が微笑んだ。
見ていられなくて、また目を逸らす。この頑張りはわたしに向けられたものじゃない。
「ありがとう、わたし片付けるね」
「ああ、いいからいいから。流羽はゆっくりしてて」
わたしの肩に優しく触れ、座るように促した。当たり前のように自分で片付けようとする。
どうして、そんなに、頑張るのよ。
「っつ!」
圭の方を向くと、指を押さえて顔を顰めていた。
洗いかごの小物入れの中に、刃を上にして包丁が立てられている。それに手を掠めたらしい。切ったらしく、右手の小指に口をつけ、舌を出してペロリと血を舐めている。
……あれ?
包丁。月曜日、帰る前に乾いていたから、扉の中にしまっておいたと思うんだけど……。
「って、絆創膏! どこ?」
「ごめ、机の引き出しに入ってる」
部屋の奥、ベランダのすぐ側にあるスチール製の机に向かう。一番上の引き出しを開けると、小ぶりの箱が見えた。
なにこれ、絆創膏にしては派手な箱……
「流羽、それじゃない! 2番目の引き出しに入ってる!」
慌てた様子で、圭がわたしの側までやってきた。
びっくりして、手にした箱を引き出しに戻す。上から2番目の引き出しを開けると、そこには常備薬の類が入っていた。絆創膏を見つけ、一枚取り出す。
「手、出して」
「ん……」
震えそうになるのをこらえ、そっと、丁寧に絆創膏を貼っていく。上手く貼れて、わたしは心底ホッとした。
季節はもう冬。暦はもう12月を迎えてる。
わたしが圭といられる時間は、あと残り、30日を切っていた。




