今のわたしは
ごちそうさま、と言った後、圭が軽やかに腰を上げた。からっぽになったお皿を手に取り、運び出す。
思わず凝視していると、圭が軽く眉を寄せた。
「なに驚いてんだよ」
「だって……ええ!?」
今夜も圭の部屋に行き、一緒に夕飯を食べていた。ちなみに、本日のメニューはタラコスパゲティ。茹でたパスタをオリーブオイル・醤油・バターやほぐしタラコと混ぜて、大葉と刻み海苔をまぶすだけのお手軽簡単メニューだ。
文句も言わずに何でも食べてくれる圭だけど、今日は珍しく「美味しいよ」と言ってくれた。それだけでもわたしは驚いたのに、更に驚くことが今目の前で起きている。
食べ終えた圭が、流しに食器類を持っていったのだ。
しかも。洗い始めている……
なに、圭に一体、何が起きたの……!?
「流羽もそれ、食べ終えたんなら貸せよ。洗うから」
「え、……圭が洗ってくれるの……?」
思わず目をこすってみた。2度見してみたけれど、やっぱり圭が食器を洗ってる。洗剤を無駄に注ぎ込み、蛇口から勢いよく水を飛ばしながら、ガシガシと強い力で洗ってる。
色んな意味でわたしは今、慄いている。
いつも食べっぱなしで放置にしてるのに。食べ終えた食器類を運ぶだけでもビックリなのに、なんで洗い始めてんの……
「いつも作って貰ってんだし、洗うくらいはしようかなって」
照れくさそうに言いながら、泡の残る食器をカゴにおさめていく。
飛び散る飛沫と混ざり合い、受け皿に落ちていく泡の様子をじっと横目で追いながら、わたしは圭の服の裾を引いた。
「いいよ、わたし洗うよ。圭はレポートが忙しいでしょ?」
「今日は特にやる事ないんだ。暇だし、たまにはおれがやるよ。流羽はゆっくり座ってて」
「う、うん」
すごすごと席に戻る。
背中が非常に気になるけれど、敢えて見ない事にした。鶴の恩返しみたいなもので、あれはきっと知らない方がいい世界なんだと思う。うん、見ちゃいけない。
それにしても、どうしちゃったのかな……圭。
急にこんなことをしてくるだなんて。
「おれ、なんにもしなさ過ぎたよな」
呟きながら、圭がわたしの隣にやってきた。洗い物はどうやら終えたようだ。
わたしの肩に圭の手が添えられた。湿り気を帯びた手からは、冷ややかなものを感じる。
お湯、使えばよかったのに。
「流羽も言ってただろ。何かしてあげなよって。作る方はまだ無理だけど、洗い物くらいなら出来るかなって思ったんだよ」
「そう………」
心がざわりとした。
それってつまり、素敵な彼氏目指して頑張ってるって事……?
続けていきたい子のために。
「流羽の言う通り、おれのこういう所が愛想つかされていたんだと思う。最近ちょっと、自分の何が駄目だったのか、分かるようになってきたよ。流羽のおかげ」
肩に触れた手に、きゅっと力が入る。
圭がぴたりと身体を寄せてきた。わたしは少しだけ目線を上げて、頬に集いそうな熱を吐き出そうとした。
「おれのダメなとこ、もっと教えてよ。別れたくならないような彼氏になりたいんだ」
耳元で甘い声して囁かないで……。
顔が赤くなりそうになる。わたしは必死でさっきの泡を思い浮かべる事にした。
あ~…ホントあれ、洗い流してやりたい……!
「ダメなとこ、って言われても……」
「今のおれじゃまだまだ、全然駄目だと思うからさ」
「ダメじゃないと思うよ。圭には圭のいいところだってあるんだから、今のままでも十分じゃないかな」
わたしには分からない。
だってわたしなら、圭を振ったりなんてしないもの。別れたいなんて思わない。
圭のどこが駄目で、どうして手放そうと思えたのか。彼女達の気持ちは、わたしには理解出来やしないんだ。
「だから無理して、頑張らなくてもいいと思うよ……」
「今のままのおれでもいいの……?」
わたしの首筋に、圭が顔を埋めだした。
ああだめ、もう限界……。
「それって、流羽なら……流羽は、おれと3ヵ月過ぎても付き合っていたいと思える……?」
「…………っ!」
肩をぐるりと回し、圭を払いのけた。
即座に立ち上がり、シンクの前に移動する。バクバクする心臓を誤魔化すように、大きめの声を出した。
「そんなに、ダメなところ知りたいなら教えてあげる! さっきの洗い物、全っ然ダメっダメなんだからねっ!!」
「…………あ、ハイ」
勢いに飲まれたのか、圭が固まってぎこちない声を出した。
わたしは圭にレクチャーをしつつ、さっきの泡を洗い流すのだった。
◆ ◇
「ごめん。おれ、まだまだだった……」
圭が萎れてる。
良かれと思った行動が、実際は微妙だった事を知り、軽くへこんでいるようだ。
愁いを含ませた息をつき、長いまつ毛を伏せている。大きな体でしょんぼりしている様は、正直とても可愛い。
慰めるように、背中をポンポンと軽く叩いた。
「気持ちはとても嬉しいよ。女の子ならみんな、喜んでくれるとは思う。そこで丁寧に洗う事が出来れば、好感度はグッと上がるはずだから、頑張って」
「精進する……」
「まぁ、わたしも圭の事言えないけどね。わたしの作るご飯って、微妙でしょ?」
「そんな事ないよ、いつも美味しいと思ってる」
「へっ!?」
今日の圭、ほんとにおかしいけど!?
そりゃいつも、機嫌よく食べてくれるけどさ。こんなにはっきり美味しいだなんて、言ってくれる事なかったのに……
「思ってるだけで、口にしてこなかったよな、おれ。そういうところも、ダメだったって反省してる」
「ううん……美味しそうに食べてくれていたらから、わたしはそれでも十分だったけど――――て、ああでも、口にしてあげると喜ぶ女の子は多いかな」
「………そっか」
圭、頑張ろうとしてるんだね。
本気なんだ。本気で、次に付き合う子とは、長く付き合っていきたいと思ってるんだ。
心がまた、ざわりとする。
「わたしの料理もまだまだなんだ。だから、もっとこうした方がいいっていうの教えてよ」
「そうだな……敢えて言うなら、もう少し味付けが濃い方が好みかな」
「もう少し濃く、かぁ。イマイチ物足りなく感じるのは、塩分が足りてないのかな」
「今のままでも十分だけどね」
わたしの頭を、今度は圭がポンポンと優しく叩いた。
「それよりゲームしよう。ほら、こないだ言ってたやつ」
圭がニッと笑い、テレビ台の扉から古いゲーム機を取り出した。懐かしい外見に、わたしの表情が緩くなる。
コントローラーを差し出され、わたしは無意識にそれを受け取った。
それを見て、満足そうに微笑んでから、圭がもう片方のコントローラーを手に取った。
テレビの画面から、賑やかな音声が流れてくる。
遊園地で一番楽しかった、シューティング。
あの時の浮かれた気持ちを蘇らせたくて、わたしは必死でゲームを楽しむのだった。




