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言えなかった。
「はぁ~~~~……」
結局おれは、流羽に好きだよと言えなかった。
夕日の沈む中、無言になったおれ達は、無言のまま遊園地を後にした。道中、適当な店で夕食にし、真っ直ぐに流羽の家まで送っていく。そのまま部屋に上がり込んで寛ぐこともなく、1人きりの家に帰宅した。
部屋に入って明かりをつけ、ベッドの上に転がると、緊張の糸が途切れたように声が漏れだした。
「やっぱりまだ引きずってんじゃねーか……」
くすんだ天井を睨みながら、独りごちる。
右手にキュッと力が籠もった。
観覧車のてっぺんで、おれは流羽に告白するつもりでいた。茜色に染まる二人きりの空間は、ロマンチックな雰囲気で、最高のシチュエーションと言えるだろう。
おれの想いに気付きもせず、流羽が外の景色に見とれている。夕日に照らされたあどけない横顔を見つめながら、頭の中で用意した言葉を繰り返す。
あと少し、もう少しでその時だ。
暴れる心臓を必死で宥めながら、ゆっくりと呼吸を整えていたら………
流羽の手が、おれの頬に触れた。
不意打ちのようにキスをされて、整えたはずの呼吸が一時、乱れる。
目を見張ったものの、それ以上に気持ちが昂ってきた。
やっぱり、流羽もおれの事好きなんだよ。
今だと思った。頂上まで少し間があるけれど、告げるなら今だ。これはいける。おれは成功を確信して、言葉にしようとして―――――固まった。
おれの目の前で、流羽が泣きそうな顔をしている。
『観覧車の中で、キス、してみたかったの』
そんな事を言いながら、ちっとも嬉しそうな顔じゃない。
なんでそんな顔してんだよ。
なんてな。そんなの、答えは一つしかないじゃないか。
あの日川沿いを歩きながら感じていた不安が、的中したってだけだろ。流羽はまだ昔の事が忘れられていなくって、だから、だから………。
思い上がっていたんだな、おれ。
おれの部屋で夕食を作る流羽を見て、おれはそれが特別な好意なのだと思ってた。でもそうじゃなかった。流羽はおれと違って、誰にでも優しいだけだった。
ぽろぽろと流羽が泣いている。
おれの問いかけに、否定も肯定もせずひたすら黙って泣いている。どう見ても、過去を引きずっているとしか思えない。誰でもいいから彼氏が欲しいだなんて、それはつまり、誰でもいいから忘れさせて欲しいという事だったのか。
頭を優しく、撫でてやればよかった。
心細げに震える肩を、抱き寄せてやればよかった。なんでもいい、取り敢えずは笑顔を見せて、慰めてやるべきだったのだと思う。けれどおれは、なにも出来なかった。
情けない事に、心も身体も固まったまま動けないでいた。
笑いかけることも。温かい言葉をかけることも。視線を向ける事さえも出来ずに、おれはただ黙って、流羽の隣を歩いてた。
◆ ◇
観覧車での出来事が嘘ように、次の日にはもう、明るいいつもの流羽だった。
振る舞いだけを見ていれば、あの涙が幻のようにさえ思えてくる。
けれどあれは夢なんかじゃない。あの日から流羽の態度がまた少し、変化したからだ。
表向きは今までと変わらない。夕飯だって作ってくれるし、笑いかけてもくれる。おれの課題が多い日は心配してくれるし、抱き寄せても嫌がりはしない。もちろん、構えたりもしない。
あんなに嫌がっていたバイト先にも、迎え入れてくれるようになった。こうして、ドリンクを飲みながら流羽のウエイトレス姿を眺めていても、なにも、咎められはしない。
「圭、わたしもう上がりだから、着替えてくるね」
「ん、分かった。このカフェオレ飲み終えたら、会計済ませて外出るよ」
表面上は何も問題ない流羽の態度だが、気のせいか、どことなく距離を置かれているように感じてしまうのだ。にこやかな流羽から、素っ気ない空気が漂っている。
あんなに近付いた心の距離が、再び離れ始めている。何処がと問われるとうまく答えられないけれど、そう、敢えて言うのなら―――
「意外と失敗もせず頑張ってんだな、流羽」
「コップをひっくり返すとでも思ってた? 残念でした! いくらわたしでも、毎日失敗なんてしないからね」
流羽は笑顔だけど、その笑顔の向く先はおれじゃなくて、ずっと先にある交差点の信号機だとか。
「夏川さんだっけ。あの子に何度か、フォローされてたように見えたけど?」
「え!? ええ、見られてた……?」
「本当にいい友達だね」
「うん……木乃ちゃんにはいつも、助けられてるんだ」
おれを見て笑いかけるのはほんの一瞬で、すぐに目を逸らすとか。
「ほんと、寒くなったね」
「夜は特に冷えるな」
「髪の毛が防寒具になる季節になってきたなぁ」
手を繋いでも、軽く浅くしか、握り返してくれないだとか。
「なに、髪ってマフラー代わりなの?」
「冬はおろしてるとあったかいんだよ。というか、この季節に首筋出すと寒くてさ。圭は寒くないの?」
「流羽と手を繋いでいるから、あったかいよ」
「そう……」
甘い言葉を囁くと、困ったような顔をするだとか。
どれも些細な事柄だけど、おれの心に少しづつ苦いものが溜まっていく。
「寒いなら、前みたくおれのコートの中入る?」
「入らないよ、歩きにくいし」
困惑すんなよ。眉寄せてんじゃねーよ。おれが見たいのはもっと違う顔なんだ。少し前まで見せてくれていた、とろけるような顔が見たいのに。赤くなって、動揺して欲しいのに。意識を、もっとして欲しいのに。
タイムリミットだけがじりじりと近づいていく。
どうすればいい?
どうすれば流羽は、過去の男を忘れてくれる?
どうすれば、おれの方を見てくれるようになるんだよ……。
いっその事、流羽を抱いてしまおうか。
隣で歩く流羽を見て、おれの心臓がどくりと跳ねた。
「週末、晴れるかなぁ?」
無邪気な声を聴き、ふと我に返る。首を軽く振った。
「どうだろな。天気がよければ紅葉見に行こうか、そろそろ真っ赤になってんじゃないかな」
「うん! 行きたい」
「バイトの予定はどうなってんの?」
いや、焦りすぎだろおれ。
いくら付き合っているとはいえ、おれ達の関係は半端過ぎるんだ。手を出すにはまだ早すぎる。
流羽の同意を得て付き合ってはいるけれど、その同意はかなり強引にもぎ取ったものだ。どこまで許してくれるつもりなのかは分からない。下手な事をすると、3ヵ月経つ前に関係を打ち切られてしまいそうだ。
告白して、3ヵ月後も彼女で居てくれるという答えを貰って、それからだろ。
それに。いざとなって拒否られたら、それこそ立ち直れない……。
流羽に対して、呆れるほど慎重になっている自分がいて、笑えてきた。
今までに自分がしてきた恋愛というものが、いかに楽でお粗末なものだったのか思い知らされる。おれはこれまでに一度として、彼女達からの好意を疑う事は無かった。交際とは常に、女の子にお願いされて始まるものだから、相手は100%自分が好きなのだと言える。そこに胡坐をかくだけの、お付き合い。
だから彼女達に対して、気を使う事もなかった。おれを受け入れてくれない子なんていなかったし、適当に扱って嫌われても別にどうってことはない。代わりになる子なんて幾らでもいるのだ。じゃあ次の子って切り替えるだけで、不安なんて何処からも芽生えてはこなかった。
サイテーだな、おれ。
そりゃ続かないよな………
「土曜はダメだけど、日曜は夜の方だけだから、夕方までなら出かけられるよ」
「じゃあ、晴れてたら日曜に行くって事で」
「………うん」
繋いだ手に、もう少し力を入れてみた。
流羽の手はやっぱり反応が薄いままだった。心の中で軽くため息を吐く。
取り敢えず、側にいる事は許されているのだ。
時間はあまり残されてはいないけど――――焦らず、一つ一つ、考えていくしかない。
天を仰いだ。
どんよりと暗い秋の夜空には、どこを探しても、星一つ見えやしなかった。




