カウント90
それはまるで、幼い頃の2人に戻ったようだった。
声を出して笑い、はしゃいでふざけ合っていて、2人で目一杯、遊園地を楽しんでいた。圭がとても生き生きとしているので、わたしはそれを見ているだけでも明るい気分になれた。
あっという間に時間が過ぎていく。気付けばもう、日が沈みかけていた。素敵な時間は、すぐに通り過ぎてしまうんだ。
笑い声が途切れて、ふと圭と目が合った。2人とも無言のまま、示し合わせたように足が観覧車へと向かう。どちらともなく繋がれた手は、やっぱり指が絡まっていた。
澄ました顔して歩いてんだろな、圭は。
悔しく思いながらチラリと見上げて、どきりとした。夕日に映えて愁いを帯びた横顔は、どことなく緊張しているように見えたからだ。眼差しだけが妙に熱くて、強い視線で真っ直ぐに観覧車を捉えている。
「圭って、高い所苦手なの?」
「いや、平気だけど。どうして?」
「なんか、緊張してるように見えたから」
「気のせいだろ」
強張ったような顔のまま、圭が列の後ろに着いた。
観覧車はあまり混んでいなくって、5分と経たない内にわたしたちの番がやってきた。
左右に分かれている座席に、向かい合うように腰をおろす。
夕日が斜めに差し込んできて、スクリーンの世界に紛れ込んだようだった。
「圭、今日はありがとね。わたしのお願い聞いてくれて、ここまで一緒について来てくれて」
「いや、おれも楽しかったし。こんなので喜んでくれるなら、また来ようか」
固かった圭の表情が、少しだけ緩む。
入れ替わるように、今度はわたしの表情が少し、固まった。
「うん……ううん、こんどは約束していた紅葉、見に行こ」
「それも行かないとな」
「他にも行ってみたい所、いっぱいあるの。だから遊園地はもう来ないかも……」
約束の90日。
もう既に、半分以上が過ぎてしまってる。あと残り、40日のわたしたち。
2度目の遊園地が来る前に、時間切れが先にやって来る。こうしてる間にもカウントダウンは進んでる。時間は有限なのだ。だから圭と一緒に乗る観覧車は、恐らくこれが最初で最後。
焼き付けておかなくちゃ。
夕日に映る街を眺めてみたくって、立ち上がって窓の外を見下ろした。さっきまで楽しんでいた等身大の園内が、徐々に小さくなっていく。リアルから切り離された空間に旅立っていくような、感覚。
「わたし達の家、あっちの方かなあ?」
「いくらなんでも、ここからは見えないだろ」
「そうだけど。頂上までいけば見えるのかな……」
おもちゃで出来た箱庭のように、見下ろす景色がどんどん細かくなっていく。まるでこの観覧車の中だけが、現実にある世界のよう。この世には今、わたしと圭しかいない。
ここにいる圭は、わたしだけのものなんだ。
振り向いて、座ったままの圭を見おろした。
整った唇をきゅっと引き結び、目を細めてわたしをじっと見つめている。吸い寄せられそうな瞳に、視線が動かせない。圭もわたしから目を逸らさなかった。
「もうすぐ、頂上だよ―――」
夕日が、圭の全身を照らしてる。
圭の瞳に映るわたしも、全身に夕日を纏ってる。
「あと少しだな」
低く呟いた圭の声から、妙に張り詰めたものを感じる。
なんだか無性に捕らえたくなって、わたしは圭の側に近寄った。手を伸ばして、温かな頬に両手で触れると、ピクリと圭の身体が反応する。瞳が揺らいだ。
わたしの顔は真っ直ぐに、圭の顔に近づいた。どことなく乱れた息遣いのする唇に、わたしの唇でそっと塞ぎにいく。ふわりと圭の匂いがした。
どくどくと、心臓の音が唇から伝わってしまいそう。
名残惜しいものを感じながら、唇を離した。
圭の頬からも手を離した。わたしの手のひらから、温もりが失われていく。
「流羽、おれ……」
わたしからキスをするのは、これが初めてだ。驚かせてしまったようで、圭が目を見開いていた。
でもいいよね、一度くらい。
わたしからキスしたっていいよね。彼女なんだから、そのくらいいいよね。
だってあと40日でお終いなんだもの。今だけの特権なんだから。それまではわたしからキスをしても、抱きしめても、全てが許される筈なんだ。
震えそうになる声を押さえて、誤魔化した想いを告げる。
「観覧車の中で、キス、してみたかったの」
ほんとうは、40日を越えてもキスしたい。
遊園地だってまた来たい。観覧車にだってまた乗りたい。はしゃぐ圭を隣で何度でも見ていたい。
夕飯だってずっと一緒に食べたいし、バイトの迎えにだって来て欲しい。
ほんとうは、もっともっと圭と居たいよ……
「―――流羽、なんで……」
「……え?」
「なんで、おれにキスしてそんな、悲しそうな顔してんだよ……」
視界がぼやける。
苦しそうに呟く圭を見て、笑おうと思ったけれど、笑顔が上手く、作れない。
だって圭は、40日を過ぎると居なくなる。
わたしじゃない子とご飯を食べて、わたしじゃない子とデートをして、わたしじゃない子に熱いキスをして、わたしには一度だって得られない愛の言葉を、わたしじゃない子に囁くんだ。
「もしかして流羽は………好きなやついる……?」
圭の言葉に、どくんと、大きく心臓が跳ねた。
「…………っ!」
いるよ、好きな人。今わたしの目の前にいるよ。
固まったまま言葉を発しないわたしを見て、圭の表情が怪訝なものへと変わっていく。わたしの想いを見透かしているのだろうか、圭の様子が、困惑しているようにも、苛立っているようにも見えてきた。
否定したくて縋るような圭の眼差しが、まさかおれの事好きだなんて言わないよな、なんて告げているように感じられて。
どくりどくりと心臓が跳ね続ける。
笑わなきゃ。
笑って、明るく言わないと。いないよそんな人、って。黙ったままだと怪しまれちゃうよ。
圭の続けたい相手はわたしじゃない。だから、この想いが伝わっても圭が嫌な顔をするだけだ。そんな顔は見たくない。わたしを拒絶する圭なんて、見たくない。
それなのに、否定の言葉がどうしても口から出てこなくって。
言葉の代わりに、涙ばかりが零れてくる。
いつの間にか観覧車は頂上を過ぎていて、わたしたちはゆっくりと地面に降りていく。
笑わないといけないのに、どうしてもわたしは笑うことが出来なくて。
黙り続けるわたしから目を逸らし、圭がため息をついて目を伏せた。
それ以上、圭はなにも言わなかった。
わたしも何も言えなかった。
◆ ◇
「流羽、どうしたのボーっとして。それ4番テーブルの分だよ」
「あ、ごめん木乃ちゃん。ありがとう」
「昨日のデートでも思い出してたの?」
「ん、……んー、まあ……」
「……なにかあったの?」
木乃ちゃんの鋭い視線にぎくりとする。
慌てて笑顔を繕って、わたしは逃げるようにトレイを運びに行った。
圭に想いを告げても、どうにもならない事は知っていた。
でも、まさか。あんなに迷惑そうな表情をされるだなんて、思わなかったんだ。
どうしよう。わたしの気持ち、圭にバレちゃったかな。それともまだ、疑惑の段階かな……。
「お待たせ! 今日も寒いのに、お迎えありがと」
「そろそろ本格的に冷えだしてきたな」
「ごめんね、寒い中外で待たせちゃって。圭が良ければ今度から中で待ってて。ドリンクバーでよければおごるよ」
「店入ってもいいの……?」」
「いいよ。だって圭の手、すっごく冷たいよ」
なんとも思ってないよ。
圭とは、今だけの関係だって割り切ってるよ。
そんな風に伝わるように、出来るだけ明るく振舞ってみる。昨日の事なんて、何もなかったようにわたしは笑顔を見せた。
「じゃあ、明後日は中で待っていようかな」
「うんうん、そうして。あ、木乃ちゃんとみぃ子が圭の事喋っちゃったから、みんなの視線を感じるかもだけど……」
「ジロジロ見られる事には慣れてるから、別にいい」
「あっそう……」
今日は、昨日と違って上手く笑うことが出来た。
圭の顔だけが、上手く見ることが出来なかった。




