一人きりで
鳥のさえずる音を耳にして、わたしはぱちりと目を開けた。
見慣れたわたしのベッドの上。子どもっぽい掛布団から視線を斜め下に向けると、長い体を窮屈そうに折り曲げ、コタツに入って眠る圭の横顔が見えた。
寝顔は普段よりも少し幼く見えて、昔の面影を感じさせる。そっと頬に触れると、瞼がピクリと動いた。
咄嗟に手を離す。長いまつ毛をじっと見つめ、起きてくる様子がないのを確認して、ホッとする。
昨日、あれから結局一缶と少々飲んだわたしは、突然ストンと身体に力が入らなくなってしまった。
あれ?と不思議に思っているうちに、身体が揺れる。隣にいる圭の膝上に、横向きでダイブをしてしまった。
特別驚くこともなく、圭が黙ってわたしを布団の上に運ぶ。悔しいけれど、圭にとって想定内の出来事のようだった。
わたしの頭を軽く撫で、ふっと優しい笑顔をみせる。
「こうなると思った。おやすみ、シャワー借りるよ」
「……けえ?」
「その様子じゃ立ち上がれなさそうだし、今日も泊まりかな」
笑いながらバスルームに向かう圭の後ろ姿をぼんやりと眺めている内に、疲れていたのか、強烈な睡魔が襲い掛かってきた。そして、今に至る。
うん、昨夜はおかしなことを言っていない、はず!
それよりも……
昨日も服で寝たせいか、お気に入りのワンピースが皴になっている。今度からパジャマに着替えてから飲もうかな。ついでに、シャワーも浴びておいた方がいいかもしれない。いい加減、寝る準備を整えてから飲み始めるべきな気がしてきた。
温かいシャワーを浴びて、頭をスッキリさせる。
身体を拭いて、タオルを洗濯機に放り込もうとして、奥に一枚、使用済みのタオルが入っている事に気が付いた。
圭が昨夜、使ったタオルだ。
これで圭が身体、拭いたのかあ……。
思わず、じぃっと見つめてしまう。圭がシャワーを浴びている所まで想像してしまい、慌てて頭を横に振った。
何考えてんのわたし。変態さんみたいじゃん!
「流羽?」
「きゃあ、圭!」
圭も起きてきたようで、眠そうな顔をして洗面所に入ってきた。わたしを見て驚いたのか、大きな目をぱっちりと開けている。一気に目が覚めたようだ。わたしを見て……
って!
今の怪しいところ、見られた!?
「見た!? もしかして今のわたし、見ちゃった!?」
「………ごめん、不可抗力」
真っ赤になって騒いだわたしにハッとして、圭がリビングに戻っていった。
あぁ泣けそう。洗濯機の中のタオル見てにやついてる姿を見られるなんて――――
「顔洗いたいから、早く服着て、出てきて」
「うん、分かっ――――!?!?!?」
一瞬の間の後、見られたのは怪しい姿どころではなかった事に、ようやく気が付いたのだった。
◆ ◇
着替えをして、顔を洗って頬を3度ぺちぺちと叩き、洗面所から外に出た。
なんでもない風を装い、圭に声を掛ける。
「ごめんお待たせ、もういいよー」
「ん」
短い返事をして、圭がわたしの横を通り抜けた。ふわっと圭の匂いがして、頬がかあっと熱くなる。
気にしない、気にしない……。
呪文のように唱えながら、昨日コンビニで買った食パンを皿の上に乗せる。レンジで溶かしたバターを掛け、トースターモードで焼いた。
ちん! と音がして中を開けると、バターのいい匂いが漂ってきた。
コーヒーと紅茶を淹れる。どちらもミルクと砂糖をたっぷり添えて、圭はカフェオレ、わたしはミルクティー。この1か月の間に、わたしのキッチンにはコーヒーの缶が並ぶようになっていた。インスタントだけど。
「ありがと」
バタートーストをかじりながら、圭が素っ気なくお礼を言った。
わたしも向かいに座って、トーストを一口かじる。悪くはないけれど、お店で食べるようなサクサクとした歯触りや焼き心地は、どうしても再現できない。厚みが足りないせいかな。まあ、レンジの性能自体も違うんだろうけど。
圭は相変わらず、文句も言わず出された朝食を口にする。食べ方は整った顔のように綺麗だ。じっと見とれていると目が合って、ふっと優しく微笑み返された。
「なに?」
なにその、無駄にキラキラした笑顔。
ドキドキしちゃうじゃない。落ち着いて朝ごはん、食べたいのに!
「あのね、圭。ご飯食べ終わったら、お願いしたい事があるんだけど」
「……お願い? 珍しいこと言うな」
「買い物に付き合って欲しいの」
カフェオレをごくりと飲み、圭がゆったりとした笑みを見せた。
「いいよ。冬服でも見に行きたいの?」
「ううん服じゃなくて」
「なに、今度はアクセサリーでもプレゼントして欲しくなった?」
「そうじゃなくて――――」
わたしは、キッチンの端にチラリと目を向けた。
朝食を終えた後、2人でいつものスーパーへ行った。
お米が残り少なくなってきたので、補充しにきたのだ。荷物持ち係に指定された圭は、渋りもせずについて来てくれた。お米は重たい。優しい彼氏でわたしは幸せだ。
まあ、半分は圭が食べるんだけど。
「うーん。ちょっと重いやつ買ってもいい?」
「一俵運べって言われたら無理だけど、ここで売ってる米って上限でもせいぜい10キロ程度だろ。どれでも気にせず買えばいいよ」
「10キロでもいいの? ほんとっ!?」
量が多い方が単価は安い。どうせ消費するのだ。運んでもらえるなら10キロの方にしようかな。圭と食べるようになってから、お米の減るスピードが倍になってるし。
ちなみに普段は2キロのお米を買っている。わたしは、腕力にはこれっぽっちも自信がない。
「あれ、流羽?」
スーパーから出て、わたしの家に戻ろうとすると、同じ学部の友達に出くわした。そういえば彼女も1人暮らし組だっけ。
わたしとお米を抱えた圭を交互に見、興味深そうに眺めている。
「プリンスを荷物持ちにさせるとか、贅沢なことしてるね~。幼馴染特権てやつ?」
「ううん、彼女特権てやつだよ」
「へっ!?」
目を丸くした彼女の目の前で、圭の腰に腕を回してみた。
身長差があるので、圭のように肩に手を回すのは無理がある。腕はお米持たせてるし、腰くらいしか掴むとこないよね。
「今、わたし達付き合ってるんだ!」
「そ、そうなんだ………」
高らかに宣言してやった。にっこりと余裕の笑顔を添えて。
明らかに驚いた顔をして、彼女はその場を離れていった。
なんか、すっとした。
「あの子驚いてたなぁ。同じ文系だし、一緒にお昼食べているとこ何度か見てるハズなんだけどなー」
わたしの事、知り合い程度の存在だって思い込んでいたしね。
圭とは釣り合っていない……そういう目で見ていたのに、わたしに恋人宣言なんてされて、ビックリしただろな。
まぁ、流羽でいけるなら私でもいける? なんて今頃、期待してるかもしれないけれど……。
「あ、重いのに立ち止まってごめん」
腰から腕を外し、振り返った。
「………って。どうして圭まで驚いた顔してるの?」
「いや。別に……」
「えー、だって目が、ぱっちり開いてるよ?」
ぱっと目を伏せて、圭が顔を逸らした。
「……前に、バイト仲間の子達に聞かれた時には、誤魔化されたなと思って」
バレてたんだ……。
「おれのこと彼氏って、認めてないのかと思ってたからさ」
バレてた………。
「圭のこと、彼氏だって思ってるよ。認めてなきゃ、こうして頼ったりなんて、しないよ」
誤魔化すように、圭の背中をポンポンと叩いてみた。
そう、わたしはもう観念した。認めてしまう事にした。だから堂々と彼女だって言っちゃうし、こうして―――――
「………。そういうの、今言うなよ」
「えぇ、なんで? 頼れる彼氏で嬉しいなって言おうと思ったのにー」
「だからそれ以上言うなってば。今おれ、米抱えてんだから……」
圭に。甘えてやろうと思ったのだ。




