誰もいない
幼い頃は、何も考えずに圭と過ごしてた。
わたしの生まれ育った場所はそこそこの田舎で、小学校は一学年に一クラス、そんな鄙びた町だった。クラスの全員と幼い頃から顔見知りで仲が良く、だから、地元の友達はみんなが幼馴染だとも言える。
そんな中でも圭は特別に近い位置にいた。
家が隣で、家族ぐるみで仲が良い、典型的な幼馴染。わたし達はまるで兄弟のように、近い距離で過ごしていた。
わたしにとって圭は、同い年の癖にわたしをやけに子供扱いしてくるという、優しいけれど口うるさい兄のような存在だった。
周りはみんな、圭がわたしの保護者のようだと感じていたのだと思う。校外学習も修学旅行の班決めも、なぜだかみんな、わたしと圭は同じグループになるべきだと考えているようだった。
中学生になると、一学年が三クラスにまで増えた。余所の小学校と一緒になったからだ。そこでもやっぱりわたしは圭の側にいた。なにも疑問に思わず一緒に通学をし、放課後も一緒に過ごしていた。
お互いに意識する事がなくて、だから相変わらずの距離感で気安く接していられたのだと思う。
そんな関係が崩れたのが、中学一年の夏。圭に初めての彼女が出来たのだ。
相手は、別の小学校出身の子だった。どうやら圭が告白されたようだった。
「彼女? すごいじゃない。良かったね、圭」
最初はピンときていなかった。漫画やドラマの世界のようだと思ってた。よく分からないけど、すごいこと。そんな認識で、だから圭の報告に心から祝福していたと思う。
相手の子はクラスで一番可愛い子。さすが圭だ、なんて感心するだけだった。
一緒に過ごせないと言われて、納得して圭の側から離れていった。校内で見かける二人の姿に、自分とは違う、遠い世界のようなものを感じていた。
当時、付き合っているカップルなんて殆どいなかった。初恋を経験している子は沢山いたけれど、だから告白して付き合うとか、そこまで思考が辿り着く子は、多くなかったのだと思う。
圭は、わたしよりも早く大人になったんだな。
わたしは圭を、そういった目で見ているだけだった。
圭の彼女を見る目は優しくて、それはわたしが、幼い頃から良く向けられていた眼差しに似ていると思った。それに気づいた瞬間、ふっと、もう圭の特別はわたしではないのだと遅まきながら理解して、心にぽっかりとした隙間のようなものを感じていた。
3カ月も経っていなかったと思う。
程なくして2人は別れてしまった。圭の初めてのお付き合いは、長くは続かなかった。
圭はまた、わたしの側に戻ってきた。
けれどそれは、とても短い期間だった。久し振りの関係に戸惑う暇もなく、圭に次の彼女が出来たのだ。
前の彼女と別れて、一ヶ月も経っていなかったと思う。
圭は発育が早い方で、この頃から背が高かった。顔立ちも整っていて、王子様みたいだと女の子達には持てはやされていた。早熟な女子達のターゲットになっていた圭は、フリーになったと知られ、すぐに別の子がアタックをしたようだった。
次に付き合った子とも、やっぱり圭は続かなかった。
見た目だけで寄っていく彼女たちは、圭に理想を求めているようだった。思い描いていたような彼氏を演じてくれない圭に、不満を溜め込んでいたのだろう。
「思っていたのと違うって言われるんだけど。おれ、なんだと思われてんだろな」
わたしのベッドの上で寝転がりながら、自嘲するように呟く圭を見て、もやもやしたものが胸に溜まっていく。
「家でダラダラするのが好きな、めんどくさがり?」
「酷い言われようだな」
「だって事実じゃない……。まぁ、圭は圭ってとこかな」
わたしの部屋で文句を言いながら、それでも圭は彼女を作ることをやめない。そんなに不満なら、付き合わなければいいのに。圭の事をちゃんと見てくれない子となんて、付き合わなければいいのに。
女の子と付き合うようになった圭は、わたしに素っ気なくなった。優しい眼差しを、わたしに向けてくれる事はなくなった。そもそも目を合わせる事自体がほとんどなくなって、わたしの好きだった圭の優しい笑顔は、彼女にしか向けなくなっていた。
彼女のいないインターバルに、愚痴りがてらわたしの部屋にやって来て、わたしのベッドに転がって、わたしの漫画を読んで寛ぐ圭を見て、モヤモヤした気持ちがどんどん大きく膨らんでくる。
圭は無駄にかっこいい。だから、こうして私の側にいても、すぐに誰かの所へ行ってしまう。
寂しくて、ずっと圭が側にいればいいのにと思って、モヤモヤした思いで胸が苦しくなってきて、そうしてわたしは、自分が圭を好きなのだと自覚してしまった。
苦い初恋だった。
わたしは嫌というほど思い知らされている。
わたしでは、圭の彼女にはなれない。
わたしはもう、圭にとって特別でもなんでもない。昔はわたしだけが他の子と違っていたけれど、今のわたしはもう違う。とっくの昔に、圭にとってわたしは、境界線の外側の人間になっていた。
圭が付き合う女の子は、美人で、大人っぽくて、胸が大きくて、華やかなタイプばかり。要するに、わたしとは正反対。それはつまり、圭にとってわたしは対象外ということだ。
だからわたしは、好きだと告げる事も諦めて、たまにやってくる幼馴染と束の間の友達を演じてた。
でもやっぱりそんな毎日は苦しくて。
校内で、圭が彼女と歩いている姿を見ているのも辛くって、わたしは決意した。
高校進学を機に、圭から離れてやる。
圭は理数に強く、わたしは国語が得意だった。
進路で、わたしは地元の普通科を選んだ。3つあるうちの、真ん中くらいのレベルの高校だ。圭は理数に力を入れている、専門的な高校に通うつもりだと初めは言っていた。
なのに。
志望校の締め切りギリギリで、圭が進学先を変えてきた。
「流羽、西高受けるの?」
「うん。家から近いしね」
「ふーん。おれも西受けようかな…」
「えぇ!? 圭って理数系学科のある高校行くんじゃなかったの?」
「いや、専門的な事は大学で学べばいいかなと思って。高校は進学見据えて普通科に変える事にした」
「でもさ、圭ならもっと上のとこ受かるんじゃない? 東高とか…」
「東、うちから遠いしな~。通うのだるいんだよな。よし、おれも西にしよ」
「このめんどくさがりめ……」
やめて。ほんとうにやめて。
わたしは離れたいのに。もう、間近で圭を見ていたくないってのに。
その日の夜、わたしは志望校を変えた。
受験が終わり、圭が怒ったように詰め寄ってきた。
「なんで西受けてないんだよ。北女なんて聞いてないけど?」
「友達に誘われて、制服可愛いからいいなと思って……」
「ふぅん……確かに可愛いけど、流羽には似合わないんじゃない?」
遠回しに可愛くないんだよと言われたようで、ぐさりと傷ついてしまう。けれど、圭に何と言われようと、わたしは離れる事に成功したのだ。西高と北女では、電車の方向からして違う。もう、会わなくて済む。わたしの世界から、圭を弾いてしまえたのだ。
これできっと、忘れられるはず。
女の子ばかりの高校生活は、居心地が良かった。
仲の良い友達もたくさん出来た。木乃ちゃんと出会ったのもこの頃だ。わたしは、高校にいる間は圭の事を忘れることが出来た。それは地獄のような中学時代と比べ、とても晴れやかで穏やかな毎日だった。
それなのに。
相変わらず圭は、彼女のいない空白期間に、のうのうとわたしの部屋へとやってくる。
もう、関わり合いになりたくないのに。
我慢が出来なくなって、わたしはバイトを始める事にした。
高校の近くにあるファーストフード店。幸いな事に、わたしの通う高校はバイトが禁止されていなかったので、平日は放課後から晩御飯の時間まで、シフトを入れてみた。
休日は、高校の近くにある図書館に通っていた。たまには友達と出かけたりして、そうして、物理的に圭をシャットアウトする毎日を送っていた。
この頃には、なんとなく分かってはいた。
圭の彼女の作り方は、至ってシンプルで、寄ってきた子の中から一番好みの子を選ぶだけ。圭は常に誰かと付き合っていたけれど、自発的に行動をしてはいないのだ。
とってもお手軽で楽ちんなこの方法は、馬鹿みたいにモテる圭だからこそ成り立っていたのだろう。めんどくさがり屋の圭にピッタリな彼女の作り方だ、とつくづく思う。
だから圭に告白さえすれば、わたしだって付き合って貰えるかもしれない。身の程知らずにも、ちらりと微かな希望を抱かないでもなかった。
でも、わたしは知っている。そうして奇跡的に圭と付き合えたとしても、それは長くは続かないのだ。わたしはたったの数カ月、圭の彼女になりたい訳じゃない。ずっと側にいられないのなら、虚しいだけで意味のない行動だと思い、再び諦めた。
圭と接触しない毎日を重ねていき、少しずつわたしは落ち着いていった。
それでも完全に忘れるにはまだまだ時間が不足していたようで、彼氏を作ろうとしても躊躇してしまう。でも、この調子で長い時間をかけていけば。このまま大学生になり社会人になり、そうしている内に、わたしは別の誰かと恋が出来るんじゃないか、なんて期待しながら過ごしていた。
それなのに。
大学で、圭の姿を見かけた時は、凍り付くかと思った。




