弾むように歩いていく
わたしの家に向かう道中、コンビニに立ち寄った。
缶チューハイを数本と、おつまみになりそうなものを幾つか選ぶ。ついでに明日の朝のパンを買おうとして、ハッとした。気付くと菓子パンを4つ5つとカゴに放り込んでいて、慌てて棚に戻す。
こんなの圭に、泊って、って言ってるみたいじゃない……。
少し考えて、食パンを放り込んだ。
余った分は冷凍して、後日食べることにしよう。
無茶な飲み方するつもりはないけどさ……。
万が一、また意識を失ったら、この前みたいに居て貰う事になるんだし。もしもの時の為に一応、食べられるようにはしておこう。うん、そうしよう。
家に到着して、わたしよりも先に圭が部屋の中に入っていった。
コタツ机の上に、買ってきたコンビニのビニール袋をどさりと置き、ベッドの上に腰掛ける。
そこ、好きだなぁ。
わたしは買って貰ったオルゴールを鞄から取り出し、チェストの上に飾るように置いた。
台座のねじを回して、音楽を鳴らしてみる。
心地よいリズムが流れてきて、ふふ、と笑みが漏れた。
「流羽、そういうの好きだな」
「うん、今日は色々ありがとう。記念品、大事にするよ!」
「ん……」
照れくさそうに顔を背け、圭がわたしの布団に目を落とす。
「ここ、ほんと懐かしいな」
圭が口元を綻ばせた。
わたしもなんとなく、圭の隣に腰掛けた。
昔からずっと、変わらないわたしのベッド。
ベッドそのものは勿論のこと、その上に乗る寝具類だって、子供の頃からそのままだ。
キリンやゾウなど、動物をあしらったデザインの、ジュニア向けの可愛すぎる掛け布団。背が低いままのわたしは、サイズに困る事もなく、ハタチになった今でも使い続けている。
このベッドの上に圭がいるだけで、あの頃に戻ったような気さえする。
ずっとずっと、わたしの側にいて。近くにいるようで遠くにいた圭の姿を思いだす。
やっぱりそれは、今も変わらないんだよね。
相変わらずだなぁ、なんて苦笑する。
今、圭と過ごしているこの時間は、あの頃何度も過ごしたインターバルそのものだ。
この期間が終わったら、圭じゃないけど、わたしもそろそろ本気で誰かいい人見つけないとなぁ……。
掛布団の上に手のひらをのせ、そっとひと撫でする。
「せめて掛布団くらい、買い直そうかなぁ」
「なんで?」
「この布団、子どもっぽいから。彼氏が出来ても、部屋に呼んでこの布団見せたら引かれそうじゃない?」
「おれは別に、引かないけど」
そりゃ、圭は昔から知ってんだし、今更だろうけど……。
他の人は引くんじゃないかな。正直、いい大人が使うような布団じゃないよね。
「圭はよくても、他の男の人に見せるのは、やっぱり恥ずかしいなぁ―――…」
「―――流羽」
ベッドの上に置いたままのわたしの手に、圭が手を重ねてきた。
なに、目とか細めちゃって。怖い顔して。
じっと見据えないでよ。どきりとするじゃない。
「彼氏といるのに、他の男の話とかするもんじゃないって、知ってた?」
「え………」
「おれから流羽への『アドバイス』」
「………っ」
ずるいよ。
だって。圭が言ってきたんじゃない。3ヵ月だけでいいってさ。
すぐダメになるのをどうにかしたいって。
その先にわたしは居ないんだから、わたしの未来にも圭はいないのに。ただそれだけの事なのに。
「それとも、部屋に呼びたい奴でもいるの?」
「……今は、いないよ」
どうして、本当の彼氏みたいなことを言うんだよ。
わたしは、本当の彼女みたいに何も追及したりはしないのに。わたしに嘘をついた事も、そうしてサユさんと過ごしていた事も、どれも見てみぬフリをしてるのに。
呼びたい人なんて、いない。
いたら、圭とこんな形でも付き合ってなんか、いないよ。
「本当はアイツとこうしていたかった………?」
あいつって誰よ。
誰もいないのに。圭と違ってわたしには、どこにも誰も、影も形もいないのに。
圭の視線が鋭いままで、わたしは顔を逸らす。
「誰もいないよ。そんな人がいたら圭とこうして一緒にいないよ」
「じゃあおれは? 流羽の部屋に入っていいのは、今はおれだけ?」
もう片方の手が、わたしの頬に触れた。
逸らしていた顔が圭に向きなおされ、びくりと身体が反応する。じっと見つめられて、途切らせながら言葉を続けた。
「そりゃ、まあ。圭が、今のわたしの『彼氏』、なんでしょ?」
「ほんとに彼氏だと思ってる………?」
圭の整った顔が、目の前に広がっていて。
サラサラの黒髪の奥から覗く、やけに甘い目元だとか。はっきりとした意志を感じさせるような眉だとか。薄っすらと紅潮した滑らかな肌だとか、ほんのり色ずく薄い口元だとか。
どれもこれもが、わたしに圧力をかけてくる。
「うん……」
作り物のような顔が近づいてきて、でも吐く息は温かくて。やっぱり生きている人間なんだな、なんて当たり前のことをぼんやり考えながら、わたしはマズイと密かに思っていた。
どくどくと心臓の音が鳴っている。
逃げ出そうかと思って。でも、身体はちっとも動かなくて。圭はどんどん近づいてきて。心臓の音だけがわたしの心の悲鳴のように鳴っていて。目をつぶることも出来なくて、ぼやけるほど視界いっぱいに圭が覆い被さって来て……
唇に、何かがぶつかった。
一度目のそれはすぐに離れていった。
けれど、わたしをホッとさせる間もなく、続けて2度、3度と角度を変え、温かいものが次々とわたしに触れてくる。
「彼氏ってこういう事だけど、知ってた?」
低い声で呟いた後、今度は押し潰されそうなほど強く、唇を当てられた。
知ってた。
わたしはちゃんと知っていた。知っていて、分かっていないフリしてた。
友達というには近かった。恋人というには遠かった。わたしと圭の関係は、境界線上を彷徨っているようなものだった。
わたしはわたしを守っていたかったから、なにも知らないフリしてた。
その方が、都合が良かったから。
圭が加減をしてくれていると分かってた。
わたしの戸惑いも、怯えも、なんとなく気付かれていたような気がする。その奥底の想いまでは、気付かれているのかどうか、分からないけれど。
でも無理。もう無理。
知らないフリはもう、通用しない過去のもの。
わたしと触れ合う圭の唇が熱を持っていて。わたしを見つめる瞳はやけに色気があって。ここにいる圭はわたしの幼馴染なんかじゃなくて、彼氏という存在になっている。
浴びせるようなキスに、意識がぼんやりしてきそうになって。
ガンガンと鳴る心臓が、涙が出そうな程苦しくて。
心の中で被っていた仮面が、ぱりん、と音を立てて割れていく。
あぁ、やっぱり誤魔化せない。
わたしが甘く見すぎていたんだ。
わたしの手に重ねられていた方の手も、いつの間にかわたしの頬に添えられていた。
圭の大きな両の手に挟まれて、じっと身動きも出来ずキスをされていた。その生々しい感触が、圭が幼馴染から一人の男性に変わったのだとわたしに告げる。
全てが手遅れなほど、わたしは既にしっかりと、境界線の内側に入り込んでいた。
もう、駄目。もう、わたしは駄目。
背中に柔らかな布団の感触を感じながら、見慣れない表情の圭を凝視する。気付けば、目尻に温かいものが滲んでいた。
もうこれ以上、わたしはわたしを騙せない。




