大好きな彼の姿を
久し振りの雨が、降っている。
雨脚はそこそこ強い。平日という事もあり、今夜はお客さんの数が普段よりも少なかった。
のんびりとした空気の中、余裕を埋めるかのように次々と、余計な事が頭に浮かぶ。忙しい時は考えずに済むような事ばかりだ。
名前も知らない女の子の姿が、ちらちらと頭に浮かぶ。
真っ直ぐな長い栗色の髪。綺麗な顔にすらりとした身体。穏やかで大人びた雰囲気。圭と親し気にしていたあの子の姿は、どれもこれも、わたしが持っていないものばかり。
あの子が圭の『続けたい子』なのかな……。
わたしが理系棟に行くことを、圭は極端に嫌がっている。ランチはいつも文系棟の方に来ようとするし、こっそり理系棟に行ったわたしを見て、苦々しい顔をしていたし。
あの子とわたしを、会わせたくないのかな?
「るーちゃん、危ないよ!」
「きゃ!」
トレイに乗せた食器を厨房のシンクに運ぼうとして、足元に置いてあったケースに右足がつっかえた。ぐらついたところを、冬くんがギリ支えてくれた。
ふ~、危ない危ない……。
「今日、ずっと上の空だね。なにかあったの?」
「ううん、なにもないよ。帰るまでに雨が止まないかなぁ、なんて思っていただけだよ」
「もしかして土砂降り? ここにいたら全然分かんないんだよね」
厨房に窓はない。調理音や、食洗器の動作音、換気扇の回る音などで外の音は完全にかき消されてしまっている。
「そこまできつくはないかな」
「そう。止むと良いなぁ。オレ、今日傘持ってきてないんだよね。昼間は晴れてたから油断してたよ」
一つ年下の冬くんは、まるで同い年のようにわたしに話しかけてくる。初対面の時からそうで、子供っぽいわたしを年上だと認めていないのかもしれない。
「折り畳みで良ければロッカーに予備があるから、貸すよ?」
「ほんと? じゃあ、上りの時にまだ降ってたら、貸してもらおっと」
顔を綻ばせ、冬くんが無邪気な笑顔を向けた。
ミルクティー色の髪に白い肌、くっきりとした2重の瞳。あどけなさの残る冬くんの顔は、笑うと更に可愛く見える。もうすぐ成人する男の子に可愛いっていうのも、失礼かもしれないけど。
「――あ、ピンク色だけどいい?」
「いいよいいよ。暗いし分かんないでしょ。明るかったとしても、ずぶ濡れになるよりはずっといいよ」
冬くんは、にかっと笑って、コンロの方へ向かって行った。
結局、雨は降り止まず、店の前で待っている圭もずっと傘を差していた。
想像通りの黒い傘。今日も暗闇に溶け込んでいる。それなのに目立っている……。
「あ、ちょっと待って」
「ん?」
「傘、貸してあげる約束してるんだ。これ渡すまで待って」
ピンクの折り畳み傘を目の高さに持ち上げ、帰ろうとしかけた圭を引き留めた。
一時に比べると、雨の勢いは弱まったものの、まだまだ傘は必要そうだ。
冬くんも、もうすぐ終えて出てくるはず。従業員用の出口の前で待っていると、奥から軽い足取りで通路を通る音がした。わたしに手を振り、いつもの無邪気なスマイルを振りまいてくれる。
「るーちゃん!」
「冬くん! まだ雨降ってるから、これ使って」
「ありがとう、助かるよ。て………その人が噂の、るーちゃんのカレシ?」
冬くんが一瞬真顔になり、後ろで佇む圭にちらりと視線を向けた。
木乃ちゃんにみぃ子め、厨房組にまで噂、広めないで!
「う、うん」
「かっこいい人だね。背、高いなー」
なんだろう、冬くんがじろじろと圭を眺めている……。
まるで品定めしているような目つきだ。もしかして冬くんも、木乃ちゃん達みたいに圭の事、わたしに相応しいかチェック入れてんの?
不躾な眼差しを不快に感じたのか、圭がむっつりとした顔で冬くんを見下ろしている。
「流羽。もういいだろ、行こう」
「あぁ、待って、るーちゃん」
圭の声に反応し、冬くんがわたしの耳に顔を寄せた。
内緒話のような仕草で、こそっと耳打ちをする。何を言われるのかと一瞬、身構えていたら―――
『雨、もっとキツイかと思ってたけど、意外とマシなんだね。今のうちに帰ればあまり濡れずに済むかな?』
―――――へっ!?
圭に聞かれたくないような話、するかと思ったのに。
なに、その、なんでもない世間話。
こんなの、普通に喋ればいいのに。おかしな冬くん。
「そうだね、今のうちだよ。早く帰ろ」
「うん、またね!」
にかっと笑って手を振った冬くんは、もう、いつもの冬くんだった。
◆ ◇
「さっきのヤツ、誰?」
冬くんの姿が見えなくなった頃、圭が口を開いた。
「冬くん。バイト仲間だよ。厨房担当の子なんだ」
「ふぅん、春川さんが言ってたヤツか。流羽、さっきアイツに何言われたの?」
「え? 何って、特に何でもないような事だけど。お天気の話……」
「はぁ!? そんな事わざわざ耳元で言うのか?」
圭が疑いの眼差しをわたしに向けた。そんなの、わたしだって知らないよ!
「怒ってる? ごめんね。冬くんも木乃ちゃん達みたいに、圭の事気になったみたい」
「………」
「みんな心配性だよね」
「………」
圭が溜め息をついて、わたしの頭に手を置いた。
大きな手が、苛立たしげに髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。こないだ、木乃ちゃんにもやられたな。
みんな、わたしの髪グチャグチャにするの、好きだよね?
圭の魔の手から逃れるべく、距離を取る。きっと睨むと、圭が思案気な顔をしてわたしをじっと見つめていた。
「流羽。今度バイトが休みの日にでも、2人でどこか行こうか」
――――え?
「流羽とのデートって、家の中でゴロゴロするか、こうして夜の散歩をするくらいだろ。おれはそれでもいいけど、流羽は……たまには外出たいだろ?」
わたしの顔をちらりと見て、照れくさそうに圭が言った。
わたしもそれで構わないんだけど……でも、たまには外に出るのも、いいな。
というか、意外。
……圭もこれ、デートだって思ってたんだ。
「嫌ならいいけど」
ぱちぱちと目を瞬かせていると、圭が顔を背けた。
「あ、嫌じゃないよ。少し驚いただけで……。えっと、次の土曜はオフだから、その日に行こっか?」
「――――ん」
付き合うようになって、こんなの初めてだ。カラオケは一度行ったけど、4人でだし。あとは圭の言う通り、うちでご飯食べるか、学食でご飯食べるか、バイト帰りにこうして一緒に歩いているばかりで、昼間にどこか出かけたことは、なかったな。
どくどくどく、と心臓が鳴りだした。
圭と2人で買い出しをしていた時のような、感覚。
「どこかって、どこ行く?」
遊園地や水族館のような、定番どころかな。神社や仏閣など、観光地巡りするのも良いな。夜は暗くて不気味に感じるこの川沿いを、昼間の明るい中、歩くのもいいな。水面がキラキラ綺麗なんだ。でも、昼も歩くなんて、いつもと変わらないかな。
考え出すと、ワクワクした気分になってきた。
圭と楽しく過ごす時間の事を、わたしはもう、思い描いてしまっている。
「流羽の行きたい所でいいよ」
浮かれた気分で声を掛けたら、圭が素っ気なく言い放った。
あれ、圭はどこでもいいの?
……どうでもいいの?
投げ遣りな発言に、ふくらんでいたワクワクがしぼんでいく。
「圭は、行きたい所ないの?」
「特には……」
「おススメのデートスポットとか、ないの?」
「特には……」
なに、この、やる気のない言葉……。
わたしのワクワクを、返せ!
「じゃあ、今まで彼女を連れて行って、評判が良かった場所とかは……っ!」
「…………」
圭が困ったような顔をして、わたしをじっと見下ろした。
「連れてったこと、ない」
「へっ?」
「だから! デートプランなんて立てた事、ない」
え――――!!
「圭って、わたしと違ってずーっと誰かしらと付き合っていたじゃない。それなのに、どうしてデートに連れてった事ないの? 今まで彼女と、どこで会ってたのよ」
「そりゃ、大抵どっちかの家行くか、ら………」
気まずそうに顔を逸らし、言葉を飲み込んだ。やっぱり家か。このインドアめ。
「出かける時は、いつも女の子の方からおれを誘ってきてたし……。向こうの行きたい場所に着いて行くだけで、どこかに案内した事なんてないよ」
なんという受け身な姿勢……っ!
口元に餌が当てられるのに慣れ切って、自発的に動かなくなったペットみたい。恵まれすぎた環境というものは、こうも人をダメにするものなのか……。
「それだよ、それ」
「……それ?」
「そのやる気のない姿勢が、ダメな原因だよ! 一方的なのは不安になるって前にわたし、言ったじゃない。自分ばかりが誘う側で、デートに連れてってもくれない彼氏とか、そりゃ呆れられるよ」
友達同士でも、片方が誘ってばかりだと、不満や不安が積もるんだよ?
それが彼氏と来た日には……ああ、ダメ。だめだめだめ。
「―――分かった。そんなに言うなら、今度の土曜はおれがプランを立てるから」
「え? あぁ、別に圭一人で立てなくても……2人で相談して決めよ?」
「流羽は、連れてって欲しいんだろ」
いえ、わたしじゃなくてこれ、未来の話……!
よく分からないけれど、圭のやる気スイッチを押してしまったようだ。
わたしは不安なような、楽しみなような、複雑な思いで週末までの日を数えるのだった。




