九話 死ぬよりマシ
油玉。不気味な液体は煮込む必要があるため、室内では行えない。
グレンは全ての工程をこれまで一人でやってきたが、今は役割の分担など、効率化する方法を模索している。
用意された制作所の一室。
「今までは液体を注入って感じでしたが、量産型は泥をつめるわけだから、ちっとコツが必要なんすよね」
「ええ、ですが慣れろばそこまで難しくもありません」
二人が行っているのは油玉の最終工程。伝えた本人よりも、イザクのほうが手際が良い。
「しかし中身がこう泥状になってますと、以前の物より乾くのも速いのでは?」
「確かに。今までのは作ってからけっこう長いこと持ちましたけど、こっちは保存に優れてないかも知れないっすね」
泥団子とは成分が違うとしても、永遠に保存できるものはないのだから、いつかは終りがくる。
グレンは辺りを見渡す。
「やっぱ、量産型の話は急だったみたいですね」
頭を掻きむしりながら、グレンが用意したメモを見返す者。量を間違え、やり直しだと肩を落とす者。
製作の難度は変わらないが、分量などが違ってくれば、手順も別のものとなる。
「作業効率は今の所悪いですが、ニ・三日もたてば皆慣れるかと」
沢山の人が、油玉の制作に関わっていた。
「こうやって頑張って作っても、予定してる量じゃ、たぶん足りねえな」
「使い切るのは一瞬というやつですね」
長年共に戦った自分の剣を見て。
「作る側としますと、少し虚しい気がしますね」
「そりゃそうっすよ。特にこいつは道具ですし、減りも激しいです」
この二人は本来、戦う側の人間だった。
「最初のうちは特に無駄玉も多いっすよ。残りを数える余裕もありませんでしたし」
比較的に扱いが楽なこの道具にも、ちゃんと熟練というものはあった。
「俺らから説明しても、それを信用する奴なんていません。要は自分で使って、頭と身体で覚えてくんです」
グレンの考えでは一体の単独につき、三発も命中させれば充分な効果が期待できるが、不慣れな者は何発も余分に投げるだろう。
「ちゃんと成果がでろば良いんですが」
「イザクさん……肩身狭くなってますよね?」
メモリアの不満は、これまでグレンも何度か耳にしていた。
「気にしないでください。それにそういったものを、貴方の耳に入れてしまう時点で、彼女も兵士としての自覚が薄い」
世の中これで、中々難しい。
「注意するのもイザクさんの仕事だと思いますが、この件に関しては見逃してください」
「いえ、これも僕の責任ですね」
事実、メモリアには役職以上の負担を背負わせている。
作業の手を止めて、グレンは謝ろうとしたが、イザクがそれを許さなかった。
「非が自分にあったとしても、謝ってはいけない時があります」
傭兵時代。周りになんど非難されようと、自分の剣を捨てなかった。
「結局のところ、結果が良ければ一応はなんとかなります」
それが独り善がりだとしても。
「ですがどれほど優秀なトップも、いつかは引退しますし、いつかは死にます。本当の意味で長続きさせるには、別の方法を探さないといけません」
たとえ永遠の命を手に入れたとしても、疲労は蓄積するのだから、歳を重ねるほど時代の流れに合わせるのは難しい。
イザクは黙々と作業を続ける。
「僕はこれまで剣を頼りに生きて来ましたが、これといった師もいませんので、我流というやつです」
殺気の技術も独自に習得したものであり、止めてくれる相手もいなかった。
才能だけで考えれば、ゼドよりも上なのだろう。
「もっとも、誰かに受け継いで欲しいという気持ちもありませんが。長続きさせる積りもありません」
自分の剣は、自分の代で終わらせる。積み重ねてきたこの技術、誰にも渡したくはない。
優しいだけの、無責任な笑顔で。
「兵士にしても同じです。こんな人間よりも、彼女のほうが上に立つ者として向いています」
人々のために自分の剣を使うには、後戻りができないほどに、不純物が混ざってしまった。
「無駄話が過ぎましたね。作業を進めましょう」
二人の会話が終わるのを待っていたのか、作業員がグレンに近づく。彼の手には製作法の書かれたメモが握られていた。
解らない所を丁寧に説明する。最初首を傾げていた作業員も、納得の表情を浮かべると、そそくさと持ち場に戻る。
「なんか、頭が混乱しますね」
あらかた詰め込みの作業が終わると、赤の護衛は空になった鍋を手に、外へと足を進める。
「すみません、僕もまだ完全に把握できていませんので。今日中にはなんとか」
周りは急ピッチで量産型の油玉を作っているが、グレンを含めた数人は今までと同じ物を。
「こっちは慣れてるだけあって、問題なければ数は用意できそうっすよ」
個人で使うぶんには、もう十分に足りている。
イザクは力強く頷きを返し。
「一つでも多く。三つ作れば、予定では単独一体分です」
「石投げや火投げが得意な人を、兵士側に挙げといてもらいませんとね」
電・雷撃は放つ。炎は放射。
肩を使って投げる。そういった技術を持っている者は、兵士側にもちゃんといる。
・・
・・
日暮れが近づくと、グレンは面々に別れを告げ、第二演習場に足を進めた。
一応護衛として、兵士が数名同行してくれることになった。
途中、自分たちの宿舎に寄り、逆手重装を装着しておく。その作業は一人で行ったため、結構な時間を使ったが、まだ約束の時間には余裕がある。
宿舎からは一人で目的地を目指す。
向かう先の空を見上げれば、山側に二筋の赤い線が走る。
「鳥か?」
ここから魔物は窺えない。
今歩いているのは緩やかな上り坂だが、斜面を横に削って造られた道らしく、足場は悪い。滑り落ちないよう、杭と紐で造られた手すりもあるが、少しばかり心持たない。
敵は見えないが、一点放射が放たれた場所は良く見えた。
「すげえな」
木製の足場。魔法陣が描きやすいよう、加工された板が発射台に固定されている。
「試し打ちかねえ?」
グレンが通ったルートは予備だったらしく、途中から正規の道に繋がっていた。
使用許可をちゃんと取っているのか、そこは完全な貸し切り状態。
「遅いだすよ」
第二演習場。普段は滅多に使われないが、作戦当日は皆がそこに集結する。
人は少ないと聞いていたが、下手をすると魔物の一体くらいなら、隠れていていそうな場所だった。
「こんなとこで待たせて、怖かっただす」
狭い訳ではないが、寂れていた。
ゼドは片手で持てる長さの棒を抱かえていた。その先端には丸状の布。
「時間にゃ遅れてねえよ。それにここを指定したのはあんただろ」
足もとには、通常の長さの棒。
「なんすか、それ?」
「たんぽ槍だす」
一通りの武具は使えると、以前この男は言っていた。
「自分の技術じゃ当人には遠く及ばないだすし、ちゃんと使ってるとこ見たのも数度だすが、まあ役には立つと思うだす」
オルク。
「あの店主さんは、片手槍が得物ってことですか?」
ゲイル。
「まあ、高価な槍を使ってただすから、そうだと思う。ただ片手槍の技術は大したことないだすよ、たぶんグレン殿の体術でも十分に対応できるだす」
ゼドは当時の事を思い出しながら、構えをつくる。
「見よう見真似だすから、笑っちゃ駄目だすよ」
素人感がにじみ出て、本当に格好悪い。
「笑えねえよ」
相手は投槍とナイフだけで、ヒノキ周辺の魔物と渡り合うような化物だった。
グレンは念入りな準備を始めていた。今日は油玉の作業をしていたせいもあり、身体は本格的に強張っている。
各関節の動きを確かめ、可動域を整える。
ゼドの構えからはなんの違和感もなく、未熟さだけが滲みでる。
「自分からは動かないだすから。ていうか、この構えはたぶん、動くことを考えてないだす」
拳心を頼りに形を作ってみたが、確かにこちらから攻める姿勢しか整えられなかった。
相手との距離は五m。相手の間合いには入ってないが、こちらからは懐に踏み込める。
拳士の心が、一気に攻めては駄目だと警告を発していた。
柄の部分を身体で隠していないため、間合いの読み間違いは多分ない。
靴底をこすりながら、少しずつ相手に近づく。
目の動きを追うが、何処を見ているのか解らない。
足腰、胴体に頭の位置。腕から指先に、踵から靴の先。
本当に困るのは、自分の周りの空気まで、ゼドは愛おしそうに見つめてくれる。
これ以上近づけない。そう思った次の瞬間、棒の先端が自分の左肩を狙ってくるが、ただの突きでそこまで速くもない。
左腕で槍を払いながら、右足を踏み込み、相手の横腹に掌底を放つ。
読みは外れる。ゼドはグレンの左肩を狙っていなかった。
左腕は槍を払おうとしたが空を切る。この動作を失敗したことで、掌底へと運ぶ流れが崩れ、結果としてゼドの横腹を押すだけに終わる。
「体術は全身を使うぶん、一つ崩れるだけでこうなるだす」
ゼドは右腕で槍を握り、それをグレンの左側に伸ばしていた。脇腹にはグレンの腕が伸びた状態でついている。
「完全にこちらの読み勝ちだす」
片手槍を手放すと、伸び切ったグレンの腕に、ゼドは肘打ちを食らわせる。
とっさの判断で、グレンは右腕の関節を曲げ、衝撃を和らげようとした。
「そうしちゃうと、姿勢が前方に傾いちゃうんだす」
ゼドの左腕が、すくい上げるようにグレンの顎を持ち上げる。気づけば剣豪は相手の膝裏に右腕を回していた。
視界が暗転。対処もできず、背中が地面に触れた時点で、首筋にはナイフの刃が触れていた。
「槍は懐に入り込まれたら不利。そんなの、槍使いも承知してるだす」
「これがその対策っすか?」
彼らは接近されろば、迷いなく得物を放り、体術に持ち込む。
「刀も槍も離れていてこそ。つかみ合いになれば、これが一番便利だすね」
オルクと対峙したとき、最初に確認すべきは、何処に短剣を忍ばしているか。
ゼドはナイフを相手の首もとから外すと、立ち上がり。
「オルク殿の最大の特徴は握力だす。さっきの場合だと、顎を掴まれた時点で、骨も砕いてくるだすよ」
「掴まれたら終わりってことか……もしかして、利手は左っすか?」
グレンが立ち上がるのに手は貸さない。うなずきだけを返し。
「たぶんだすが、片手槍は魔法陣と一緒に使うための得物だす」
先ほど放った物ではなく、地面に転がっていた両手持ちの槍をゼドは拾う。
「あの人がこっちを使ってるの、自分は一度もみたことないだす。だけど一振り所持してたのは、ちゃんと確認してる」
「手入れはされてましたか?」
ゼドは顎を左右に振る。
「布に包まれてたから良くわからないだすが、年代物特有の匂いはしただすね」
木製。
剣豪は槍を構える。
「本当はもっと自分に合わせたいのだすが、教えるからにはちゃんと基礎でいくだす」
ぎこちなさは変わらないが、今度は土台がしっかりしていた。
グレンに肩を向けている。刃先は相手の目線。
次に柄を持ち上げる。刃先は地面。
シンプルな構えを見せたのち、何度か突きや払いなどの基本を実際にみせる。
「オルク殿の身体のつくりや動作からして、多分こっち系の槍術だと思うだす」
「とりあえず、学ばしてもらいます」
ゼドは今まで、真面目に教えを受けてくれる相手がいなかった。
「できれば、魔力まといや魔法は無しでお願いしたいだす」
了承の意思を動作で伝えると、グレンは再び姿勢を整える。
その後、完全に辺りが暗くなるまで、稽古は続いた。
・・
・・
身体の節々が痛む。服を脱げば、きっと何ヶ所か青くなっているだろう。
「とりあえず、こんな所だすね。一通りの動きは見せたから、後は相手を想像して鍛錬してくだす。でもこっちだけじゃなく、片手槍のほうも厄介だすからね」
魔法や陣と組み合わせてくる。
「ありがとうございました」
いつの間にか、敬語になっていた。
「じゃあ、帰るだす」
一方的にやられた訳ではなく、何発かゼドに拳を当てていた。
稽古が終わり痛みがでてきたのか、外に向けて歩きながら彼も身体をさする。
その場から動かないグレンに気づき、ゼドは振り返り。
「どうしたんだす?」
「……あの」
簡単な願いだが、喉で止まってしまう。
しばらく様子を観察して気づいたのだろう。
「自分は剣士だったけど実戦中心で、剣術としては邪道って言われたこともある」
相手の足を踏んだり、刀を手放して体術に持ち込むなど。
「特にここ数年は、ずっと身体を得物にしてきたから、下手すりゃ刀より熟れてるだす」
彼が殺した魔物の死体は、グレンも観察していた。
「今のあんたの戦い方も、止めは得物で終わらせてる。だけどそこに持ち込んでるのは、殆どが体術っすよね
体術が中心になっているとしても、この男の本業は剣士。
「もしやるとしても、けっこう暗くなってきたから、そんなできないだすよ」
「真っ暗闇で魔物と戦ってましたよね」
グレンは体術使い。ここで拳士として手合わせをして負けるのは。
「まあ、なにごとも経験だすよね」
覚悟を決める。
「よろしく頼んます」
拳士としての心。
今、振れている所為か、姿勢が上手くつかめない。
とりあえず万事に備え、足の位置を慎重に決める。重心はいつでも四方に動けるよう、浅く。
ゼドは脱力の姿勢。
綿や羽根のように軽く、鉛のように重く。
嫌な気配はあまり感じない。身体が動かないわけでも。
緊張も程よくしている。汗もかいているが不快感はない。
威圧の空気はない。それより、もっと。
包みこまれる。
守りに入るつもりが、気づけば吸い寄せられるように、グレンは相手に踏み込んでいた。
「足運びは重要だす」
跳びかかりながら、肘先でゼドの顔面を突く。
「グレン殿は自分の身体の構造を理解して、すごく上手に使うだす」
右腕からの肘突きは相手に払われたが、反動で腰が回る。片足が地面を踏みしめ軸が生まれ、そこから左腕が自然に動く。
グレンにしては珍しく、やや大ぶりの横殴り。ゼドは後ろに下がり、簡単に回避した。
空振った次の瞬間、グレンの左肩がゼドの方を向いていた。
「足運びで一番注目するべきは、膝の動きだす」
避けられることを想定した横殴りは、振り切った後に体当たりの姿勢を整える動作だった。
全て相手に読まれていた。
左肩の背中側をゼドが押した。
軸が狂い、背中を相手に晒す。追加で足を払えば、地面に転がる。
「グレン殿はすごく上手に身体を動かすぶん、ちょっと狂わせれば簡単に崩せるだす」
こうすれば払ってくる。
大ぶりにすれば、後ろに避けるだろう。
「戦いの組み立ても上手いだす」
何時もとは違う。
「でも、相手の骨格や筋肉、動きや流れとかを利用するのは、あんま上手くないだすね」
本当に悔しそうな苦笑いを浮かべながら、グレンは立ち上がると最初の位置にもどる。
体術使い。例えばギゼルや一の朱火長、または仮面の女に負けるなら、こういった反応にはならないだろう。
口内に入った土を地面に吐きだすと、拳士は再度姿勢を整える。
今度は攻撃に特化した構えだった。
しかし、気づけばゼドは接近し、右の拳がグレンの顔面に迫っていた。
《あんたは打撃はしない》
ゼドは投げ技や締め技が中心だった。
右手は目眩ましで、本命は左腕だと予想。実際にゼドはこちらの腰に手を回そうとしていたので、身体を捻って回避する。
顔面に迫っていた右手は襟元をつかもうとしてきたから、横に払って防ぐ。
今度はグレンが読み勝った。
肩でゼドを押し返し距離をとらせる。姿勢を整えられる前に、グレンは拳打を放つ。
「焦っただすね」
強い一撃のために、グレンは肩から前に出していた。そこにゼドの掌が触れていた。
《動かねえ》
力の流れが行き場を失う。動揺の隙に足腰の位置を直すと、ゼドはグレンの肩を押しこむ。
グレンは再び立ち上がり、また挑むために距離をあける。
両者は構えを整える。
・・
・・
数分後。もう、暗くてなにも見えない。
確かに相手の骨格や流れを利用する技術はないが、総合では大きな差はないはず。
「くそっ」
それでも、勝ちを掴めない。
なにかもう一工夫。
なにかもうひと押し。
「本当は圧倒的な実力差があるけど、あえてそういった戦い方してるんすか?」
「いや、自分これが全力だすよ」
場数。経験の差だろうか。
「たぶん自分のほうが、負けの臭いに敏感なんだすよ。負けるの悔しいだすし」
「俺だって今すげえ悔しいんですけど」
暗くて相手の顔が見えない。
「勝つのは嬉しいだす。本当に、このためだけに生きてただすし」
「ゼドさん、負けず嫌いなんすね」
得意気に笑った気がする。
「他にも色々やること抱えてる人には、そう簡単には負けないだすよ」
「あんただって、今はそうだろ」
足音が聞こえる。
「しょせんは外野だすよ。そのぶん気が楽になるだす」
どうやら、勝ち逃げする気らしい。
「負けるのは……本当に悔しいっすね」
「めちゃくちゃ悔しいだす」
月明かりに段々と目が慣れてきた。
「負けると、数日寝れなくなるだす」
相手の背中だけは、何故かよく見えない。
「それでも、悔しいって考えられるだけ、まだマシだすけどね」




