九話 雪の降る山・祈願所防衛
天候の変化に気づき一度集合するが、ゼドは未だ戻る気配がない。グレンが連れてくると言いだしたが、そんな余裕はないとフィエルが却下する。
そもそも敵は目前まで迫っていた。赤の護衛を救出するために戦っているのだから、本人を危険に晒しては本末転倒だった。
土の領域で探ればわかる。ゼドはすでに囲まれていた。
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前もって草が刈られていたのは幸いだった。篝火は倒され、囲い壁の一部と土を燃やしていた。魔物は目玉を剥きだしにしたまま、牙の隙間からは涎がつたい、舌はだらんと垂れ下がる。
「クソっ! こいつら逃げたんじゃねえのかよ!」
一人壁の下で戦うグレンは、戦意を失ったはずの犬を蹴り飛ばす。前足が変な方向に曲がっても、這いずりながら噛みつこうとしてきた。
試さなくてもわかる。もう魔犬の縄張りは通用しない。
次々と現れる魔物にボルガは石を投げていたが、グレンは荒い口調で。
「そんなんじゃ駄目だっ! フィエルさんはまだか!」
「今つくってくれてんだ、とりあえずこいつで我慢すんだな!」
放った石は命中するが、怯むことなく人を狙ってきていた。
這いよる犬の頭部を踏み砕くが、頭上から小さな鳥型の魔物が急降下し、グレンに向けて特攻を仕掛けてきた。間一髪、逆手重装でクチバシを防ぐが、寸前に電撃を放たれていた。
鳥は命中と共に死んだが、痺れと突撃の衝撃で、地面に倒れてしまう。
立ち上がる余裕はない。生き残った犬の魔法だけなら無視しても良いが、木の上から氷が投げつけられていた。
咄嗟に炎の壁で防ぐが、氷の大きさには違いがあったようで、溶かしきれずそのままグレンに降りかかる物もあった。
身体を起こし立とうとした瞬間に、犬が炎の壁を突き抜けて襲いかかる。グレンは背中を土で汚すことになったが、犬の顎を持ち上げてなんとか防ぐ。
目からは光を感じられず、垂れた涎が服を濡らす。
「やっと乾いたっつうに……なんてことしやがる!」
剛爪で腹を突きさすが、まだ犬は動きを止めない。魔力を一層にまとい、強化させた握力で顎を砕く。
猿は安全な木から下り、もたついていたグレンに接近する。死体を払いのけたころには、氷塊が夜空に浮んでいた。
重力の恐ろしさを、彼は黒膜化により理解している。時の流れは嫌味なほどにゆっくりであったが、身体の反応は間に合いそうにない。
せめて両腕を交差させ、少しでも魔力を多くまとったのち、目を閉ざす。両方の膝も持ち上げて、曲げようとした瞬間であった。
破壊音と共に、砕けた氷の破片が降り注ぐ。グレンは上半身を起こすと、壁上のボルガを睨みつけ。
「バカ野郎っ! 痛えじゃねえか!」
「そこは普通ありがとうなんだな!」
フィエルにより拳大の石が壁上に放られていた。デカブツはそれを拾い、グレンを狙った個体に投げる。
貫通とまではいかないが、頭に命中すると砕け散り、個体は地面に崩れた。立とうとするが、足をもつれさせ再び転倒する。
普通であれば再起不能のはずだが、伏せたまま金切り声を発していたため、グレンが蹴飛ばして黙らせた。
魔物に当たれば石は砕けることもあるが、足場は最近の雨により濡れており、外せば地面に浅く沈んで残ってしまう。
「フィエルさん、針壁は使えねえのか!」
壁を崩した場所にもう一度つくるというのは、決して楽なことではないが、そこまで難しい技術でもない。
目視できるかどうかは大切な要素であり、囲い壁を挟んで召喚するとなれば、本来相応の訓練を必要とする。
もっとも彼女もその訓練は積んでいたが、今回は習得したばかりの針壁だった。
グレンの無理な要望が聞こえたのか、壁の向こうから声が聞こえた。
「すぐに壊されるのが落ちでしょ!」
壁の外で戦っている者が、なんとか引きつけてはいる。しかし魔物の数はそれを凌駕し、四方を取り囲んでいた。
「あんたは裏側に回って、たぶん単独よ!」
言われて鼻を利かせれば、確かに何体かこちらに近づいているようだった。
「正面からもなんか来てるけど良いのか!」
「こっちはフエゴさんを呼べば対処できます!」
なぜこんな時に限って雪なんて降るのか。いや、もし昨夜だったらその時点で終わっていた。
ボルガは壁上から岩の壁を召喚すると。
「登ってくんだ、迷ってる時間なんてねぇぞ!」
「……クソっ!!」
今はフィエルの判断を信じるしかない。グレンは頑強壁の裏に回り込むと、鉄の柵扉に足をかける。
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指示を受けフエゴが正面に回ったころには、すでに魔物が目視できる位置まで迫っていた。
一見は馬のようだが、その額には一本の角。
魔物によって走る速度は異なるため、土の領域からでも大まかな検討はできる。
オッサンは額の汗を拭うと。
「あれは溝の外側からでも入ってくるのよ」
一角大雷馬。
猪は数自体が少ない。今回の祈願所防衛において、熊に続いて危険視されていた単独だった。
フィエルは土の領域により、距離と射程を計算し。
「備えてっ」
内側に召喚していた頑強壁を土に帰すと、ボルガは囲い壁の足場に両腕を添える。
「来るわよ!」
一角大雷馬は額の角より雷撃を発射するが、頑強壁が見事に耐え抜く。だがそれは初手に過ぎなかった。
額から浮かびでた黒い文様は、徐々に全身へと広がり、やがて一角に雷が帯びる。
馬の魔物は不安定な足場をものともせず、溝の手前で飛び跳ねた。
広範囲に着火する場合は、なにか目印がある方が楽だった。例えば溝。
フィエルが掘った穴の底から、巨大な炎の壁が出現した。だがすでに跳ねたあとで、怯むことなく突き抜けてしまう。
ボルガとフエゴは左右に跳び、そのまま囲い壁の足場に伏せる。
通常の雷剣は触れると電気が流れるだけだが、この一角は違った。大雷馬魔は角で頑強壁という物質を破壊すると、勢いを落とすことなく夜空に舞った。
天雷剣のみが持つ能力を、この魔物は並位で実現させる。囲い壁の上部は破壊され、黒く焼け焦げた状態で電気が漂う。
フエゴの炎を通過したさい、大雷馬は視界を塞がれた。空中で視力を取り戻したとき、フィエルはすでに針壁の後ろで準備を終えていた。
切先は正面。
発射された小剣は着地した瞬間を貫いて、そのまま壁に突き刺さった。
フィエルは壁の維持も忘れ。
「……怖かった」
腰が抜けてしまい、お尻から崩れ落ちた。
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囲い壁より、黒い影が雪の夜空に伸びた。一番上で動きが止まるが、それに反応して攻撃を飛ばしてくる魔物はいなかった。
この場はどうしても確実に一体を仕留めたい。ガンセキに禁止されていたが、燃え上がった次の瞬間には、逆手重装の形状が変化した。
急降下すれば、隻眼はいつものように赤い線となり、地面へと引き寄せられる。
豚は顔面だけでなく、鼻先から肩と前足までが燃えていた。かなり無理のある移動をしたようで、全身が傷だらけだった。
道中で脱落したのか、数は三体と少ない。
グレンは豚の脇を通り抜ける。数秒が経過すると、側面から血を噴きだし、そのまま地面を削りながら横に倒れた。
まだ二体残っていたが、すでに距離はひろがっていた。
魔犬の咆哮で周りの群れを威嚇すると、近場の木に飛び移り、左右の爪を使って器用によじ登る。
囲い壁の上で、一人震える男がいた。
電撃は威力が低いため、今は弓を使っているが、恐怖で狙いが定まらない。
「もう少しなんだ」
両親はすでにいない。故郷で所帯を持つことも拒み続けた。
「やっとここまで来たんだ、こんな所で」
大半を村に流され、僅かしか受け取れない金を、少しずつ蓄えてきた。
色んな物を削ってきたのに。
「俺はなにをやってるんだ」
何故こんなことを引き受けてしまった。
それでも自分が名乗りでなければ、あの馬鹿はまた無茶をする。
歯を食いしばり、矢を解き放つ。迫ってきた豚の頭部に命中したが、動きが止まる気配はない。
グレンの言葉を思いだすと、鼻から空気を吸い込み、口から吐く。
再び放った矢は突進してくる豚の目前に突き刺さった。
敵は坂を駆け上がってくる。地面に刺さった矢は、鏃をそのままに木と羽根の部分だけが上を向く。
豚は矢を踏んだ。まだ痛みの感覚はあったようで、少しだけ体勢を崩すが、持ち直して移動を続ける。
「くそっ!」
その後もなんどか放ったが、周りの群れが邪魔に入り、大きな的にすら当たらなかった。シンセロは弓を投げ捨てると、片膝をつけて手の平をかざす。
神に願い電撃を発射する。
「なんで」
自分が兵士として無能なことは解っている。
「当たらないんだっ!」
シンセロは自分を奮い立たせ、両方の靴底を足場につけると、左腕で手首を掴む。
豚は土手に前足を踏み入れた。ここまでの移動で体力を使い果たしたのか、前のめりに姿勢を崩すが、最後の力を振り絞って立て直す。
そのとき、ようやく魔法が命中した。
豚は倒れながら槍柵に突っ込み、その勢いのまま激突する。壁と顔面が接触すると、炎は大きくなって壁上まで燃え広がった。
横たわった豚の胴体には木の槍が刺さり、息を吐きだす度に血が土を汚す。
グレンは着地と同時に残る一体を殺害すると、曲がった膝を伸ばしながら斜面を蹴りあげた。
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豚の炎に驚きその場に伏せていたが、赤の護衛を確認すると身体を起こす。
「やりました」
見上げた青年は人間離れした風貌だが、もう恐れは感じないようだった。
黒膜化の解除を待って、グレンは返事をする。
「今へばってちゃ、朝まで持ちませんよ」
「無理を言わないでください」
苦笑いを浮かべていたが、清々しい表情に偽りはない。
「立てますか?」
グレンは出入り口方面の様子を探るが、祈願所が邪魔になってここからは目視できない。
そもそも暗い。
「すみません。いや、有難うございます」
シンセロは差し伸べられた手を掴み、ゆっくりと足場を踏みしめる。
「肩くらいなら貸しますが」
魔物具に関しては調子が良かったとしても。
「自分で歩けます。これ以上、無理させるわけにもいかないので」
まだ外には魔物も残っていたが、現状では壁の強度に頼るしかない。それに人が一定の距離を置くと、別種どうしで殺し合う姿も確認している。
一角大雷馬魔のこともあるため、グレンはうなずくと足早に階段へ歩きだした。
鼻が敵を察知する。
そちらを向けば、顎から下が血まみれの猿が立っていた。体長はボルガ一個分。
片腕を地面に叩きつけると、小岩をつくりだす。
最後の足掻きなのだろう。
大猿は魔力をまとい、囲い壁に岩を投げつけると、力尽きて倒れ込んだ。
小岩は壁の上部にあたり、揺れる。
グレンは向きを返して叫ぶ。
「シンセロさんっ!」
一般補佐は壁から落下した。
魔物たちはここぞとばかりに、落ちた人へと走りだす。
グレンは壁から飛び降り、シンセロを守る位置に立つ。
「おいっ!」
声をかけるが返事はない。
本人のもとに駆け寄る余裕はなかった。
放たれた電撃を炎の壁で防ぎ、それが消える前に突き破ると、先にいた魔物へ走撃打をあてる。加速が不十分であったが、仕留めるには充分な威力。
しかし強い一撃を放てば相応の隙が生じる。幸い噛みつかれたのは左腕だったから、横に倒れながら肘を打ちつける。
木材の混ざった瓦礫をどける音が耳に入った。
「大丈夫です」
返事があった。
グレンはすぐさま立ち上がり、逆手重装の色を確かめる。
「動けますか?」
残量にまだ余裕はあるが、ボルガに補充を頼んだ方が良いだろう。
前腕を魔犬の爪でなぞると、シンセロの方を振り向く。
「動けます……ですが」
「良かった、すぐ壁に上げますんで」
兵士はふらつきながらも立っていた。青い顔で苦笑いを浮かべると。
「もう戦闘には耐えられそうもありません」
鎖帷子がなければ、命に関わる傷を負っていたかも知れない。
「まさか、自分で作った柵にやられるとは思いませんでした」
右の脇腹に添えられた手は赤く染まり、血がポタポタと地面に落ちる。




