七話 レンガの喜劇
グレンは信念旗の情報を受けとったのち、返事もせずに鍛錬を始める。
ガンセキはそれを責めたりせず、近場の木に背中を預けていた。
人間が近くにいると気づけば、魔物はそちらに意識を向けてくる。だがそれだけであれば問題はない。
相手が明確な敵意を表した瞬間に、土使いはその場にいる上席者へ報告をする。
発動地点から離れると細かな操作ができくなるため、一定の間隔で新たな領域を展開させる必要がある。
ガンセキは修行をしているグレンを見つめながら。
「やはり足場は良くないか」
雨が降っていなくとも、ここいらの地面は水分を含んでいた。人工道も同じではあるのだが、やはり人間の知恵というのは恐ろしく、移動に適した土質へと変化させてしまう。
そもそも一台の荷馬車を引くのは速馬ではなく、二頭の力馬であった。この種は少ない餌で長時間の活動ができるよう、進化のなかで人の手が加えられている。
物資を運ぶ四頭。予備として二頭。
それらを管理する、鉄工商会の五名。
戦うだけの力は全体の一部でしかない。人類の力を侮れば勇者一行など、簡単に足をすくわれてしまうだろう。
ガンセキは湿った地面に左手をそえると、土の領域で最大限の警戒をしたのち、昨日三人で話し合った内容を思いだす。
コガラシに知られた勇者の情報。
電撃の連射。
優れた共鳴率(魔力の質)
独自に発展させた剣技。
黄鋼の片手剣。
コガラシに知られていない勇者の情報。
全身放雷。
雷撃の連射。
小雷雲を指定した場所に発生させる。
天雷砲や天雷剣。
罪と罰を利用した、絶対に外れない雷魔法。
セレスは複数の能力をその身に宿していた。この力は間違いなく長所だが、良い意味でも悪い意味でも、宝玉具と同じであった。
もし全身放雷を使っていれば、大犬魔が後ろから迫ってこようと、背中からの雷撃で対処ができる。しかしそれは不意の一撃であったため、思わずセレスは振り向いてしまった。
また全身から放つ雷撃は、素手と違い命中率が低いため、魔虫などの小さな物体には活用できない。
雷撃の連射も可能ではあるのだが、それをするには両手から交互に放つ必要がある。
片手剣を使った接近戦となれば、通常は電撃の連射を利用して、ここぞを見極めて雷撃を放つのだと思われる。
宝玉具には制限がある。それと同じでセレスの力にも、使う上での制限が科せられていた。
このように漏れた情報をまとめた三名は、今後なにを意識すべきかを決めた。
全身放雷を禁止することで、セレスは素手からしか魔法を使ってはいけない。
これからの道程で、場合によっては高位が必要になるかも知れない。そのときは指定した位置に雲を発生させるのではなく、頭上のそれを移動させる。
セレスは宝玉具を必要としない。恐らくその点はコガラシもすでに気づいている。ならば各能力の繊細を誤魔化すことで、オルク側に偽りの情報を流せば良い。
あくまでも可能性があるというだけで、一般分隊長が信念旗だという証拠はない。
もし彼が協力者であったとしても、セレスは相手との会話を望んでいるため、そのことをメモリアには伝えないでおく。
昨日の話し合いでそれが決まり、先ほどグレンも承諾した。
・・
・・
鍛錬を始めてから、十分ほどが経過する。
土の領域により辺りを警戒しながら、ガンセキはグレンを見守っていた。
近くに存在は確認しているが、こちらに敵意を向けてくる魔物はいない。
昨日の夜間は単独の接近が二度あり、群れとの戦いは一度であった。
魔物の襲撃を受けた時間によって、メモリアかコガラシのどちらかが、全体の指揮を採ることになっている。
仮眠をとっていた五名の参加は許されず、待機と警戒をしていた一五名で戦いに望む。そのときガンセキたちは、荷馬車の護衛にまわるよう指示を受けていた。
だがグレンは死んだように眠ったまま、身体を揺すっても起きる気配がない。
セレスとアクアが心配するのも当然だった。普段は眠りが浅いはずなのに、救護兵から目の処置をされようと、彼は一度も気づかなかったのである。
たとえ清水を所持していたとしても、魔霧毒虫の密集していた場所で、グレンはそれを大量に取り入れていた。
デマド周辺の魔物を調べただけの責任者と違い、救護兵はそれら知識を詳しく教わっている。意識を保ちながら、会話も可能としていた日中のほうが、彼らからすれば異常であった。
清水とこれらの毒を、一定の分量で調合した薬品。この世界では、それを麻酔と呼ぶ。
・・
・・
眠り続けた青年は、元気に鍛錬を続けていた。少しずつ身体が温まってきたのか、腕を振るたびに汗が空気を熱する。
当てる対象のない拳打は、腕が伸びきってしまうため、魔力まといなしでは関節を痛めてしまう。
同じ動きを繰り返すことで、細かな体重操作や力の込め具合などを掴み、少しずつ身体に地面を覚えさせる。
足場の悪さに当初は戸惑っていたようだが、今は慣れたのか動きに落ちつきが見られた。
素手での戦いに拘るということは、毒をもった相手にも触れるという意味である。
グレンは鍛錬を終わらせると、ガンセキの方を向いて歩きだす。
責任者は布を取りだしたのち、丸めたそれを相手に投げる。
「連中の目的は俺たちの暗殺ではない。勇者との戦いに勝利することで、その事実を世間に示したいんだ」
全てを振り絞れば、勇者に頼る必要などなく、単独の魔族とも充分に戦える。
グレンは布を受け取ると、疲れを感じさせない声で。
「毒を使って俺らを殺しても、死体からその反応が見られろば、卑怯だなんだと言われるだけで意味がねえ」
国を通さなくとも、一行を壊滅させたという情報を、世間に伝える方法はある。
しかしそれを世界に広げるとなれば手段は限られる。信念旗が正攻法で勇者を倒せば、国は嘘をつかなくてはならない。
ガンセキは地面に両手をそえ、聞き耳を立てる者がいないかを探ったのち。
「もし緑鋼であれば、彼は協力者の可能性が高い」
「アルカさんは風の神官らしいけど、その資格が必要な仕事ってのは、どんなのがあるんでしょうか」
布で全身を拭き終えると、汚れたそれを懐に入れ。
「彼の職業だけに拘りすぎれば、逆に見えなくなるかも知れませんね」
デマド組合の長は、清水方面の責任者でもある。そのような本業の裏で、別の思想を掲げる者たちがいる。
グレンはアルカとの会話を思いだす。この青年は常日頃から思考を巡らせていた。
そこから導きだした予想を、一つずつ探りながら、一点へと繋げていく。
責任者は黙ったまま、相手が口を開くのを待つ。
数分が経過する。
グレンは姿勢を解くと、ガンセキの目をまっすぐ見つめ。
「なんであの人は心知の実……戦場の裏事情を知ってたんすか」
「鉄工商会の幹部であれば、当然とも考えられるが」
ましてや現状として、商会は心知の実をレンガに集めていた。
だが重要なのはそこではなく、その事実を多くの民が知らないという点である。
「国から情報を仕入れたとして、もしそれを民に伝えるとなれば、誤魔化す必要がありますよね」
「都市などが発行する情報紙のことか?」
書物があるのだから、紙の製造もそれなりに発展はしている。
文字を書いたくらいで紙を捨てるようなことはせず、熱湯などで溶かして再利用をする。
そして最後は尻拭きなどに使われていた。
勇者の実績。戦場での活躍に色をつけたり、魔者の悪行を世界に知らしめる。
「風の便とかいう言葉を聞いたことがあります。つまり人の心を操作をする職業で地位を得るには、風の神官って資格が必要なんじゃ」
わずか千年で土魔法は劣化した。
「大地に両手を添えなければ、俺たちは魔法を使えない。そのような間違った風習を広めたのは、もしかすれば風の神官ということになるのか」
「火の神官って可能性もありますがね」
三大国に吸収された敗国者たち。グレンの予想では、彼らの望んだ権利こそが、各属性の神官である。
「何者かにオッサンは技術提供を邪魔されました。その相手を傭兵ギルドとして考えれば、連中は冒険者ギルドとの繋がりも持っています」
聖域から得た知識の流れを操作することで、宝玉具の発展を遅くする。
土魔法の弱体化。それは人類の戦力低下に繋がる。
「この世界には戦争終結を望まない組織が存在します。その者たちと神官に深い繋がりがあるのなら、風のそれは特にどす黒い」
そもそも広く伝わる神話の中で、剣と風はあまり印象がよろしくない。
「信念旗は犯罪組織ですが、その中だと真当なほうなんすよね」
「ゼドさんの話を信じるとすればな」
風の神官がこれまで行ってきた悪事と、変化と欲望を快く思わない者たち。これらが重なれば、それなりの犯罪組織が誕生する可能性もある。
「以前から気になってたんです。信念旗はどのような方法で、賛同者を集めているんすかね」
ガンセキは一つずつ、点と点とを繋ぎ合わせていく。
時間の経過とともに、責任者の表情は曇ってゆく。
「だがまて。それならなぜ、信念旗も犯罪組織なんだ。俺も詳しくは知らんが、彼らは発足時から世界を敵に回しているぞ」
そこまで言ってガンセキは気づく。
グレンは呼吸法により心を安定させると、言葉を選びながら。
「もし自分の身内にそれがいれば、殺す家族だってもちろんいます。でも中には納得できず、世間に我が子の無実を訴えようとする馬鹿もいるんじゃねえかな」
どんなに地位が高くとも、子供が病を発症させることもある。産まれてすぐならまだ殺せる。だが数年をともに過ごしてからの発症であれば。
グレンは冷静を保ちながら、確りとガンセキに述べる。
「魔人については俺も詳しくねえけど、そう考えれば風との共通点が見えてきます」
風使いは実際に少ないのかも知れない。
「もし自分を狙う犯罪組織が存在すると知っていれば、属性を隠している人もいるんじゃねえっすか」
「だからゼドさんは、緑鋼の宝玉具と言ったのか」
もしコガラシが風の神と繋がっていれば、信念旗に助けられた過去があるのではないか。
「同志を無理に集めなくても、魔人や風使いの家族にでもお願いすれば、なんらかの協力を得られるんじゃねえかな」
信念旗は勇者の敵として生まれたわけではない。
この組織は迫害を受ける者たちの保護を目的とし、結成されたのが始まりである。
グレンはそっけない笑を浮かべながら。
「これはあくまでも予想ですがね。もしかしたら魔人は世間の評判どおり、闇の使いって可能性もあります」
「魔族を認めるような発言や、都合の悪い思想を唱える者も、それら含めて魔人と説く場合がある。俺は実際に見たことがないからな、もしかすれば最初からいないのかも知れん」
夢鳥と魔人。ガンセキの言うとおり、これら二つを同じものと考えることもできる。
グレンは穏やかな笑を浮かべると。
「まあ推測の域をでませんが、参考にするくらいなら問題ないっすよ」
覚えておいて損はない。確信したと決めつけなければ、この予想はいつか役に立つはずである。
「ギルドってのが敗国者の大本だとすれば、治安軍はそこからわかれた組織になります」
ガンセキは首をたてに動かすと。
「それと敵対する信念旗の後ろ盾もまた、ギルドの運営から離れた者たちかも知れんな」
治安維持軍。
ギルド。
信念旗。
「この中で最大の力をもつのがギルドで、その次が治安軍ですかね。信念旗の後ろ盾を敗国者だとすれば、そいつらが一番小さいことになります」
それでも壊滅状態の組織を、復活させるだけの力はもっている。
「ここから先はセレスたちを交えたほうが良い。それにお前の予想はかなり刺激が強かった……だから、少し考えを整理させたい」
ガンセキの提案にグレンは了承する。
まだ食事は支度中のようだが、鍛錬を終えたのだから、二人は兵士たちに向けて歩きだす。
・・
・・
青年は思う
・・
・・
自分の予想が事実だとすれば、もう笑うしかないと。
けれど心は晴れやかだった。
あのとき彼らを罵倒したことに後悔はない。
今でも無駄な足掻きだと思っている。
勇者の護衛であろうがなかろうが、助けを求める勇気など、最初から持ち合わせていない。
それでもやはり、グレンは少しだけ、本当に嬉しかった。
表面だけが美しいこの世界にも、魔人の味方は存在している。




