そんな王国を統べる者1
ご無沙汰しております。
今回は王都・・・ではなく、シルベル領のお話です。
シルベル領、領都ジラノス郊外、その原っぱ。
ここは建物ひとつ、木の一本すらもない、たいそう見晴らしの良い場所だった。
硬くて丈の短い草が一面に生え、ときどき思い出したようにその草から小さな花がぽつんぽつんと咲いている。
普段から人はもちろん、野生動物や大きな虫の類さえも見当たらない。
そばに交易の要所となる大地方都市があるというのに、ずいぶん荒涼とした寂しい景色が広がっていた。
この原っぱには現在、もふっとした褐色の毛皮を持つ“羊”の群れがいる。
べえべえ鳴きながらむしゃむしゃと食んでいるのは、自生している唯一の植物である硬い草だ。
のんびりとした光景に、作業をしていたサヴィア王国軍の兵士たちの目が和む。
ちょっと故郷を思い出し、涙ぐんでいる者もいた。
「……まさかフローライドで羊を飼うことになるなんてなあ」
感慨深く呟いたのは、サヴィア王国第二軍軍団長ジュロ・アロルグ。
彼の手にも、いつもの大槍ではなく大きな鍬が握られていた。
今でこそ軍団長などという大層な役職をもらってはいるが、ジュロ・アロルグはもともとサヴィアの山奥で細々と暮らしている遊牧民の出だった。
あるときにたまたま王国軍の兵士の募集を見て、そのときにたまたま冷夏が原因で生活が苦しかった。だから、たまたま出稼ぎに出たのがきっかけだ。
それで軍団長にまで出世してしまったり、国王の息子―――現在の国王陛下と戦友になったり親友になったりしてしまったのだから、人生ってわからない。
―――まあ、それはともかく。
つまり彼は遊牧の生活をよく知っていたし、それが嫌でもなかった。
だから、シルベル領の食料不足を相談されたとき、彼は言ったのだ。
広い原っぱがあるんだから家畜でも飼えばいいじゃねえか、と。
交易の拠点として栄えてきたシルベル領は、そもそもあまり農業や畜産業が盛んではなかった。
安価で品質が良くて豊富な種類の食材が、放っておいても各地から集まってきていたからだ。
そんな都市なので、シルベル領側が相談したかったのはサヴィア側との更なる交易の拡大だとか、新しい交易ルートの検討や開拓だったのだろうと思う。
しかしそこは質素倹約、というか貧乏上等のサヴィアである。
しかも相談先は文官ではなく、地位は高いが武官で庶民感覚のジュロ・アロルグだった。下で実務を取り仕切る文官よりも、一番上でサヴィア軍をまとめる将軍に話を持っていったほうが早い、と考えたようだ。
食料不足とはいっても、サヴィア侵攻以前に比べればの話である。
普通の家庭でもちゃんと三食食べられているのだ。物の値段だって安定しているんだから、これ以上サヴィアがあえて何かをしなくても大丈夫だろう。
それでも心配だというのなら、自分たちで何か生産してみたらいいのだ。
ちょうど良い場所にちょうど良い草が生えた、だだっ広い原っぱがある。そこで試しに放牧でもやってみたらどうだ―――と。
軍団長様は嫌味でもなんでもなく、真剣で素朴に、心からそう思って提案した。
ちなみに、命令ではない。彼が出したのはあくまで意見のひとつだった。
それでも、この冗談のようで真面目な提案が早々と実現したのは、放牧するのがこの“羊”だったからである。
サヴィア産の、この羊から作られる毛織物や乳を使ったチーズなどがフローライドでは大変希少な上に高値で取引されているもので、目ざとい商人たちがこぞって支援を申し出たのだ。
ジュロ自身も大変勉強になった。
物心ついたときから普通に身に着けていた防寒具の素材が絹織物に匹敵する値段で取引され、普通に食べていたチーズがチーズの中でも最高級品に位置付けられていたとは。
この歳になるまで、ぜんぜん知らなかった。
たびたび実家に顔を出しては終始偉そうな態度で、こちらの足元を見て品物を買い叩いていったあのいけ好かない商人に今後もし会う機会があれば、ぜひいい笑顔で大槍をちらつかせながらお話したいものである。
それで、わざわざサヴィアから連れてきたこの“羊”だが。
雄雌問わず湾曲した大きなツノと鋭い爪を持ってはいるが、基本的に性格は温厚。サヴィアの中山間地域では家畜としてよく飼われている。ツノや毛皮、肉や乳など、余すところなく使える動物だ。
そのへんに生えている草木はほとんど食べられるし、内陸ならばだいたいの場所で生きられる頑丈さもある。
もともとは食べ物が少ないサヴィアの山奥に生息していた羊だ。
厳しい環境を生き抜くため、どんな硬い草でも引きちぎり、すり潰すことができる強靱な顎を持っている。むしろ食べ応えのある草のほうが好みのようだ。
茎や葉っぱだけではない。どんなに固い地面でもその鋭い爪で掘り起こして、根っこまで食べ尽くすこともある。
いつも根っこまで食べているわけではないが、連れてきた羊たちが嬉々として地面を掘っているところを見ると、ここに生えている草とその根っこは気に入ったようだ。
鍬でも掘り返すのが大変な地面を、爪でざっくざっくと削っていく。
その調子でぜひあちこち掘り起こして、耕すのを手伝って欲しいものである。
それから羊の糞がこれまた良い肥料になるのだ。この調子でいけば、来年の今頃にはこの原っぱで豆くらいは収穫できるようになっているかもしれない。
こんな具合に、ほんとうに仕事ができて肝の据わったいい羊なのだ。
「わたしを誰だと思っている!」
たとえば。こんなふうに急に誰かが大声を出しても。羊はぜんぜん驚かない。
「なぜわたしが農民の真似事などせねばならんのだ!」
作りかけの牧場の片隅で鍬を放り出しごちゃごちゃと喚いている男がいても。何頭かがちらりと頭を向けたくらいだ。
ジュロ・アロルグも、羊と同じくらいに冷めた目を向ける。
「……こちらの指揮官どのは」
家畜のほうがまだ役に立つな。
一緒に作業をしていた者たちも同じ思いだったのだろう。さすがに後半は口に出さなかったが、サヴィアの人間もフローライドの人間も、重々しく頷いたりため息を吐く者ばかりだった。
☆ ☆ ☆
ふた月ほど前。ジラノス近郊でサヴィアとフローライドの両軍が対峙した。
これまでも小競り合いのようなものはあったが、開けた場所で、真っ正面からぶつかり合ったのは実は初めてだ。
戦場になったのは、現在の羊の放牧場からは少し離れたところである。
地面がぼこぼこ波打つ指揮官ベニード・グラナイドの土魔法は少々厄介だったが、しかしサヴィア軍が煽ったこともあって魔法力が早々に切れ。魔法が使えなくなれば、あとは拍子抜けするほどにあっけなくフローライド軍を制圧することができた。
とくに指揮官は、無駄にキラキラした全身鎧を纏っていたのだ。外套を羽織っていても隠しきれるはずはない。
その外套だって位の高い“魔法使い”であることを示す黒っぽいもので、これまた周囲にそんな色を纏っている者はいなかったので、見つけて捕まえるのは非常に簡単だった。
ちなみに。キラキラ鎧は魔法を弾く特殊仕様だったらしいのだが、ジュロ・アロルグの大槍による混じりっけなしの単なる物理攻撃によってあっけなく使い物にならなくなった。
そうして、ベニードはサヴィア王国軍の捕虜となったわけだが。
「……使えねえなあ」
ジュロの呟きに、近くで作業をしていた者たちがため息で同意する。
サヴィア軍には大量の捕虜を収容しておく場所がなければ、彼らにタダ飯を食べさせられるほどの余裕だってない。
故郷に帰りたい兵士や帰せそうな兵士はさっさと帰し、残りはシルベル領の復興のために働いてもらっている。レイヴァンの崩れた砦の後片付けが主だ。
その中で今回、土魔法が使える―――土が耕せそうな魔法使いを選んでこの原っぱまで連れてきたわけだが。
結果として、あまりに硬すぎて、彼の魔法では欠片も地面は動かなかった。
それならばと鍬を持たせてみれば、農民の真似事をさせる気かと怒って放り出す。
他はともかくこのベニード・グラナイドという捕虜、ぜんぜん使えなかった。
ちなみに、「わたしを誰だと思っている!」の返事として「知らねーよ」とジュロが答えたら、幽霊を見たような顔をされた。
逆に、なぜ知っていると思っていたのだろう。
いちおう、サヴィア軍を束ねる身としてフローライドの中央軍を預かる指揮官の名前くらいは知っていた。
が、それだけだ。
捕虜になる前も後もこんなに何もしない指揮官、覚えてやる必要もないだろう。
しかもムダに偉そうで、捕虜だという自覚があるのかどうかも怪しい。
労働に文句を言う。食事に文句を言う。寝床に文句を言う。
嫌なら外で寝てもいいぞ、とジュロが言えば、少しだけ大人しくなった。ここでほんとうに外で寝る意地でも見せてくれれば、ちょっとは気骨のあるやつだなと見直したかもしれないのに。
そしてその無駄な捕虜が、無駄に胸をはって声高に言った。
「無知な貴様らは知らんだろうがな。この辺り一帯はかの“天雷”と“大荒木”という二つ名を持つ大魔法使いが、持てる魔法力を駆使して様々な魔法をぶつけ合った謂れのある場所なのだ。見よこの力を! 我らの先達にかかれば肥沃な大地も不毛の荒れ地へと永遠に変わる! この小さな草が生えるようになったのも、ほんの数十年の話なのだっ。中でも“天雷の魔法使い”の雷は別名テンノサバキとも呼ばれて―――」
滔々と続く話を聞き流しながら、ジュロは眉をひそめて首をひねった。
自慢話に聞こえるが、大昔の魔法使いの話だ。その話、いま必要だろうか。
あと、肥沃な大地をわざわざ不毛の荒れ地に変えるとか、確かに恐ろしいがただの迷惑では。
「何を言っているのかほとんど分からんが」
「ふはははっ。北の蛮族どもには高名な我が国の魔法使いどころか魔法のマの字も分かるかどうか―――」
「つまりあんたには無理ってことだな」
「…………っ」
重々しく頷いたジュロに、ベニードはとっさに言い返すことができなかった。
だって事実なのだから。
熊のような大男は、鷹揚に肩をすくめてみせる。
「いやーそれなら早く言ってくれ。出来ないことをやれとか無茶は言わねえよ」
「……」
「…………ぷっ」
堪えきれず、サヴィア側の誰かが噴き出した。
それなりに知識と実力のある魔法使いなら有難がって聞く話なのかもしれないが、ジュロに話して聞かせても無駄である。相手を間違えている。
知りたかったのは、この地面をこの魔法使いが掘り返せるのかどうか。ただそれだけだ。
それ以外をごちゃごちゃと喚かれても、面倒くせえなあとしか思わない。
あとは最初に「ハイかイイエだけで答えろ」と言っておけば良かったなと反省するくらいだ。
「やっぱりなあ。魔法だって誰でも何でもできるわけじゃないよな」
「……うぐっ」
ジュロ・アロルグには嫌味を言ったつもりはこれっぽっちもない。
素直に、素直に感想を口にしただけだ。
もともと、魔法で手っ取り早く出来れば儲けものだな、くらいのものだった。
先の戦でベニードがぼこぼこ動かしていた地面より、こちらのほうが明らかに固い。それくらいはジュロもほかのサヴィア兵たちも分かっていたし、すでに自軍の魔導部隊が試して駄目だった後でもある。
魔法で刃が立たなくても、普通の鍬を使って地道に掘り返すことはできるのだ。
最近まで魔法が身近ではなかったサヴィアは、そちらのほうがむしろ慣れていた。
「まあ、すでに水は湧いてるから井戸を掘る手間が省けただけでじゅうぶんだ。草が生えてきてるなら永遠の荒れ地ってこともなさそうだしな。良かったよかった」
その言葉に、ベニード・グラナイドがびくりと肩をすくめた。
ちらりと水の湧き出ている場所に視線を向ける。
ごく最近になって見つかった水源を有効活用しようと、湧き水の周辺でも男たちが作業をしている。
サヴィアの兵士もいれば、フローライドの捕虜もいるし、近隣の町や村から手伝いにやってきた者もいた。
寄ってきた羊にかいがいしく水を分けてやっているのは、たしかベニードの側近だった男である。
そのかつての側近ではなく、湧き水の出ているあたりをじっと眺めていたフローライド軍のもと指揮官は、兵士に促されて大人しく踵を返した。
なぜだか、少し泣きそうな表情で。
「何がしたかったんですかね、あいつ」
鍬を持ち直して地面の掘り起こし作業に戻ったジュロ・アロルグに話しかけてきたのは、第四軍の副長サフィアス・イオルである。
「こっちに喧嘩売って、それでどうする気なのかな。破滅願望ってやつ?」
「お前がそれを言うとなあ」
ジュロが苦笑する。
日ごろから売らなくていい喧嘩を売り歩き、ベニードのような輩には真っ先に殴りかかっていきそうなのがサフィアスである。
しかし彼は近くにいたのに手どころか口すらも出さなかった。
どうやら怒りよりも困惑、苛立ちよりも呆れが勝ったらしい。
「もう放り出してもいいんじゃない? 兵士たちからもあれに出す食事がもったいないって苦情が来てるよ」
「ああ……、まあなあ」
魔法が使えなければ驚くほどなにもできない男だが、それでもフローライドの“上級”魔法使い様である。
そのへんの下級兵士を放り出すのとはわけが違う。
「フローライドとの交渉もうまくいってないって話だし。おれたちから見てもあれに人質の価値なんて無さそうだし」
「………まあなあ」
不自然なほどに非友好的な態度を崩さないので、逆に何か企んでいるのではないかと最初は疑っていた。
ときどき何かを期待するような、何かを待っているかのような強い眼差しをしていたから尚更である。
が、どうやら何もなさそうだ。サヴィア軍の上層部だけでなく、諜報部隊、それに一般兵士たち、ついでに言うと元フローライド軍のほかの捕虜たちまでがその意見で一致している。
あれは無駄な自尊心と口だけの男である、と。
「そうだなあ。仕方ない。そのへんに捨てると問題があるから、シルベル領に引き渡すか」
サヴィアに攻められているというのにろくな援軍を寄越さず、援助もなく。やっと来たと思えば敵を追い返すどころかさらに奥まで侵攻を許し。そのくせろくに金も払わずこちらの食糧やら物資やらを強奪していく。
一部事実と違う部分もあるのだが、ほとんどの領民にそう思われているフローライド中央軍は、サヴィアよりもむしろシルベル領に恨まれている。
まして戦の最中に軍を離れて領都ジラノスの高級宿に寝泊まりしていたことが判明している指揮官なんて、最悪である。
やっと落ち着いてきたシルベル領にあえて火種を放り込むこともないだろうという配慮と、引き渡せばけっこう悲惨な扱いを受けそうだなというほんの少しの同情もあって、サヴィア軍で保護していたのだが。
「うちも慈善事業やってるわけじゃないからなあ。交渉の材料に使えない、自国の捕虜仲間にも評判が悪い、役に立たない、本人にもやる気がないとくればなあ」
「もと領主といい、中央から来た指揮官といい。あとミアゼ・オーカから聞いた上司といい。冗談抜きで、まともな為政者っているんですかね、この国」
「………ああ、そ」
そうだなとつい頷きかけて、さすがのジュロ・アロルグも思いとどまった。
たぶんまともな奴もいるだろう。たぶん。彼らが出会っていないだけで。
そうでなければ、王都に向かったユーグアルトたちが不憫だ。
誤魔化すようにして周囲を見渡せば、牧場の“水場”が目に入った。
地面に無数に走るひび割れ。そこから地下水と思われるきれいな水が、じわじわと湧き出ていた。
大昔にナントカという二つ名の大魔法使いが焼き固めて使い物にならなくしてしまったらしい、まっ平らで岩のように硬い荒れ地。
そのほんの一部分に突然現れる地面のひび割れは、自然にできたものではない。
ラディアル・ガイルが作ったものだった。
見た者の話によると、彼は大きな大きな草刈り鎌のような武器を召喚し、どっかんどっかんと八つ当たりのように地面に叩きつけていたのだという。
そうして地面にひびを入れただけで誰一人傷つけることなく、彼は後をついてきたフローライド軍を追い返したらしい。
この地面の硬さを実感すると、目の前で地面をぼこぼこにされただけでも逃げ出したくなる気持ちは分からないでもない。
腕力には自信があるジュロ・アロルグが思い切り刃を振り下ろしても、これほどの亀裂を入れることはできないだろう。
ちなみに。後から水が湧いて出てきたのは偶然で、それを発見したのもごく最近のことである。
ラディアル・ガイルは最上級。ベニード・グラナイドは上級。
階級がひとつふたつ違うだけで、ここまで実力の差が出るものなのか。あるいはラディアルが別格なのか。
どちらにしろ。
「敵に回したくはないもんだな」
いまだ、軍の中にはフローライドの王都にまで攻め込むべきと考える者もいる。
いろいろと煩わしいことが多すぎて、いっそそれでもいいんじゃないかと思った時期がジュロにもあった。
しかし王都にはもうひとりの最上級“魔法使い”がいる。あのラディアル・ガイルと王位を争ったという、現フローライド国王が。
この“水場”を見ていると、それを忘れてはならないとも思う。
ジュロ・アロルグは回りくどいことは苦手だ。
戦いも交渉事も、まっすぐ正面突破がいちばんスッキリして気分が良い。
ただ、それだけでは万事は上手くいかないことも知っているから、これ以上の戦は無駄だと分かっているから、彼はユーグアルトに王都行きを任せたのだ。
「これ以上の厄介ごとは、ほんと勘弁だよなあ」
こんな何もない原っぱで。のんびり地面を掘り返して放牧なんぞしている内に、すべてが丸く収まってめでたしめでたし。
と、なるんだったら最初から誰も苦労しないんだがな。
べえべえ羊が鳴いているその傍らで。
彼は、祈るようにそんなことを思った。
羊さんは異世界仕様です。モデルはいますが、生態とかは違います。たぶん。




