どんな王女の魔法修行・1
ご無沙汰しております。
更新が滞り、申し訳ありません。
「すみっこ」コミカライズ版2巻が発売でございます^^
ところは、荒野のど真ん中。
ひょろりとした低木や草がぽつぽつと申し訳程度に生えているそこは、久しく雨も降っていないのだろう。岩のように硬く所々でひびの入った地面が、環境の厳しさを物語っていた。
じりじり、じりじりと肌を焼く大きな太陽のもと。
頭からすっぽりと灰色の外套を被った王立魔法研究所の“魔法使い”たちが立っていた。
「ミアゼ・オーカ! いざ、勝負‼」
そんな言葉を、口走りながら。
☆ ☆ ☆
兄ユーグアルトたちがフローライドの王都フロルへ行くと言ったので、ほんとうはナナリィゼ・シャルも彼らと一緒に行きたかった。
彼女はもうフローライドを攻め滅ぼしてサヴィアの支配下に置くのが最善だとは思っていない。話に聞いたフローライドと実際は違うのだと、物事はそう単純なものではないと理解したからだ。
その上で、この国がどんな状況で、国王がどんな様子なのかをちゃんとこの目で見て、確かめたかった。
それにだ。
兄だけではないのだ。シルベル領で知り合ったミアゼ・オーカまで、王都に戻るという。
彼女は王城に勤める中央官だというから、戻るのは仕方がない。
仕方がないが、これはナナリィゼにとっては大問題だった。
以前と比べて彼女の魔法力が安定しているのは、彼女と彼女の使役魔獣たちのおかげなのだ。
現在だって、ナナリィゼが自身の力を制御できるようになったというよりは、彼女たちが傍にいてくれることで精神的に安定しているのが大きい。
一時的なものなら我慢もできる。しかしいま別れたら、今度は彼女たちにいつ会えるのか、再び会える日が来るのか、まったく分からないのだ。だって彼女はサヴィアの人間ではないのだから。
ものすごく寂しくて心細くて、そして怖く感じるのは仕方がないと思う。
あまりに不安で、魔法探知犬に魔法力が不安定だと指摘されたくらいだ。
二郎が吠えるまでもなく、ナナリィゼの気持ちは周りに筒抜けだったらしい。
もしくは、周囲も同じように彼女の事が心配だったのだろう。
シルベル領に留まっているサヴィア王国軍と一緒に待っているのも、国に帰るのも嫌ならここに滞在してみるのはどうだと提案されたのが、ここ。
マゼンタ領王立魔法研究所だった。
魔法大国で魔法の勉強ができる。
これには、むしろナナリィゼ以外の魔法使いたちが目の色を変えていた。
辺境だが、いや辺境だからこそしがらみの少ない専門家がたくさんいるし、専門書の蔵書だってサヴィアよりははるかに多い。
研究所の背後に広がる荒野であれば、どれだけ魔法を使っても、なんなら暴発、暴走したとしても構わないという。ナナリィゼの魔法の練習にだってもってこいだ。
ラディアル・ガイルが所長を務める、王都から遠く離れた研究所であれば、サヴィアの魔法使いが紛れ込んでいても気付かれることは少ないだろう。
さらには、王都に戻るはずだったミアゼ・オーカも、研究所に慣れるまではとナナリィゼに付いてきてくれるという。
こんな好条件を断る理由は、全くなかった。
心配がないわけではない。
お世話になるのは、魔法を研究する場所である。熱心な研究者が多いに決まっている。
シルベル領でこの国の魔法使いたちに追いかけ回された経験のあるナナリィゼとしては、研究者たちばかりの場所は少し不安ではあった。
のだが。
じっさいに来てみれば、追いかけ回されるのはナナリィゼではなく。
彼女に付き添ってくれた、ミアゼ・オーカのほうだった。
☆ ☆ ☆
小さな子供の前に、大猿と巨大土人形が立ちはだかっていた。
ゴリラを二回りほど大きくしてさらに腕をもう一回り太くしたようなあからさまな腕力自慢大猿と、その辺の砂と岩を固めたような、ゴツゴツボコボコした人型人形。
同じ使役魔獣ではあるが、その体格の差は圧倒的で絶望的だ。
両者、しばらく無言でにらみ合った後。
一郎が小さくてふくふくとした手を、きゅっと握りしめて高く持ち上げる。
対する大型使役魔獣たちも、小さな使役魔獣の拳の数十倍はあるそれを高く振り上げた。
見るからに屈強な使役魔獣たちの拳は、じっさいその辺の岩や地面を割ってしまえるほどに硬くて強い。
そんな大きな拳が、一郎に向かって勢いよく振り下ろされる。
「……っ」
木乃香の隣で彼らの様子を見守っていたナナリィゼが、思わず小さな悲鳴を上げる。
しかし一郎も召喚主である木乃香も、それから一緒に来たクセナ・リアンとシェーナ・メイズだって平然としたものだ。
なぜなら。
「さいしょは、ぐー!」
一郎が元気に言って、目の前の使役魔獣たちと同じように握った拳を前に突き出す。
大型の使役魔獣たちの口からも「グウ」と漏れたのは、彼の真似をしたのか、あるいは唸り声だったのか。
両者が繰り出した拳はぶつかり合うことなく、わずかな隙間を空けてぴたりと止まった。
「じゃんけんぽん!」
一度引っ込めてから、そんなかけ声と同時にふたたび出された手は。
一郎は手のひらをめいいっぱい広げ。
対する大猿と土人形は、拳を握った形のまま。同じように勢いよく前に突き出していた。
その大きさといい勢いといい力強さといい、当たれば小さな使役魔獣一体などぺしゃんこに潰してしまいそうな恐ろしさだったが。
先ほどと同じように、両者が実質的にぶつかることはない。
一郎は“ぱー”。大型使役魔獣たちは揃って“ぐー”。
つまり。
「はい、いっちゃんの勝ちー!」
「うむむぅ……」
ぱちぱちと手を叩く木乃香に、はしゃぐ小さな使役魔獣たち。
大きな使役魔獣とその召喚主である魔法使いたちは、がっくりと肩を落とした。
「あの、これは……?」
首を傾げるナナリィゼに、シェーナが笑って応えた。
「じゃんけん勝負ね」
「じゃんけん……」
「ああやって、拳を作ったり手を広げたり指を二本だけ出したりして、お互いに出し合ったその手で勝ち負けを決めるの」
それはナナリィゼも知っている。
大昔の“流れ者”が広めたとかいう、単純かつ短時間で決着が付けられる方法だ。
あまりに簡単であっさりしているので、勝負というよりゲームのようなものである。
例えば、サヴィア軍の駐屯地で肉や酒が余ったとき、誰がもらうかじゃんけんで決めていたのを見たことがある。
そう、知ってはいる。
しかしそんなじゃんけんを、どうして使役魔獣たちが、こんな荒野のど真ん中で繰り広げているのか。
わからないのはそこだ。
「あの。これが、魔法使い同士の“勝負”……?」
「あー。普通じゃないからな、これは!」
異国の王女様に間違った認識が植え付けられそうになり、クセナ・リアンが慌てて訂正を入れた。
フローライドでは魔法技術の研鑽という大義名分のもと、魔法使い同士の力比べ、つまり魔法のぶつけ合いが黙認されている。
それが召喚術、とくに使役魔獣であれば、使役魔獣同士を戦わせるというのが普通の勝負だ。
しかし。
「オーカのところの使役魔獣たちとは、勝負にならないのよ」
シェーナが言った。
ナナリィゼは少し離れた場所で対峙する使役魔獣たちを見つめる。
大きくていかにも強そうな使役魔獣と、小さくていかにも弱そうな使役魔獣の対戦である。
小さいほうがあっさり負けて終わるだろうと、誰もが予想するはずだ。
しかし、どうもそういう意味の「勝負にならない」ではないらしい。
「あちら側の使役魔獣がね、どんなに召喚主が怒鳴ってもけしかけても、命令したって戦おうとしないの。ぜんぜん、まったく。」
そして、木乃香の使役魔獣たちも戦わない。彼らは基本的に大人しくて良い子なのだ。召喚主と自分たちを含めたその周辺に害がなければ、相手を攻撃しようとはしない。
戦うどころか、いつも楽しく遊んで終わるのだという。
木乃香の使役魔獣たち以外の相手なら、あの屈強そうな使役魔獣たちは普通に戦ってくれるのに。
そういえば。魔導部隊隊長のカルゼ・ヘイズルが、彼の使役魔獣スプリルも、ミアゼ・オーカとその使役魔獣たちを前にするとカルゼの命令を嫌がっていたと頭を抱えていた。
「ここの使役魔獣たちとイチローは“お友達”だからねー。イチローが嫌だとかダメだとか言ったら、もうおしまい。使役魔獣のほうが嫌がって戦おうとしないの。 “お友達”よりも強い信頼関係だとか絆だとかを築けているなら、召喚主の命令にも従うかもしれないけど」
召喚主は、お友達よりも格下らしい。
お友達って、そんなに強制力のある関係だっただろうか。
生まれた時からいろんな人々に囲まれて育ってはいても友達と呼べる者がほとんどいなかった王女様には、よくわからない理屈だった。
ただ。単純な力比べではわからない、けれども確かな強さがミアゼ・オーカの使役魔獣たちにはある。それくらいはナナリィゼにだって分かっている。
なにより、召喚主も含めて彼らに殺伐とした戦闘は似合わない。ぜんぜん似合わない。
「勝負を挑んでおいて戦えない時点で、もうあちらの負けでいいと思うんだけどねー」
シェーナが肩をすくめる。
「それでも別の形ででも勝負したいってダダをこねるから、じゃんけんならいけるんじゃないかってことになって」
「言い出したのはオーカなんだけどな」
苦笑いで呟いたのはクセナだ。
「でもなあ。オーカもまさか本当にやるとは思ってなかったと思うよ」
じゃんけんに勝ったからといって、使役魔獣の優劣が決まるわけではないと思う。
だってじゃんけんである。運の要素が強すぎる。
木乃香側はもちろん、挑んできた魔法使いたちだって実はそれほど勝敗にこだわっているわけではないのだ。
ただ、何でも理由を付けてとにかくミアゼ・オーカの使役魔獣を間近で観察できる機会を作りたい。
昔はともかく、今はもうそれだけである。
それならそうと素直に言えばいいのだが、長年フローライドで“魔法使い”をやっている研究者たちは、その手段が“勝負”しかないと思い込んでいるようだった。
とはいえ。このじゃんけん勝負も最初から上手くいったわけではなかった。
なにしろフローライドの使役魔獣の主流は、直接的に戦うことは得意でもじゃんけんが出来るように作られてはいない。
まず、拳を握る“ぐー”と開く“ぱー”は出来ても、指二本だけを伸ばす動作の“ちょき”が難しい。
それが出来ても、今度はその三種類をランダムに、かけ声に合わせてタイミング良く、相手とほどよい距離を空けて出すというのがまた難しい。
でもって一度はタイミング良く出せても「あいこでしょ」になるとうまく出せない、などなど。
じゃんけんが出来るように血のにじむような特訓と改良を加え――それが果たして何の役に立つんだという呆れた周囲の反応もそっちのけで――じゃんけん勝負がつつがなく行われたときには、勝ち負けはともかく使役魔獣たちもその召喚主たちも飛び上がって喜んだものだった。
「……でもまあ、楽しそうだよな。ルビィもやってみたいって言ってたよ。無理だけど」
クセナの使役魔獣である赤いドラゴンは、前足の構造がじゃんけんに適していないので不参加である。
同じようにじゃんけんに参加出来ない鳥形の使役魔獣と小鳥とで、お空の散歩を楽しんでいる。
体の大きさと翼の大きさがぜんぜん違う三体だが、つかず離れず、飛び方に緩急をつけたりくるくるとお互いの周囲を回ってみたりして、こちらはこちらでなかなか楽しそうだ。
そんな青いお空の下では、やはりじゃんけんが出来ない恐竜のような見た目の使役魔獣と子犬が、一緒にかけっこを楽しんでいた。
どすどすと足音を響かせる二足歩行の恐竜の足元を、二郎が踏み潰されないギリギリのラインを攻めてぐるぐる回っている。
二郎が喜んでめいいっぱい小さな尻尾を振りたくり、恐竜もふるふると楽しげに尻尾を揺らめかせているので、かけっこ競争というよりは尻尾振り競争のようでもある。
氷の特性持ちである子猫は召喚主たちの暑さ対策という大義名分のもと、木乃香の腕の中でのんびりひんやり丸くなっている。たまに尻尾がゆらんと揺れるが、周囲の勝負事(?)にはまるで興味がなさそうだった。
ハムスターは、ここ最近の定位置であるナナリィゼの肩の上で丸くなっている。ときどき頭を上げてお空の三郎たちを眺めているので、もしかしたら空を飛んでみたかったのかもしれない。
……荒野に呼び出されたわりに、あまりに長閑である。
というか、じゃんけんをするだけなら荒野まで来なくても良いのでは。
「も、もう一度! もういちど勝負だっ! ミアゼ・オーカ!」
そんな魔法使いたちの声を聞きながら、ナナリィゼはふっと肩の力を抜いた。
これで緊張感を持ち続けろというのは、ちょっと無理な話だ。
☆ ☆ ☆
ナナリィゼが王立魔法研究所に来てからしばらく。
こんな感じで、研究所の魔法使いたちによるナナリィゼへの付きまとい行為は、ほとんど無かった。
むしろ突撃され付きまとわれているのは、木乃香のほうだった。
関心が持たれなかったわけではない。が、研究者たちからいくつか質問され、ナナリィゼがそれに上手く答えられないと知ると、興味を無くしたようにほとんどの者が引いていく。
ちなみに、質問の内容も木乃香とその使役魔獣たちに関するものが多かった。
ごく少数、しつこい者や王女本人に興味を持つ者もいたが、こちらは王女の周りの人々と使役魔獣たちがきっちりと撃退し、脅して諭して言い聞かせている。
そんなわけで今までにないくらいにナナリィゼの周辺は静かで、ナナリィゼも、お供でついてきたサヴィアの魔法使いたちも、勉強や調べ物がものすごくはかどっていた。
ナナリィゼのために付いてきてもらったようなものなのに。迷惑をかけっぱなしでほんとうに申し訳ない。
「オーカのことは気にしなくて良いわよ。あの子はあれで慣れてるから」
こうなると思ったわ、とシェーナが苦笑する。
「研究者っていっても、それぞれ専門分野が違うからね。あの人たちの研究対象は“流れ者”とか使役魔獣とかなのよ。つまりはオーカのことよね。オーカはまた中央に戻るって言っているから、その前に少しでも情報やら意見やらが欲しいんでしょ」
これでも、最初に比べれば常識的で落ち着いたものになったのだという。
木乃香とその使役魔獣たちは慣れたもので、上手く適当にあしらっている様子だった。
嫌な事は嫌だときっぱり断っているし、周囲だって度を超してくると止めに入っている。
……なるほど。だから魔法使いに追われていたナナリィゼのことも、あんなに親身になって助けてくれたのだろう。
「オーカと比べちゃうと、姫様のことは興味がない訳じゃないけど今はそれどころじゃないって感じだと思うわ」
「だなー」
「……」
クセナがシェーナの言葉に深く頷いている。
会話が聞こえたらしい木乃香が、困ったようにちらりと振り返った。が、言い返すことはできない。
ナナリィゼもどう反応して良いのか分からず、眉尻を下げた。
「そもそも、ちょっと魔法力が多かったり強力な魔法が使えたりするだけで大騒ぎする研究者は、こんな辺境に来ないからねー。王都のほうがずっとそんな魔法使いの数が多いわけだし」
「ラディアル所長も、それで姫様に勧めたんだと思うよ」
そういえば、ラディアル・ガイルもオーカもシェーナもクセナも。シルベル領で遭遇した“魔法使い”たちのような熱くてねっとりとした視線を、ナナリィゼに向けたことはなかった。
たとえば、シェーナの研究内容は、結界や魔法陣の解析と構築だという。
シルベル領にいたときも、カルゼの持っていたサヴィア風の魔法陣に歓喜の悲鳴を上げたり、天幕に刻まれていた保護や清潔保持の仕掛けを凝視したまま動かなくなり、撤収の際になかなか片付けられなくて周囲を困らせたりしていた。
彼女も研究対象としてのナナリィゼには興味がない内のひとりなのだろう。
ここの研究所では、ナナリィゼ・シャルは特別ではない。
“ちょっと”魔法力があって強い魔法が使えるだけ、なのだ。
そう思えて、ナナリィゼは小さく息を吐き出す。
口に出していれば、サヴィア王国の誰かが「いや、“ちょっと”の基準がおかしい」と頭を抱えそうな言葉ではあったが。
彼女にとってここの生活は、以前と比べてもずいぶんと気楽で、そして自由で有意義に感じる。
気を遣われているが、必要以上に遠巻きにされているわけでもない。
急遽用意してもらった部屋は、一国の王女が寝泊まりするにしては狭いかもしれないが、野営の天幕よりは広いし、窓から中庭が見下ろせる景色の良い場所だ。
椅子に座って生活するのが慣れないと呟けば、シェーナと彼女の友達のお姉さま方が直に座っても差し支えない清潔な絨毯を手配してくれ。
そんな彼女たちに勧められて“オーカの使役魔獣を愛でる会”に入会してからは、むしろ名前の分かる顔見知りや親しくおしゃべりできる人が一気に増えた。
使役魔獣たちと戯れている美少女の図がたいへん尊く微笑ましいと鑑賞されている側でもあるのだが、もともと注目されることが多い彼女にはあまり気にならない程度であった。
姫様のお話はもう1話、続く予定です。
まだ出来てませんけど…。




