こんな帰還とただいまの言葉・3
今回は主人公不在でお送りします。
シルベル領、領都ジラノス近郊。
この見晴らしの良い原っぱで現在、サヴィア王国軍とフローライド中央軍がぶつかり合っていた。
ジラノスがサヴィア軍に降伏したことで、シルベル領での情勢は大きくサヴィア側の優位に傾いた。
ジラノスと、すでにサヴィアの支配下だったリュベクとその周辺の町、そこに駐留していたサヴィア軍、それから近くに布陣していたシルベル領の地方軍まで加わって、フローライドの中央軍は完全に包囲されてしまった形だ。
さらにここへきて、レイヴァンの国境沿いに留まり続けていたはずのサヴィア王国軍の本隊までが南下し、姿を現わした。
現状報告を怠っていたせいで、フローライド軍には中央や他の領から援軍が来るあても見込みもまったくない。
もともと慢性的な物資の不足やら上官への不満やらで士気が下がっていたところの追い打ちである。
なけなしの戦意は、これで根こそぎごっそりと無くなってしまった。
フローライド軍内では逃げ出したりサヴィア軍に投降したりする者が後を絶たない。
進退窮まったフローライド軍の残りが焦って戦いを挑んできたのが、今であった。
正直なところ、仕掛けてくるなら決断するのが遅かったなというのがサヴィア側の感想である。
圧倒的な兵力の差ができてしまったし、逃げてきた兵士たちから情報を聞き出していたサヴィア側は、相手方の内情を詳しく知っているのだ。
とはいえ、油断はしていない。
数はかなり減っているが、追い詰められた者の反撃は侮れないものがある。
指揮官が上級“魔法使い”であることは変わらないし、捨て身、あるいはヤケクソというのはけっこう厄介だと知っているからだ。
そして。
そんなフローライド軍とサヴィア軍がぶつかるその最前線。
「なんでオレが留守番なんだよ!」
サヴィア王国軍第四軍副団長、サフィアス・イオルが自身の右腕を振り上げる。
彼は火属性の魔法の使い手である。手のひらを前方に向けて左右に振れば、その先に深紅の炎が放たれた。
どうして魔法使いが前線にいるんだ、という敵方の悲鳴が聞こえたが、そんな向こうの都合は知らない。
「留守番なのは、当たり前だろうが」
そう返したのは、第二軍軍団長のジュロ・アロルグである。
こちらも最前線で自身の得物である大槍を軽々と持ち上げ、サフィアスから少し離れた場所で豪快に振り回している。
「団長が不在の時に軍を率いるのは副団長だぞ、サフィアス・イオル」
何をいまさら、と呆れるジュロ・アロルグを、サフィアスはきっと睨んだ。
「ジュロ団長がいるじゃないですか!」
彼がイライラと右手を振り下ろす。
すると今度は細長い、鞭のような炎がその手のひらから伸びた。ヘビのように不規則にうねるその炎を受けて、近くにいた敵の兵士たちが慌てて逃げ惑う。
「おれは第二軍の団長。四軍までは知らん」
ジュロも槍の刃先をぐるりと頭上で一周させ、そして勢いよく下から上へと振り上げた。引っかかった兵士が、悲鳴とともにぽーんとどこかへ飛んでいく。
「……そもそもだ。姫が行くっていうのに、なんで自分が行けると思っているのかがわからんぞ」
「姫が行く、っていうのがそもそもおかしいでしょう。危ないじゃないですか」
「危ないのはおまえだ」
ジュロがはあ、とため息をつく。
向こうの兵士が複数で向かってきたので、ついでに自分の大槍で相手の武器を払い落とし破壊しておいた。
さすがに一般兵には魔法で強化した武器や魔法の特性を持たせた武器の持ち主はいないらしい。ただの大槍でも壊せるのだから、楽なものだ。
……最前線でこんな不毛な会話が続けられるくらいには。
もっとも、他の味方の兵士たちは「なんでこんな場所でのんびり無駄口叩けてるんですかー!」と思っていたし、じっさいに口に出して訴えてもいたのだが。
「あのな。ユーグたちはな、“交渉”に行ったんだよ。ケンカしに行ったわけじゃない」
「おれは……っ」
「相手がイライラするような態度しか取れない、命令も聞かないおまえを連れて行けるわけがないだろう。どう考えても」
味方の兵士たちが数名、団長の言葉にこっそりと頷いた。
このサフィアス・イオル。
ユーグアルトらに置いて行かれてから、苛ついているのを隠そうともしていなかった。
そして遅かれ早かれキレるだろうなと誰もが思っていた。想定の範囲内である。
刃向かってきたフローライド中央軍は、ちょうど良い鬱憤晴らしだ。
しかし。
予想していたとはいえ、仮にも第四軍の副団長を拝命している者が、自分の思い通りにいかないからといってあからさまに不貞腐れているのはどうかと思う。
第四軍は他の軍の補佐に加えて、新兵の教育も任されている部署である。
本来なら彼くらいの年齢になると、それが士官であればなおさら、第四軍から他の軍に移って経験を積むのが普通だ。
サフィアスがずっと四軍に止め置かれているのは、彼のこの性格ゆえである。
協調性とか人付き合いの仕方は、入団当初からまったく上達しない。
剣と魔法の腕だけ、やたらと上達してしまったものだから軍に留め置かれているが、そうでなければ追い出されているところだ。
相手が上司だろうと何だろうと、言いにくいこともずばずばと指摘してはケンカを売っているので、一部の兵士には変に人気もある。
鬱憤が溜まっていたのはジュロ・アロルグと第二軍の兵士たちも同じだ。
長い間、思い切り攻めることも撤退することもできず、故郷から遠く離れた土地に留まっていたのだから。
ちなみに。ジュロはユーグアルトに付いて行こうとも思わず、すすんでここに残った。
フローライドとの交渉などという神経を使うような仕事は、ジュロも出来るわけがない。
ジュロがぶんぶんと大槍を振り回していたら、敵から飛んできた風魔法のかまいたちが、その風圧に負けてかき消えた。
「お、なんか当たったか?」
消した本人は気付いておらず、片眉を上げる。
サフィアスが呆れたようにとなりの軍団長を見た。
「大当たりですよ。ジュロ団長の勘、ほんっと馬鹿みたいですよね」
「仮にも上官に向かって馬鹿はないだろ馬鹿は」
「褒めてるんですよ。―――おい!」
心がこもらない、とてもいい加減な返しをしてから、サフィアス・イオルふと表情を引き締めた。
「四軍の魔導部隊に伝言。敵軍後方、指揮官の左側にあちらの魔法部隊確認。魔法の射程距離に注意しろ。魔法防御も展開だ」
「わかりました!」
少し後ろにいた兵士が元気に返事をして後方の魔導部隊へと走っていく。
第四軍の魔導部隊は副団長のサフィアスが指揮をとっていた。本来は魔導部隊隊長であるカルゼ・ヘイズルの役目だが、彼も居ないのだ。
ジュロ・アロルグは、それとなく周囲を見回した。
若く経験が浅い兵士が多いのが四軍だが、なかなか統制がとれていて動きも良い。
実戦経験の多い二軍の邪魔をせず、かといって後ろに下がりすぎることもなく、うまく共闘できているようだった。
「……戦場ならちゃんと“副団長”してるのに。姫の前だとただのくそガキなんだよなあ」
残念な気分で、サフィアス・イオルの背中を見守る。
「こじらせてんなあ」
若者がもだもだするのも、ただ見ている分には楽しい。
しかしそのとばっちりでサヴィア王国軍が自滅というのは勘弁してほしいと思う。
それはもう、切実に。
飛んできた風魔法をまたしても勘で弾き飛ばしながら、ふと思い出したのは、クセナ・リアンというフローライドの少年―――十代半ばの魔法使い見習いである。
ミアゼ・オーカが寝ていた間、彼女の天幕に入り浸っていた彼は、同じく入り浸っていたナナリィゼといつの間にか仲良くなっていた。
王女という身分と魔法力の大きさから遠巻きにされることが多かったナナリィゼは、本人も人付き合いがあまり得意ではない。
だというのに、クセナとはいつの間にか、仲良くなっていたのだ。
この間、ふたりに赤いドラゴンまで付いてきて「使役魔獣に乗って一緒に空を飛んでもいいですか」と聞きに来たときには、ジュロもユーグアルトもとっさに返事ができずにぽかんとしてしまったものである。
クセナは幼い弟妹がいてもともと面倒見が良い性格らしいのだが、たしかにナナリィゼの前でも気の遣い方が“お兄ちゃん”だった。
仮にも一国の王女相手にそれもどうかと思うのだが、ナナリィゼも気にしていないようだ。むしろ、いままでに同世代の友達がいなかった彼女はちょっと嬉しそうである。
サフィアス・イオルはクセナ少年に負けている気がする。
なんかもう、いろいろと負けている。
「はーあ。気になる子にちょっかいをかけて怒らせてるとかもう、どっちがガキだか……」
「なんか言いましたかねえええ」
サフィアスがジュロをぎろりと睨んだ。
苛立ちまぎれに出した炎で、敵兵を威嚇しながら。
そう、威嚇。
彼が魔法で作り出した炎は、見た目は派手だが普通の炎と同じだ。その威力や燃えている時間も、大きな松明を振り回したり投げたりするのと変わらない。
しかも相手は魔法大国フローライドの兵士。サヴィア軍より魔法にも強い加工がされた装備を身に着けており、ちょっと火傷を負わせるくらいがせいぜいである。
もう少し大きな炎を出すこともできるが、不用意に使えば味方の兵士を巻き込む危険があるし、それで魔法力不足になって動けなくなれば、笑い話にもならない。
サフィアスもそれは分かっていて炎を使っているわけだが、思った以上にあちら側の被害が少ないようで、面白くなかった。
フローライドも、条件は大して変わらない。
いくら魔法大国とはいえ、そこの“魔法使い”誰もが地を裂き天を割るようなものすごい魔法を使える訳ではないし、限度だってあるのだ。
いま、こうして敵と味方がぶつかり合い入り乱れる前。もっと言えばサヴィア王国が侵略目的で国境に現れた時点でそんな大魔法が出なかったということは、そんな便利な大魔法を使える“魔法使い”はいないのだろう。
少なくとも、この辺りには。
フローライド軍の指揮官であるベニード・グラナイドは土属性の魔法の使い手なのか、先ほどから地面を凹ませたり逆に膨らませたりしてサヴィア軍の進路を阻んでいる。
予想がつかない上に、石が混じった土が降ってくるとなかなか危なくて厄介ではある。
しかし、数少ない自軍の兵士までがそれに巻き込まれて被害を受けているようだった。
土属性以外にも、他の“魔法使い”たちによるものと思われる風だの火だの水だのの魔法も先ほどから飛んでくるのだが、大した威力ではない。
ベニード・グラナイドの土魔法にほかの“魔法使い”たちが配慮しているのか、あるいはベニード・グラナイドが他の邪魔をしているのか。
どちらにしろ、戦術もへったくれもないただの力業である。
「ああいうとこ、残念だよなあ」
日頃から「頭脳労働はほかのヤツの役目、おれは知らん」と堂々と胸を張る第二軍の軍団長でさえ残念だとつい言ってしまうくらい、残念であった。もったいない。
もっとも、ひと昔前のサヴィア軍であれば、魔法でこれだけ地面が揺れていれば動揺し混乱して早々に撤退を決めていたかもしれない。
ナナリィゼ・シャル王女が生まれるまで、サヴィア王国はそれくらいに魔法に馴染みが薄く、得体の知れないものとして必要以上に恐れていた。各軍に組み込めるほどの魔法使いの数も、実力も足りていなかった。
現在のサヴィア王国軍には、この程度の魔法が使われたくらいで狼狽える兵士はいない。
魔法大国フローライドの“魔法使い”といえども、同じ人間である。使える魔法、持っている魔法力には限りがあることを、彼らはもう知っている。
相手は広範囲の地面をけっこうな時間、ぼこぼこ動かしているのだ。かなり疲れてきているはずである。
「―――そろそろかな」
ジュロ・アロルグとサフィアス・イオルら先陣は、陽動だ。
派手に動き、注意をひきつけ、決して深入りはしない。
魔法が主力の相手になるべく無駄に魔法を使わせて、消耗させる。そうして戦力を削いだところで、一気に叩く。そういう作戦だった。
兵の数は圧倒的にこちらが多いのだ。何も考えずに真っ正面から突っ込んでも勝てたとは思うが、あえてこの戦い方にした。
心の底から気が進まない戦だった。
なんの意義もない、利益すらも生まない戦いだった。
こんな戦場で無意味に死んで構わない兵士は、誰一人として連れて来ていない。
あきらかに敵方の魔法の質が落ちてきた頃を見計らい、ジュロ・アロルグが手を振り突撃の合図を出す。
その直後。
彼の横を、恐ろしい速さで走り抜けた者がいた。
「どおおあああぁぁぁっ、どっっきやがれおらあああああっ」
腹の底からの唸り声のような雄叫びのようなものを上げて馬で駆けていくのは、バドル・ジェッド。
サヴィア王国軍第四軍、もうひとりの副団長である。
その気迫に恐れをなしたフローライドの兵士たちが、悲鳴を上げて散り散りに逃げていく。
馬を走らせたまま、バドルは手にしていた槍を投げうった。
槍にしては小ぶりだが矢よりも重く力強いそれは、真っ直ぐに敵将ベニード・グラナイドめがけて飛んでいく。
もう少しで相手に届くというところで、しかし槍は透明な壁に刺さったかのようにぶるぶると震えて不自然に止まり、やがてぽとりと落ちた。防御の結界でも敷いていたようだ。
ちぃっと忌々しく舌打ちしたバドルが今度は背負っていた大剣を抜き放った。
サヴィア王国のなまりなのか卑語か、育ちの良い者が聞けば顔をしかめそうな言葉を荒々しく吐きながら、敵に向かって突っ込んでいく。
少し遅れて、彼の後ろをサヴィアの兵士たちが慌てて追いかけて行った。
日頃はごつい岩壁のように黙ってじっと端に控えている事が多いバドル・ジェッドは、しかしひとたび戦場に出ると人が変わったようになる。
どちらかと言えば、好戦的で口が悪いこちらが素に近い。
それが階級が上がるにつれ周囲に諭され教えられ、ぼろが出ないように気をつけていたら、別人のように口数が少なく大人しくなってしまったというのが日頃の様子であった。
残念なことに、冷静沈着も表面の薄皮一枚だけである。何かあればすぐにはがれてしまう。
戦場に立っている以上、上品にばかりしていられないのは仕方ないにしても、これは知らない者なら二度見三度見してしまうくらいの豹変ぶりだ。
かろうじて表面が取り繕えているが振り幅が激しいバドル・ジェッドと、裏表はないが取り繕うべき場面でも取り繕わないサフィアス・イオル。
どっちもどっちである。
ユーグアルトはこんな彼らの上でよく団長なんてやってられるよな、とジュロ・アロルグは感心してしまう。
「っていうかバドル! おまえ、ひとりで飛び出すなって!」
「抜け駆けはなしだぞ!」
抗議するように大槍を振り回したジュロも、バドルに続く。
すぐにサフィアスも後に続いて駆けていった。
……そんなサヴィア王国軍の後方。
我先にと敵陣に突っ込んでいく上官たちを、彼らの下につく補佐官たちが諦めの境地で眺めていた。
「うちの団長たち、なんでいつも先陣きろうとするかな」
「指揮官なら指揮官らしく、たまには後方でどんと構えてればいいのに……」
はあ、とため息がこぼれる。
ここでいちばん地位が高いのが、いちばん先頭で戦っている彼らである。
彼らが「自分たちが先頭に出る」と強く主張すれば、いまのサヴィア軍には止められる人間がいない。
団長たちが先頭に立てば、軍の士気はものすごく上がる。それは間違いない。
実力があるのも知っている。そうでなければサヴィア軍で出世などできない。
そして前に出ることで失う部下をひとりでも減らすことが出来ればそれでいいと思っている、実はけっこう情の厚い性格をしていることも知っている。
だから、兵たちもついて行くのだ。
……のだが。
「けっきょくあの人たち、後ろでじっとしていられる性格じゃないんだよなあ」
「だな」
「まあよく耐えたほう……かな」
「いや、上に立つ人間なら、もう少ーし忍耐鍛えたほうが良くないか?」
誰かの呟きに、誰もが深く頷いた。
「あーあ。ユーグアルト団長、はやく帰ってこないかな……」
自分たちじゃあの人たちを抑えるのは無理です、と。
敵陣に突っ込んでいった上官たちにはもちろん聞こえていない、切実な願いであった。
ちなみに。
目の前の敵についての不安や心配は、誰もなかった。




