どんな思惑と蒼黒の瞳・13
ちょっと説明くさい回です。
気が抜けたのか、泣き疲れたのか、あるいはいろいろと限界だったのか。
たくさんの人の前で大泣きしてしまったあと。気を失うように寝てしまった木乃香が次に目を覚ました時には、そこはサヴィア王国軍の天幕ではなかった。
板張りの床と板張りの天井の、フローライドでは普通の部屋、普通よりは少し大きめの寝台。窓の外はいろいろな地域の要素が入り交じった建物が、ごちゃごちゃと、けれどもそれなりに整然と並ぶ街。
シルベル領領都ジラノス。
その、領主の館の一室に、彼女は寝かされていたのだ。
☆ ☆ ☆
「は、恥ずかしすぎる……」
サヴィア王国軍にあっさり(?)捕まり。
運ばれた先で、逃げるどころか寝っぱなし。手厚くお世話までしてもらい。
ラディアル・ガイルにシェーナ・メイズ、クセナ・リアンとルビィまで巻き込んで。
でもって、いい年して大勢の前で大泣きし、泣くだけ泣いてまた寝るとか。
仕方がない部分は多少、いやけっこうあるとは思う。
だからといって、木乃香の穴があったら入りたい気持ちが無くなるわけではない。
穴は無理でも、せめて少しの時間でいいから放っておいて欲しい。ひとりでちょっと落ち込んで反省したい。
木乃香のささやかな願いは、残念ながら叶えられることはなかった。
起きている彼女を見るなりぱあっと顔をほころばせ。急がなければ消えてしまうとばかりに慌てて駆け寄り、手をぎゅうっと握ってくるナナリィゼ・シャル王女。
他、それなりの人数が彼女の周りにいたからだ。
木乃香の状態を見て、サヴィア軍の遠征用の天幕ではなく、ちゃんとした場所で休ませたいと主張したのはラディアル・ガイルだ。
天幕の居心地が悪いというわけではなかったと思うし、サヴィア軍の人々もむしろ丁寧に扱ってくれていた。
しかし慣れない環境で慣れない人々に囲まれているというのは、体調が悪いときならなおさら、きついものだ。
できることなら、ラディアルは本気でマゼンタ領の魔法研究所に連れて帰りたかったが、これもさすがに無理だ。
しばらく魔法力が空っぽに近い状態が続いていた彼女の身体は、本人が思う以上にかなり参っていたようなのだ。
とはいえ、これに特別な治療方法はない。
魔法力がすぐに回復できるような便利な方法はないので、ひたすら寝るしかないのだ。
逆に言えば、魔法力を使わずに休んでさえいれば、いずれはちゃんと回復する。
少しでも早く回復させるため、居るだけで魔法力を消費してしまう使役魔獣たちも一時的に封印である。
使役魔獣たちはかなり渋っていたようだが、ラディアルが説得したらしい。
大きなお師匠様がわざわざ腰を曲げて、小さな使役魔獣たち相手に真面目に言い聞かせている姿が、傍目にはなかなか笑――大変そうだったと、後でシェーナ・メイズが教えてくれた。
そして木乃香は、そのへんの騒ぎやら周囲のざわつきやら移動中の振動やら、まったく気付かずに寝ていた。
おかげで、寝過ぎによるだるさはあるものの、身体は少し軽く感じるようになった。
……身体だけは。
いったい、誰にどれだけ迷惑をかけているのか。考えただけでもう一度気絶したくなる。
心も同じくらい軽くなればいいのに、と遠い目をしかけた木乃香の視界に、茶色のふさふさが入り込んだ。
ナナリィゼの後ろからするりと顔を出したのは、使役魔獣のスプリルだ。
ライオンのような鬣にオオカミのような尻尾。大型犬くらいの大きさのそれは、木乃香の使役魔獣たちの代わりなのだろうか、音もなく王女に寄り添って、ふっさりとした尻尾やもふっとした身体を擦りつけていた。
……少し離れた場所に立っている召喚主のカルゼ・ヘイズルに言われたのだろうか。
好きでじゃれているというよりは、やれと言われたから体をくっつけています、という淡々とした感じがした。
最初から人懐こい木乃香の使役魔獣たちと違って、スプリルはそんな風に作られているわけではないだろうに。躾が行き届いた賢い使役魔獣だ。
そして、サヴィアの者がもうひとり。
「身体の調子はどうだろうか。顔色は戻ってきたな」
ほんとうに申し訳なさそうに、心配そうに、そして少し疲れたように、妹と一緒になってこちらをのぞき込んでくる黒髪の男性、ユーグアルト・ウェガである。
ナナリィゼの兄であるその人の名前を、木乃香はここでようやく知った。
サヴィア王国の王女であるナナリィゼの兄なのだ。王子であることは間違いないが、彼は第四軍軍団長だという肩書きだけを名乗った。
市場で殺気をぶつけられたり宿屋で襲撃されたり、ろくな思い出がないが、現在の彼の表情にこちらへの敵意はまったく感じない。
明らかに丸腰だったのに、近寄られて思わず悲鳴を上げそうになったのは、申し訳なかったと思う。
そんな彼女の様子を見ていたからか。
ユーグアルトにだけ、ラディアル・ガイルが「近ーい!」となぜか怒っていた。
顔立ちが整っていることもあって、別の意味で心臓に悪いなあと思うくらいにはたしかに顔が近かった。
とはいえ、近いのは目の前の王子様だけではない。
横からナナリィゼもきゅうっと手を握ってくるし、以前木乃香が彼女に抱きついたり頬をつまんだりしてしまったときも、けっきょく何も言われなかった。
第二軍の軍団長ジュロ・アロルグだって、何の気負いもなく木乃香を抱き上げて運んでくれたのだ。
パーソナルスペースが狭いのは、サヴィア王国の国民性なのかもしれない。
……それはともかく。
ここはフローライド王国のシルベル領、その領主の館である。
そこにサヴィア王国の王族やら軍の幹部やらが、平気で出入りしていることになる。
木乃香がサヴィア王国軍に“保護”され寝ていた間。
その短期間で、ジラノスはサヴィア軍に白旗を上げてその支配下に入ったらしい。
驚きはない。やっぱりなあ、という感じだ。
サヴィアからの物資があれだけ多く、堂々と出回っていたのだ。とっくに下地はできていたのだろう。
その下地や根回しがあったにしろ、直接的なきっかけを作ってしまったのは木乃香なのだが。
もちろん彼女には、そんな自覚はまったく無いのだった。
窓から見える範囲では、建物や街道などにも壊れた部分は見当たらない。
街はいつも通りに、いや彼女が知っている以上に人通りが多く賑わっているような気がした。
ちらちらとサヴィアの軍服を着た兵士たちを見かけるが、誰も必要以上に気にしていない。ここに住む人々が、サヴィアの支配をとっくに受け入れてしまっているのだ。
取り戻すのも大変だろう。
―――これは、もう時間の問題なのでは。
そう、木乃香は思った。
「それで、どうするんだ。フロルまで行くのか?」
ラディアル・ガイルが聞く。
まるで、旅行の行き先についての話でもするかのように。
木乃香たちがシルベル領に移ったのには、フローライドの“最上級魔法使い”が陣中にいると、凶悪な魔獣のそばにいるようで気が休まらない、というサヴィア側の切実な理由もあったのだが。
そんな国内指折りの最上級魔法使い様でさえ、国のことはどこか他人事だった。
彼の問いに、ユーグアルトは少し目を見開く。
しかし考える素振りもなく、すぐにきっぱりと言いきった。
「わがサヴィアは、フローライドが欲しいとは思っていない」
思わず「え?」と聞き返しそうになって、木乃香は慌てて口を閉じる。
邪魔をしてはいけない。口出しできる立場でもない。
ない、と思いたい。
「兄さま、あの―――」
ユーグアルトは、こちらも何か言いかけたナナリィゼを片手で制しながら続けた。
「正直なところ、フローライドはわが国の手に余る。というか、これ以上国土が増えても治める余裕はない」
「そのわりに、こちらの領土をむしり取っていたようだが?」
「本意ではない。信じてもらえないかもしれないが、我々はできれば穏便に撤退したかったんだ」
「たしかにまあ、進軍は遅かったな」
遅いというより、止まっていた。
その間に周辺の都市や町が降伏してくるのを仕方なく受け入れていただけだ。
「レイヴァンの砦を落としてから、妹のナナリィゼがそちらの一部の魔法使いに目を付けられたようだ」
「ああ……」
ラディアルはいろいろと悟ったらしい。
「なるほどなあ」とため息をついた。
「この国の仕組みは理解しているつもりだが。妹を他国の王に据えるつもりはない」
「だろうなあ」
このままサヴィア軍が王都フロルまで攻め上り、国王を倒すようなことがあれば。
もしくは、レイヴァンの砦のように魔法で王城を崩すことができたなら。
それだけの力を持った魔法使いは、手っ取り早く次期フローライド国王になれる資格を持つと認められるだろう。
フローライドは、国内でそのときに最も強い魔法使いを王とする国だからだ。
しかしそれがまだ世間知らずで子供のようなナナリィゼであれば、簡単に操ることができるだろうと考えた者もまた、いるだろう。
本人のやる気と支える人材の有無によっては、それでも今よりは上手く国が回るだろうが、今のサヴィアやフローライドの上層部では無理だ。
少なくとも、無理だという意見でこの両者は一致していた。
ユーグアルトは、目の前の最上級魔法使いをあらためて見る。
「……ラディアル・ガイル。あなたが王になる気はないのか? 過去には名前が挙がったと聞いている。もしその気があるのであれば、サヴィアはできる限りの支援を約束するが」
「ないな」
即答だった。
そして、ほんとうに嫌そうだった。
「おれは辺境で好き勝手やっている方が性に合っている。それに、おれが王になったところでこの国は何も変わらないだろう」
「建国以来、続いてきた制度だ。あえて変える必要はないのでは?」
「嫌味か? お前らがここにいる時点で、うまく回っていないのはわかるだろう。いっそサヴィアに乗っ取ってもらって、制度を根本から変えてもらったほうがいいんじゃないか」
投げやりな言葉に、木乃香はびっくりしてラディアルを見上げた。
日頃から愛国心のようなものは欠片も見えないお師匠様だが、かといって日頃から不満をこぼしていたわけでもない。むしろ、まったく興味がなさそうだった。
じっさい、彼の言い方は適当で無責任に思える。
木乃香が驚いたのは、そんな師の軽いはずの言葉が、妙に重々しく聞こえたからだ。
見上げれば、彼の表情もまた決していい加減なものではなかった。
「“王族”はいっぱいいるのに、王様をやりたいっていう物好きがいないんだよ。前回も、その前もな。野心があるのはその下の連中ばかりだ。それなら魔法使いだろうとなかろうと、やりたいやつがやれば良いと思うが」
「……これまでのやり方を急に変えるのは、混乱が大きい。反発もある。それを収められるだけの人材が必要だ」
「この国にいると思うか? そんなやつ」
「こちらに期待されても困る」
「ここまで来たのなら責任持て」
「その言葉をそのままお返しする」
双方、一歩も引かない。
ただしその内容は、フローライドという国の押し付け合いであった。
ありがとうございます^^




