どんな思惑と蒼黒の瞳・11
ちょっと過去に戻ります。過去の過去(汗)
木乃香さんが宿屋で気絶した後のお話。
どこかに入れたいと思いつつ、なかなか入れるタイミングがつかめなくて…。
―――時間は少し遡って。
ジラノスの宿屋での騒動の後。
我に返ったユーグアルトたちサヴィアの潜入組は、速やかに撤退する必要に迫られた。
宿からはもちろん、領都ジラノスからもである。
街の中心地であり領主の館にもほど近いこの場所での騒ぎは、すぐに知られることになるだろう。
建物が壊れたとか、怪我人が出たとかの被害はないものの、自分たちの声や魔法を使った際の衝撃は外にだだ漏れだった。張ろうとした結界を、ミアゼ・オーカが壊してしまったからだ。
こんなところでサヴィアの関係者だと知られ、万が一にも捕まるなどということがあってはならないのだ。
ここで機転を利かせたのは、我に返ったカルゼ・ヘイズルだった。
「しまったーやりすぎた!」
少し大げさなくらいの大声で言う。
そして、ドアに張り付いていた氷がなくなって恐る恐る出てきた従業員たちにも、彼は「すみません」と丁寧に頭を下げる。
幸いなことに、宿の従業員たちにも腰が抜けた以外の身体の不調や怪我はない。ミアゼ・オーカが守らなければ、おそらくここまで被害を抑えることはできなかっただろう。
気を失っている大事なお客様とその彼女にぴったりと寄り添う使役魔獣達を見てさっと顔を強張らせた従業員たちに、カルゼはしれっと言う。
「いやーすみません。久々に本格的な召喚術の使い手にお目にかかったものですから、つい力くらべに夢中になってしまいました」
―――それはさすがに白々しいのでは。
言った本人以外のサヴィアの面々はそう内心で呆れたのだが。
「ああ……そうだったんですか」
なんと、従業員たちはそれを信じた風だった。
ああ、あの迷惑なやつ、と若干冷たい視線を受けはしたが。
ここ魔法大国フローライドでは、魔法技術の向上と研鑽のためという大義名分のもと、魔法使い同士の魔法のぶつけ合い、や力くらべ、格上の魔法使いへの挑戦といったこともある程度は認められている。
他人に迷惑がかからない場所や手段でやってくれればいいのだが、たまにこうやって、街中や人が多い場所で騒ぎを起こす者もいたりする。
それを知識として知っていたサヴィア魔導部隊隊長は、そういうことだと強引な言い訳をしたのだった。
言った本人も、ちょっと無理があるとは思っていた。
とりあえずこの場をうやむやにして逃げる時間稼ぎになればいいかな、くらいの感覚だったのだが。
「彼女の使役魔獣、姿形が愛らしい上に強いんですね!」
「にゃあ」
対戦していた使役魔獣たちを褒めるようなことを言い。
それに「そうでしょー」と得意げに子猫型の使役魔獣が鳴くものだから、従業員たちはあっさりと納得した。
それだけで、納得してしまったのだ。
魔法力不足で倒れたのはこちらが悪いので責任を持って彼女の面倒を見ます、と言った彼らに対して「魔法力云々は我々にはわかりませんので、どうかお願いします」と丁寧に頭を下げて見送ってくれるくらいに。
ちなみに、その後。
お預かりしていたお客様のことなので、と宿の主人が役所に報告と相談に出向いたのだが。
「ああ、その方々なら大丈夫です。知っているので問題はありません」
あのときは「くれぐれも、くれぐれも頼む」と切羽詰まった様子で彼女の長期滞在を頼んできた領主補佐官は、この間とは別人のように鷹揚に頷いてみせた。
憑きものが落ちたような、妙にすっきりとした表情と口調だったという。
さらに後日。
その補佐官本人から報告を受け、ついでにシルベル領までまるごと捧げられたサヴィア王国軍の面々は揃って頭を抱え、もはや言葉も出てこなかった。
―――話を戻して。
そんなこんなでジラノスを意外にあっさりと抜け出した彼らだったが、自陣に戻ってからはさらに大変だった。
先に帰していたナナリィゼ・シャル王女が、ミアゼ・オーカを見て逆上してしまったのだ。
正確には。
意識がなく顔色も悪い、ぐったりしているミアゼ・オーカを見て、である。
「―――ユーグにいさま」
その場の温度が急激に上がり、ぱりっと彼女の周囲で青白い光が走った。
「ねえ。なぜその人がここにいるの?」
漏れ出した魔法力にユーグアルトは―――いや、この場の誰もが「まずい」と思った。
ジラノスから脱出するときよりも、よほど深刻に。
「なぜ、その人の意識がないの? どうして、ユーグ兄さまが抱えているの?」
「ナナ……それは」
ナナリィゼは、敵であると見なした相手に情け容赦がない。
ミアゼ・オーカはフローライドの人間で、しかも中央に籍を置く官吏で。ジラノスに潜入していた自分たちを、使役魔獣を使って探っていたのだ。
屋根から落ちてきた薄ピンクの使役魔獣を、ナナリィゼもしっかりと見ているはずである。
つまり、状況的にはあきらかにミアゼ・オーカのほうが“敵”なのだが。
「……ねえ兄さま。その人に、何をしたの?」
ひやりとして熱い薄紫の瞳が、ひたりと彼らを据える。
出迎えたときは、たしかに彼らを心配していたはずなのだが。
―――ここでサヴィア随一の魔法使いに“敵”と認定されたのは、間違いなく味方であるはずの自分たちだった。
なぜか短時間でずいぶんとミアゼ・オーカに懐いていた様子のナナリィゼである。
この状態のミアゼ・オーカを連れて帰って、彼女がどう思うか。心配しなかったわけではない。
ただ話をしに行っただけで、魔法力不足で倒れるわけがないのだ。そのあたりを上手く説明して納得させられるかどうかも、不安ではあった。
だからこそ念のため、妹王女から一定の信頼を得ていると自負していたユーグアルトが、この中でいちばん地位が高いにもかかわらず捕虜を丁寧に抱えて運ぶという対策をとっていたわけだが……あまり意味がなかったらしい。
「ナナ。ちゃんと説明するからまずは―――」
「……だからどこかで捨てていこうって言ったんだよ――――うがっ」
ユーグアルトの声に隠れるように、面倒くさそうにぼそりと呟いたのはサフィアス・イオルである。最後に呻き声がついたのは、カルゼ・ヘイズルが素早く彼の頭に拳を落としたからだ。
周囲に聞かせるつもりはなかったのかもしれないが、聞こえている。ばっちり聞こえてしまっている。
これにはさすがのユーグアルトも頭を抱えたくなった。
「……」
サフィアスの言うとおり、彼女をどこかに放置する、あるいはあの宿に置いてくる選択肢もあったとは思う。
意識がないフローライドの人間、それも使役魔獣が消えないままわらわらとくっついて離れない“魔法使い”は、たしかに早々にジラノスを出る必要があった彼らにとってはなかなかの“荷物”だったかもしれない。
が、少なくともユーグアルトはそんな風に考えていなかった。
自分たちのせいで倒れた彼女が、単純に心配だったというのもある。
ナナリィゼが懐き、その魔法力を抑えることができる貴重な人材でもある。宿屋での使役魔獣たちの動きといい、あわよくばこちら側に引き抜けないかという思いはいっそう強くなった。
それに、こんなやりにくい相手と戦場で戦う羽目になるのは全力で回避したい。
しかしそれ以上にあの場に彼女を置いていけなかった理由は、彼女が意識を取り戻したとき、彼女が掴んでいるであろう彼らの情報をフローライド側に報告されては困るからだ。
かといって、“口封じ”もあの場面では難しかった。
時間がかかりすぎるのだ。
そもそも、第四軍の将校複数が相手にしてさえ、かすり傷ひとつ付けられなかった相手である。あのまま続けていれば、やがてこちらの攻撃が通るか、もしくは彼女が命を落とすまで魔法力が枯渇する可能性もあったかもしれないが、その前にジラノスの常駐兵が駆けつけて囲まれるほうが早かっただろう。
なにより。
あれだけ攻撃されていたにもかかわらずまったく反撃してこない、むしろ誰も傷つける気がないようなお人好しを殺すなど、後味が悪くて仕方がない。
こういった理由から、ユーグアルトはミアゼ・オーカを持ち帰った。
つまり、これ以上彼女に危害を加えるつもりはまったくなかったのだが。
王女はぎゅっと眉根を寄せ、こちらをにらみつけた。
「―――ひどい。さいてい。ゆるさない」
……もはや、何を言っても聞いてもらえない気がする。
むしろ言えば言うだけ、火に油をだばだばと注ぐようなものだ。
現に、彼女から漏れ出た魔法力と熱で、普段は真っ直ぐに背中に落ちている銀色の髪がゆらりと浮き上がっていた。向こう側の景色が陽炎のように歪んで見える。
あの熱が火の玉に変わってこちらに飛んでくるのは、時間の問題であった。
半暴走、というべきか。
こうなるとユーグアルトらはもちろん、彼が抱えているミアゼ・オーカや関係のない周囲の人々にまで被害が出ることにも気がついているのかどうか。
気付いたところで、たぶんもうナナリィゼが自分で止まることは難しい。
最低でも一回、魔法をどかんと放たなければ収まらないだろう。
そうなれば、次に考えるべきはいかに被害を最小限に抑えるか、である。
指示を出すまでもなく、異変を察知した兵士たちがあちこちに伝令を飛ばし備え始める。
カルゼ・ヘイズルが、自分たちを囲むように瞬時に結界を作り出す。
サフィアス・イオルとバドル・ジェッドがそれぞれ魔法剣の柄に手を添え、身構える。それがさらに王女の怒りを煽るのは分かっていたが、自分の身を守るためである。仕方がない。
ユーグアルトは保護したミアゼ・オーカを守るべく、彼女をその場に下ろして妹王女との間に立とうとした。
―――そのときである。
ユーグアルトの横から、てててーっと王女のほうへ駆けていく赤髪の小さな子供―――いや使役魔獣がいた。
周囲の緊迫した空気も、王女を囲むすさまじい熱気でさえものともせず。
「だめーっ」
一郎は、ナナリィゼの足にぎゅうっと抱きついた。
使役魔獣は一体だけではない。
二郎は「わん」と一声だけ鳴いたあと、王女の周囲をうろうろと回ってはぴこぴこと小さな尻尾をふりたくり、もう片方の足に体を擦り付ける。
四郎は王女をなだめるように「にゃあ」「うにゃあ」と鳴きながら、氷をぽこぽこと作り出しては周囲の温度を下げていく。
二郎の頭の上に乗っていた五郎は、そこからぽんと跳ねて王女の外套にしがみつく。そしてきゅうきゅうと鳴きながら肩までよじ登った。
「え……っ、あ、なに……」
「きゅっ」
驚いたナナリィゼが制御を失ってしまった魔法力のほとんどが、肩に乗る薄ピンクの小さな体に吸収される。
かと思えば、彼らの頭上、彼らに被害が及ばない上空でぼんとはじけた。
爆発の魔法が放り込まれたかのような音に、周囲の兵士たちから悲鳴やどよめきの声が上がる。
「だめ。だめだよ。もう、このかが――」
さらにぎゅうぎゅうとしがみつかれ、赤いどんぐり眼に見上げられたナナリィゼは、その小さな体を振り払うこともできずに硬直していた。
他人の使役魔獣数体が纏わり付いて離れない。字面だけなら世にも恐ろしい出来事なのだが、目の前の光景はどうにも、なんだか様子が違う。
人型の使役魔獣は王女に向かって「だめ」と必死に話しかけているが、もどかしいくらいに片言である。ほかの使役魔獣たちも、王女に襲いかかっているというよりは、傍目にじゃれついているようにしか見えなかった。
頭上で爆発が起こったというのに、相変わらず緊迫感はあるのに、妙に緊張感がないのだ。
周囲もどうして良いかわからず、臨戦態勢のまま固まっている。
その中でも、一生懸命に働いているのが使役魔獣たちだ。
「きゅ、きゅう」
以前にも王女の肩にお邪魔したことがある五郎が、おちついて、と彼女の耳元で鳴く。
「え、あ、ご、ゴロー?」
「きぅ」
小さなモノに囲まれたナナリィゼは、はっと我に返ったようにぱちぱちと瞬きをした。
「このかは、もうむりなの!」
彼女の足にしがみついたまま、一郎が言い聞かせるようにゆっくりと話す。
「だから、おさえて」
「にゃあ」
反対側の足元で、四郎と二郎が不安げに見上げている。
四郎がふよふよと尻尾を揺らめかせるたびに、周囲の温度が少しずつ下がっていく。
熱に浮かされてぼうっとしていたナナリィゼの頭の中も、少しずつはっきりとして物事を落ち着いて考えられるようになってきた。
使役魔獣たちを見、それからユーグアルトに庇われているミアゼ・オーカを見る。
この騒ぎでも目を覚まさず、ぐったりとして動かない彼女の顔は白い。
なんだか、余計に白くなったような気もする。
もしかして―――もしかしなくても、たぶん、ナナリィゼを抑えるために。
我に返ったナナリィゼは、しゅんと肩を落とした。
「あ……、あの、ごめんなさい」
「うん」
「……っ」
「うにゃー」
「きぅ」
消え入りそうな声で「ごめんなさい」と呟いた王女に、使役魔獣たちがほっとしたように、あるいは満足そうにそれぞれの反応を返す。
「おさまった、のか?」
「え、被害ゼロでおさまった……」
王女の暴走魔法がいつ飛んでくるかと身構えていた周囲の兵士たちが、最初はぽつりぽつりと、それからすぐにざわざわと話し始めた。
カルゼ・ヘイズルも呆然と呟く。
「……あの魔法力を…逃がした?」
ナナリィゼの魔法力の暴走がいつもよりあっさりと終わったのはもちろん驚いたが、それよりも驚いたのは頭上の爆発である。
あれは、間違いなく王女の魔法力だ。
彼女から漏れ出ていた魔法力が、あの使役魔獣たちがまとわりついてから、風に吹かれた煙のようにふっとかき消えた。と思ったら、いきなりどかんと放たれた。
自分たちがいる前でも兵士たちがいる後ろでもなく、誰も怪我をする心配がない上に向かって。
「力の方向を変えた? いや、あれは放つ前の段階だったが……」
しかも一瞬消えた。
勘違いでないと思うが、あの強大で暴力的な力が一瞬は消えたのだ。
あの使役魔獣達が“何か”をしたのか。だとすれば何をどうやったのか。
―――実際に見ても、理解できない。
ただ。
ジラノスの北市場でナナリィゼの魔法力を抑えたのはやはりミアゼ・オーカとその使役魔獣だったのだと、それだけは確信できた。




