どんな思惑と蒼黒の瞳・8
本日4/3、書籍1巻発売です^^
「それでな」
ジュロ・アロルグが少し口調を変えて続けた。
「目が覚めて早々、申し訳ないんだが、ちょっと確認してもらいたいことがあるんだ。一緒に来てもらってもいいか?」
「はあ。確認、ですか」
「少し前に捕らえた者たちがいるんだが、お嬢さんの知り合いだと言っている。どう見ても軍の関係者ではなさそうだし、そもそも女子供相手ではなあ…。ちょうどお嬢さんが目を覚ましたことだし、とりあえず確認してもらって、それから扱いを考えたいと思うんだが、どうだ」
「……わかりました」
こんな国境、しかもサヴィア王国軍内に、“知り合い”で“女子供”?
頷きながらも内心で首をかしげる木乃香の服を、くいくいと引っ張ったのは一郎だった。
「いっちゃん、どうしたの?」
子供姿の使役魔獣は、彼女の腰に抱きついたままだった。
赤いふわふわの頭を上げて、大きな目で彼女を見上げてくる。
「このか、るびぃがきてる」
「……え」
ルビィ。
それは聞き間違いでなければ、使役魔獣の名前ではなかっただろうか。
マゼンタの王立魔法研究所にいるはずのクセナ・リアンが召喚した、赤いドラゴンの。
「ええっ、どうして⁉ ま、まさか子供って―――」
くああああっ、と。
ここだよー、とでも訴えるような、ドラゴンの甲高い鳴き声を聞いたような気がしたのは、その直後のことだった。
☆ ☆ ☆
「だからさっさと逃げなさいって言ったのに」
シェーナ・メイズがぼそぼそと呟く。
その隣で、クセナ・リアンはむっと顔をしかめた。
「できるわけないだろ。女をひとり残して逃げるとか、どれだけかっこ悪いんだよ」
「そんな男前な発言はまだ早いわよ。もう、カヤさんになんて言ったらいいか……」
「うちの母さんだって、ここで一人で逃げたら絶対怒るって」
ここは、サヴィア王国軍の駐屯地。無数に張られたテントのうちのひとつだ。
少し薄汚れたような、くすんだ白い布が張られた天井。
その天井を支える大きな支柱に、シェーナ・メイズとクセナ・リアンが括りつけられていた。
少し離れた場所で寝そべるルビィの四肢と翼にも、支柱から伸びる紐がぐるぐる巻きにされている。元気がないのは縛られて動けないからか、あるいは主を守れなくて気落ちしているのか。
拘束しているのはただの紐ではない。魔法力を封じる効果がある魔道具だ。
これに触れている限りは魔法を使おうとしても魔法力を瞬時に吸い取られて発動できないという、非常に厄介な代物である。
ただの紐ならさっさと燃やして脱出しているのに、とクセナは奥歯を噛みしめる。
この対魔法使い用の捕縛紐は作るのにかなり手間暇がかかるので、フローライドでも希少品の高級品だ。
地方軍で使われるようになったのもごく最近だというのに、すでにサヴィア軍が持っているとは思わなかった。
さすが魔法大国フローライドに攻め込んでくるだけのことはある。
「でもね、リアン」
「それにおれ、あのクマから逃げられると思えなかったんだけど」
ため息混じりにクセナが言えば、シェーナもため息混じりに呟いた。
「……そうね。そうかも」
マゼンタ領に野生の熊は生息していないが、マゼンタの荒野にはクマ型の凶暴な魔獣なら生息している。
肩や腕回りが異様にゴツくて力がやたらと強い。そして普段は二足歩行でのしのしと歩くくせに得物を見つけたときや逃げるときは四足で、その巨体からは想像できないほどの早さで走って行く。雑食でクセナの集落の果樹園をときどき荒らしに来る、厄介な害獣だった。
で。そんなクマ――ではなく、クマを連想させるあの大男さえいなければ。
あるいは、潜入はうまくいっていたかもしれないのに、と思うのだ。
シェーナ・メイズとクセナ・リアンのふたりは、使役魔獣のルビィに乗って、意外と簡単にサヴィア王国軍の駐屯地付近までやってくることができた。
空を飛ぶという経験がなかったシェーナのため、いつもよりゆっくりと静かに飛んでいたのだが、それでも早駆けの馬を余裕で追い越せるくらいには速い。
しかもこのルビィは、オーカの使役魔獣たちがどこに居るか、大まかなところまでは分かるのだ。
それをもとにサヴィア軍のどこに彼女が居るか探り、隙をみて助け出せば万事解決である。
そう、ふたりは思っていたのだが。
シェーナは、自分たちの姿を魔法力の気配まで含めて隠すことができる魔法陣を展開していた。これのおかげで、近づいてもルビィの赤くて派手な体はもちろん、ふたりの姿も見つかることはなかったし、軍の魔法使いたちに魔法の気配で気付かれるということもなかった。
だから、いきなり自分たちめがけて槍が飛んでくることも、まったく予想していなかったのだ。
あまりに驚いて、そのときに魔法陣が解けてしまったのが悪かった。
幸いにして槍で負傷することはなかったが、合わせて防御の結界を敷いていなければ、危ないところではあった。
ここに来るまでが簡単すぎたので、少し油断もしていたかもしれない。悔しいがそれは認める。認めるのだが。
「わたしの魔法陣に勘で気付くヤツがいるなんて思わなかったわ…」
サヴィア軍には二郎並みの感知能力の持ち主がいるのかと警戒していたら。
槍を投げた本人は、そこに魔法陣があるとか誰かが隠れているとか、少しも気付いていなかった。
彼は魔法がまったく使えないし、魔法力もなかったのだ。
なんとなく変な感じがした。
クマ男は地面に突き刺さった槍を回収しながら、そう言っていた。
「残念だったな。おれはカンだけはいいんだ!」
「勘が良いにも、程度ってものがあると思うのよ……」
野生の動物よりよほど感覚が鋭いといわれる荒野の魔獣にだって、気付かれたことがなかった魔法陣である。まさかヒトに勘付かれるとは思わないではないか。
あと、“なんとなく”で槍を投げないで欲しい。
がっはっは、と屈託なく笑った男に対して、シェーナは思わず呟いたのだが。
彼女の恨み言に、なぜか周囲にいたサヴィアの軍人たちもうんうんと頷いていた。
とはいえ、その後は拘束されたものの暴力らしい暴力もなく。
いくつか質問されそれに答えれば、フローライド軍の関係者ではないと理解されたのか、ひどい尋問を受けるなどということもなかった。
むしろ、テントの入り口に立つ見張りには「ごめんな。窮屈だけどもう少し我慢してくれ」と気遣われてしまった。
サヴィア軍に捕まった捕虜の待遇はさほど悪いものではない―――シルベル領に入ってからなんとなく聞いていたこの噂は、間違いではないのかもしれない。
「オーカも……大丈夫よね?」
少し不安げに呟かれたその言葉に、クセナ・リアンは頷いた。
「何かあったら、ルビィだってもっと騒いでるよ」
「……そっか。そうよね」
ルビィはクセナの使役魔獣だが、オーカの使役魔獣たちとも仲がいいのだ。
これ以上警戒されたら余計に動きにくくなると今は大人しくさせているが、しかし彼らに何かあれば、ルビィだって黙っていない。もちろんクセナだって、その時はこのまま静かにしているつもりはなかった。
相手がサヴィア軍だろうがクマだろうが、だ。
「―――ここのテントの、どれかには居るはずなんだけどなあ」
外側から見たサヴィアのテントは色や大きさが様々だったが、どれが何に使われているテントかは、とくに見慣れていないクセナたちにはまったく分からなかった。
それでテントの上空をうろうろと迷っているうちに、槍が飛んできたというわけだ。
使役魔獣の三郎からオーカが魔法力の使いすぎで意識を失ったと聞いてから、すでに数日が経過している。いくら彼女がひどい魔法力不足でも、せめて目が覚めるくらいにはとっくに回復しているはずだ。
いくらあのミアゼ・オーカでも、敵国サヴィアの陣中に捕らわれて、どこにいるか分からないくらいに大人しいということがあるのだろうか?
なんとなく嫌な予感に、クセナが顔をしかめたときだ。
「くああああっ」
ルビィが急に頭を持ち上げ、そして甲高く鳴いた。
ここにいるよー、と知らせるように。




