どんな思惑と蒼黒の瞳・7
読んでいただきありがとうございます。
2023年4月3日、アース・スタールナ様より1巻発売です。
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魔法探知犬が吠えないということは、彼女たちにとって危険な魔法が迫っているわけではないはずだ。
しかし、警戒して唸っているということは。その可能性がある、もしくはそんな前科がある者が近くにいるということだろう。
二郎が警戒し始めた直後、テントの外側の近い場所でなにやら言い争う声が聞こえてきた。
そして「お待ちください!」という女性の強張った声とともに、テントの入り口にかけられた布がばさりと跳ね上がる。
「姫、捕虜は―――」
―――うわあサワヤカ。
テントに入ってきた人物を見て、木乃香はそんな場違いな感想を抱いた。
木乃香と同じか少し下の年齢だろうか。さらりとした明るい色の金髪によく晴れた日の空のような双眸。おとぎ話の王子様を現実に召喚したらこうなるのではという、清々しい青年がそこにいた。
しかし、彼の雰囲気までは清々しくなかった。
彼は木乃香を見て―――正確には木乃香が少女に触れているのを見て、水色の瞳をはっと見開く。そして険しい顔つきですかさず腰の小剣に手をかけた。
「きさま、何をしている!」
「え? いや……」
何をと言われても。何と言えばいいのか。
身体が本調子でないからか、展開の早さに頭がついて行けないからか…ついて行きたくないのか、鈍い木乃香に変わって反応したのは彼女の周囲だった。
一郎がベッドの上によじ登り、庇うようにして木乃香にぎゅっと抱きつく。
唸っていた二郎は、青年に向かってとうとう吠え始める。
四郎もベッドの上に飛び上がり、木乃香と一郎の前に出てゆらんと尻尾を立てて。
五郎もすかさず木乃香の肩に移動してぴんとひげを立て警戒をあらわにした。
そして。
「サフィアス・イオル……」
低い、低い声が銀髪の美少女から漏れ出た。
そのあまりのおどろおどろしさに、木乃香が思わず振り返る。
「姫! その女から離れてくださ―――」
「サフィアス・イオル。何度言ったらわかるの」
威圧感たっぷりに少女が遮る。
「この人は、わたしの客人なの。“その女”じゃないの。丁重に扱いなさいって言ったわよね。あなたには人の言葉を聞く耳が無いの? 理解する頭が無いの?」
「しかし、きっと姫はだまされて―――」
「あなたに、わたしの、何が分かるの」
静かな静かな、しかし暴力的な何かが内で渦巻いているような声に、木乃香は息を飲んだ。
感情だけではない。せっかく大人しくなっていた彼女の魔法力までが不穏な動きをみせている。
「っ、いや……でも」
サフィアスと呼ばれた青年が口ごもる。
少女の気迫に完全に怯んでいる、と思いきや、きっと目元に力を入れて反論した。
「姫。“その女”は敵対している国の、フローライドの人間です。疑うなというのは無理だ」
「……っ、あ、あなたは」
ふるっと肩をふるわせた少女に、木乃香は「ああまずい」と思った。
「あなたはわたしの言葉なんか最初から聞こうともしない。聞く価値がないとでも思っているのでしょう」
「そんなことは―――」
「サヴィアの軍人も、偉くなったものね」
「……っ、侮辱するのか…っ」
ああ、このふたりに会話をさせたらダメだ。そう悟ったがもう遅い。
二郎が「ううー」と唸る。
五郎が「きゅぅ」と少し申し訳なさそうに鳴いた。
―――もう、本当にまずい。
荒れ始めた魔法力でテント内の少ない調度品がかたかたと震え始めるのを見て、木乃香は再び意識が無くなることを覚悟した。
のだが。
「邪魔するぞ!」
大きな声とともに、入り口の布が再びばさりと跳ね上がる。
入ってきたのは、とにかく大きな壮年の男性だった。
寝台の上からはもちろん、おそらくは立っていてもずっと見上げなければならないほどの長身。岩のような体つきは見るからに固そうで、とくに肩や腕回りががっしりと太い。
大男は窮屈そうに身をかがめてテントの入り口をくぐり、ずんずんと音がしそうなほど実質的に重い足取りで、遠慮なく木乃香たちの居る場所までやってきた。
そして何も言わず、がしっとサフィアスの襟首をつかむ。
「えっ、ちょ、だんちょ―――」
「ここには立ち入り禁止だと言っただろうが、サフィアス・イオル」
「し、しかしあの女が――」
「言い訳は聞かん。命令違反だ」
隣に並ぶ大男に比べればどうしても細く頼りなく見えてしまうが、サフィアスは決して身体が小さいわけではない。剣を腰に下げているくらいだから、鍛えてもいるのだろう。魔法だって使える。
しかし襟の後ろをつかまれ、そのまま後ろへと引っ張られると、さすがの彼もろくに抵抗が出来ないようだった。体勢を崩して無様に倒れないようにするのが精一杯だ。
「じ…っ、首、しまる……っ」
「おい誰か! こいつを頼む」
男は外に向かって怒鳴ると、ぽいっとサフィアスを放り投げた。
ほんとうに、ぽいっと。投げるようにして、放り出したのだ。
今度はテントの外が騒がしくなったが、しかしそれもすぐに収まっていった。
大男はふう、と息を吐く。ヒトをひとり引きずったり放り投げたりしたので疲れた、というよりは、単なるひと仕事終えた区切りという感じのため息だった。
「……さて」
男は木乃香たちに向きあうようにして、どかりと床に腰を下ろした。
立っているだけで圧迫感があるので、座ってもらえるだけでかなり気分的に楽になる。男もそれを自覚しているのか、さらにこちらを安心させるような笑顔でにかっと笑った。
「申し訳無かったな、お嬢さん。あれは、ああいう性格のヤツでな。成人はしているがガキなんだ。それから姫、あんたも…まあ、あんたは正真正銘の“ガキ”だが」
「………将軍」
むっとした声で少女が男を呼ぶが、しかし先ほどよりはよほど穏やかな声音だった。使役魔獣たちの警戒が緩んで木乃香自身も楽になったので、荒れていた魔法力もある程度は落ち着いたのだと思われる。
ほっと密かに息をついた木乃香の様子を、男がじっと見つめていた。
「とりあえず、自己紹介をさせてくれ。サヴィア王国軍第二軍を預かるジュロ・アロルグと申す。まあ、今はこんな肩書きを背負ってるが、おれはもともと一般兵からの成り上がりだ。礼儀正しさとかは求められても困るんで、そこは容赦願いたい」
「あ、いえ……はい。ミアゼ・オーカと申します」
頭を下げられて、木乃香も慌てて頭を下げ返した。
サヴィア王国軍の第二軍といえば、いま正にフローライド王国に侵攻してきている、その軍ではなかっただろうか。
団長だとか将軍だとか呼ばれているこの男に、ジラノスを偵察に来ていたとしか思えない傍らの少女と先ほどの男。そして見慣れないテントとくれば、ここはおそらくサヴィア王国軍の中―――駐屯地か何かなのだろうと想像がつく。
木乃香がフローライド側の人間だということはもちろん、知られているだろう。
隠していなかったしそれが必要だとも思っていなかったので、中央の官吏だということも知られているかもしれない。
そしてその上で、いまの木乃香の置かれた状況、あるいは待遇は、いったいどうなっているのだろうか。
ジュロ・アロルグと名乗った男は続けた。
「まずは先ほどのサフィアス・イオルの行いについて、この駐屯地を統括する者として謝罪する。こうなるから近づくなと言っているのにまったく。……あれの直属の上司からも謝罪があると思うが、現在は出かけていてな。この件がなくても話を聞かせて欲しいとは言っていた」
不安げな木乃香の様子に気付いたのか、彼はにかっと笑ってみせた。
「大丈夫だ。お嬢さんには借りがある。誰がなんと言おうといずれ五体満足、無事に帰すと約束しよう」
「……はあ。ありがとうございます」
わざわざ座って目線を合わせた上で頭を下げ、謝罪してくれる。
見た目と口調に多少の荒さは感じるものの、なかなかどうして誠実な人だなと思う。
使役魔獣たちも、さきほどのサフィアス・イオルに対した時よりは警戒を解いている様子なので、たぶんこのジュロ・アロルグという人物は信用できる。
と思うのだが、言葉の内容にはふと引っかかりを覚えた。
「……あの、借り、とおっしゃいました?」
「言った。攫ってきたんだから恨まれても仕方がないのに、うちの軍を守ってくれたことには非常に感謝している」
重々しく頷いた男は、何やら奇妙なことを言った。
彼が言う“軍”とは、もちろんサヴィア王国軍だろう。しかし木乃香は、ここの軍はもちろん自国フローライドに対してだって何かをした覚えはない。
「おれには魔法はよく分からんが、うちの姫のせいでお嬢さんが寝込むはめになったんだろう?」
傍らの少女が、小柄な身体を縮こまらせてより小さくなる。
ああ魔法力の暴走がらみか、と少しだけ納得がいった。
しかし軍を守った、とはなんだろう。自分たちがいたあのテント周辺くらいなら守っていたと言えるかもしれないが。
「それで姫が不安がってなあ。姫が同じテントに居ることを許していたわけだが、結果的にお嬢さんには迷惑をかけっぱなしになって。いや、ほんとうに不甲斐ない」
敵国の将軍様にはまた頭を下げられ。
傍らの少女には、袖のあたりを縋るようにきゅっと握られた。
「あの、すみません。先ほどから“姫”って……」
「え。ああ、何だそこからか。…ほんとうに何も知らずに助けてくれたわけか」
それは懐かれるのも仕方ないかもしれんな。
大きく眼光の鋭い目を柔らかく細めて、ジュロ・アロルグは言った。
「姫は、うちの国の姫だ。先王の第十子にして三番目の王女、ナナリィゼ・シャル・サヴィア王女。追加の肩書きはまあ、期間限定でうちの軍所属の魔法使いだな」
軍の駐屯地にいても軍人には見えないと思っていたが、まさかの王女様。
どうやら木乃香は、身辺を探っていた怪しげなフローライド人ではなく、王女の客人、あるいは王女とサヴィア王国軍の恩人としての対応を、ここでされていたようだった。




